第十五話 頑火輝石(四/七)

文字数 3,773文字

 この日もまた、花梨は朝からアルバイト先へと向かっていた。
 まだシャッターが下りている店の前を通り過ぎ、従業員用の扉から中へと入る。入ってすぐ、焼け焦げた立て看板が花梨のことを出迎えた。この様子だと、少なくともこの看板がまた燃えるようなことはなかったようだ。
 ほっとしながら通路を進んで行くと、ふいに花梨の行く手をさえぎるものがあった。妙になれなれしく声をかけてくる、その人は――
「おはよう。花梨ちゃん。しばらくは、またここに来ることになったから。よろしくね」
「……おはようございます。センパイ」
 花梨はおざなりにそう返す。
 そういえば――以前よく会っていたときには、どうも苦手だ、と感じていたことを思い出した。その思いは、今でもあまり変わっていない。
 朝のシフトは店長と彼と花梨の三人だった。店長はすでに仕事を始めていて、看板のことがあったからか、電気系統の点検をいつもより念入りに行っている。
 しばらくは皆、開店までの準備にかかり切りだったが、その途中、ふいに店長がこう言った。
「浅沙くんがあまり来なくなったのは、他にもバイト始めたからだと思ってたんだけど」
 突然の応援を頼んだにもかかわらず、思いのほか真面目に働いている彼に、何か思うところがあったらしい。ただ、たずねられた方は、肩をすくめている。
「そういうわけじゃないですけどね。まあ、いろいろ事情があって」
 軽い調子で答える彼に、店長は同じく軽い調子で、そっか、と返した。
「怒らないんですか」
「何で? 事情があるんでしょ? まあ、年末年始は忙しいだろうし、来てくれた方がもちろんありがたいんだけど」
 店長はそう言って笑っている。それを聞いた彼の返答は、考えておきます、だった。店長は素直に、よろしく頼むよ、と返す。
 そのやりとりのあと、なぜか呆れたような表情を浮かべて、彼はこう言った。
「店長って、人がいいんですかね。俺みたいなのは、適当に答えているだけかも、とか思いませんか」
 店長は作業の手を止めると、かすかに笑みを浮かべながら、遠くを見るような視線を外の方へと向ける。
「浅沙くんと言えば、ツバメの印象が強くて」
 ツバメ。六月頃のことだっただろうか。確か、店の軒下にツバメが巣を作っていたのを、花梨も一緒に見た記憶がある。
「親鳥が来なくなったとき、すごく怒ったり、心配したりしてたでしょ。だから、そんな適当なことは言わないかな、と」
「どうですかね。それとこれとは、関係ないような……まあ、あのときは、まさか店長がヒナのエサやり始めるとは思いませんでしたけど」
 そんなことがあったのか。それは、花梨の知らない話だった。
「ツバメを世話したのは、僕も初めてだったけどね。捨てられた猫や、怪我したスズメを保護したことはあるから。そういったことは任せて」
「何者なんです店長……」
 端で話を聞いていただけだが、花梨は思わず笑ってしまった。店長がきょとんとした顔でこちらを見たので、花梨は慌ててごまかすように話題を変える。
「そういえば……事務所に置いてある植木鉢も、店長がどこからか拾って来られて、世話してましたよね」
 店長はうなずいた。
「ゴミ捨て場に置いてあったんだけど、よく見ると芽が出てたんだよね。何だかかわいそうで、つい」
 その芽が何の植物だったのか花梨は知らないが、成長して夏頃には花を咲かせていたはず。そして、今も青々とした葉をしげらせていた。
「何やってるんですか。店長。ただの雑草だったらどうするんです」
 呆れたような彼の言葉に、店長は苦笑する。
「そういうの、どうしても放ってはおけないんだ」
 話をしているうちに、いつの間にか開店時間になっていた。表のシャッターを開けてからしばらくは、何だかんだと忙しい時間を過ごす。落ち着いたのは、昼を過ぎた頃だ。
 ふいに嫌な感じがして、花梨は店内を見回した。花梨はちょうど客を見送ったところで、店長はカウンターで接客をしている。客の姿はそれほどでもないが、数人がまとまって訪れている場合が多く、それぞれ談笑しながら商品を見て回っていた。
 おかしなところは何もない。少なくとも、目に見える限りでは。しかし――
「花梨。気をつけた方がいい。この気配は――」
 黒曜石がそう言った途端、花梨の視線の先で、ふいに火の手があがった。誰の姿もない、店の隅の方。突然燃え上がった炎に、どこからともなく悲鳴が上がる。
 あまりに唐突なことに、花梨は思わず呆然と立ち尽くした。確かにあの場所にはお香や香立てなどが並べられていたが、火をつけたりはしていないはず。この火はいったい、どこから――
 背後から腕をつかまれて、強く後ろに引っ張られた。花梨はたたらを踏みつつも、驚いて振り返る。
「何してんの。花梨ちゃん。危ないよ。下がって」
「センパイ……」
 姿が見えないと思っていたら、どうやらバックヤードの方にいたらしい。騒ぎを聞きつけて出てきたのだろう。彼は状況を把握すると、店長に向かってこう叫んだ。
「店長! 消防に連絡! それから、消火器!」
 店長はすでに店内にいた客を避難させた後で、ちょうど電話をしているところだった。火は赤々と燃えている。花梨はしまい込んでいた石を探り当て、慌てて呼びかけた。
「が、頑火輝石さん!」
「安心しな。これくらいの火なら問題ない」
 頑火輝石の力だろうか。目の前の火の勢いが徐々に弱まっていく。ほっとして周囲を見回したとき、花梨はさっきまでそこにいた人の姿が、いつの間にか消えていることに気づいた。
 ――センパイは、どこに?
 周囲は騒然としている。逃げる人と、それとは逆に、何ごとか、と集まってくる人々。電話を終えた店長が、慌てて対応し始めた。それらをながめているうちに、花梨はようやく見失っていたその姿を見つける。
 彼は店の前の通りで、何かを探しているようだった。
 頑火輝石の力で火が消し止められたことを確認してから、花梨は彼の元へ向かう。そのとき――
 彼は突然、物影にいたひとりの女性の腕をつかんだ。つかまれた女性は短く声を上げて、後ずさる。怯える彼女に向かって、彼は確かにこう詰め寄った。
「その石、どこで手に入れた?」
 ――石?
 女性はそれに答えることなく彼の手を必死で振り払うと、群衆を押し退けて瞬く間に走り去って行った。飛び交う怒声にも、振り返ることなく。
 浅沙はそれを追わずに、ただ遠ざかっていく後ろ姿をにらみつけている。その横顔を、花梨はそっと盗み見ていた。
「花梨」
「わかってる」
 黒曜石の呼びかけに、花梨は短く答えた。
 そして、考える。目の前で起こったできごとを。石という言葉。彼はいったい、何を知っているのだろう。
「あの人は、少なくともふたつ、嘘をついている気がする」
 火事で騒然とする中、花梨は小さくそう呟いた。

