第十五話 頑火輝石(五/七)

文字数 4,294文字

 ボヤ騒ぎから一夜明けた今日。花梨はこの日もまた、アルバイト先へと向かっていた。
 昨日のことを受けて、店はしばらく休業することが決まっている。出火の原因については警察や消防が調べたようだが、何もわからなかったらしい。しかし、この件に怪異が――あるいは呪いの石が――関わっているとしたら、それも当然のことだろう。
 いずれにしても、この不審火が何か意図があるものだとすれば、狙われているのはあの店だと思われた。ならば、頑火輝石の力が必要なのは店――ひいては、休業の今日も店にいるはずの店長だ。そう考えて従業員用の扉の前に立った花梨は、そこにあるインターホンを押した。
 ほどなくして、店長が顔を出す。花梨を見るなり、彼は大きく目を見開いた。
「どうしたの? 鷹山さん」
「その、火事のことが心配で……」
 花梨がそう答えると、店長はけげんな顔でこう言った。
「それでわざわざ、来てくれたのかい? 鷹山さんも?」
「――も?」
 ひとまず中に招き入れられ、一緒に事務所へと向かう。何となくそうではないかとは思っていたが、そこにいた人物を目にした途端、花梨は思わず顔をしかめた。
「あれ? どうしたの。花梨ちゃん」
 彼は花梨のことに気づくと、いつもの軽い調子でそう言った。
「センパイこそ。どうして……」
 店の休業が決まったことで、アルバイトは皆、暇を出されているはず。しかし、浅沙はこの日もなぜか店に現れていた。
「ちょっと気になってね」
 答えを濁す彼の代わりに、説明してくれたのは店長だった。
「何かあったときには、人手があった方がいいって、浅沙くんの方から。用心棒だって。僕ひとりでは頼りないらしいよ」
 店長は苦笑する。
「消防とかの立ち会いの時間には、本社からも人が来るから、大丈夫だと思うけど――」
 店長がそう言い終えた、そのとき。突然、けたたましく警報の音が鳴り始めた。
 その場にいた皆が、はっとして顔を上げる。もしやまた火が――と花梨は身構えたが、店長は意外にも落ち着いていた。
「おかしいな。セキュリティは切ってあるはず……」
 どうやら、火事を知らせるものではないらしい。
 それでも、花梨は鳴り響く音に不安をつのらせた。偶然に不具合があった、というわけではないような気がする。この音は何かを知らせているような――
 思わず周囲を見回したとき、花梨は店長の視線がある一点で止まっていることに気づいた。店長が見ているのは、事務所の入り口の方。
 その場所に、いつの間にか女の人が立っていた。よく見ると、その人はその手に灰色の石を握っている。
 彼女は花梨たちの注目を集めると、おもむろに口を開いた。
「約束したのに。どうして、ですか――?」
 彼女は――おそらく――店長に向かってそう言った。店長はぽかんと口を開けたまま、不思議そうな顔をしている。
 入り口から室内へ、その人はゆっくりとその一歩踏み出す。花梨たちのことなど気にもとめずに、じっと店長を見据えたまま、ふらふらと歩いていた。
 この人は、昨日のボヤのときに店の前にいた――
 ふいに誰かに腕をつかまれて、花梨は後ろに引き寄せられる。浅沙だ。彼は女の人の動きをじっと見つめながらも、花梨を庇うように前に出た。
 その女性は徐々に店長へとにじり寄っていく。
「あれは――あの約束は、嘘だったんですか。商店街であなたといっしょにいた方は、誰なんです」
 その言葉に浅沙は顔をしかめると、呆れたようにこう言った。
「店長……まさか、その手のいざこざとか、そういうのですか? 勘弁してくださいよ」
 しかし、店長はどちらの問いかけにも答えずに、ただ呆然としている。状況がよくわかっていないようだ。
「しっかりしてくださいよ、店長。で、誰なんです? この人」
「えっと。常連のお客様、だと」
「はあ? お客様?」
 その答えに、浅沙は戸惑いの表情を浮かべた。花梨もまた、困惑の視線をその女性へと向ける。しかし、その人自身は、やはり店長のことしか見えていないようだった。
「それで? 約束って?」
 それを聞いて、その人は初めて浅沙の方をちらりと一瞥した。しかし、それもほんのわずかな間。すぐに店長の方へ向き直って、こう話す。
「おっしゃって、くださいましたよね? 春になったら、一緒に桜を見に行きませんか、って」
「桜? そんなこと言ったんですか。店長」
「言った……」
 店長はようやく、ぽつりとそう呟いた。それを聞いた彼女の表情が、苦しげに歪む。
「約束したのに。私はそれを――ずっと、その日を待っていたのに。なのに。あれは、心にもない言葉だったんですか?」
 彼女がそう口にした、そのとき――
 その人が手にしている石から、大きく炎が燃え上がった。
 花梨は頑火輝石を探って強く握る。しかし、彼の力でどこまでこの炎に対抗できるかわからない。頑火輝石は、この場にいる他の二人のことも守ることはできるのだろうか――
 炎を手にしている女性は、涼しい顔でそこに立っている。しかし、渦巻く赤色も、焦げつくような熱気も、間違いなく本物だ。今度こそ、火災を検知したらしい警告の音が、部屋中に鳴り響いた。
 状況を察して、すぐに行動を始めたのは浅沙だ。彼は近くにあったパイプ椅子を持ち上げたかと思うと、それを思い切りなげつけた。椅子は女の人を直撃し、彼女は悲鳴を上げてうずくまる。その隙に浅沙は花梨と店長の手を取ると、半ば引きずるように廊下まで腕を引いていった。
 浅沙は扉を閉めると、扉脇にあったスチールラックを渾身の力を込めて動かし始める。それは少しずれただけだったが、扉の端にかかる位置で止められた。これなら、部屋から出ることは難しいだろう。
「あの女が持ってるの……俺の見間違いでなければ、火打ち石かと」
 肩で息をしながら、浅沙はそう言った。
 ――火打ち、石?
