第十四話 赤鉄鉱(二/五)

文字数 4,269文字

「えーと、それで――私はその、不思議な力のことを知って、こちらに来たんです。とにかく、話だけでも聞いてもらえないでしょうか」
 槐はあっさりとうなずく。
「わかりました。おうかがいします。できる限りのことはしましょう」
 茜は、ほっとしたように胸を撫で下ろした。葵にそのことを聞いているとはいえ、情報としては不確かなものだ。槐の言葉で彼女も安心したのだろう。
「ありがとうございます。それで、さっそくなのですが、ここでは呪いに対抗することは可能でしょうか」
「――呪い?」
 耳にした途端、花梨は思わずその言葉を口にしてしまった。一同の視線が花梨に集まる。
「あ。すみません……」
 そう言って、慌てて口をつぐんでから、花梨はそれでも呪いという言葉が気になると思い直した。折しも、お茶を持った桜が座敷に戻ってきたところで、槐の言う渡したいものとやらを受け取れば、花梨はもはや、ここに用はないということになるが――
「その、私も――茜さんの話を聞かせてもらっても、いいでしょうか」
 花梨がそうたずねると、茜はけげんな顔をしつつもこう答えた。
「ええ。かまいませんが……」
 ただ、槐は少し気がかりがあるような表情をしている。しかし、花梨はどうしてもこの場に残りたかったので、あえてそれには気づかない振りをした。
 話の流れがわからない桜は、いぶかしげにしながらも茜と葵のふたりに淹れたお茶を差し出している。それでひと息つくと、茜は続きを話し始めた。
「えっと……その、呪い、なんですが。何から話せばいいか――そうですね。始まりは、練習試合でのできごとです」
「練習試合、ですか?」
 その言葉に槐が軽く首をかしけると、茜は目をしばたたかせた。
「あれ? 練習試合でよかったかな。とにかく、その……友人は、そう――剣道部でして。その日、一対一で戦う場があったんです。私はくわしくはないんですが、誘われて見に行っていて」
 始めこそたどたどしく要領を得ない話ではあったが、徐々に慣れてきたのか、茜の言葉は淀みなくなっていく。
「変なことがあったのは、その試合の最中でした。どう説明すればいいのか……それが、ですね。相手が何もしてないうちに、友人が――怪我をしてしまったんです」
「何もしていない、というと?」
 槐が合いの手を入れる。茜はそれを聞いて、剣道の竹刀を握る格好の真似をした。
「こう――剣道って、戦う相手と向き合うでしょう。それで、しばらくにらみ合って。でも、相手が何もしないうちに大きな音がしたと思ったら、友人の姿勢が少し崩れて……」
 茜は手振りをやめると、槐の方へと身を乗り出した。
「音は、何かを叩くような鈍い音です。それで、何だ、ってことになって、確認してみたら、友人の腕が青くなって腫れてたんです。何かに打たれたみたいに。当然、防具もつけてたんですけど、そんなことはおかまいなしに」
 それを聞いて、槐は顔をしかめた。花梨もまた、その様子を思い浮かべてしまう。想像するだけでも痛ましい。
「試合の相手をしていた子は、何もしていないのにこんな状況になってしまったわけですから、怯えちゃって。それ以来、部活は休んでいるらしいです。他校の子だったんですけど。だから、その子が呪ったというわけではないと思います」
「たまたま、その子との試合のときに起こっただけ、ということですね」
 槐の言葉に、茜はうなずく。
「はい。そのときの相手は、友人と試合をするのはもちろん、会うのも初めてだったみたいですから。だから、その呪いとは無関係だと思います。友人のことを、呪ったっていう噂があるのは友人の――いわゆるライバルだとか言われている子で……」
 そこまで言って、茜はその先を言い淀んだ。軽く首を横に振って、話を切り替える。
「まあ、誰が呪ったとかは、どうでもいいんです。私はただ、これ以上、友人に怪我して欲しくないだけで」
 茜は槐にそう言った。彼女は、仮にそれが何者かによる呪いだとして、その犯人を暴くつもりはないようだ。
 槐はしばし考えたあと、茜にこう問いかけた。
「それで、茜さんは、なぜそれが呪いだと?」
 茜は虚をつかれたように、軽く目を見開いた。それを問われるとは思っていなかったようだ。
「それは――やっぱり、あり得ない状況でしたし。それに、私は知らなかったんですけど、二年ほど前……かな。流行ってたらしいんですよね。呪い」
 茜は遠慮がちにそう答えた。それに口を挟んだのは葵だ。
「まあ、流行ったっていうか。一時期、学校で話題になった怪談みたいなもので。俺も聞いたことはあったけど、くわしくは知らないです。興味なかったし」
 葵の言葉にうなずいて、茜が再び口を開く。
「とにかく、それに関連して部内で噂が広まってしまったらしいんです。私は剣道部ではないので、出所はよくわからないんですが……大勢の前で起こったことですから――だったら、ライバルを蹴落とすために呪ったんじゃないかって、誰からともなく言い出したって流れで」
「なるほど……」
 槐はそう呟くと、再び考え込んだ。その顔に表れたのは、いつになく浮かない表情だ。
 押し黙った槐を見て、茜はその先の言葉を待たずに、重ねてこう言いつのる。
「今回は幸い、それほど重い怪我じゃなかったので、友人も大丈夫だって言うんですけど。でも、また今度、同じような練習試合があるらしくて。もう一度あんなことがないとも限らないし……本当は不安だと思うんです。大事な試合が控えてることもあって――とにかく私は、彼女に無事でいて欲しいんです」
 茜はそこで、深々と頭を下げた。
「どうか、彼女を呪いから守ってください」
 茜の行動を前に、槐は笑みを浮かべながら、やさしく声をかけた。
「顔を上げてください。あなたのお気持ちはわかりました。少々お待ちいただけますか? あるいは――」
 槐は立ち上がりかけて――おそらく、石たちの眠るあの部屋に行くつもりなのだろう――その途中で、思い直したように、茜の方へ振り向いた。
「あの部屋の石をご覧いただいてもかまいませんが」
 そう提案する。始めはきょとんとしていた茜も、その意味に気づいて、すぐに目を輝かせた。
「はい。ぜひ、見たいです」
 すぐさま立ち上がる茜。それに対して、葵は座ったまま、どこか呆れた表情を浮かべている。
 ともあれ、そうして槐は、茜を連れてあの部屋へと向かった。

