第四話 蛍石(二/四)

文字数 5,357文字

「以前、呪符と思われるものをお預かりしたと思います。由来くらいはわからないか、と調べていたのですが……そもそも、符を使った呪いはよくある――と言うと語弊があるかもしれませんが、比較的よくある形のまじないなのです。例えば、神社で授与しているお札。あれも一種の呪術ですから。しかし――」
 槐が取り出したのは、鳥が翼を広げたような形の化石だった。
「石燕……」
 花梨はそれを見て、そう呟く。槐はうなずいた。
「術というのは、信仰と不可分なところがありまして、基本的にそれぞれが信仰する対象の力を借りるものなのです。もちろん、長い歴史の中で習合し、分離し、複雑になっているものもありますが――何にせよ、その背景には必ず思想がある」
 槐はそう言うと、石燕を座卓の上に置いた。こと、と軽く音がする。
「音羽の術の根底には、霊体や気――俗に言う幽霊などの目に見えないものを、波だとする思想があります」
「波……?」
 花梨はそう聞き返したが、いまいち具体的なイメージを持てないでいた。かといって、他に何を問えばいいかもわからない。
 槐はただ、うなずく。
「そうです。時空を越えて伝わる波。ですから、海洋の古生物の化石。こういったものとは相性が良い。化石を依り代に魂を使役する術などは、音羽の本家に伝わっていたものとしては初歩でしょう」
 花梨は今度こそ何も言えずに押し黙った。槐の言葉が真実であるかどうかも――そして、それをどう理解すればいいかもわからずに、ただ戸惑う。
 そんな感情が顔に出ていたのだろうか。槐は苦笑した。
「とはいえ、これも曾祖父の残した手記の受け売りです。確かなことは、わかりません。行われた術が本当にうちに伝わっていたものと同じなのかどうか……判断するほどの知識を、私は持っていませんから」
 槐はそう言うと、あさっての方へ視線を向けた――いや、違う。彼が気にしているのは、石のある部屋の方だろう。
 槐はしばしそちらの方を見ていたが、ふいに困ったような表情になると、花梨の方へと向き直った。
「しかし、とにかくそういった理屈で、音羽家に縁がある、という可能性はあります。仮にそうだったとして、それなら曾祖父が残した石が役立てるかもしれません。そう思い、彼らに力を借りられないかと、話をしていたのですが……」
 その結果が、あの銀色の青年の反応か。花梨が察したことを感じ取り、桜は慌てて取り成した。
「もちろん、僕は花梨さんの力になりたいと思っています。他にも、力を貸してもいいという石はいるんですよ。けど……」
 勢い込んで話し始めた桜だったが、その声は徐々に力を失っていった。
「正直、そうは言っても、僕たちなんかより……それこそ、黒曜石さんの力の方が強いと思うんですよね。たとえ、そういう勘は鈍い方の黒曜石さんだとしても。その黒曜石さんが感知できないものを、僕たちができるか、というと――」
「……鈍い?」
 不服そうな声は黒曜石のものだ。しかし、姿を現すこともなく、それ以上は何も言わない。
 そういえば、桜は以前、自分には黒曜石のような力はない、というようなことを言っていた。先ほどの石がわざわざ、加工品、と呼んでいたことも気になる。
 確かに、黒曜石は鏃なのだから、加工品と言えば加工品だ。そういう意味では、翡翠もそうなのだろう。
 桜石は――確かに変わった鉱物だが、あくまでも自然のものとして珍しいだけに見えた。それに、少なくとも花梨には、特別に手を加えたようには思えない。
 鏃と勾玉。物は違えど、彼らはやはり特別なのだろう。
 花梨はふと疑問に思って、こうたずねた。
「黒曜石と翡翠さんの他は、その――」
 加工品、とはさすがに言いづらい。
「特別な力を持った石は、もうないのでしょうか」
 花梨の問いかけに、槐と桜はなぜか固まった。間を置いてから、お互いに顔を見合わせている。
「え? いや……まあ、その。いらっしゃらなくは、ないですけど……」
 なぜか、しどろもどろになる桜。返答も、明らかに歯切れが悪い。槐の方に戸惑った様子はないが、それでも、そのことについて言及することをためらっているようだった。
「石たちにも、いろいろな考えを持っているものがいますから」
 とだけ言って、槐はお茶を濁す。
 何にせよ、この様子ではそういった石たちに力を借りることは難しいということなのだろう。花梨とて、すでに黒曜石の力を借りている身だ。それ以上、無理強いするつもりはない。
