第二話 菫青石仮晶(五/五)

文字数 3,310文字

「驚きました?」
 店へと戻る道すがら、桜は花梨にそう言った。
「すみません。気づかれていないだろうな、とは思ってたんですが、何だか言い出しにくくて。槐さんも悪気はないんですよ。たぶん、僕たちはお互い慣れ過ぎているんです」
 その言葉を聞き、花梨は、やはりそうか、と心の中で呟く。そして、桜はこう続けた。
「僕も、実は黒曜石さんと似たようなものなんです」
 似たようなもの。石を依り代にした霊的な存在――花梨が手にした、この桜石の。
「もしかして、他の人には姿も見えない?」
 花梨がそうたずねると、桜は苦笑する。
「少なくとも花梨さんが初めて店に訪れたときは、そうです。花梨さんって、そういうことには鈍かったんですね。最初は慣れているからかな、と思ったんですが」
 初めてあの店に行ったとき、桜は確かに花梨が声をかけたことを驚いていた。あれは、自分のことが見えているものだと思わなかったからだろう。
 とはいえ、目の前にいる彼の姿はとてもそんな不確かな存在のようには見えなかった。明らかに黒曜石とは違っている――少なくとも花梨はそう思う。
 そんなことを考えながら歩いていると、いつの間にか槐の店に着いていた。通り庭を過ぎて坪庭のところまで来ると、ふいに佇む人影に行き合う。
 一瞬、花梨は槐が自分たちのことを待っていたのかと思った。しかし、それが別人だということは、すぐにわかる。
 淡い、透き通る黄色の髪色をした青年だった。顔立ちも槐よりは若く見える。そして、その立ち姿に何か違和感があった。
 ――隻腕?
 着物の袖、その片方が不自然な形になっている。肩掛けのようにしているのかとも思ったが、そうでもない。その青年にはやはり左の腕がなかった。
 青年は花梨たちに気づくと、何かを探すようにこちらをじっと見つめたが、そのうちため息をついたかと思うと、かき消えてしまった。それまでは、変わってはいても普通の人のように見えていたので、花梨は少し驚く。
「黙って消えるのはなしですよ。黄玉(おうぎょく)さん」
 桜は何もいなくなった虚空に向かって、そう声をかけた。
 黄玉。ならば彼もきっと石なのだろう。
 そのまま桜につき従って、花梨は座敷へ上がらせてもらった。縁側の方から、ちらりと見えてはいたが、前回と同じ位置――部屋の隅の座椅子では椿が本を読んでいるようだ。どうやら定位置らしい。
 こんにちは、と椿に声をかけ、桜にすすめられるままに花梨は座卓の前に座る。そのうち、槐もこの場に姿を現した。
「おかえりなさい」
 そう声をかける槐に、花梨は無事におつかいを終えたことを報告する。そして、手にしていた桜石を座卓の上に置いた。
「では、あらためまして――」
 そう言ったのは、桜だ。槐のとなりに座ると、花梨を真正面に見据えてから、再び口を開いた。
「僕は桜石です。今日は外に連れ出していただき、ありがとうございました。花梨さん。いろいろと見られて楽しかったです」
 花梨は、あらためて――目の前の石と青年とを見比べた。しかし、いくらそう言われても、どうにも現実感がない。黒曜石が姿を現したときの方が、まだ受け入れられていたくらいだ。
 戸惑う花梨に、槐がこう問いかける。
「桜石をご覧になられるのは、初めてですか?」
 その問いは当然、石のことを言っているのだろう。花梨はうなずいた。
「鉱物名としては、菫青石仮晶(きんせいせきかしょう)と言います。通称、桜石」
 初めて聞く名前だった。しかし、桜石、と言うのは、この石に似合いの名だと花梨は思う。
「元は菫青石――コーディエライト、あるいは、宝石名のアイオライトの方が知られているかもしれません。桜石は、その仮晶――仮晶とは、鉱物の結晶形が保たれたまま中身が別の鉱物に置き換わること。桜石は菫青石が熱水の作用などで雲母などに変化した鉱物です。色は白や淡いピンク色で、風化によって六角柱状の石の断面が六枚の花びらが咲いたように見えるため、桜石と呼ばれています」
 座卓の上にある石には、槐の言うとおり小さな花の模様がいくつか散っている。
 花梨は思わず大きく息をはいた。いろいろと驚くことがあって、どうにも言葉が出てこない。呆然としている花梨を気づかうように、桜が口を開く。
