第十四話 赤鉄鉱(一/五)

文字数 4,021文字

 単眼鏡を片手にしばらく手元に目を向けていた槐は、ふいに顔を上げると、目の前の花梨にこう告げた。
「これはおそらく黄水晶(きすいしょう)……英語名だと、シトリンですね――いや、バーントアメシストと言った方が、正しいでしょうか」
 槐の言葉に、花梨は首をかしげる。黄水晶にシトリンにバーントアメシスト。次々と発せられた単語に、理解が追いついていない。
 その反応に対し、槐は心得たようにこう続けた。
「色のついた水晶のうちでも、あざやかな黄水晶――シトリンは稀少です。天然のものだと茶色に近いものが多いので。ただ、一部の産地で採れるアメシスト――紫水晶(むらさきすいしょう)ですね。これに、加熱すると色が変わるものがあって、シトリンとして宝飾品に使われているのです。それがバーントアメシスト。宝石としては、そちらの方が比較的安価です」
 そう言うと、槐は花梨の手に、その石があしらわれた装飾品を返した。
 細い金色のチェーンの先で揺れているのは、小ぶりのペンダントトップ。楕円にカットされた黄色い透明な石の周囲には、七宝(しっぽう)――エナメルで色づけされたピンクの花と緑の葉が添えられている。
「ありがとうございます。これは――以前こちらにも来られていた柚子さんから、誕生日プレゼントとして送られてきたんです。価格をたずねるのは失礼かとも思ったんですが、宝石の価値なんてわからなかったので……高価なものだったら大変ですし」
 花梨はペンダントをそっとしまいながら、槐にそう言った。
「そうでしたか。お誕生日だったのですね。おめでとうございます」
 槐がそう言うと、その場にいた桜からも続けて、おめでとうございます、と声をかけられる。さらには、定位置にいる椿まで。少しぶっきらぼうではあるが。
 場所はいつもの店の座敷。成り行きとはいえ、こうして祝いの言葉をもらえるのは嬉しいが、やはり少々照れてしまう。花梨は思わずはにかんだ。
「ありがとうございます。柚子さんには確かに十一月とは伝えていたんですが、プレゼントをいただけるとは思ってなくて」
 花梨はそう言って、しまい込んだペンダントの方に目を向ける。
 シトリンは十一月の誕生石のひとつ。当然それに合わせたのだろうから、柚子はわざわざ花梨のために、このアクセサリーを作ってくれたのだろう。
 とはいえ、花梨は彼女に対して特に何もしていないし、誕生石の話はしていたが、何日かまでは伝えていない。にもかかわらず、十一月に入ってすぐ、簡単なメッセージと共に突然このペンダントが送られてきたものだから、花梨は驚いたのだった。
 彼女には、あのときのできごとが、よほど印象に残ったのか。それとも――
 何にせよ、柚子はその後も活動を続けているらしい。彼女には近いうちに直接会って、プレゼントのお礼を伝えなくてはならないだろう。
 花梨がそんなことを考えていると、黙って様子をながめていた椿が、ふいにこう言った。
「……まさかと思うけど、それ、私のときにも来るの?」
 椿は嫌がっている、というより、困惑しているように呟いた。花梨はその場にはいなかったが、椿もまた、柚子に誕生石の話をしたのだろうか。
「椿ちゃんは何月生まれ?」
「一月」
 ならば、もし誕生日プレゼントが届くとすれば、あと二か月ほど先になる。そして、おそらく椿の元にも、それは贈られるのだろう――そんな気がした。
 一月の誕生石はガーネット。すぐに思い浮かんだのは深い赤色の石。その色は、何となく椿に似合っているようにも思う。
 そのとき、ふと思い出したように槐がこう言った。
「私も小耳に挟んだだけなのですが、彼女にこの店のことを教えた知り合いの――アンティークショップで、場所を借りて作品を販売していらっしゃるそうですよ。一度行ってみてはいかがでしょうか」
 柚子にお礼を伝えなければならないと思っていたところだったので、その話は花梨にとっても渡りに船だった。
 期間限定のショップが中止になったこともあって、花梨は結局、彼女の作品を見せてもらえてはいない。そのあとも、いろいろと忙しく疎遠になってしまっていた。これをきっかけに会いに行くのもいいだろう。
 そう思案していた花梨に、槐はさらに続ける。
「そのアンティークショップも、おもしろいお店ですよ。店主の方が博識で。よければ、場所と連絡先もお教えしましょう」
 槐とも知り合いらしい、アンティークショップの店主。この店のことを知っているらしい人物となると、そちらの方も少し気になる。
 花梨は槐のその提案にうなずいた。
「ありがとうございます。うかがってみます」
 そのときふいに、桜がはっとしたように立ち上がった。視線を玄関の方に向けてから、槐の方を振り返ってこう告げる。
「誰か来ましたよ。槐さん」
 それだけ言うと、桜は返事を待たずに部屋を出て行った。

