第十八話 沸石(五/六)

文字数 5,810文字

 部屋中に、気まずい空気が流れている。
 その居たたまれなさに、桜は思わず――出かけて行った花梨に自分のことも連れ出してもらえばよかった――などと考えていた。
 あちらは、さぞなごやかな時を過ごしていることだろう。それなのに、この部屋ときたら。
 座敷には三人の男が――桜も数に入れるならば四人だが――顔を突き合わせていた。槐と片桐を名乗る男と、それから――
「あれから、怪我の具合はいかがですか?」
 空気を読まずに、槐は軽い調子でそうたずねた。よりによって、明らかに敵意をあらわにしている相手に向かって、いつもの挨拶でもするかのように。
 案の定、そう問いかけられた男は――浅沙とかいう名前だっただろうか――むっとした顔で、槐のことを見返している。
 しかし、槐はめげずにこう続けた。
「あのとき、ずいぶんと強引に呪いを返していらっしゃいましたから。何らかの反動があったのではないかと思いまして」
 それでも浅沙は何も答えない。その代わりに、片桐が肩をすくめながらこう言った。
「右手の火傷のことか。俺はどういう状況だったかは知らんが、まあ、ひどいもんだった。今は治っているがな。何の問題もない」
 確か、花梨のアルバイト先で起こった火事さわぎのときの呪いを返した――という話だったか。桜は直接、その場面を見たわけではないが。
 そのことを指摘されて、浅沙はよりいっそう頑なに口を閉じた――ように、桜には見えた。しかし、槐はそれには気づいていないのか、あるいは無視を決め込んでいるだけか、とにかく――それはよかった、とにこやかに笑いかけている。
 槐はあらためてこう言った。
「あなたにはきちんと名乗ってはいませんでしたね。私は音羽槐です。名前をおうかがいしても?」
 桜は浅沙が口を開かないのではないかと思った。しかし――
「浅沙」
 と、彼はどこか投げやりにそう名乗る。
 浅沙が名字を名乗らなかったことが気になったのだろう。槐はうなずきながらも、さらにこう問いかけた。
「あなたは八雲家の方なのでは?」
「俺はもう、あの家とは無関係だ」
 浅沙は即座にそう返す。槐はふむとうなずくと、しばし考え込むように黙り込んだ。
 部屋中に、気まずい空気が流れている。
 浅沙は言わずもがな。片桐も、保護者を名乗っているわりには事情に明るいわけでもなく、今のところ大して口を出していない。まるで、悪いことをした子どもにつき添って、説教を受けに来た親のようだ。この二人、いったい何をしに来たのだろう。
 内心でそう呆れていた桜だが、槐はそれでもそんな彼らにつき合うつもりらしい。悩んだ末に、槐はようやくこう話し始めた。
「さて。何からおたずねしましょうか……そうですね。まずは――」
「何も答えるつもりはないね。嘘をついても、そっちにはわかるんだろうし」
 槐の言葉をさえぎって、浅沙がそう牽制した。そんな彼の態度には、片桐が無言でにらみをきかせている。
 槐が虚をつかれたように目を見開いていると、浅沙はふんと一笑した。
「深泥池でも、そう言ってただろ」
 あのときの槐は、協力してくれる石たちをいくつか持ち出している。嘘をついてもわかる、ということは――
鋼玉(こうぎょく)の力ですね。彼はこの話には口を出しません。もともと、人と関わることをひどく嫌っていまして。あのときは――特別でしたから」
 槐があっさりとそう答えるものだから、桜は思わずこう嘆いた。
「ああ……何で言ってしまうんですか。黙っていればよかったのに……」
 嘘をついても意味はないと相手に思わせておけば、こちらにとっては好都合――そんな思いが、つい口に出てしまった。当然、その意図は相手にも伝わっただろう。桜は浅沙に鋭い目つきでにらまれる。
「そういえば、そいつは何なの」
「僕は――」
 唐突に注目を浴びたので、桜は戸惑った。いつもであれば、槐の傍らに控えていれば意識されることはまずない。桜のことを人ではないと気づく者もそういないし、単なる客に自ら正体を明かしたこともなかった。とはいえ――
 この場にいる客人は、少なくとも桜が人ではないことくらい気づいているだろう。ならば。
「僕は桜石、です」
 桜はそう名乗った。浅沙はすかさずこう返す。
「何だ。あの家の無名異(むみょうい)みたいなもんか」
 桜は意味がわからずに首をかしげた。しかし、どうも嫌な感じがする。何――みたいなものだと、彼は言ったのだろうか。
 浅沙の方は、もうすでに桜のことには興味を失ってしまったらしい。あさっての方を向いて、やはり不機嫌そうにしている。
 ただ、浅沙の発言には槐もいぶかしく思ったのか、表情を曇らせつつも、こう問いかけた。
「無名異? 赤土の? いや……そうではないね?」
 浅沙が何かを答えるより先に、槐はこう続ける。
