第十七話 鶏冠石(二/四)

文字数 4,745文字

 碧玉が姿を消し、桜が来客の応対に行っている間、ふいに黒曜石がこう言った。
「痛みを抑えるのに、君の力が有効だったな。辰砂。失念していた」
 辰砂は軽く肩をすくめている。
「私たちは人の感覚には疎いからな。とはいえ――皆、度を失いすぎだ」
 辰砂は苦笑を浮かべつつも、穏やかにそう言うと、次に花梨へと視線を向けた。
「それに、君も――ご両親に心配をかけたくないという気持ちはわかるが、必要なときが来たなら、痛いことは痛いと言葉にしなければ。でないと、余計に心配させてしまうよ」
 花梨は思わず黒曜石や槐を見返した。ふたりとも黙ってうなずいている。親のことを気づかうあまり、黒曜石の気持ちを汲んではいなかったことに気づいて、花梨は辰砂の言葉に深くうなずいた。
「そう、ですね。ごめんなさい。黒曜石。槐さんも。すみませんでした」
 槐は首を横に振っている。ずっと気を揉ませていた黒曜石も、今は平静に戻ったようだ。
 あらためて槐がこう言う。
「何か不調があれば、遠慮せず言ってください。こちらも、できる限りのことをしましょう」
 その言葉に花梨がうなずき返した、そのとき――座敷へ向かう人影が、縁側の方からちらりと見えた。
 真っ先に目に入ったのは浅沙だ。彼は花梨たちのことには気づいていないらしく、どこか不服そうな表情で、今は坪庭の石灯篭に気をとられている。
 そんな彼の前を行くのは――三十代後半か四十代にかかるくらいだろうか、がっしりした印象の男性だった。それから、もうひとり。彼らのうしろにつき従っているのは、中学生くらいの少女――
 客人がこちらに近づいて来るのを見て、黒曜石と辰砂は姿を消した。
 ほどなくして座敷の襖が開く。真っ先に顔を出したのは、先ほど目にした見知らぬ男性だ。彼は室内を見渡してから槐に視線を定めると、軽く頭を下げてこう名乗った。
「失礼する。俺は片桐(かたぎり)鉄線(てっせん)という者だ。不本意ながら、こいつの保護者としてここにいる。不本意ながらな!」
 そうして引きずり出されたのは浅沙だった。最後の言葉は彼に向けたものだったようだか、言われた本人は涼しい顔をしている。それどころか、花梨のことに気づくと、真っ先にそちらに反応した。
「あ。花梨ちゃんがいる」
 深泥池でのことがあったというのに――バイト先でもそうだったように――彼は軽い調子で手を振っている。花梨はどう対応していいかわからずに、とりあえず会釈を返した。
「おまえなあ……」
 と低い声で呟きながら、片桐は浅沙に対して呆れとも怒りとも取れる視線を向けた。自ら保護者と名乗っているが――いったい何者なのだろう。
 突然のことに戸惑いを覚えているのは、花梨だけではなかったらしい。やりとりに驚きながらも、槐はこう問い返した。
「保護者の方、ですか」
 片桐はため息をつきつつも、こう説明する。
「その言葉が適切かどうかはわからんが――こいつが深泥池で馬鹿やってるときに、それを見つけて咎めたのが縁でな。どういうわけだか、面倒を見る羽目になってしまった……」
 片桐はそこで一瞬うろんな目をしたが、すぐに気を取り直すと、ふいに右腕を差し出した。
「俺自身については、こいつを見て理解してもらうのが、一番手っ取り早いんだが――」
 そう言って、彼は服の右袖を捲し上げる。そうしてあらわになった腕には、何か模様のようなものが見えた――刺青だ。どうやら植物を象ったものらしい。
 それを見た槐は、ああ、と納得したような声を上げた。
古木守(こぼくもり)の方でしたか」
「……さすがに知っていたか」
 片桐はそう言って、服の袖を元に戻す。槐はそんな彼に向かって、あらためてこう名乗った。
「私は音羽槐と申します。彼女は――」
 槐が目線を送ったので、皆の注目が花梨へと集まった。
「うちの客人です」
 片桐は花梨にも軽く頭を下げると、すぐに槐に向き直る。
