第十一話 黄玉(二/七)

文字数 3,132文字

 黄玉。どちらかというと、英語名のトパーズの方になじみがあるだろうか。十一月の誕生石ということもあり、その石のことはよく知っていた。思い描いたイメージはその名のとおりのあざやかな黄色。
 しかし、槐の店にあったその石は、ほんのりと淡く透明な黄色だった。大きな柱状の結晶には縦の方向に筋がある。宝石、と呼んでも差し支えない美しさだ。
 そう言えば以前、ハンドメイド作家の柚子が、この黄玉には割れた跡がある、というようなことを言っていた気がする。そう思って大きな結晶を注意深く見てみたが、その部分は花梨の目ではわからなかった。
「黄玉さん。その――よろしくお願いします」
 何と言っていいかわからずに、そう声をかける。ああ、とだけ反応あったので、花梨は慎重に黄玉を手に取った。もちろん、桜石も一緒に。
 槐にひとこと声をかけて、店を出ていく。桜は人の姿を現したまま歩きながらいろいろと話もしたが、黄玉はついに姿を現さなかった。桜の言った、黙ってついて来てもらう、という言葉どおりに無言を貫くつもりらしい。
 なずなの家には一度訪れたことがあったので、迷うことなくたどり着く。こちらの心配をよそに、彼女はすでに帰宅していた。
 突然の訪問には、なずなも驚いたようだ。しかし、すぐにほっとしたような顔になり、花梨と桜を快く迎え入れた。先に座敷へ通されて、しばしの間待っていると、そのうち湯のみの乗った盆を手にしたなずながやって来る。
「ここに来たのは、あのときお伝えした件よね? ごめんなさい。こんなに早く来てくれるとは思わなくって。気をつかわせてしまったのではないかしら」
 重要なことらしい伝言をしたわりに、なずなはおっとりした調子でそう言った。桜は苦笑する。
「気になる内容でしたから。それで、その……ここに来たんですよね――雨が」
 桜が単刀直入にそう言うと、なずなは、ええ、とうなずいた。桜と花梨は、座卓を挟んでなずなと向かい合う。
 自身が淹れた茶を花梨にすすめながら、なずなはその事情を話し始めた。
「私の力を借りたいのだそうよ。私は、あの雨の頼みを断るわけにはいかないの。借りがあるもの」
「そうだとしても、槐さんに何も伝えないのはどうかと思いますよ」
「槐の兄さまには頼りたくないの」
 少し頬を膨らませながら、なずなはすかさずそう言った。桜は、はあ、と気の抜けた返事をする。
「まあ、不安がないわけではないのよ。私ひとりの力では、心許ないこともわかっているわ。だから、つい店の前まで行ってしまったのだけれど……」
 なずなはそこで、大きくため息をついた。
「ああ……沙羅さんたら、また海外に行ってしまったのよね。今すぐにでも帰って来てくれないかしら……」
「結局、沙羅さんには頼るんじゃないですか」
「それとこれとは話が別よ」
 呆れたような桜の言葉に、なずなは口を尖らせる。
「えっと、その。私も事情を聞いてもいいでしょうか。差し支えなければ」
 この場にいながら話に置いていかれそうになっていた花梨は、おそるおそるそう言った。桜となずなは、そろって花梨の方を見てから、顔を見合わせる。
「そういえば、花梨さんにはそもそも、なずなさんのこともくわしく話してませんでした」
「あら。そうだったかしら。ごめんなさいね」
 なずなはそう言うと、あらためて花梨に向き直った。
「私はね。槐さんとは兄妹なのよ。血はつながっていないけれども。当然、石のことも知っているわ」
「なずなさんはあの家を出てからも、何だかんだ怪異に巻き込まれますよね」
 桜の言葉に、なずなは頬に手を当てて、嫌だわ、と呟く。何が嫌なのかはわからないが、おそらく深い意味はないだろう。
「で、今回の件ですけど――」
 桜はそう言って、話を戻した。
「これは、知らない人には説明が難しいですね。どう思います。なずなさん」
