第一話 黒曜石(二/四)

文字数 3,938文字

「大丈夫ですか。槐さん。また難しい話でお客さんを困らせたりしてませんか?」
 その声に、はっとして視線を向ける。最初に見かけた青年が、ちょうど部屋に入ってくるところだった。
 青年は、どうぞ、と声をかけながら、手にした盆にのった湯のみを二つ、部屋の中央にある丸いサイドテーブルへと置いていく。いつのまにか姿が見えなくなったと思っていたが、どうやら来客のためのお茶を淹れていたらしい。
「こんにちは。僕は桜って言います。よろしくお願いしますね」
 目が合うと、そう声をかけられた。ずいぶんとかわいらしい名前だ。そう思いつつも、彼の場違いな明るさにとっさの反応が遅れてしまう。
 桜と名乗った青年はなごやかとはいいがたい空気に気づくと、きょとんとした表情で男性の方へ視線を向けた。
「あれ? もしかして、まだ名乗ってないんですか?」
 確かにそうだが、この妙な間はそれが原因ではない。思わず苦笑すると、張りつめていた空気が少しやわらいだ。
 そう思ったのは、男性の方も同じだったらしい。
「少し急ぎ過ぎたようですね」
 彼は謝罪するように頭を下げると、あらためて背筋をすっと伸ばした。そうして、真っ直ぐなまなざしをこちらに向ける。
音羽(おとわ)(えんじゅ)と申します」
 男性はそう名乗った。
「……鷹山(たかやま)花梨(かりん)です」
 思わず、そう名乗り返してしまう。
 槐はうなずくと、笑みを浮かべながらこう言った。
「私はここで鉱物などを売り買いしております。しがない店の主です」
「では、やはりこれらは売りものなのですか?」
 花梨は確認のつもりで問い返したのだが、なぜか槐は言い淀んだ。
「そうですね……私自身は、よい持ち主に出会えたのなら、お譲りすることもやぶさかではないと思っているのですが」
 その言葉に、槐の傍らに立っていた桜は、え、と驚いた顔をする。けげんに思って花梨が視線を向けると、そのことに気づいて彼はすぐに取り成した。
「その……ここに並んでいる石が売れることはあまり――というかほとんど、ないんです。いろいろあって」
 桜はそう言うと、棚に並んだ石たちとは別の方向を指し示した。
「石は他にもたくさんあるんですよ。収集品の噂を聞きつけて、買い取りを希望される方もいるので。もちろん売って欲しいという方も来られます」
 では、この棚に並んでいるものは、店主にとって特別な石、ということだろうか。単純に、売りものを並べているというわけではないらしい。それにしても――
「これらが人を呼び寄せる、のですか?」
 花梨はそうたずねる。
 しかし、槐はそれをはっきりとは肯定しなかった。代わりに室内をぐるりと見渡していく。ひとつひとつを確かめるように。
 それは決して、何か厄介ごとを呼び込んでくるような、疎ましいものへ向けるまなざしではないように思えた。
 花梨の方へ視線を戻すと、槐は少しだけ困ったような笑みを浮かべる。
「これらが結んだ縁のおかげで、ほんの少しだけですが、そういうものを知るようになったことは確かです」
「そういうもの?」
「怪異、と呼べばいいのでしょうか」
 ――怪異。
 花梨はふいに、ここに来るまでに感じていた嫌な気配を思い出した。
 自分はさとい方だ、という自覚はある。しかし、それはあくまでも、ほんのささいなことに対してだ。
 例えば、何か嫌な予感がしていつも通っている道を遠回りすると、そこでちょっとした事故があったことをあとで知る、とか。誰かに見られているな、と思ったら、次の日に、たまたまその場所で見かけたことを友人から言われる、とか。
 しかし、あとをつけられている、と感じたことは初めてだ。それも、おそらく普通でないようなものに。ただ、その感覚も自分の直感による判断でしかなく、それは、怪異だ、と確信できるようなものではなかった。
 そんな曖昧なものを、見ず知らずの人に話したところで仕方がない。普通であればこんな話、笑い飛ばされて終わりだろう――そう思っていたが、この店に限ってはどうにも事情が違うようだ。花梨はそう考え直す。
「そういったものに、つかれていますか。私は」
 花梨はそう問いかけた。自分の直感は当たっているのか、それとも。
 答えを待っている間、槐は少し考えるような素振りを見せたが、花梨の視線を受け止めると、申し訳なさそうにこう話し始めた。
「確かに、私は普通の人より、そういうものにふれる機会は多いのですが、専門の知識があるというわけではありません。私にはそれらをどうにかするような力はない。特別な力があるのは、ここにある石たちなのです。私はその声を聞くことができるだけ」
「声、ですか」
 その答えに、花梨は少し拍子抜けする。この人にも確かなことは言えないらしい。
 それにしても――
 石の声。槐が言うそれは具体的な声なのか。それとも何かのたとえなのか。とっさに判断できずに、花梨は思わず顔をしかめた。苦笑する槐に、呆れたようにため息をついたのは桜だ。
