第十五話 頑火輝石(三/七)

文字数 3,058文字

 青年が去った後、小松は花梨にこう問いかける。
「さて、何かつかめたかな?」
 うなずく花梨に、彼はこう続けた。
「ひとりで行動せずに、槐くんに相談するんだよ。槐くんもなずなも、君のことを心配しているからね」
 小松は青年が残していった空のマグカップを回収しながら、話を続ける。
「槐くんもあれで結構、無謀なとこがあるからねえ。そういう意味では、ちゃんと理解してくれると思うけど」
 首をかしげる花梨を見て、小松は笑う。
「彼とは、子どもの頃からのつき合いだから」
 小松は自分のマグカップからコーヒーを飲みつつ、花梨に向かって、さらにこう言った。
「それに、君には黒曜石がいるか。でもまあ、黒曜石は……少し頼りないとこあるからなあ」
 黒曜石が無言だったのは、おそらく――その言葉が不服だったからだろう。黒曜石はそういうところがある。それは小松もわかっているのか、それ以上は何も言わなかった。



 その日は朝からアルバイトで、花梨が歩いていた大通りには、まだシャッターが下りたままの店が並んでいた。
 開店に間に合わせるため先を急いでいた花梨は、バイト先の雑貨店に近づくにつれ、どことなくいつもと違う空気を感じとる。それをいぶかしむ間もなく店の前まで来ると、人だかり――というほどではないが、店長と数人の見知らぬ誰かが話をしているところに行き合った。どうやら、何かさわぎがあったらしい。
 そのうちの一人は警察官の制服を着ている。近くの交番から来たのだろうか。観光客はまだ少ないが、人通り自体はそれなりにあって、通り過ぎる人々も何ごとか、と店を一瞥していた。
 花梨もまた、どうしたものかと迷ったが、そこに着く頃にはちょうど話が一段落したようだ。様子を見計らって、花梨は店長へと声をかける。
「どうしたんですか?」
「鷹山さん……」
 店長は呆然とした様子で、情けない表情をこちらに向けた。
 用は済んだのか、警察の人たちは店長に軽く声をかけただけで、その場を去って行く。花梨はそのまま、店長と共に従業員用の出入口へと向かった。
 入ってすぐ、そこにあったものを見て、花梨は大きく目を見開く。
 いつも表に出していた立て看板が、黒焦げに焼けていた。しかし、そのものは真っ黒だが、周囲に燃えたような形跡はない。
「何があったんですか?」
 花梨はそうたずねたが、店長は首を横に振る。
「どうしてこうなったのか、僕にもさっぱり。朝来たらこうなってたんだよ」
 店長は困惑の表情を浮かべて、大きくため息をついた。
「電気系統の故障かな? でも、片づけるときには、全部外してるはずだし……幸い、周りには燃え広がらなかったみたいだけど」
 看板には小さな照明がついていたが、その部分は焼けていなかったので、それが原因だとは思えない。そうでなくとも、店長の言うとおり閉店の後は電源につなげることはない。店の中にあったのだから、いたずらでもないだろう。
 店長は、何でかなあ、としきりに呟きながらも、いつものように開店の準備を始めた。警察とどんな話をしたのかわからないが、営業に関しては問題ないようだ。
 花梨もまた、支度のため急いで更衣室に向かおうとした、そのとき――ふいに黒曜石の呼び止める声がした。
「花梨。あの焼け跡だが――」
 その言葉に花梨は立ち止まり、振り返る。
 視線の先にあるのは、燃えた痕跡だけが残る看板。閉店したあとにはいつもこの位置にあった。開店と同時に店の前に出していたものだが、もう使えないだろう。
 それを見つめる花梨に、黒曜石はこう続ける。
「普通の火によるものではない」
 どういうことだろう。問い返す前に、店長が顔を出した。
「ごめん。鷹山さん。僕、ちょっと出ないといけないから。あとを頼めるかな? 応援は呼んであるから」
「応援、ですか?」
 花梨が問い返した、その答えが返る前に従業員用の扉が開く。そこに現れたのは――
「あ、花梨ちゃん。久しぶり。元気してた?」
「センパイ……」
 西条浅沙。花梨と同じ時期にアルバイトとして入った青年だ。会うのは数か月振りにもかかわらず、まるで数日振りといった軽い調子で、彼は花梨に向かってそう声をかけた。
 花梨が何かを言うより先に、気づいた店長が彼の元へかけ寄る。
「いやあ。来てくれてありがとう。恩に着るよ。浅沙くん」
「店長がどうしてもって言うんで」
 今にも拝み出しそうな勢いで、店長は大げさにお礼の言葉を並べている。おそらく、急のことで他に来られる者がいなかったのだろう。
 いくつか指示を出すと、店長は足早にどこかへ出かけていった。その後は開店の準備で忙しく、花梨も他のことを気にかけてはいられなくなる。休日の忙しい時期ということもあって、時間は瞬く間に過ぎていった。
 そのうち店長も戻り、落ち着いた頃になって、花梨はふと、以前に考えていたことを思い出す。同じ大学に通っている、と言う彼に、聞きたいと思っていたこと――
「ん? 花梨ちゃん。どうかした?」
 なかなか言い出せずに、じっと見ていたことに気づかれて、当の本人にそうたずねられる。花梨はとっさにこう問いかけた。
「センパイ。あなたは、呪いの噂について知っていたんですか?」
 彼は一瞬だけ表情を失ったようにも見えたが、すぐに笑顔を浮かべると、こう答えた。
「花梨ちゃん。そんなことに興味があるの? 残念ながら俺は知らないけど。でも――」
 そこで彼は、ふいに視線をどこかへ――おそらく、あの焼けた看板の方へと向けた。
「あんまり危ないことしちゃ、いけないよ?」