 石たちの眠る部屋は少し狭い。
 槐と茜と桜と――三人もいれば、身動きできないというほどではないがやはり窮屈に感じる。花梨は遠慮して、廊下の開いた扉の影から中の様子を見守っていた。葵は興味がないらしく、座敷で待っていると言う。
 茜は部屋に入ると、嬉しそうに室内を見て回り始めた。葵と違って、彼女は石のことなら何でも興味があるようだ。葵が確か、宮古老人の水石を引き継ぐつもりだとも言っていただろうか。
 そうして茜が熱心に石を見ているその傍らで、槐はふいに、その中のひとつを手に取った。
 花梨と――そして、茜の視線がその石に吸い寄せられる。
赤鉄鉱(せきてっこう)という石です。赤い鉄鉱、と書きます。英語名はヘマタイト。ギリシャ語で血を意味する言葉から名づけられました」
「赤? でも、黒色というか、銀色というか、金属みたいな見た目ですね」
 茜の言うとおり、それは黒に近い銀色の石だった。板状で、かすかな光を鈍く反射している。
 槐はうなずいた。
「赤鉄鉱は酸化鉄の鉱物です。さまざまな形状を持つのが特徴ですね。形が腎臓に似ているキドニーヘマタイト、雲母状の雲母鉄鉱、花弁のように重なった鉄の薔薇――アイアンローズなど、それぞれに呼び名があります。ちなみに、ここのものは板状で、これは――」
「あ。菊寿石(きくじゅせき)がある」
 茜は槐の言葉をさえぎって、そう小さく呟く。しかし、きょとんとしている槐の顔を見返して、すぐにはっとしたような表情になった。
「すみません。つい……」
 双子の弟であるという葵は、ぶっきらぼうではあるが芯の部分でしっかりした印象の少年だった。それに対して、茜はしっかりしているようで――少し抜けているようだ。
 槐は手元の赤鉄鉱から、棚に置かれた別の石へと視線を向けた。黒っぽい石に、黄色い放射線状の結晶が散っていて、小さな菊の花が集まっているように見える石だ。
頑火輝石(がんかきせき)ですね。水石としては、菊寿石の名前のある」
 槐の言葉に、茜は照れたように笑う。
「私の好きな石で……うちのは、おじいちゃんの好みで大きめな石が多いんですけど、こういう小ぶりなのもいいですよね」
 彼女は本当に石が好きらしい。ただ、好きなものを前にすると、周りが見えなくなるようだ。
 槐は苦笑した。
「よろしければ、他にもおもしろいものをお見せしましょう――桜くん」
「何ですか。槐さん」
 呼びかけに答えて近づいていった桜に、槐はそっと耳打ちした。桜はうなずく。
「それでは、どうぞ店の方へ――」
 店、というのは――あの、倉庫と見まごうほどに混沌としている、あの場所のことだろう。槐は赤鉄鉱を持ったまま、その――表の店の方を指し示した。
 桜は花梨の横を足早に通り過ぎ、先行してそちらへと向かう。茜は遅れてそれについて行った。
 途中、話が終わったと思ったのか、葵が座敷から顔を出す。しかし、すぐにそうではないと気づいたようだ。
 茜は楽しそうに呟く。
「あそこって、確か水石とかが置いてあるところだよね。やった。神居古潭石(かむいこたんせき)、見られるかな?」
 そんな風に目を輝かせている茜に、葵はうろんげな視線を向けている。
「お前なあ……何しに来たんだよ。ここに」
 結局、葵もついて行くことにしたらしい。茜と連れ立って、何か言い合いをしながら先を歩いていく。
 花梨はふと、槐が立ち止まっていることに気づき振り返った。何かを迷っているような顔で、手にした赤鉄鉱を見つめている。
「赤鉄鉱。これが呪いだとして、どれほどの力を持つかは、私にはわからない。さすがに、黄玉のときのようにはならないと思うのだけれど……」
 槐はそう言った。手にした赤鉄鉱に話しかけているのだろう。
 黒曜石のような守り石とされている石たちほどには、あの部屋の棚に並ぶ石たちの力は強くない、という話は聞いている。茜の話したそれが本当に呪いなら、それに対抗できない恐れもあるということだろうか。
 槐の言葉に応えて、どこからか声がした。
「それはかまわない。覚悟はしている。それより――」
 これがおそらく、赤鉄鉱の声。
「いいんだな。槐」
 何かの意志を確かめるように、赤鉄鉱は強くそう言った。
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