「いきなり過ぎですよ。槐さん。そんな突拍子もないこと言われても信じられませんよ。ねえ?」
 桜は同意を求めるように、花梨に向かって軽く肩をすくめた。それを見て、槐は頼りなげな表情でため息をつく。
「……どうにも説明が下手だな。私は」
 どうやら本気で落ち込んでいるらしい。その様子が妙にしおらしく、思わずおかしく感じてしまう。
 珍しく本音を口にする気になって、花梨はこう言った。
「私も、そもそも幽霊とか怪異とか信じていない方で……だから、正直言うと今まで話していただいたことも話半分です。ごめんなさい」
 実際に、そういうものを見たり、体感したりといった経験はない。それは自分の直感によって回避できているからなのか、それとも、そもそもそんなものは始めからないのか。それは自分でもよくわかっていなかった。
 槐は気を悪くした様子もなく、ただ笑う。
「それでよろしいかと思います。初めて相対するものならなおさら、疑ってかかるのが正しい場合もあるでしょう。信じられないことを無理に信じる必要はありません。特に、こういったことは常識で図れるものではありませんから」
 槐はそう言って、花梨の言葉を受け入れた。しかし、桜の方は少し不満げな表情を浮かべている。
「でも、ですよ。そのせいでここが怪しいお店だと思われるのはいただけません。僕は、槐さんが馬鹿正直に何でも話してしまうのがダメだと思ってます」
 桜がそう言うと、槐は困った表情で笑っている。
 ――悪い人たちではないのだろう。
 花梨はふと、そう思った。それは直感ではない。ほんのひとときでも彼らと話をして、実感を伴って得た答えだ。
 花梨はあらためて周囲を見回した。
 古めかしい町屋の一室。窓が閉じられた部屋の壁にはいくつもの棚が据えつけてある。木製の棚の上に置かれているのは、珍しい形、色の石たち。五十個くらいはあるだろうか。ひとつとして同じものはない。
 非日常な光景だ。しかし、だからこそ、どこかわくわくするような、ほっとするような――奇妙な感情を抱く。
「呼ばれてよかったかもしれません。でないと、この店にはきっと出会えなかったでしょうから……」
 そう言ったところで、花梨は、はたと気づいた。
 ここはお店だ。特に買う気もない自分が長居してもいいものだろうか。そんな常識的なことが急に気になり出す。
「あ。でも……その、私の手持ちでは、こういったものを買うことは、できないかもしれませんが」
 焦って口にした言葉に、槐と桜は顔を見合わせた。そして、軽く笑い合う。
「見に来てくださるだけでも、いつでも歓迎していますよ。もしも興味を持たれたのなら、他にもいろいろお見せしましょう。安価な鉱物でも、おもしろいものはあります」
 槐がそう言うと、桜もうなずく。
「お客さんなんてほとんど来ませんし。大抵は暇してますからね」
 花梨は苦笑する。何とも商売気のない人たちだ。呆れると同時に、自分がこのやりとりを心から楽しんでいることに気づいた。
「ここに来てよかったです。こんな風に誰かとたわいない話をするのは、すごくひさしぶりで」
 花梨がそう言うと、桜はいぶかしげに首をかしげた。
「たわいない、ですかね……」
 確かに、話している内容自体は――怪異だの、つかれているだの――とてもではないが、なごやかなものとは言いがたい。それでも、この土地でまだ友人のひとりもできていない花梨にとって、それはとても貴重な時間だった。
 花梨がこの街に住み始めてからどんな日々を過ごしていたのか、彼らは知らない。それは、常に細い糸にすがって見えない出口をさ迷うような、そんな頼りない毎日だった。
 新しい生活に慣れなければならないという苦労も、もちろんある。しかし、それ以上に、花梨にはどうしてもやらなければならないことがあったからだ。
 そのことを思い出したそのとき、花梨の視界で何かが光った。
 それがあったのは、部屋の中央にあるサイドテーブルの上。どうやら、わずかに差し込んだ西日を受けたせいで、輝いて見えたようだ。
 卓上には桜が置いた湯のみの他に、もともと二つの木箱が置かれていた。ひとつは桐の箱、だろうか。両の手のひらにおさまる程度の大きさの、立方体の箱だ。少し古びているようだが、あざやかな紐が結ばれ封がされている。
 もうひとつは平たい寄せ木細工の箱。宝石箱、という言葉が真っ先に思い浮かんだ。ここが鉱物のお店だからそう感じただけかもしれないが、年季の入ったそれはいかにも何かの秘密を抱えているように見えた。
 二つの箱は風景の一部としてそこになじんでいる。そして、輝いていて見えたものは、その箱にさえぎられ、わずかに隠れたところにあった。二つの箱の隙間から見えるもの、それは――
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