「そうねえ。あの人たちのことは、実際に目の当たりにしないことには……そうでなくとも、見た目はただの人にしか見えないもの」
 桜は考え込むように、腕を組んだ。
「何て言うか、存在がでたらめなんですよ。あの人たち」
「あら。あなたがそれを言うのね。桜くん」
 桜はそもそも桜石という名の石だ。今ではもうその存在に慣れてしまったが、常識的に考えて、でたらめと言えばでたらめだろう。
 少し考える素振りをしてから、桜は花梨に向かって、こう話し始める。
「雨、というのは、特殊な能力や技能、知識を持った一族――でしょうか。そんな感じです」
 その説明は、花梨が雨という言葉に抱いていた印象とは違うものだった。花梨が首をかしげるのを見て、桜は苦笑する。
「自称ではないですけどね。普段は現代社会に溶け込んでいて、その存在を知る者に対してだけ、雨の名前を符牒に使うんです。だから、彼らのことは単に、雨、と呼ばれています」
 ()()――
 どこかで聞いた気がする。いつのことだっただろう。確か、音羽家に伝わる呪術のことを知っている、とか――
「まあ、その特殊な能力が、かなりでたらめというか、何と言うか」
「それはうちも大概だけれど」
 なずなはそう口を挟んだ。彼女の言う、うち、は、当然、あの店の石たちのことを言っているのだろう。
 桜は肩をすくめている。
「そういう意味では、どうして店の方に来なかったんでしょうね。力を借りるなら、うちでもいいはずですし。何を頼むつもりなのかは知りませんけど」
「碧玉が通さなかったんじゃないかしら。そんな気がするわ。彼、あの人たちのことは嫌っているから」
 なずながそう言うと、桜は、なるほど、とうなずいた。
「それで……借りがある、ということは、来たのは当然、時雨(しぐれ)さんですよね」
 桜は、そこでまた考え込む。
「あの人も、どちらかというと厄介ごとを持ち込んでくる方ですよ。正直、悪意か善意かわからないだけ、石英さんよりたちが悪い」
 その言葉に反応したのは黒曜石だ。
「石英と並べるのか。彼が聞けば怒るだろう」
 でしょうね、と桜は同意した。ここでの話なら聞かれることはないと高をくくっているのか、あくまでも軽い調子だ。
「それで、頼みごと、というのは?」
 桜の問いに、なずなはおずおずとこう答えた。
「くわしい内容は、まだ……そのときは、私も用があったから。後日、会う約束をしているわ」
「あくまでも、引き受けるつもりなんですね……それならせめて、そのときくらい黄玉さんと一緒に行ってはどうです?」
 桜がそう言うと、なずなは目を見開いた。
「どうしてそこで黄玉が出てくるの」
「どうしてって……」
 桜はその先に何かを言いかけたが、結局は何も言わずにため息をつく。
「じゃあ……僕がついて行くのはどうです」
「あら。頼もしいわ。でも、あなただけでは、あの店を出られないでしょう?」
 そのとき、黒曜石はふいにこう呼んだ。
「花梨」
 唐突に名を呼ばれて、花梨は驚く。皆の注目が集まる中で、黒曜石はこう続けた。
「君もなずなに同行してくれないだろうか。私も少し心配だ」
 あの店から石を持ち出すことが問題なら、確かに花梨にも協力できるだろう。ある程度の事情を知ってしまったのだから、今さら無関係とも言いがたい。そうでなくとも、花梨はその提案を快く引き受けるつもりだった。
「いいよ。黒曜石の頼みなんて珍しいから」
 花梨がそう答えると、黒曜石に、すまない、と返される。そのやりとりに、桜も、ほっとしたような笑みを浮かべた。
 ただひとり、なずなだけが困ったような表情になる。
「あら、まあ。申し訳ないわ。私……」
「断るのはなしですよ。なずなさん。槐さんに話さないと決めたのは、あなたでしょう? ならば、これに関しては受け入れてもらいます」
 桜にそう釘を刺されて、なずなは渋々それを受け入れた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み