第二十話 石英(二/八)

文字数 3,177文字

 その日、空木が向かったのは例の店だった。
 通りには似たような町屋が並んでいるので、少し見ただけでは区別もつきにくい。とはいえ、探りを入れていた空木にしてみれば、その場所はさすがに間違えようもなかった。
 しかし、そう思って格子戸を開けようとした、そのとき。傍らに見覚えのないものが吊るされていることに気づいて、空木は思わず動きを止める。
 麻紐で結ばれていたのは黒く細長い石だった。この場所に、こんなものがあっただろうか。いったい何の意味があるのだろう。まさか、何かのまじないか――
 そう思った空木は、その石にうろんな目を向けながらも、こうたずねた。
「こいつも、おまえのお仲間か?」
「残念ながら違うよ。空木。石という点では同じだが、私のようには話せない」
 答えたのは日本式双晶だ。
 吊るされた石を不審に思う傍らで、別の石とは普通に会話する――というのも、よく考えると妙な話だ。とはいえ、日本式双晶を名乗るこの石は、その名を明かしてからこちら、空木にことあるごとに話しかけてくるようになっていたから、それも仕方がないことだろう。話す石の存在には、空木もすっかり慣れてしまっている。
 それにしても、この日本式双晶なる石――話かけてくるのはいいが、どうもすかしている感じがして苦手だ――と、空木はひそかに思っていた。今のところ、面と向かって指摘するつもりはないが。
 とにかく、その――吊るされているだけのただの石を横目に見つつ、空木は思いきって店の格子戸を開けた。訪いを告げながら中に入ると、いつかの日にも真っ先に姿を現した、あの青年に出迎えられる。
 空木が何か言うより先に、日本式双晶は彼に向かって、こう声をかけた。
「やあ。桜石。今日の訪問は、槐にも知らされているとは思うが」
「それはそうですけど……」
 青年は姿なき声に平然と答えながらも、空木のことはうさんくさげに見返してくる。どういうわけだか、空木はこの青年に嫌われているらしい。全く身に覚えがないのだが――それはそれとして。
「ん? 桜、石?」
「そうだよ。彼も石だ」
 日本式双晶の言葉に、空木は思わず目の前の青年をまじまじと見つめてしまった。彼も石だ、とはどういうことだろう。どう見ても人にしか見えないのだが。
 吊るされていた石は仲間ではなく、この人の形をしたものが石だとか。もはや何が何だか。
 空木の混乱に冷ややかな目を向けつつも、青年はあらためてこう名乗る。
「どうも。桜石です。普段は桜と呼ばれてますので」
 桜石――もとい、桜はそう言った。
 そうした発言だけでは、彼らが冗談を言っているのか、そうでないのか、空木にはいまいち判断がつかない。ともあれ、石が話す以上の驚きなどないだろう、と思っていたことについては、どうやら空木の考えが甘かったようだ。
 そうして空木が呆気にとられているうちに、通路の向こうから誰かが近づいて来るのが見えた。姿を現したのは、この店の主――音羽槐。
 相変わらずこなれた着流し姿の彼は、空木に深々と頭を下げたかと思うと、こう言った。
「ようこそ、お出でくださいました。しばらくご連絡もできずに、申し訳ございません。こちらも少々、立て込んでおりまして」
「それは、まあ……こっちでも、いろいろと事情があったもので」
 空木から連絡をしなかったのは、国栖の葉のことがあったからだ。彼女のことについては問われない限り黙っているつもりだったが、日本式双晶はそのことを知っているはずだから、あまり意味のないことかもしれない。
 案の定、槐は隠すことなくこう言った。
「日本式双晶を通じて、いくらか知らされております」
 その存在は言わずもがな、日本式双晶を送り込み空木の身辺を探っていたことについて、相手はごまかす気もないようだ。とはいえ、空木としても今さらそのことについて、どうこう言うつもりはない。空木の方でも似たようなことはしていたのだから。