 少し気まずい空気の中、声を上げたのは黒曜石だった。
「そもそも、他の石に助力を求めることはない。想定外の事態に不覚をとったが、私も同じ過ちをくり返すつもりはない」
 花梨はうなずいた。彼の言葉は何より心強い。しかし、同時に不安に思うこともある。
 このことが姉の失踪と関わりがあるのだとすれば、姉は今、どのような状況に置かれているのだろう。姿を消したのも、この厄災から逃れるためなら、まだいいが――
 花梨には、自分は勘のいい方だ、という自覚があったが、それに対して姉の方は、どちらかというと、そういうことには鈍かった。呪いや怪異などとは、およそ縁のない人だ。だからこそ、なおさら心配に思う。
 意図せずに、何か厄介なことに巻き込まれたのだとしたら――
 花梨はふと、店へ来る前に見かけた人のことを思い出した。意気消沈した姿が、想像の中の姉の姿と重なる。
「そういえば、ここに来る前に会った人が、妙な感じだったので、少し気になっているんです。嫌な感じ、というか、その人のまとう空気が、呪いと似ていた気がして」
 唐突な話題だったが、黒曜石はすぐに反応した。
「先ほどの女性のことか」
 花梨は槐たちにそのときのことを話す。しかし、黒曜石は彼女のことを、さして気にしていないようだった。
「あれは、それほど危険なものではない。呪符や石燕の呪いとは、全く別のものだ。少なくとも、他に害の及ぶものではない」
 その言い方だと、呪いではなくとも、彼女にはやはり、何かしらあるようにも思える。しかし、例の呪いと関係がないのであれば、黒曜石は花梨が関わりを持つことを良しとはしないだろう。
 花梨はひとまずうなずいたが、それでも釈然としない何かが残った。
「……そう。でもなぜか、どうしても気になって」
 以前の自分なら、あやしい物事は避けていたかもしれない。しかし、だからこそ花梨は、この直感で得たものに捨て置けない何かを感じていた。
 花梨の話を聞いて考え込んでいた槐が、そのときふいに口を開く。
「その方がいたのは、六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)の辺り、と。でしたら、あの場所は――」

      *   *   *

「あの」
 という呼びかけに、はっとして意識を取り戻す。ぼんやりしていた焦点が結ばれると、視線の先にあった信号は青から赤に変わるところだった。
 自分はまた、道も渡らずに横断歩道の前でぼんやりとしていたのか。すぐにそのことを理解して、苦笑した。もはやこの流れにも、慣れたものになっている。
 視線を転じると、いつか見た顔がそこにあった。少し前、同じような状況だったときも声をかけてくれた女の子。今も心配そうな表情で、こちらの顔をのぞき込んでいる。
「あなた、この前も声をかけてくれた子ね」
 そう言うと、彼女は黙ってうなずいた。その子が何かを言うより先に、すぐに言い訳めいたものが口をついて出る。
「大丈夫。本当に。ただ……最近、嫌なことがあってね。それでどうしても、ぼうっとしてしまって」
 この間のときも、そんなことをすげなく答えて、彼女とはすぐに別れたはず。しかし、今度はそうならなかった。彼女は立ち去ることなく、何かを言いたげな様子でこちらをじっと見つめてくる。
 なぜだろう。さすがにいぶかしく思って、顔をしかめた。その変化を鋭く感じ取ったのか、彼女は思いきったように口を開く。
「すみません。でも、どうしても気になって。もし、よろしければ、その理由を教えてはもらえないでしょうか」
 理由。そんなものはない。というより、自分でもわかっていないものを、説明などできはしない。
 それに、たとえ自分を心配してくれている相手であったとしても、そうやすやすと自分の身の上を話す気にはなれなかった。そもそも、なぜそんなことをたずねるのだろう。
「申し訳ないけど、見ず知らずの他人に話すようなことは何もないの」
 少し厳しい言い方になったかもしれないが、こちらも興味本位で詮索されたくはない。これで諦めるだろう、と思ったのだが、彼女はそれでも引き下がらなかった。
「ご迷惑なら、本当に申し訳ありません。あなたを困らせたい訳じゃないんです」
 彼女は少し言い淀む。それでも、その先を話した。
「私も、自分だけの力で何とかなると思っていました。ひとりでも、平気だと。でも、助けてくれる人が現れて、それでわかったんです。自分だけだったらきっと、どうにもならなくなっていた。それはきっと、今までだってそうだったと……」
