第二十話 石英(六/八)

文字数 3,105文字

「君が考えているとおり、深泥池の――というより、土蜘蛛には雨のひとりが関わっている。五条の件は直接関わってはいなかったようだが――まあ、元をたどれば彼女のせい、とは言えるかな」
「どういうことでしょう」
 花梨はすぐさまそう返したが、時雨は花梨のことを見つめるばかりで答えを返しはしない。その代わりに、こんなことを問い返した。
「そうだな。それでは、まず――君は、鬼というものがどういう存在かを知っているかい?」
 あまりにも唐突な問いかけに、花梨は戸惑い、言葉を詰まらせた。その話が深泥池の件と何か関係があるのだろうか。
 とはいえ、相手から話を引き出すためには、この問いに答えないわけにはいかないだろう。どう答えるべきか――迷いながらも花梨はこう返す。
「そうですね……もとは目には見えない、得体の知れないものを指していて、今ではいわゆる異形の化け物のようなものだと理解されている。しかし、その名はまつろわぬ者たちや、異分子が負わされた名でもある――と」
 ほとんどが槐からの受け売りだ。しかし、そんなことを相手が知るはずもなく、時雨はただうなずいた。
「概ね間違ってはいない。そもそも、鬼という言葉が指すものは時代によっても変わっているから、一概にこうだと断定できるものではない。ただ――そうして長い時を経て得た、鬼の本質というものはね。つまるところ、人の形をした人ではないもの、なのだよ」
「人の形をした、人ではないもの?」
 花梨は思わず、そうくり返した。時雨は淡々とこう続ける。
「人は人であるために、人には似ていても、人から外れたものを鬼と呼ぶのだ」
「人が、人であるために……」
 花梨がそう呟くと、時雨はどこからともなく一枚の札を取り出して見せた。花札かと思ったが、見たことのある絵柄とは少し違っている。描かれているのは、番傘を差した人影。柳の札、だろうか。
「そもそも、人は鬼になれるものだ。嫉妬によって自ら鬼になった宇治の橋姫(はしひめ)。執念のあまり人を食らった安達ヶ(あだちがはら)の鬼婆。そうした話は少なくはない。今でも、人に外れた行いをする者を、例えば――殺人鬼、なんて言い方をするだろう?」
 時雨は手にした札を指で弾いた。すると、それは一瞬のうちに赤い鬼の絵柄へと変わる。
 ぽかんとしてしまった花梨に、時雨はにこりと笑いかけた。
「しかし、そうして鬼となったものを、人は人として認めるわけにはいかないものだ。まつろわぬもの、嫉妬に、怨念に、妄執に狂ったもの――恐ろしいもの。それらに取り込まれぬように、人はそこに線を引く。鬼とは、人の中にある暗部。それが自らの中にあるにしろ、他人の中に見いだすにしろ、ね。だから、鬼というものは――正しく恐れなければならないものなのだよ」
 時雨はそういうと、手元の札を忽然と消した。そうして(から)になった手を、ゆっくりと開いて見せる。
「さて、なぜこんな話をしたのかというと……私たちは人と言うには人から外れているが、それでいて、鬼と呼ぶには人となじみすぎている。が――彼女に関しては、今でも鬼という呼び名が相応しいと、私は思っていてね」
 そう言うと、時雨はいくらか声を落としてから、こう告げた。
「土蜘蛛と天狗の両者に因縁を持つ鬼――彼女の名は樹雨。百年前に八雲家の者を使ってひと騒動を起こした鬼だ。それを音羽の者が阻止した。因縁はそこから。それを発端にして、彼女は音羽を恨んでいる。今回のことも、それが起因になっているようでね」
 百年前。花梨はその言葉にはっとする。
 確か、黒曜石を始めとする不思議な力を持つ石たちを目覚めさせたのは槐の曾祖父、とのことだった。だとすれば、そのことにも何か関わりがあるのだろうか。
 花梨が考え込んでいる間にも、時雨はこう続ける。
