第十四話 赤鉄鉱(三/五)

文字数 3,621文字

 向かった先では、茜がさっそく、そこにある石をいろいろと見て回っていた。葵に指図しながら、あの箱の石が見たい、などと話をしている。
 桜の方は別の何かを探しているようだった。そのうちに、遅れていた槐もこの場に現れる。
 ほどなくして、桜は目当てのものを見つけ出したらしい。わずかばかり空いている床にその箱を下ろすと、茜と葵、そして花梨と槐も――皆がその場所に引き寄せられていった。
 箱の中にあったのは、いくつかの銀色の石。それを確認してから、槐が口を開く。
「これらも赤鉄鉱です。特別な力はありませんが」
 槐はあの部屋にあった赤鉄鉱を桜に預けると、箱の中にある赤鉄鉱のひとつを手にした。そして、桜が差し出した白い板――素焼きの磁製の板のようだ――に、線を書くようにこすりつける。現れた色は――
「赤い」
 茜が思わず、そう声を上げた。その反応に、槐は笑みを浮かべながらうなずく。
「赤鉄鉱の本来の色は赤。粉状になると赤く見えるのです。その粉は――いわゆる弁柄(べんがら)など、顔料としても利用されています」
 白い板に引かれた赤い線。銀色の鉱物に見えるのに、粉になると赤くなる。まるで石が血を流したようだ。
条痕(じょうこん)の色は鉱物を識別する際の、ひとつの手がかりとなるのです。例えば――そうですね……」
 槐は周囲を見回すと、近くの箱から別の鉱物を取り出した。手にしたのは、淡い色のころんとした八面体の石。槐は桜から、今度は黒い板を受け取る。
「蛍石はさまざまな色を持ちますが、どんな色であっても、条痕は白です」
 箱の中には、紫や緑や青や――さまざまな色の蛍石があったが、黒い板にそれらをこすると、どれも白い線となった。
 次に槐は、金色の立方体を手にする。
「黄鉄鉱は――これは見てのとおり金色の鉱物ですが、条痕は黒」
 槐は再び白い板を手に取った。赤鉄鉱が書いた線のとなりに、黄鉄鉱によって黒い線が引かれる。
「おもしろいですね。でも、そうか……だから赤鉄鉱」
 茜の言葉に、槐はうなずいた。
「この特性から、血を連想するのでしょう。赤鉄鉱は戦いのお守りとしても用いられたそうです」
 槐はそう言うと、他の石は箱にしまって、桜に預けていた石を――あの部屋の赤鉄鉱を手にした。そして、それを茜へと差し出す。
「赤鉄鉱の力は、持ち主が血を流すことのないように守ること。原因が何であれ、ご友人の怪我を防いでくれるでしょう」
 槐が差し出した赤鉄鉱を前に、茜は、はっとした表情を浮かべた。
 怪我から守ってくれる。それが赤鉄鉱の力。
 自らの望んだ、不思議な力を持つ石を前に、茜はそれを見つめ続けている。ためらいがあるのだろうか。しかし、それも仕方がないだろう。
 確かに、彼女がこの店に訪れたのは石の力を借りるためだ。とはいえ、彼女はまだ、その力を目の当たりにしてはいなかった。槐の言葉だけでは、まだ信じきれないこともあるのかもしれない。
 それでも、彼女は普通ではあり得ない現象に立ち向かおうとしていた。友人のために。
 茜がようやく、それに手を伸ばそうとした、そのとき――槐がふいに、こう言った。
「ただ、ひとつだけ、確認したいことが」
 茜がきょとんとした顔で見返すと、槐はこう続ける。
「あなたは、呪いのことをどうお考えですか。呪った相手に――恨みはありますか」
 その問いかけには、茜はすぐさま首を横に振った。
「先ほども言いましたが、私は誰が呪っているとか、そんなことはどうでもいいんです。友人も――噂になってるその子は、呪ったりはしないって言ってますし。私はその子のことよく知らないけど、友だちの言葉は信じたい。それに――」
 茜はその先を言い淀むと、悲しそうにうつむいた。
「その、呪ったって言われている子も、噂のせいで孤立しているみたいなんです。だから、そんなことしたって、誰も得なんてしていない。呪いなんてやっぱりないのかもしれません。でも、その方がいいんです。友人が怪我さえしなければ、私は……」
 それを聞くと、槐は安心したようにうなずいた。
「そうですか。でしたら、どうかその気持ちをお忘れなく」
 槐の言葉に、茜はいぶかしげな表情を浮かべる。
「あの――?」
 茜は問いかけるような視線を槐に向けた。しかし、彼女がそれ以上何かを言う前に、槐は再び口を開く。
「あなたの望みはご友人を守ること。この先、それ以上の何が起こっても、それはこちらの責任です。そのことをご理解いただければ、この石をお貸しいたしましょう」
 茜はその言葉にけげんな顔をする。
 どういうことだろう。花梨も内心で首をかしげた。
 とはいえ、この石が友人を怪我から守ってくれるというのなら、茜にはそれを拒否する理由はないだろう。茜はうなずくと、神妙な顔でその赤鉄鉱を受け取った。
 石を手にした茜は、それを見つめたまま黙り込んでいる。花梨は思いきって声をかけた。
「茜さん。その練習試合、私が見学しても大丈夫かな?」
 花梨の唐突な申し出に、茜は虚をつかれたように目を見開いた。本当に突然のことだったので、その反応も無理はない。
 花梨は安心させるように、こう言い添えた。
「興味本位とかじゃないの。少し気になることがあって……無理にとは言わないよ」
 茜は花梨のことをじっと見つめ返してくる。
 彼女とはまだ出会ったばかりだ。無関係な者が首を突っ込むことに、いい顔はしないかもしれない、とも思ったが――
 茜は特に不審に思う様子もなく、あっさりとうなずいた。
「わかりました。場所と日程をお教えします。私が大丈夫だったんだから、まあ、部外者でも見学くらい問題ないかと」
 そうして花梨は茜と連絡先を交換した。当日に待ち合わせて、一緒に行くことになる。
 赤鉄鉱を借り受けた茜は、あらためて槐にお礼を言うと、そのまま葵と共に帰っていった。