「八雲の家にも、彼のような存在がいる、と?」
 桜は思わず顔をしかめた。
 自分たちと同じような存在。それが土蜘蛛の家にもいるというのか。あのときのようなことを、また――
 しかし、浅沙はそんな不穏さには気づかずに、世間話でもするようにこう答えた。
「そいつとは似てない。もっとこう、人らしくはない」
 その評価に桜は複雑な思いを抱く。少なくとも、桜の方はその――似た何かよりかは、人らしく見えるようだ。安堵していいものか、それとも――
 やはり気まずい空気の中、浅沙は肩をすくめてこう言った。
「まあ、懲りたんだろ。いろいろ。何にせよ、あの家がどうだろうと、俺には関係ないね」
 槐はその心のうちを探るかのように、浅沙のことをじっと見つめ返した。
 しかし、それも長くは続かない。浅沙に向かって、槐はこう念を押す。
「とにかく、あなたは八雲家のことを話したくはない、と」
 浅沙はそこでちらりと一瞥をくれたが、槐は特に気にすることもなく、その先を続けた。
「では、今はそれでかまいません。私が知りたいことは、あの家の現状ではありませんから。お聞きしたいのは――鷹山花梨さんのお姉さんのことです」
 その言葉には、浅沙も鋭く反応した。そして、思い出したように、きょろきょろと周囲を見回し始める。
「そう言えば、今日は花梨ちゃんいないみたいだけど」
「彼女には席を外していただきました」
 桜は思わず槐にうろんな目を向けた。
 花梨が遠出した日を選んでこの二人が現れたのは、あくまでも偶然だと思っていたのだが――もしかして、あらかじめ画策されたことだったのだろうか。
 考えてみれば、槐が突然アルバイトなどと言い出したことも、奇妙だとは思っていた。行方不明の姉が、何らかの呪いに関わっているのだとすれば、花梨の動向は把握できた方がいいとでも考えたのかもしれない。ただでさえ、土蜘蛛との因縁に巻き込まれているのだから。
 それでいて、この場から花梨を遠ざけたのは、槐が自分だけでこの件に片をつけられないか、と考えたからだろう。槐はわりとそういうところがある。そんなことだから、なずなはへそを曲げるのだ、と桜は思っているのだが――
 ともかく。
 先ほどまでは無関心だった浅沙だが、ここでようやく、その態度をあらためる気になったらしい。槐に向き直ると、浅沙は素直にこう答えた。
「お姉さん、ね。俺もどこにいるのかは知らないって言ったはずだけど」
 槐は浅沙を真っ直ぐに見つめ返す。
「居場所は知らない。しかし、呪われている――という話ではありませんでしたか? その点については、少し奇妙に思っていまして。深泥池の噂がいつから始まったのか具体的な時期はわかりませんが、少なくとも、二年前には広く知られていたことを、こちらも把握しています。そして――」
 槐はそこで、座卓の上に置かれた紙束をちらりと見やった。
「あのとき、あの場にいた女性が起こしたことについては、ここ数か月のことに限られる、という認識で間違いはありませんね? そのうえで、深泥池の噂の発端はあなたの行いである、と。だとすれば、鷹山さんのお姉さんの件は、あなたに関わりがあることなのでは? それとも、違うのでしょうか?」
 深泥池の噂に関わっていたのは、どうもひとりではなかったらしい。そもそもの始まりは、確かに浅沙が広めたことではあるようだ。しかし、なぜそんなことを始めたのかなど、くわしい事情はまだわかっていなかった。
 そして、もうひとり。玄能石に火打ち石、そしてかんかん石――それらの石を、望む者たちに与えた人物がいるのだという。土蜘蛛同士のいざこざだからか、その点についても、浅沙は話すつもりがないようだが――
「どうもこの件に関して、あなたにはまだ隠していることがありそうですね」
 浅沙は何の反応も示さずに押し黙る。話すと都合が悪いことでもあるのだろうか。それとも。
 沈黙した浅沙の代わりに、声を上げたのは片桐だった。
「それについては、俺も知りたいところだな」
 皆の視線が片桐の方へと集まる。片桐はそれらを堂々と受け止めた。
「俺がこいつを拾ったのは、とあるところから調査を依頼されたからだ。深泥池周辺で不穏な動きがあるからってな。その結果、こいつを保護した。それで俺の仕事は終わり――のはずだったんだが」
 片桐は浅沙を一瞥してから、深いため息をつく。
「どうも、こいつのいたずらだけでは説明のつかないこともあってね。ただ、それについては、どうしたって口を割らない。言っておくが、俺は呪いのことについては一切わからん。自分の領分ではないことに、これ以上首を突っ込みたくもない」
 片桐はそう言うと、肩をすくめた。
「ただ、状況は把握しておきたいもんでな。深泥池は――あそこは特別な場所だ。怪異がどうこうじゃない。貴重な自然の宝庫なんだ。だからこそ、幽霊だの何だのでさわいで欲しくはない」
