第六話 黄鉄鉱(五/五)

文字数 5,319文字

「君は決して愚かではないと、俺は思う。だからこそ疑問なんだが、君はなぜ自分のことをそう称するんだい?」
 茴香は押し黙る。今までだったら軽く流されていたことだから、あらためて問われると返答に困った。黄鉄鉱はこう続ける。
「黄鉄鉱という鉱物は、愚者の金、と呼ばれる。まあ、金ではない金色をしている鉱物の、宿命みたいなものなのだが。本質を見極められず、金と見まごうような者は愚かだということだろう。君はどうだ。自らの本質を見極められているか? 己を愚者だと必要以上に蔑んでいては、いずれ自らを見失ってしまう」
「別に、そんな深刻なことじゃないと思うけど」
 茴香はそう反論したが、黄鉄鉱はゆっくりと首を横に振る。
「単純に、そう思っていない相手にそんな風に自分を蔑まれるのは、悲しいものさ。それを聞いている方がね。だから、自分をそう称するのはやめた方がいい」
 そんなことを言われたのは、初めてのことだった。茴香は戸惑いのあまり黙り込む。
 黄鉄鉱はそんな茴香を気づかうように、先へと歩き出した。地上に戻るためだろう。茴香は後ろをついて行きながら、それでも別れ道のたびに進むべき道を示す。
 そうしながらも、茴香はずっと考え込んでいた。黄鉄鉱は一方的に話し始める。
「君と一緒にここに閉じ込められたという事実を、もう少し考えるべきかもしれない、と思ってね。俺の力が必要になるということで、俺はここまで寄越されたんだ。それはおそらく、本当のことだろう。君は愚かではない。ならば君にはきっと、わかるはず。この現状を打破する方法を」
「……あなたの力っていうのは?」
 茴香の問いかけに、黄鉄鉱はこう答えた。
「そうだな。黄鉄鉱という鉱物は、鉄などで叩くと火花が出る。そのため、火打ち石としても使われた。硫酸の原料だったこともあったが……。それから――カットされ、宝石として流行したこともあったらしい。愚者にとっては、金に見える金ではないまがいものだが、ようは使いようというわけだ」
 茴香は手にした金色の石を、目の前の青年と見比べてみた。黄鉄鉱。奇妙な形の変わった石。その石だと称する奇妙な青年。
 茴香は自分のことをばかだと思っていた。そして、実際にそうだったとも思う。少なくとも、あのときの自分は――
 でも、それはきっと、かつての自分が幼すぎたせいでもあるだろう。あのときの自分は、本当のことさえ話せば、すべて信じてもらえると思っていた。しかし、今の茴香は、たとえどんなに正直に言葉を尽くしても、伝わらないことがあることを知っている。
 それは自分にはどうしようもないことだ。だから、自分がばかなのだということにした。ばかだということにして、自分が正しいと思うことを守った。ただ、それだけだ。
 だから、茴香は決してばかではない。
 階段まで戻ってきたので、そこから地上へ出た。幸いなことに――もとの場所に戻ったはずがでたらめな場所に出た――なんてことにはならなかった。もちろん、幻のような祭りはまだ続いていたが、冷たく何もない地下道よりはいくぶんましだ。
 真っ暗になった夜空を見上げて、茴香はふと、あることを思いつく。しかし、それは自分自身でも、突拍子もないと思うようなことだ。
 考えた末に、茴香は黄鉄鉱にまずこう問いかけた。
「火打ち石ってことは、火が出せるの?」
 黄鉄鉱はうなずいた。それを確かめて、茴香はこう続ける。
「じゃあ、それでこの祭りを終わらせられないかな。ここにいる人たちを、ちゃんと……帰すの」
 首をかしげる黄鉄鉱に、茴香は自分の考えを口にした。
「えっと……山を燃やす、というか。ほら、何て言ったっけ。大の字に火を灯すやつ」
「五山の送り火かい?」
 送り火。お盆に帰ってきた魂を、あの世へと送り返す行事。京都のそれは、山の斜面に特定の文字や形を描くように、かがり火が焚かれるらしい。茴香自身は直に見たことはないが、その存在は知っていた。
「だって、ここにいる影は帰れなかった魂みたいなものなんでしょう?」
 茴香の言葉に黄鉄鉱は考え込む。しかし、すぐに納得したようにうなずいた。
「なるほどね。とはいえ、送り火はひと月先の行事なんだが――まあ、いいか。この異常な空間を終わらせるには、その辺りを多少曲げたところで、問題ないだろう」
 黄鉄鉱はそう言うと、右手をかざした。その手に突然、炎が燃え上がり、茴香はぎょっとする。しかし、黄鉄鉱は涼しい顔でこう言った。
「黄鉄鉱の英語名はパイライト。ギリシャ語で火を意味する言葉から名づけられた。だからこそ、火をつけることは得意だ。守り石たちとは違うから、かつてほどの力はないが――ここは特殊な場だから、表よりは力を振るいやすいだろう。さて――」
 黄鉄鉱の手から、炎がいくつも舞い上がっていく。暗い夜空にそれらが列を成すと、やがて文字が浮かび上がってきた。
 それがはっきりと形づくられるにつれ、祭りの喧騒は静まっていく。影たちは我に返ったように、皆そろって、燃える火を見上げていた。そうして――