 二人を見送ってから、花梨は槐と共に座敷へと戻る。引き延ばしになっていたこと――槐の言う渡したいものについての話を聞くためだ。
 花梨は座卓を挟んで、槐と再び向き合った。桜はその――渡したいものを探していたのか、しばらくしてから、それを手に遅れて戻って来る。
 槐の手を経て、あらためて花梨はそれを受け取った。渡されたのは、大きな分厚い茶封筒。
 促されて、その場で中身を確認する。そこにあったのは、文章の書かれた数枚の紙束と一枚の名刺だ。
 槐はそれについて、こう話した。
「知り合いが大学で講師をしています。彼に呪いの噂について聞いてみたのですが、どうも、二年ほど前――茜さんの言っていた呪いと同じですね――その頃に流行っていた呪いに関して、噂を収集していた学生がいると言うのです。レポートはその一部をコピーしたもの、とのことです」
 槐はそこで、ほんの少し苦笑する。
「まさか、茜さんたちから、その話を聞くとは思いませんでしたが」
 槐はそう言うと、名刺の方を指し示した。
「くわしいことを聞きたいなら、その――講師の小松くんに連絡を取っていただけますか。レポートを書かれた学生と会わせてくれるそうです」
 花梨は名刺に目を向ける。大学は――花梨が通っている大学とは別の大学だ。講師の名は田上小松。では、この人は――
 多くの人に助けられていることを思って、花梨は自然と頭が下がった。
「ありがとうございます」
 そう言ってから顔を上げると、槐と目が合う。しかし、そこにあったのは、いつもの穏やかなそれとは違う――何か気がかりなことがあるような――そんな渋い表情だ。
 花梨は思わず、その理由をたずねようとした。しかし、その前に槐が口を開く。
「心配することはないのかもしれませんが、どうかお気をつけて」
 このレポートが行方不明の姉のことや、今まであったことに関わっているのかどうかは、まだわからない。ただ、槐はそこに何らかのつながりがあることを危惧しているのだろう。花梨はうなずく。
 何にせよ、思いがけず長居をしてしまった。そろそろ――と切り出して、花梨は槐にいとまを告げる。槐と桜に見送られて、花梨は座敷を辞した。
 見送りは不要とその場で別れて、通り庭を進んだ先。そこから表へ出る直前――戸の前に現れた姿に、花梨は行く手を阻まれた。
 石英だ。
「はいはい。いいよ、黒曜石くんは。いちいち出て来なくても」
 おそらく黒曜石が姿を現そうとしたのだろう。その前に、石英はそんな風に先を制した。
 石英はいつもの斜に構えた表情とは違う、真っ直ぐな視線を花梨に向けている。
「ひとつだけ、君に忠告しておこう」
 花梨は彼の言葉に身構えた。その反応にも、石英は表情を変えることなく、こう続ける。
「君は少し危うい橋を渡ろうとしている。しかし、この先のことを思うなら、軽はずみな行動は慎むことだ」
 その言葉は、今の花梨には身に覚えのないことだ。しかし、彼の力のひとつは、未来を見ること。彼に何かが見えたというのなら――
 それを問いただす前に、石英は花梨の目の前から姿を消した。
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