「ただ――彼女の行いは、例えるなら山の頂から小石を落とすようなもの。そうして転がった先で何が起ころうとも、彼女が責を負うことはない。たとえ、その惨状を見た彼女が、そのことをどう思っていようとも」
「どう思っていようとも?」
 思わずそう問い返した花梨に、時雨は珍しく悲しげな笑みを浮かべてみせる。
「今の世に人と外れた存在が人にまぎれて生きているのは、要するに皆、人のことが好きだからだ。しかし、その点について樹雨は少し――歪んでしまっていてね」
 時雨はそう言うと、ふいに左手にある腕時計に目をとめた。仕事の時間が近いのかもしれない。
「ともかく――故あって私は彼女の動向を調べてはいたが、これは人の領分ではない。それだけは理解しておくことだ。君の力で彼女をどうこうすることはできない。君が追うとすれば……恐らく、彼女が転がした小石の方になるだろう」
 その言葉に、花梨は思わず顔をしかめた。百年前から続くという彼らの因縁。鬼という存在。確かに、ただ姉を探したいと思っているだけの花梨にとって、それは重すぎる話だ。
 それでも、花梨はあの店に迷い込んで、槐に――そして石たちに救われている。だからこそ、無関係だと切って捨てられないような、そんな気もしていた。
 ともかく、深泥池の件には、まだ見えていない何かがあるのだろう。しかも、それについてはどうも、花梨にとっては関わることすら危うい存在らしい。そのことだけは、心にとめておく。
「わかりました。いえ――すぐに納得できることではありませんが、人知を越えた何かがあり、それが危険だということだけは覚えておきます」
 時雨はその言葉にうなずいた。
「それでいい。音羽にも土蜘蛛にも、彼女をどうにかすることはできない。しかし、彼女の落とした小石に対処する力くらいはあるだろう」
 そう言って時雨は花梨の顔をじっと見たかと思うと、なぜかふいに苦笑した。
「少し話しすぎてしまった気もするな……私はね、人の世でただおもしろおかしく日々を過ごしたいだけなのだよ。昔であれば、私も時の人を相手にいろいろと無茶をしたものだが――今はもう、そんな時代でもない。樹雨の振るまいは時代にそぐわない。その点については、私も苦々しく思っていてね。とはいえ――」
 時雨はそこで花梨から目を逸らすと、肩をすくめた。
「私は彼女を咎める気などさらさらないよ。彼女に恨まれては面倒だからね。だからこそ、君たちが彼女にひと泡吹かせてくれることを期待しているところもある」
 何とも自分勝手な言い分だ。しかし、これが彼の本音なのだろう。花梨にいろいろと話してくれたことも、ただの親切心ではないらしい。
 それでも、これは花梨自身が望んだことだった。だからこそ、花梨は彼に向かって頭を下げる。
「お話していただき、ありがとうございました。私には、わからないことだらけですから」
 時雨はその言葉にふむとうなると、明後日の方向に目を向けながら、こう言った。
「どうだろうね。君は樹雨に会うことになるのかな。ひとつ忠告をしておくとすれば、君が伴っていた、あの烏石(からすいし)――」
「……黒曜石のことですか?」
 黒曜石はここにはない。しかし、時雨にはこの会場のどこかにあるということがわかるのだろうか。
「そう。あれが向かう先には、常に注意を払っていた方がいい。あれはそれなりの力を持っているが、だからこそ危ういところもある。きちんと君が御すことだ」
 そう言うと、時雨は花梨から背を向けた。そして、右手を上げて――別れの仕草をしながら、振り返ることなく遠ざかって行く。
「何にせよ、鬼とは関わらない方がいいということだけは忘れずに。関わるにしても、人と同じなどとは思わないことだ。まあ、それを私が忠告するのも、妙な話ではあるのだけれどね」
 それだけを言い残して、彼はその場から立ち去った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み