第二十話 石英(四/八)

文字数 4,796文字

 ――自分が望むもの。
 空木がそのとき考えていたのは、その力を使って成功しようだとか、利益を得ようだとか、そんなことではなかった。確かに、かつての空木は自分が特別な何かになれると思っていたかもしれない。しかし、空木が求めていたのは、そんな――特別な力ではないだろう。
 自分が望むものは何なのか。そう考えて、すぐに思い出したのは国栖の葉のことだ。
 わけもわからず関わりを持つことにはなったが、それでも空木はできる限りのことをして、彼女に寄り添ったつもりだった。しかし、それでもそれは足りなかったのだろう。だからこそ、彼女とはあんな風に別れることになってしまった。そのことは、今の空木にとっては一番の心残りだ。
 自分の力が足りなかったのか。知識が足りなかったのか。いずれにせよ、状況が悪かったとか、そんな理由で逃げたくはない。それこそ、それは空木の望むものとはほど遠い気がした。
 空木が求めているのは――おそらく、自分が自分として、ありのままに力を発揮できる居場所だ。誰かに使われるでもなく、寄りかかるでもなく。
 しかし、そんな場所なんて、きっとどこにもないのだろう――と空木は思う。どこに行っても自分の居場所だと思えないのは、結局のところ、空木自身の問題なのだから。
 今までの空木は自分を過大に評価して、何に対しても斜にかまえるところがあった。しかし、ありのままの自分でいたいなら、ありもしないものにこだわることに意味などない。本当に望むものがあるのなら――まずは、自分が変わらなければ。
 呪いだの怪異だのについては、空木には何もわからない。それに対する無力さについては、空木も身に染みていた。しかし、だからこそ、今の空木にとって何より必要なのは、それについて知ることだろう。そう考えるなら、この石と手を組むことは決して悪い選択ではない。
 空木は知らず自嘲めいた笑みを浮かべていた。使い走りけっこう。そういったことには慣れている。しかし、空木はそれで終わるつもりはなかった。利用させてもらおうじゃないか。その力。あくまでも対等な取り引きとして。
 空木は大きく息をはくと、石英の目を真っ直ぐに見据えながら――こう言った。
「いいだろう。その話。乗った!」
「そうこなくてはね!」
 石英はにやりと笑ってそう返す。
 未来が見えるこの石は、空木の決断をどこまで見越していたのだろう。そんなことを考えていた、そのとき――呆れたようなため息とともに、聞こえてきたのは日本式双晶の声だった。
「やれやれ。君は君が思っている以上に、厄介なことを引き受けてしまったと思うよ。空木」
 その言葉にはっとして石英から視線を外すと――近くに見知らぬ青年が立っていることに気づいて、空木は目を見開いた。
 しかも、現れた青年はひとりではない。そこに並んでいたのは、おそろしく似た容姿の――いや、全く同じ顔をしたふたりの青年だった。
 見比べてみても、空木には違いがわからない。あるいは、鏡に映った姿なのかと思いかけたが、言葉を失ってしまった空木を見て、片方の青年だけは苦笑いを浮かべていた。
「わからないかい? 私が君と話をしていた、日本式双晶だよ」
 空木は奇妙な形の水晶を思い浮かべながら、目をしばたたかせた。日本式双晶――というと、あの日本式双晶だろうか。今も空木が持っているあの石が、目の前にいるこの青年だと。
 空木の反応を目にした石英は、日本式双晶を名乗る青年に、呆れたような顔を向けている。
「何だい。君。そちらの姿はまだ見せてなかったのかい」
 その言葉にうなずきながらも、青年――日本式双晶は、空木に向かって肩をすくめた。
「そんなに驚くことはないだろう。空木。石英はこのとおりだし、先ほど桜石とも話をしたじゃないか」
 確かに。石が人の姿となるなら、空木が話していたあの石だって、そうであってもおかしくはない。とはいえ――
「だったら、その……こっちは?」