 花梨は浅沙の表情をうかがった。店長はいぶかしげな表情を浮かべながらも、こう問い返す。
「じゃあ、今までの火も、彼女が?」
 花梨はそのやりとりに違和感を覚えた。
 確かにあれは火打ち石なのかもしれない。しかし、火打ち石では、そう簡単にあれほど大きな火は出せないだろう。単純に、それで火をつけたとは思えない。だとすれば、やはり――
 事務所の扉が沈黙しているのを確認すると、浅沙は出入口の方を指差して、こう言った。
「とりあえず、外に出ましょう。それから警察に」
 その言葉に、花梨たちはうなずき合う。廊下を早足で行く途中、浅沙は店長に問いかけた。
「で? 何で桜を見に行く約束をしただけで、こんなことになるんです?」
 店長は口ごもる。答えたくない、というよりは、本当にわからず戸惑っているような表情だ。花梨は思わず、こうたずねた。
「待ってください。その……そもそも、彼女はお客様なんですよね? お知り合いではなく」
「え? うん。そうだよ……」
 店長からは、頼りなげな答えが返ってくる。
「それなら、どうして彼女にそんなことを言ったんです」
 店長はためらいながらも、こう言った。
「桜の時期って仕事でなかなか見に行けないから、今年こそ、みんなで行けたらいいな、と思って。その人も、円山公園の桜は見たことないって言ってたし」
 それを聞いて、花梨は思わず困惑の表情を浮かべた。浅沙もまた、呆れたような顔をしている。
「うわ。店長、天然ですか。それ……」
「店長……それは」
「え? 何。どうしたの。鷹山さんまで。何だって、そんな目で僕を見るんだい?」
 店長は情けない顔になってうろたえている。それを見て、浅沙は大きくため息をついた。
「ようするに、あの女の思い違いってことですよね。店長も気を持たせ過ぎだとは思いますけど。まあ、店員と客なんだから、少し考えればわかるでしょうに」
「思い違い……」
 店長が呆然として呟く。浅沙は肩をすくめた。
「どうせ、あの人の名前だって、知らないんでしょ。店長」
 従業員用の出入口までたどり着き、花梨たちはそこから外へ出ようと試みた。しかし、その寸前、傍らにあった資材置き場が唐突に火を吹く。花梨たちは思わず立ち止まった。
 瞬く間に燃え上がった火の勢いは強く、扉に近づくことすら困難だ。
「店長。表のシャッター開けられますよね?」
 すぐに切り替えて、浅沙が店長に問いかける。店長は、はっとしてどこからか鍵を取り出した。
「そうだね。二人はそこから外へ」
「……店長は?」
 店長は鍵を花梨に託すと、すぐに事務所の方へと引き返していった。止める間もなく。
「燃えてるんだから、やっぱりあの人を閉じ込めたままにはしておけないよ」
 そう言い残してかけていく店長を、浅沙は呆気にとられた表情で見送った。
「あらら。行っちゃった」
 浅沙はあっさりと振り返り、花梨に向かって店の方を指差す。
「花梨ちゃんは、外に逃げてから警察に連絡してくれる? 危ないから。それまで店長が無事だといいけど……」
 浅沙が花梨の背を押し、店の方へと向かわせようとする。花梨は慌てて振り返った。
「センパイは……?」
「消火器であれを消せるかやってみるよ。店長、行っちゃったし。大丈夫。危なくなったら逃げるから」
 資材置き場の火。確かにあれが広がってしまえば、店長たちの逃げ場がなくなってしまう。
 花梨はためらったが、とにかく電話か、あるいは交番まで知らせに行くのが先だ。そう思い、彼の指示に従うことにした。
 浅沙と別れて、バックヤードから店内への扉を開ける。そのとき、花梨の進む先、カウンターの近くから再び火の手が上がった。
 目の前に突然、見知らぬ青年が現れる。火消し装束を身にまとった彼は、おそらく――
「頑火輝石さん」
 彼は鳶口(とびぐち)――長い柄の先端にくちばしのような金具のある道具――を振るうと、目の前の火を刈り取るように消し去った。
「できる限り火は抑えてやる。ただ、限度はあるぞ」
 この火は、あの女性がどこにいようとおかまいなしに生じているようだ。やはりこれは、玄能石のときと同じく、尋常のことではない。
「火打ち石――あれがこの力の依り代だろうか。ならば、あれをどうにかしないことには……」
 黒曜石もまた、姿を現しバックヤードの方を振り返る。頑火輝石はこう言った。
「黒曜石。次に機会があるなら、とにかく、あの石を討て。俺の力では、あれを祓うことはできん」
 花梨は石を持った女性のことを思い出す。彼女は、店長に何をするつもりなのだろう。どうすれば、これを止められるのか。
 とにかく、行動するなら周囲に火の気のない今しかない。花梨は急いで店のシャッターを開け、逃げ道を確保しながら、連絡のための端末を取り出した――
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み