「この店の噂は聞いている。とはいえ、俺たちは呪いなんてものは専門外だからな。本来ならこの手のことに首は突っ込まないんだが――こいつのことを保護している以上、このまま放っておくわけにもいかない。そう思って、今後のことについて話し合うために、ここまで来た――と、言いたいところだが、おそらくこちらの方が火急の用だろう」
 片桐はそう言うと、うしろを振り返って、そこにいた人物に前へ進むように促した。片桐が身を引いたことで姿を現したのは、暗い表情を浮かべたひとりの少女。
 うつむいていたその子が、おそるおそる顔を上げる。彼女はゆっくりと室内を見渡すと、花梨に目をとめた途端、あ、と声を上げた。
「あのときの」
 そのひとことで、やはり――と花梨は思う。間違いない。深泥池で会った、石を持っていた子だった。
 しばしの間、花梨は彼女と無言で視線を交わす。そんな中、心得たように声を上げたのは槐だ。
「お話、おうかがいしましょう」
 花梨とその少女へ順に目を向けてから、槐は片桐に向かって、そう言った。


 槐と向き合う形で片桐が、そのとなりには少女が並んで座っている。浅沙は部屋の隅――普段はよく椿がいる辺りにいた。
 桜は皆にお茶を振る舞ったあと、いつもの位置に控えていて、花梨は槐の傍らへと移動している。そのため、今は少女と向き合う位置にいた。
 話を切り出したのは片桐だ。
「深泥池周辺を見回っていたときに――」
 片桐はそこで、ちらりと少女の方を見やる。
「この子を見つけてな。様子がおかしいので事情を聞いてみると、呪いを引き受けた者を探していると言う。何やら切羽詰まっていたようだから、とりあえずこちらに連れて来たという次第だ」
 片桐はそこで少女に向き直ると、いくらかやさしい声音になって、こう言った。
「呪いに関することなら、この御仁の方がくわしい。何か困ったことがあるなら、話してみるといい。力になってくれる」
 事情を話してくれることを期待して、誰もが彼女のことを注視した――が、少女はかたくなに口を開かない。花梨を見るなり声を上げてから、彼女は一切の言葉を失ってしまったかのようだった。
 槐もまた、考え込むように少女のことをじっと見つめている。しかし、その沈黙も長くは続かなかった。
 少女に向かって、槐はこうたずねる。
「石を、お持ちですね?」
 少女は小さく肩を震わせると、はい――と消え入りそうな声でうなずいた。そのことを確認した槐は、花梨に向かって軽く目配せしながらこう続ける。
「彼女のことを覚えていますか。あなたが落とした石を、拾ったことがあるそうです」
 少女はうつむいたまま、目線だけを花梨へと向けた。少しだけためらったあとにまた、はい――とうなずく。
 槐はそれにうなずき返すと、さらにこう問いかけた。
「あなたの持つ石を、見せてはいただけないでしょうか」
 少女はしばらく動かなかった――が、彼女はふいに、ずっと握りしめていたらしいそれを、目線の高さまで差し出した。
 少し大きめのセーターを着ているせいか、長い袖に隠れて彼女の手元はよく見えない。そのせいで、石の全容も隠れてしまっていたが、ちらりと見えるそれは、確かに花梨が深泥池で拾った石のように思えた。
 少女はどうやら、その石を見せることに――あるいは、手放すことに――まだ抵抗があるようだ。しかし、槐が辛抱強く待っていると、無言の圧に耐えかねたように、少女はそれをそっと座卓の上へと置いた。
 黒っぽく細長い石だ。表面はなめらかだが、黒曜石と違って光沢はない。形状は珍しいが、その辺りの道端に落ちていても違和感のない、ごく普通の石だった。
 槐が軽く身じろぎしただけで、少女はすかさずこう叫ぶ。
「さわらないで!」
 少女はその石を引っ込めようと、手を伸ばした。それを制すように、槐が力強く首を横に振る。
「ええ。さわりません。さわれば――よくないことが起こる?」
 槐がそう言うと、少女は、はっと目を見開いて、うなだれた。そして、ぽつりとこう呟く。