 桜が連れてきたのは、高校生くらいの少女だった。
「こんにちは。お久しぶりです」
 彼女は槐と顔を合わせるなり、そう言って頭を下げる。少女を出迎えた槐は、おや、と驚きの表情を浮かべながらも、こう返した。
「宮古さんのところの――お久しぶりですね。いらっしゃい。今日は……おじいさんは一緒ではないようですが……」
 槐はそう言いながら、少女の背後に目を向ける。それに合わせて――どうも、と少女とは違う声の、素っ気ない挨拶の言葉が聞こえた。花梨にはその姿は見えなかったが、この声はもしかして――
「ええ。用があるのは私なんです。お時間よろしいでしょうか」
 少女がそうたずねると、槐は招き入れるように座敷の中を示した。
「かまいませんよ。ただ、先客の方が――ご同席いただいても?」
 少女はそこで初めて、花梨のことに気づいたらしい。にこりと笑って、こう名乗った。
「こんにちは。初めまして。宮古(みやこ)(あかね)と申します。こっちは弟の葵――って、ご存知みたいですね」
 茜の後ろから顔をのぞかせて、葵が会釈した。花梨は軽くうなずいてから、あらためて少女に――茜に向き直り、名乗り返す。
 茜は花梨をじっと見つめると、ふいに――ああ、と呟くと、何かに思い至ったように、こう話した。
「もしかして、例の――問題があったとき、話を聞いてもらったっていう方ですか? その節はお世話になりました。うちの愚弟がご迷惑おかけして……申し訳ありません」
「愚弟って」
 茜の言葉に、葵は呆れたようにため息をつく。花梨は苦笑した。
 葵とは以前、水石の収集家である宮古老人と一緒だったときに、この店で初めて会っている。そのあとも、とある少女と菊花石の騒動のときに話をしたが、どうやら、そのとき話題になった双子の姉が目の前にいる彼女のようだ。
 花梨は茜とは初対面だが、彼女の方はこの店のことをよく知っているらしい。とはいえ、槐の口振りからすると、いつもは宮古老人とともに来ていたようだが――
 花梨が茜に席を譲ったので、彼女はすすめられるままに槐と向き合う位置へ座った。葵は何だか渋々といった様子で、茜の少し後ろに腰を下ろす。
 この日に店を訪れた目的は終えていたので、花梨はその場を辞そうとした――が、その前に槐に呼び止められる。何でも、渡したいものがあるのだとか。給仕に行ってしまった桜が持っているというので、それならば、と部屋の端で待たせてもらうことになった。
 割り込んでしまってすみません、と茜にひとこと声をかけられる。座敷に五人も集まるとさすがに少し手狭だからか、椿は入れ替わりでさっさと出ていってしまっていた。抜け目がない。
 ひとまず落ち着いてから、茜は槐にこう切り出した。
「今日は、折り入ってお願いしたいことがありまして、こちらにうかがいました」
 先をうながす槐に、茜はこう続ける。
「どうか、この店にある不思議な力で、友人を助けていただきたいんです」
 槐は虚をつかれたような表情で固まった。彼にとって、それは思がけない頼みごとだったようだ。
 不思議な力――というのは、あの石たちのことを言っているのだろう。しかし、槐の反応からすると、それは本来、彼女の知るはずのないことらしい。
 茜の後ろで小さくなりながら、葵がぼそりとこう言った。
「……すみません。この前のこと――その、吐かされました」
 葵が茜に、吐かされた、と言っているのは、もしかして煙水晶のことだろうか。夢をのぞき見る力――葵自身がそれを体験したわけではないが、確かにあのとき、葵はその場に居合わせていた。
 言葉選びが不服だったのか、茜はむっとした表情で振り返る。
「何て言い方してんの。私が無理やり聞き出したみたいでしょ」
「無理やり聞き出したんだろ」
 かしこまっていた茜の態度が少し崩れる。もしかしたら、これが素なのかもしれない。
 しばらくは黙って様子をうかがっていた槐だが、ふいに苦笑を浮かべると、観念したように口を開いた。
「不思議な力、ですか。確かにうちには、そういった力を持つ石があります。しかし、万能なわけではありませんよ。おじいさんからは、どのようなことをお聞きになったのですか?」
 宮古老人は、特別な力を持つ石のことをある程度知っているらしい。槐の問いかけに答えたのは、葵だった。
「たいしたことは聞けてません。はぐらかされたんで。まあ、今にして思うと、ここに来るときは、たまにおかしなこと言ってた気がしますね。うちのじいさん。正直、取り合ってなかったんですけど」
 その言葉に、茜はけげんな顔をした。
「そんなこと言ってたっけ?」
 葵は肩をすくめて、こう答える。
「この店の石みたいに、うちのもしゃべらんかなあ、とか。もしも、うちの菊花石が人の姿になるなら、さぞ美人だろうなあ、とか……」
 その言葉に、茜は顔をしかめた。
「何言ってるの。うちの菊花石は、人になんてならなくたって美人でしょ」
「おまえこそ何言ってんの……」
 茜はそこで、自分がいる場所がどこであるかを思い出したらしい。気まずそうに咳払いすると、あらためて槐に向き直った。
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