 話を聞いていてふと、既視感を覚えた。彼女とは、もっと以前に言葉を交わしたことはないだろうか。しかし、いくら思い返しても、おぼろげな記憶は確かなものにはならなかった。
 彼女は苦笑する。
「すみません。勝手に自分のことを話してしまって。不快に思われたかもしれません。でも、もし私に何か、できることがあるのなら……」
 横断歩道の信号が赤から青に変わる。どうすべきかためらったが、そのときは自らの意志で渡らなかった。
「そう……ごめんなさいね。突き放すようなこと言って。私もどうしてこんな風になるのか、本当はわかっていないの。ただ、こうなった理由には、思い当たることがあるのだけれど……」
 いつの間にか、頑なだった心は多少やわらいでいた。既視感からか、それとも彼女の言葉が信じられると思ったからか。
 そもそも、彼女の立場からしてみれば、毎回のように茫然自失の状態で道に立っている人がいては、心配するなという方が無理なのだろう。もちろん、他人のことなど気にしない人だっている。しかし、少なくとも彼女はそうではなかった。
 ためらいつつも、こう切り出す。
「こんな話、何も知らない人に聞かせていいか、わからないんだけど」
 話してみようかという気になった。しかし、同時に話してもどうにもならないという諦めもある。たとえそれを話したとして、無意味に彼女を消沈させるだけだ。それなら、この心の内だけにしまっていた方がいい――
 そう迷ったが、結局は話すことにした。考えた結果ではない。流れに身を任せただけ。それだけ、自分は意志を欠いた状態なのだと、ふいに自覚する。
「最近、事故で……知り合いを――亡くして」
 目の前の道を車が走り抜けていく。
 特別な光景ではない。しかし、たとえばほんの一歩、ここから車道に出てしまったら。あるいは、車が道をそれてしまったら。
 あの人も、こんなことになるなんて思ってもいなかっただろう。不慮の事故だった。突然のことで、連絡を受けたときには、もう言葉を交わすこともできなかった――
 そのことを聞いても、彼女は驚いてはいないようだった。むしろ、知っていた、とでも言うかのように落ち着いている。少しだけ不思議に思った。
 とはいえ、ここまで口にしてしまえば、もうこれ以上明らかにすることはない。思っていることを、すべて話してしまう。
「交通事故だったの。車にひかれて。だからかな。こういう道を渡るのが怖いのは。無意識のうちに、怖がっているのかも――」
 怖がっている。そうなのだろうか。自分の口から出た言葉なのに、それにはあまり実感がこもっていなかった。それでも。
 ――確かに私は怖がっている。
 そう思った。しかし同時に、車が走っているだけでそんな風に思うだろうか、という疑問も抱く。子どもじゃあるまいし。毎日通っている道だ。不幸がないとは限らないが、それでも、そんなことをいちいち怖がっていては、まともに生活できないだろう。
 だからこそ、こうして心配されているわけではあるけれど。
「怖い……それはもしかしたら、この場所に関係があるのかもしれません。ここは、あの世とこの世の境、だそうですから」
 女の子はそう言った。思いがけないその言葉に、こちらはどうにも返答に困る。
 どうしてそんなことを言うのか。呆気にとられた表情をしていたのだろう。目の前の彼女は慌てたように、こう続けた。
「あ、いえ……その。そういうことにくわしい人に、そんな話を聞いて」
 どうやら、誰かの受け売りらしい。本気で言っているなら軽く正気を疑うところだが、この焦りようからいって、本人も奇妙なことを言っている自覚はあるようだ。
 あの世とこの世の境――
 その言葉の意味を深く考える間もなく、ふいに現実的な問題を思い出した。どれだけの時間、ここでこうして立ち話をしていただろう。いくつの青信号を、やり過ごしてしまったのか。
 ――そろそろ行かないと遅れてしまう。
 信号がちょうど青に変わるときだったので、そのまま一歩を踏み出した。
「ごめんなさい。私、そろそろ行かなくちゃ」
 そうして、小走りでその場を去った。最後に、声をかけてくれた彼女に向かって、話を聞いてくれてありがとう、とだけ言い残して。
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