     *   *   *

 後始末を終えて、ようやく家路につくことができたのは、夜も遅い時間になってからだ。
 この日、店で再び起こったボヤ騒ぎは、営業中だったこともあって、看板のときより大事になってしまった。
 原因については今のところ何もわかっていない。確かに、あのとき自分が目にした限りでも、火の気のないところから突然、出火したようにしか見えなかった。
 それでも、火が燃え広がることなく、怪我人もいなかったのは幸いだろう。とはいえ、店内の壁は焼け焦げ、いくつかの商品と什器が燃えている。煙もひどく、消防もかけつけたので、周辺にも迷惑をかけてしまった。
 店はしばらく休業することが決まっていて、明日は警察と消防の立ち会いの元、あらためて店の中を見て回る予定だ。
 暗い夜道をとぼとぼと歩く。たとえ何が起こっているのかわからなくとも、店長という立場上、店の状況には責任を感じずにはいられない。そのせいで、ひどく気分が落ち込んでいた。
 そのとき、ふと小さな稲荷の社が目にとまる。幼い頃からよくお参りに来ていた神社。それを見た途端、まるで神様にすがるように、その場所に吸い寄せられた。
 社殿の前に立ち、手を合わせて静かに祈る。
 参拝を終え、鳥居をくぐって帰り道に戻ると、ちょうど老夫婦が歩いているところと行き合った。よく見ると、家のおとなりさんだ。仲の良い夫婦だから、夜の散歩でもしていたのだろう。いつもどおりに、軽く挨拶を交わす。
 老婦人は穏やかに笑いながら、こう言った。
「何や、今日はずいぶんと帰りが遅いんやねえ」
 そう言われて、苦笑いを浮かべた。
「ええ。ちょっといろいろありまして」
 ひとことで説明できる状況ではないので、そう答えを濁した。しかし、落ち込んだ気分が、知らず顔に出てしまっていたのかもしれない。夫婦はお互いに顔を見合わせると、何かを言いたげな視線をこちらに向ける。
「……どうかしましたか?」
 その問いかけに対して、夫婦は少しだけためらった末に、こう言った。
「近所で、けったいな女の人がうろついとってね。どうも、あんたのこと探しとったみたいで」
「まあ、声かけたらおらへんようになったし、大丈夫やと思うけど、最近は物騒やし気いつけて」
 変な女の人。全く覚えがないのだが――
 しかし、わざわざ心配して忠告してくれたのだから、よほどのことなのだろう。老夫婦には、気をつけます、と言ってから、その場で別れた。
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