「ごめんなさい……」
 その言葉を聞いた槐は、彼女を安心させるように、軽く笑みを浮かべた。
「大丈夫ですよ。あなたを責めるつもりはありません。この石は――かんかん(いし)ですね」
「かんかん、石……?」
 変わった名前が気になったのか、少女はおそるおそる顔を上げると、呆然とした表情で槐を見返した。
讃岐岩(さぬきがん)。英語名はサヌカイト。火山岩である安山岩の一種。叩くと高く澄んだ音を出すことから、かんかん石とも呼ばれています。明治時代に香川県で発見したものをドイツの学者が調べたことから、その名がつきました。日本では磬石(けいせき)とも呼ばれていて、石器としても出土しています」
 場違いにも思える内容を、少女は呆気にとられたような表情で聞いていた。しかし、槐が話し終えた途端、彼女は思わずほうと息をはく。
「そんな名前なんだ。知らなかった。だから音が――聞こえるのかな」
 そう言ったことで、彼女はようやく、かたくなに閉じていた口を開くことにしたようだ。ぽつぽつと、目の前の石についてこう話し始める。
「私……呪ってやりたいと――思った人たちがいて。それで深泥池にお願いに行ったんです。そこでこの石をもらって。それで」
 少女はじっと、かんかん石を見つめている。
「その願いが成就するには百日にかかる、って。毎夜、音がする。それが聞こえて百日目に、それまでこの石にふれた者を」
 少女は、そこでわずかに声を震わせた。
「呪い殺すって」
「そんな。傷を負わせるだけじゃないんですか? だって、花梨さんはその石を――」
 思わず、といった調子で、声を上げたのは桜だった。皆の視線が――それまで無関心だった浅沙も含めて――花梨の方へと向けられる。
 居たたまれなくなったように、少女は深々と頭を下げた。
「ごめんなさい」
 その言葉に真っ先に反応したのは、浅沙だった。
「何それ。花梨ちゃん、その石を拾ったの? しかも呪い殺す? そんな不相応な力を求めて、何になるんだか。馬鹿じゃないの」
「浅沙さん」
 花梨は慌てて、その名を呼んだ――と同時に思い出す。火打ち石を持った女性にも、浅沙はこんな風に辛辣な言葉を投げかけていた。これ以上、彼に話をさせてはいけない。
 しかし、花梨がそれを制止する前に、少女はせきを切ったように話し始めた。
「私だって、こんなことしたくなかった。でも、もう……何を言っても相手にされないし、無視されるし、笑い者にされるし。だから――!」
 それを聞いた浅沙は、ああ、と納得したような声を上げる。
「何? もしかして、いじめってやつ? だとしても、何でまた深泥池に戻って来たのさ。そいつらだけ呪っていればよかったのに。あんなところ、うろちょろしてたせいで、花梨ちゃんまで巻き込んじゃって。おまけに、このおっさんにまで見つかってるし」
「おま」
 と何かを言いかけた片桐だが、彼が絶句している間に、少女はすかさず言い返した。
「それは……! 受け取ってすぐのときには、石をさわらせることに必死で、深く考えてなかったけど、呪い殺すのはさすがに、って思って。毎日、音は聞こえるし。どうすればいいか、わかんなくて。それで――」
 槐は顔をしかめながらも、黙ってそのやりとりを聞いている。桜は呆気にとられたように、ぽかんと口を開けていた。
 涙目になっている少女に向かって、最後に浅沙が言い放ったのは、こんな言葉だ。
「後悔するくらいなら、そもそもやらなきゃいいのに」
 そこでようやく、片桐が動き出した。
「おまえ、ちょっとこっち来い。話がややこしくなる……」
  そう言って、片桐は浅沙を無理やり立たせると、襖を開けて廊下へと押し出した。浅沙は特に抵抗する様子もない。あとのことを託すように無言で槐へ視線を送ったかと思うと、片桐もまた、座敷を出て行った。
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