第十一話 黄玉(六/七)

文字数 2,833文字

「ひとりで無理をすることはない。なずな。私の力が、君の探し求めるものを示そう」
「黄玉……?」
 隻腕の青年。透きとおるように淡い黄色の目は、彼自身である黄玉の結晶そのものだ。今となっては、その姿はなずなにつらい記憶を呼び起こす、が――それでも、なずなにとって彼の存在は、心から信頼できるものでもあった。
 黄玉の力が、なずなの記憶を見る目に指向性を与えることができる――そのことを知ったときの、槐の言葉が思い出される。
「なずなの力を導くのに、黄玉の力が役に立つとはね。彼が持っているのは求める物を示す力。英語名のトパーズは、探し求める、という意味を持っている。でも、その名づけの元となった島で採れる宝石は橄欖石(かんらんせき)――ペリドットで……と、まあ、混同されたり、名を取り違えられたり、こういう話は鉱物にはよくある」
 槐は楽しそうに話を続ける。石とか、昔話とか――そういうことを話すときは、いつもこうだった。
「例えば、トパーズは黄玉と名づけられてはいるけれど、日本で採れるものは淡い色か透明なものが多い。だから、水晶と間違われていた。だけど、水晶と違って割れやすいから、加工していた人たちからは嫌われていたこともある」
 嫌われていた――幼かったなずなはそのとき、その言葉を聞いて何だか悲しくなった。そのときは、そのことを自分の境遇と重ね合わせていたように思う。
 確かに、なずなは変わった力を持っていた。しかし、なずな自身は特別でも何でもない。どこも、おかしくなどない――
 昔のことを思い出して落ち込むなずなに、槐は言った――黄玉を手にして。
「それでも、今トパーズの名を持つのは、間違いなくこの石だ。なずなにとっては、彼こそが守り石なのかもしれない。――黄玉。どうか、なずなの助けになってくれないだろうか。なずなが困っているときには、その力を導いてあげて欲しい」
 それ以来、黄玉は常に傍にいてくれた。音羽家の特別な守り石たちとは違うけれども、なずなにとっての守り石として。
「黄玉。私は――」
 時を経て、なずなは再びその名を呼びかけた。しかし、その先が続かない。
 黄玉がここにいるのは、おそらく桜が黙って持ち出したからだろう。なずなとて、何のわだかまりもなければ、きっと彼の助力を求めたに違いない。しかし――
 久しぶりに向き合ったことで、つらい記憶と同じくらい懐かしい記憶が呼び覚まされる。自分は、こんなに暖かな思い出からも遠ざかっていたのか。そのことが、急に心苦しく思われた。
 目の前に、ふいに何かが差し出される。気づけば目の前に誰かが立っていた。
 手を差し伸べたのは、黒曜石を守り石にしている店の客人――鷹山花梨。彼女が手にしているのは、まさしく黄玉の結晶。
 なずなは、おそるおそるそれを手にした。そして、あらためて黄玉に向き合うと、意を決してこう告げる。
「力を貸してちょうだい。黄玉。ここに、私が見つけ出せる、何かがあるはず」
 黄玉がうなずくと、周囲に小さな火が灯った。その火に照らされると、混ざり合った光景がはっきりと浮かび上がる。
 なずなは目をこらし、見るべき記憶を探し始めた。
 かつてこの家に住んでいたのは、夫婦と二人の兄妹のようだ。見るからに、幸せそうな家族。
 しかし、転機が訪れる。両親を亡くし、途方に暮れる兄妹の姿は、なずな自身と兄である槐の姿が重なった。
 働き始める兄と、まだ学生の妹。二人での生活は、困難なこともあっただろう。それでもこの兄妹はお互い支え合って生きていた。
 やがて兄は家を離れ、妹はひとりで暮らすようになる。就職が決まり、働き始めてから、しばらくして――
「そう。ここで彼女は亡くなったのね」
 なずなは無意識に呟いた。
 亡くなった――いや、殺された、のか。
 今までのおぼろげな記憶から一転して、そのときの光景が生々しく目の前に広がった。おそらくは、このできごとにこそ求めるものがあるのだろう。なずなはよりいっそう、その場面に見入っていく。
 ひとりで暮らしていた彼女の元へ、突然怪しげな男が押し入ってきた。男の手にあるのは鋭利な刃物。
 彼女は必死に抵抗した。切りつけられながらも、二階へ逃げ出す。しかし、その先に逃げ場はない――
 なずなにできることは、過去の光景を見ることだけ。それだけでは詳細を知ることはできない。男が何者なのか、あるいは目の前にいる彼女の心情も、なずなにはわかるはずもなかった。
 逃げ込んだ先で、彼女は何かを手にする。そのまま部屋の隅に追い詰められて、そして――
 悲しい光景だった。しかし、なずなは目を逸らすことなくそれを見届ける。こんな風に過去をのぞき見るからには、目を背けるべきではない。なずなはそう考えていたからだ。
 そこにあったのは、ひとりの人間の残酷な死――
 これが黄玉の力が示すもの。彼の力は、そのときの自分が求める物を探す力。ならば、この光景には必ず意味がある。
 なずなに犯人を捕まえて欲しいということだろうか。しかし、なずなの目ではその男の容貌をはっきりと捉えることはできない。
 記憶の中にある人の存在は、いつも曖昧だった。物と違って人は時間による変化の度合いが激しい。だからかもしれない、となずなは思っている。
 それに、あの鬼はこれを、失せ物探し、と言っていた。なずな自身も、どちらかというと物を探す方が得意だ。そうでなくとも、記憶の中に見えた彼女の行動には少し引っかかるものがあった。
 彼女は何をしようとしたのだろう。自身の死の間際に――
 なずなは記憶を見る目を閉じた。そして、落ち着くために大きく息をはく。
 過去の光景はもう見えない。しかし、なずなは見たものを思い出しながら、彼女の最期の場所へと目を向けた。
 歩み寄って、よく見てみる。壁の小さな染みは、血――か、それともただの汚れか。なずなにはそれを判別することはできなかった。しかし、天井から流れ出ているような黒い筋は、おそらく雨もりの跡だろう。
 壁板がわずかに剥がれている。なずなはその場所をこんこん、と手の甲で叩いた。裏はちょうど空洞になっているようだ。
 剥がれた板と壁の隙間は、黒々とした空間につながっている。
 ふいに気配を感じて、なずなは振り返った。視線の先にいたのは、桜の力によって気絶していたはずの青年。桜につき添われ、夢から覚めたばかりのように呆然とした表情でそこに立っている。彼はおそらく――
 なずなは壁板をえいと剥がして、その先の空間に光を当てた。中にあったのは、今は古びてしまっている小さな箱。包装紙に包まれ、丁寧にリボンが結ばれている。
 なずなはそれを手に取ると、添えられたメッセージカードを確認してから、青年の方に差し出した。
「これが、あなたの探していたものね」
 カードには簡単にこう記されていた。

 ――親愛なる兄へ
 今まで支えてくれて、ありがとう

 青年はその箱を受け取り、メッセージを目にすると、崩れるようにして畳に突っ伏した。
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