     *   *   *

 そのとき、暗い夜道に小さく火が灯った。
「黒曜石!」
 それを見つけた途端、花梨は叫ぶ。その火は、手を伸ばしても届かないほど高い位置にあった。何が燃えているのだろうか。
 花梨がそれを問いかける前に、黒曜石はすでに弓に矢をつがえていた。そのまま矢を放ち、火の灯ったそれを討ち落とす。
 それは炎に包まれたまま落下していったが、地面に激突した瞬間、その火は消え去った。そうして、道の上をしばらく転がっていく。
 足元で止まったそれを、花梨は用心しながら拾い上げた。
 固くずしりと重い、拳くらいの石。それは、でたらめな渦を描いた巻き貝のようなものだった。
「戻って、来られた……?」
 ふいに近くで声がした。その声に、花梨は、はっとして顔を上げる。
 さっきまで誰もいなかった場所に、誰かが立っていた。そこにいたのは、消えたはずの笹谷茴香。白いこぶり石と黄鉄鉱をその手に持って、彼女は驚いた表情で周囲をきょろきょろと見回している。
 花梨がかけ寄ると、それに気づいた彼女は不安そうにこう言った。
「どうしよう。一緒にいた人、いなくなっちゃった。置いて来ちゃったかな」
「俺ならここにいるよ」
 黄鉄鉱の声がした。それを手にしていた彼女は、しばし無言で金色の石を――黄鉄鉱を見つめる。
 しばらく考え込んでから、ようやく納得したように呟いた。
「本当に石だったんだ?」
「……信じていなかったのかい」
 花梨はひとまず安堵した。戻って来た茴香は、その姿を見る限り元気そうだ。とはいえ、花梨が石燕に苦労したときのことを思えば、彼女にも不安があっただろうことは想像にかたくない。
 自分への責任を感じながら、花梨はこうたずねた。
「大丈夫? 笹谷さん。どこかに怪我は……」
「うん? あたしは大丈夫だよ。いろいろ変わったものが見られて、むしろ楽しかったかも」
 思いがけない言葉が返ってきて、花梨は戸惑った。黄鉄鉱が苦笑する。
「驚くことに、本気で言っているぞ。このお嬢さんは」
 その言葉どおり、茴香は自分の身の回りを確かめると、いつのまにやら、手にした端末で平然と――おそらくメッセージを確認し始めた。
「一緒に来てた友だちは、もう帰っちゃったって。薄情なやつらめ」
 茴香はそう言って肩をすくめると、花梨の方へと向き直る。
「鷹山さんは、あたしがいなくなったこと、心配して待っててくれてたんだね。ありがとう。それから、黄鉄鉱も。いろいろと……ありがとう」
「いや。こちらこそ。君には助けられたよ」
 黄鉄鉱の言葉に、茴香は笑う。そして、誰にともなく、こう言った。
「もしかして、あたしって有能?」
「両極端だな。君は……」
 呆れたような声で、黄鉄鉱はそう返した。