 空木は日本式双晶と全く同じ顔をした、もうひとりの青年を指差した。彼は空木の言葉に、少しだけむっとした表情を浮かべている。
 日本式双晶はこう答えた。
「そちらは私の半身。彼も日本式双晶だよ」
 半身。何だそれは。思いがけない言葉に、空木は混乱する。そのうえ、こちらも同じ日本式双晶だと言う。どういうことなのか。
 そんな空木の戸惑いを気にかけるでもなく、石英は何でもないことのようにこう話した。
「双くんたちはちょっと特殊だからね。まあ、人でいうところの双子なんだろう。おそらく」
「双子?」
 問い返す空木に、石英はうなずいた。
「そうだよ。君が持つ本体である石に、ふたつの心が宿っているということさ。ただし、こちらの――」
 と言いながら、石英は静かに佇んでいる方の青年を横目で見る。
「双くんは、本体から離れて存在できる、という力を持っていてね。それでいてふたりはつながっているから、やりとりができる。双くんたちの力で、君のことを確認していたというわけだ」
 空木の行動が筒抜けだったのは、そういう理屈らしい。言いたいことはなくもないが――空木はひとまず納得した。
 石英は空木に向き直ると、ある一点――日本式双晶を入れた布袋があるところだ――を指差して、こう続ける。
「これから協力してもらうにあたって、双くんたちには君との連絡役になってもらうよ。さすがに僕を持ち歩くのは厳しいからね」
「そういうわけだ。あらためて、よろしく。空木」
 石英はどこか居丈高に、そして、空木がよく知る方の日本式双晶は愛想よく笑いながら、そう言った。もうひとりは無愛想に黙り込んだままだ。
 空木は、はあ、と気の抜けた返事をしながら、よく知らない方の日本式双晶をちらりと見やった。
「どちらも日本式双晶って……だったら、その――おまえたちのことは、何て呼べばいいんだ?」
「双くんたちは双くんたちだよ」
 と、石英はあっさりと彼らをひとまとめにした。それでいいのか。しかし、こいつらはそもそも人ではないのだから、個々の人格に対する考えも、そんなものなのかもしれない。日本式双晶たちも、そのことについて特に思うところはないようだ。
 とはいえ、一方の日本式双晶は表情が乏しいからか、いまいちよくわからないのだが。当初こそ見分けがつかないと思った彼らだが、どうも容姿が同じなわりには性格が全く違っているらしい。
 ともかく、空木からすると、明らかに人格が違う彼らを同一のものとして扱うことには抵抗があった。戸惑う空木に気づいたのか、日本式双晶が――空木がよく知る方だ――こう提案する。
「そうだな。これから私は空木とともに行動するのだから、私たちには別々の名があった方がいいかもしれない。空木。君が私の呼び名を決めてくれ」
「呼び名? 急に言われてもな……えーと」
 唐突な申し出に困惑しつつも、空木は必死で考えを巡らせた。
 日本式双晶の名。石英は彼のことを双くんと呼んでいるようだし、それとは被らない方がいいだろう。だとすれば――
「式、とか?」
 空木がそう言うと、石英はふむとうなずいた。
「式くんと双くんか。まあ、いいんじゃないかな。呼びやすくて。あとは――」
 石英はそう言いながら、暗い室内をぐるりと見回した。というより、棚の上にある石たちに目を向けたようだ。そうしてある一点に視線を定めると、誰にともなくこう呟く。
「同じ水晶だけでも顔合わせをしておくかな――煙くん。煙くん!」
 呼びかけに応える声はない。とはいえ、室内がしんとしたのもわずかな間だけ。時を待たずして石英はあっさり向き直ると、空木に向かって視線の先を指差した。
「まあ、いいや。そこに茶色いひねた水晶があるだろう。これが煙水晶だ。この形は、ねじれ水晶とも呼ばれている」
「だれがひねた水晶だ!」
 そう言いながら姿を現したのは、煙管を手にした青年だった。怒りの形相で、石英の指差す先に立っている。