 調査を依頼された、という言葉は少々気になるところではあるが――
 桜の知る限り、古木守という人たちは、時を経て怪異になった樹木などを中心に、古い自然を守る人たちだと認識している。浅沙を保護したことも、この場に彼を連れて来たことも、片桐にとっては単にその延長なのかもしれなかった。
 片桐の言葉にうなずきながらも、槐は浅沙に向き直る。
「あらためておたずねしますが……あなたはなぜ、深泥池で呪いを引き受けていたのですか?」
 浅沙はそれでも口を閉ざしていた――が、そのうち思い直したのか、渋々ながらもこう答える。
「先立つものが欲しかったからだよ。さっきも言ったように、八雲の家とは縁を切ったし。それが手っ取り早いと思って」
 呪いの噂は、金を得るためだった、と。何とも俗な話だが――とはいえ、浅沙は見るからに軽薄そうな人物ではあるし、真実はそんなものなのかもしれない。
 しかし、槐はその答えに納得してはいないようだ。
「本当に縁を切るつもりなら、なぜすぐにでも、もっと遠くまで行かなかったのですか? どうして深泥池である必要が?」
 浅沙は再び黙り込む。槐はさらに問いかけた。
「現に、そのために八雲の家の者が、あなたを追って来たようですが……違いますか?」
 浅沙は大きくため息をつくと、言葉を選ぶようにしながら、こう話し始めた。
「正直言うと、俺が何をしようが、あいつが気にするとは思ってなかったからな……まあ、俺もちょっとやり過ぎたところはあったけど。大方、お前らと通じているとでも思ったんだろう。手を組んだとすれば、向こうは黙っていられないだろうし――」
 しかし、その言い分には片桐が口を挟む。
「深泥池で遊んでた理由にはなってねえだろ」
「おっさんは黙ってなよ」
 そう言って、浅沙と片桐はにらみ合っている。
 槐はそのことを気にする風もなく、ふむとうなりながらも、自分の考えを口にした。
「深泥池には確か、豆塚がありましたね。あの場所がそうであって、利用するのに都合がよかった、ということでしょうか」
 噂の場所。条件だの手順だのがあって、普通では行くことができないのだという。そこが特別な場所だったということだろうか。
「あそこは俺が術で囲ってただけ。鬼の道――豆塚とは違う」
 浅沙の答えに、槐は軽く目を見開く。
「そうなのですか。しかし、鬼の道、というのは――?」
 槐はそのとき、ふいに何かを思い出したかのように顔をしかめた。
「それから、ひとつ確認しておきたいことが――あなたは、宇治に行ったことはありますか?」
 槐はそう問いかける。話の流れから外れた内容に、浅沙はけげんな顔をした。
「宇治? なんでそんなところに」
 槐は浅沙の反応に目を向けてから、何かを考え込むようにうつむいた。
「なるほど。それから、鷹山さんのお姉さんに関わる呪いについて、ですが……それは、もしかして」
 槐はそこで、探るような視線を浅沙に向ける。
「木の呪いなのではありませんか?」
「何。木、だと?」
 と、反応を示したのは片桐だ。しかし、これはおそらく、立場上気になったというだけだろう。
 それに対して、浅沙の方はというと――不自然なくらい無表情だった。しかし、わけのわからないことを聞かれた、という感じではない。むしろ、ひどく驚いているか、あるいは――
 浅沙のその表情を気にとめつつも、槐はこう呟いた。
「これは……あちらの方も確認しないといけないか」
 浅沙は憮然とした顔で問いかける。
「あんた、何を知ってる?」
 槐は苦笑した。
「まだ、確証があるわけではありません。とにかく――私としましては、まずは鷹山さんの件をどうにかしたいと思っています。彼女のためにも。その点で、ご協力はいただけませんか」
 槐のそんな申し出には、浅沙は顔をしかめながらも、肯定とも否定とも取れるような――どっちつかずなうなり声を上げた。決めかねているのだろう。
「そもそも俺は、あんたのことが本当に信用できるのか、疑わしく思い始めてるんだけど。あんたが知ってるのは、それだけか?」
「おまえ……また、そんな偉そうに」
 そう呟きながら、片桐は呆れたような目を浅沙に向けている。槐の方はというと、何かを思い出すように視線を宙に向けてから、今度はふと、座卓の上にあるものをもう一度見やった。
「そうですね。あとは、そう。鬼、でしょうか」
 そこにある紙束。あれは確か――なずなが持って来た、深泥池の噂について調べられたレポートのコピー。
 槐はそれに視線を向けたまま、誰にともなくこう呟く。
「深泥池には、鬼が出る」
 その言葉に、浅沙は険しい表情を浮かべた。
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