「これは異常巻きアンモナイトですね」
 黒曜石が討ち落としたものを見て、槐はそう言った。
「異常巻き……?」
 こぶり石と黄鉄鉱、そして呪いの依り代となったであろうものを持って、花梨は槐の店へと戻って来ていた。座卓の上に置かれたのは、蛇がのたうち回ったような形をした巻き貝――その化石だ。
 槐はこう続ける。
「アンモナイトは均整のとれた渦を巻いているものが多いですから。それに当てはまらないという意味で、異常巻きと呼ばれているんです。この種はそもそもがこういう形で、これ自体が異常なわけではありません。最初に北海道で見つかったこともあり、ニッポニテスと名づけられています」
 またしても化石。石燕のときと同じだった。それを扱う者が同じだからか、それとも――
 ひとまず考えることはあとにして、花梨は身に起こったことを槐に報告した。とはいえ、今回は当事者ではないので、どちらかというと、花梨も黄鉄鉱の話を聞くことになる。問題ないとのことで、笹谷茴香はすでに帰されていた。
「笹谷さんですが、呪いのことも知ってしまいましたし、軽く事情を話しました。黄鉄鉱さんのことも含めて、受け入れてくれたようです」
「そうですか。何にせよ、無事でよかったです。こぶり石も、効果はあったようですが……こちらは、もう少し考えないといけないようですね」
 槐は申し訳なさそうに、こぶり石を手にとった。しかし、実際のところ、花梨自身は災難を逃れられているのだから、槐が恐縮する必要はないだろう。今回は状況が悪かっただけだ。
 不満げな声を上げたのは桜だった。
「それにしても、こんなことになったっていうのに、出てこないですね。石英さんは」
 それには、黒曜石が応える。
「彼には彼にしか見えないものがある。今回のことも、何か意図があるのだろう」
 桜はいまいち納得しがたいらしいが、軽く肩をすくめると、諦めたようにため息をついた。
「結局、そういうことになるんですよね。もうちょっとおとなしくしてもらえるように、碧玉さんに釘を刺してもらわないと」
「桜石。君は彼のことを何だと思っている」
 黒曜石は呆れたようにそう言ったが、それに対する桜の目は冷ややかだ。
「そんなこと言って、黒曜石さんだって石英さんが何か提案したら、まずは疑ってかかるでしょう?」
 黒曜石は答えない。桜は不満そうに口を尖らせる。
「どうして無言なんです」
 黒曜石と桜のやりとりを見ていた槐は、軽く苦笑すると、こんなことを話し始めた。
「昔、石英が話してくれたことがあったのですが」
 槐の言葉に、皆の視線が集まった。
「未来は定まったものではないのだそうです。常に不安定で、いくつもの可能性が重なっている。自分はそれらが見えてしまう。だから不用意に語らないのだと言っていました。言葉にしてしまうと、それはきっと、確定してしまうから」
 いくつもの未来。確定していない可能性。それらが見えるということ、実は途方もないことなのかもしれない。
 槐はさらに、こう言った。
「ですから、私は――彼の言葉はきっと意味あるものなのだと……そう思っているんです。少し長い目で見てやってはもらえませんか」
 その言葉に、桜は複雑な表情を浮かべている。
「無理にフォローしなくていいですよ。槐さん」
 そんな桜の呟きを聞きながら、花梨はしばし考え込む。
 今回の宵山に行かなければ、花梨は呪いからは逃れられたかもしれない。しかし、それでは何も変わらなかっただろう。もちろん、誰かを巻き込むことを花梨は望んではいないが、巻き込んでいるというだけなら槐たちがすでにそうだ。
 姉を見つけるという目的のために、自分はどこまで踏み込めるのだろう。その境界線を見極められないままに、花梨は槐にこう答えた。
「わかりました。私も、いろいろと……考えてみます」

     *   *   *

 大学の講義が終わったあと、花梨と別れた茴香は食堂へと向かった。知り合いがいつも集まっている一画に行き、知った顔を見つけると、茴香は一直線にそちらへ向かっていく。
 しかし、そこで合流した友人に、こんなことを言われた。
「さっきの講義。あんた、また話してたでしょ」
「だって、友だちになったし」
 花梨のことを言っているのだろう。茴香は何でもないことのように答えた。
 聞いた相手は呆気にとられている。また責められるだろうか。とはいえ、今度は茴香も折れるつもりはない。と、思っていたのだが――
「でもね、あの話には続きがあるんだよ。あの子のお姉さんが、さ……」
 ひとりが、そんなことを呟いた。どうしてそこで行方不明のお姉さんの話が。茴香はいぶかしむ。
「その人もここに通ってたんだけど、何でも呪われたせいとかで、周りにいる人が次々亡くなったり、怪我したりしたんだって。それで大学やめちゃったって」
 色めきたつ友人たち。茴香はその様子を冷静に受け止めながらも、内心では心底驚いていた。
 そんな話は初耳だ。それに、茴香が花梨に聞いた話からも、それは事実とは思われない。彼女は、このことを知っているのだろうか。
 茴香は思わず考え込む。
 笹谷茴香は、ばかではない。誰にどう思われようとも。そして、ばかではないならば、考えなくてはならなかった。この事実を知り、自分はどう行動するべきなのかを。
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