「式神のようなものだって、話をしていたでしょう? 確か、陰陽師として有名な安倍晴明(あべのせいめい)も、式神に雑用とかを任せていたって話があるんですよ。僕はまあ、そんな感じです」
「『今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)』ですね。安倍晴明の邸宅では、人もいないのに門が開け閉めされるといった現象が起こる。それは式神によるものだとされています」
 槐がそう言う。次に口を挟んだのは、意外にも椿だった。
「その式神と違って、うちのは橋の下に住む殊勝さはないみたいだけど」
 そんなことをぽつりと呟く。槐は苦笑した。
「安倍晴明の式神は、妻がその姿を恐れたために普段は橋の下に隠されていたという逸話もありますね」
「音羽家はその点、大丈夫でしょうけど」
 と桜。椿は顔をしかめた。
「おかげで、とんだ幽霊屋敷じゃない」
 花梨はその言葉で、先ほど庭で見かけた人影のことを思い出した。この店には、一体どれだけの意思を持つ石があるというのだろう。最初に通された部屋の、壁一面の棚に置かれた石。その、すべてがそうだとしたら――
 椿の言葉に、桜は呆れたように肩をすくめている。
「みなさん、僕ほど活動的ではないと思いますけどね。少なくとも、椿ちゃんの部屋に入ったりはしませんよ」
「当たり前でしょ。入ったら叩き割ってやる」
 花梨はそのやりとりに思わず吹き出した。桜と椿が、けげんな顔で花梨を振り返る。
「ごめんね。でも、本当に……あなたが人ではないだなんて、思えなくて。今のもまるで、兄妹のやりとりみたい」
 そう言うと、椿は思い切り顔をしかめた。よほど不服だったらしい。桜は苦笑する。
「僕は石の中でも変わり者なんです。そのせいで、人らしい振る舞いにはだいぶ慣れましたよ。まあ、槐さんの手伝いをしているのも、本来は罪ほろぼし、とか……つぐない、なんですけど……」
 その言葉に花梨が首をかしげると、桜は、何でもありません、と首を横に振る。
 花梨はふと、考え込んだ。
 不思議な力を持った石たち。しかし、彼らは決して心無い存在ではない――式神のように、ただ使役されるだけの存在ではないようだ。そのことに今さら気づいて、花梨は少し心苦しく思う。
「花梨さん?」
 桜に呼びかけられて、花梨はふと物思いから覚めた。
「ごめんなさい。何て言えばいいのか……あなたたちはずいぶんと、人間らしい心を持っているみたい。私、そのことに気づいてなかった。それで、その……黒曜石、さん、にあのとき、お礼も言ってなかったなって……」
 そう言って、花梨は黒曜石の鏃を取り出した。今はもう、花梨はこの石と言葉が交わせることを知っている。それでも彼のことをどこか普通ではない、特別な何かだと思っていた。そんな風に接していた。
 しかし、だからといって、ないがしろにしてはいけないこともあるだろう。
「あらためて――あのとき助けてくれて、ありがとう」
 花梨はそう言った。遅すぎるかもしれない。しかし、花梨はその言葉を伝えなくてはならなかった。たとえ、それが受け入れられないとしても。
 そのときふいに、黒髪の青年が目の前に姿を現した。あのとき弓矢を放った青年――黒曜石が。
 ようやく姿を見せてくれたことにほっとして、花梨は彼に笑い返す。それに応えるように、しかし、厳しい表情のまま、黒曜石は重々しくうなずいた。
「協力は了解した。しかし、少しはこちらの忠告も聞くように」
 思えば、黒曜石の鏃を借り受ける了承を得たときも、花梨の勢いに根負けして、槐が一方的に決めてしまったようなものだ。店を再び訪れるときでさえ、花梨は彼の忠告には従わずに、こちらの都合で間を空けてしまっている。確かに、花梨は彼の言葉をずいぶんとないがしろにしてきたようだ。
 これはあらためなければならないと、花梨は心から反省した。つかみ取った細い糸。それは、自分しか見えていないようでは、いずれ切れてしまうものなのだから。
 花梨は苦笑しながら、彼の言葉にうなずいた。
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