 とはいえ、その感情は明らかに石英へ向けられたものだったので、空木はひとまず指し示された方――ひねた水晶とやらに目を向けた。
 水晶、というと先端の尖った真っ直ぐな六角柱だと思っていたが、これは確かに、何と言うか――その六角柱をねじったような――真っ直ぐでありながらも、ひねったような形をしている。これも日本式双晶と同じく変わった形の水晶、ということだろうか。
 空木がそんなことを考えている間にも、その石が人の姿となったらしい青年――煙水晶は石英にあしらわれていたらしく、猫背気味なうしろ姿をこちらに向けてしまっている。いるよな、こういうやたらいじられるやつ――なんてことを内心で思いながらも、空木は彼に哀れみの視線を向けた。しかし、石英はそれにかまうこともなく、また別の棚を指差してから、こう続ける。
「で、こちらが紫水晶(むらさきすいしょう)。ちなみに、紫くんは水入りだよ」
「水入り……?」
 空木がその言葉に首をかしげたと同時に、誰かが肩にもたれかかってきた。ぎょっとして目を向けた先にいたのは、派手な紫の着物をまとった青年だ。よく見ると、その手になぜか盃を持っている。
「やあやあ。君が石英のお使いになるという、奇特なやつかい。いいねえ。いいねえ。俺は、おもしろいやつは好きだよ」
 にやにやと笑みを浮かべながら、その青年は妙になれなれしく絡んできた。空木は呆気にとられて、何も言えない。
 ――何だこいつ。
 空木の反応をおもしろそうにながめながらも、青年はこう名乗った。
「俺は紫水晶。石英が言ったように、水入りだ。水晶は成長する過程で水を内包することがある。よければ手にして傾けてごらん。気泡が動くのが見えるから」
 紫水晶はふふふと低い笑い声を上げながら、淡い紫の結晶を自ら指差す。おそらくは、あれが紫水晶なのだろう。少し見た限りでは、水が入っているかどうかはわからない。
「まあ、酒を飲みに行くときには、俺のことは持って行かない方がいいよ。酔わなくなるから。残念だけどね。しかし、やはり人はいい。俺は人のことが好きなんだ。人というものは、実におもしろい!」
 紫水晶はそう言うと、空木の肩を叩きながら、あははと声を上げて笑った。どうしよう。ついていけない。
 そんなやりとりを平然とながめていた石英は、特に呆れるでもなくこう言った。
「紫くんはいつも酔ってるような感じだからね。見ている分にはおもしろいんだけど、深く考えるだけ損だよ。しかし、紫くんの力のことを考えると、紫くんが酔うはずないんだけどね」
 常にこんな感じなのか。その言葉に、空木は思わず閉口する。
 紫水晶に肩を組まれながらも、空木は救いを求めるような視線を石英に――あるいは、日本式双晶たちに向けた。しかし、それに応えるものはいない。気づけば、煙水晶には哀れみの目を向けられている。
 話を戻したのは石英だ。
「そういうわけで、彼らが僕と同じ水晶だ。そもそも石英を成す物質、酸素とケイ素はこの地表ではありふれている。それゆえに、石英に属するものは多い。碧玉くんだって、鉱物としては石英なんだけど――まあ、今はこのくらいにしておこうか」
 空木はあらためて、人の姿をした石たちに目を向けた。どこか偉そうな水晶玉――石英に、ふたり並んだ日本式双晶。気難しそうな煙水晶に、妙に陽気な紫水晶。良く言えば個性的。悪く言えば――癖が強い。
 空木は心の中で反省する。日本式双晶に対して、すかしている、なんて思って申し訳ない。もしかしなくとも、こいつが一番まともなのではないだろうか。
 ともかく、空木が彼らの手足となり、その代わりに彼らの力を得るという取り引きは成立した。しかし、そのことはもうすでに後悔――しないまでも、不安を抱き始めているような気もするが――それくらいは許されるだろう。
 それでも自分の下した決断に、空木の中にはもはや、少しの迷いもなかった。
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