「どうかしましたか? 花梨さん。何だか浮かない顔ですね」
 アルバイトが終わった後、花梨は槐の店を訪れていた。顔を合わせるなり桜にそう言われて、花梨は慌てて表情を取り繕う。
「大丈夫。ただ、バイト先で少し……」
 いつもの座敷に行くと、槐が待っていた。花梨はそこで、レポートのことを聞くために小松に会ったこと、そして今日の午前中にアルバイト先であったことを話す。
 最後に、燃えた看板について、黒曜石はこう言った。
「あれを燃やしたのは、普通の火ではない」
 とはいえ、花梨たちは黒焦げの看板を見ただけで、実際に火が上がっているところを見たわけではない。店長にも話を聞いてみたが、どうして燃えたのかも、やはりわからないようだった。
「火、ですか」
 槐はそれだけ言うと、少々お待ちください、と言って席を立った。しばらくしてから、彼はひとつの石を手に戻ってくる。
 全体的に黒っぽいが、そこに黄色い放射線状の結晶が小さな菊の花のように散っている石だ。この石は、茜が訪れたときにも見た気がする――
頑火輝石(がんかきせき)です」
 槐はその石を花梨に差し出しながら、そう言った。
「輝石グループのうちの、マグネシウムを主成分とする斜方輝石です。灰色や褐色、黄緑色などの鉱物ですが、ここにあるのは放射状に結晶したものですね。英語名のエンスタタイトはギリシャ語で、対抗する、を意味する言葉から。融点が高く、耐火性が強いことからこの名がつけられました」
「まあ、火に対抗するなら俺に任せな。何。たとえ火中に放り込まれようと、あんたのことは守ってやろう」
 槐に続いてそう言ったのは、おそらく頑火輝石だろう。
 火中に放り込まれる状況には、できれば会いたくはないが――バイト先での不審な火のことを思えば、心強くもある。
「杞憂であればいいのですが……どうぞ、しばらくは彼のことも、お守りとしてお持ちください」
「ありがとうございます」
 槐の言葉にそう答えて、花梨はその石を受け取った。
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