 空木が特に反応を示さなかったからか、槐は淡々とこう続ける。
「とはいえ、こちらもいろいろと確認したいことがあるのですが――その前に、どうしても会って話をしたいと言っている石がおります。よろしいでしょうか」
 その言葉に、空木は思わず顔をしかめた。
 空木に会いたいという――石。
 日本式双晶いわく、彼自身を空木に渡るよう仕向けたのは、その石だと言う。それがどんな石かは知らないが、そもそもなぜ空木なのだろう。石に嫌われるようなことをした覚えはないが、好かれるようなことをした覚えも当然ない。
 とはいえ、会いたいと言うからには、会ってやろうとも思っていた。そんなことを言う石自体にも、興味はある。
 そう思って空木がうなずくと、槐は通路の先を示して歩き出した。中に入るのは二度目なので、空木もためらうことなく彼のうしろをついて行く。
 坪庭に出ると、初めて訪れたときに通された座敷が見えた。その先にある玄関から中に入り、また座敷に通されるのかと思えば、そちらとは別の方向に廊下を曲がって行く。
 そうしてたどり着いたのは、行き止まりにある小部屋だった。入り口は開き戸で、中は洋間になっているようだ。
「それでは――」
 空木を先に通したかと思うと、槐はそれだけ言って、さっさと立ち去ってしまった。どうやら同席するわけではないらしい。空木は呆然としてそれを見送ったが、もはやその姿も見えなくなると、気を取り直して室内へと目を向けた。
 中は妙に薄暗い。明かりは点いていないし、カーテンもすべて閉めきられている。暗がりに目が慣れた頃に照明を探して視線を巡らせたところで――空木は思わずその動きを止めた。
 三方の壁にいくつもの棚か据えつけてある。そして、その棚の上にあったのは、あらゆる姿、形の――
 石だ。
 棚の上にきちんと並べられていたのは無数の石。そのひとつひとつが、おそらくは違う種類の石だった。普通ではあり得ない、異様なその光景に――空木は圧倒される。
 呆けていた空木に声をかけたのは日本式双晶だ。
「ひとつひとつ紹介していては、時間がかかってしまうから、そこはおいおい、ということにしておこう。ひとまず、ここにあるものたちが皆、君の言うところの、私のお仲間――ということになる」
 その言葉に、空木は思わずうなり声を上げた。つまりは、ここにある石はすべて、日本式双晶のように話す石、ということになるのか。
 心を持つ石たち。ざっと見て五十くらいはあるだろうか。そんなものたちに取り囲まれているかと思うと、とてもではないが心穏やかにはいられない。
 石の存在に気圧されて空木がしばらく言葉を失っていると、ふいにどこからか声が聞こえてきた。
「さて、お初にお目にかかる――と言いたいところだが、君はまだ僕の姿を見てはいないか」
 それは、日本式双晶とはまた別の声だった。空木が戸惑っている間にも、声はこう続く。
「とにかく、君をこの場に呼んだのはこの僕だ。まずは、初の対面といこうじゃないか。君の目の前に正方形の木箱があるだろう。それを開けてみてくれたまえ」
 有無を言わさぬ要求に、空木はどうするべきか――と考えもしたが、ここまで来て怖じ気づくわけにもいかない、とも思っていた。だからこそ、その声に従って、空木はひとまず前方へと視線を向ける。
 部屋の中央にはサイドテーブルが置かれていて、その上にはふたつの箱が並んでいた。ひとつは平たい寄せ木細工の箱。しかし、声が示したのは、おそらくこちらの方ではないだろう。
 もうひとつは桐の箱。両の手のひらにおさまる程度の大きさの、立方体の箱だ。少し古びているようだが、あざやかな紐が結ばれ封がされている。
 空木はその箱に手を伸ばした。紐の端を軽く引いただけで、蝶結びはするりとほどけていく。天板の蓋を持ち上げて、のぞき込んだ中にあったものは――
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