第五話 針鉄鉱(二/五)

文字数 4,256文字

「何にせよ、稀少なものですよね。日本でも、もっと宝石が採れればいいのに」
 柚子は残念そうにそう言った。
 話の間隙に、花梨は思いきってたずねてみる。
「その、基本的なことかもしれませんが、鉱物と宝石って、どう違うんでしょうか」
 答えたのは槐だ。
「鉱物とは、天然に産する結晶構造を持った無機物の個体を言います。そのうちの、装飾品などに使われるような美しい見た目の石を、宝石と呼んでいるのです。宝石にはっきりとした定義はありません。鉱物でなくても、宝石として扱われているものもあります」
 その話を受けて、柚子は身を乗り出してまで、こう主張した。
「私は、宝石って輝いてこそ、だと思うんですよね。煌めく華やかさこそ、宝石の良さですよ。貴重だとか相性だとか、そんなことは抜きにして、見てキレイって思えるのが一番重要かと」
 槐は苦笑しつつも、うなずいた。
「なるほど。きれいな石――というと、あなたが身に着けていらっしゃるそれも、古くから宝石として扱われている石ですね」
 槐の指摘に柚子はああと呟くと、胸元にあったペンダントを手に取った。
 彼女が身につけていたのは、不透明な空色の石だ。あざやかな色の中に、少しだけ茶色の線が混じっている。
 取り巻く金属には簡単な彫刻が施されているが、少しくすんでもいた。ただ、簡素な革ひもで提げられているのも相まって、素朴な印象を与えている。
 槐はこう続けた。
「トルコ石。数千年の昔から、宝石として装飾品などな用いられた石です。トルコを経由してヨーロッパに広まったために、その名がついたとか」
 柚子はそれを手にしながら、少し肩をすくめる。
「さっきお話したアンティークショップの店主からもらったんです。トルコ石は繊細な石。そういうものの扱い方を学んだ方がいい、とか何とか。ちゃんと本物だって言ってました」
「トルコ石は模造石が多いですからね。もともと脆い石ですので、全く加工のされていない天然のものは珍しいようですが……」
 槐のその言葉に、柚子は気のない返事で応じている。どうにも、彼女の言うキラキラする宝石に比べると、熱の入り方が違うようだ。
「私の誕生石だからってのもあったんでしょうけど……でも、私はやっぱり、透明感のある石の方が好きなんですけどね。まあ、今となっては、愛着はありますが」
 ふと疑問に思って、花梨はこうたずねた。
「そういえば、誕生石っていうのは何かいわれがあるんですか?」
「生まれた月の誕生石を持つと加護がある、とか。そんなことをよく言うかな。でも、まあ……比較的流通している宝石が選ばれてるし、ジュエリー業界の陰謀?」
 柚子はそう答えたが、いまいち自信はなさそうだ。槐は苦笑している。
「由来としては、『旧約聖書』や『新約聖書』に記載されている十二の宝石からだという説がありますね。今の誕生石は一九一二年にアメリカの宝石組合が広めたことが始まりですから、商業的な意図がないとは言い切れませんが」
 この話には柚子も、へえと感心している。
「ところで、あなたの誕生月は? 聞いてもいい?」
 柚子が問いかけるので、花梨は素直にこう答えた。
「十一月です」
「じゃ、誕生石はトパーズとシトリンか。黄色の石。ビタミンカラーって、元気が出る感じで、いいよね。まあ、トパーズはピンクやブルーもあるけれど――と」
 柚子はそこで、何かに驚いたように話を止めた。視線は部屋の壁掛け時計に向いている。思いがけず時を過ごしてしまったことに、ふと気づいたものらしい。
 あらためて自分の腕時計を確認し、彼女はこう切り出した。
「思ったより長居してしまいました。申し訳ない」
「こちらこそ、お引き止めしてしまいました。お時間、大丈夫でしたでしょうか」
 槐の言葉に、柚子は表情を曇らせる。
「時間は別に、問題ないんですけどね。暗くなってから、あの橋を渡るのがちょっと嫌で……」
「橋を?」
 渡る、という言葉に、花梨は引っかかった。少し前、道を渡れずにいた人がいたことを思い出したからだ。
 思いがけず花梨が深刻そうな顔をしたからか、柚子は慌てて言い訳する。
「大したことじゃないの。笑わないでくださいね。最近、その橋を渡るとき、決まって何か聞こえるんです。声のようなものが。別に何ということはないんですけど」
「もしかして、それは一条の戻橋、ですか?」
 そうたずねたのは槐だ。柚子は虚をつかれたような顔で、槐を見返す。
「そう。そこです。よくわかりましたね」
 驚く柚子を正面に見据えると、槐は少し考えてから、こう話し始めた。
「あの橋には逸話が多いんです。そもそも戻橋の名は、天台宗の僧である浄蔵(じょうぞう)が、死に目に会えなかった父の葬列にその場所で祈ったところ、一時的に死者がよみがえった――戻った、という伝承が由来です。仏教説話集の『撰集抄(せんじゅうしょう)』にあります。また、『平家物語』の剣の巻にある、渡辺綱が鬼を切った話も有名ですね」
「それでたまに観光客がいたんですね」
 柚子は納得したようにうなずく。槐はさらに、こう続けた。
「それから、橋占(はしうら)の逸話が――」
「橋占?」
 花梨は聞き慣れない言葉に首をかしげた。
「橋占は辻占の一種。橋で往来の人の言葉を聞き、それによって吉凶を占うものです。特別に戻橋で行わなければならないということはありませんが、『源平盛衰記(げんぺいせいすいき)』にこんな話があるのです」
 槐はそこで居ずまいを正した。
「中宮建礼門院(けんれいもんいん)の出産の際、一条戻橋で橋占が行われたのですが、そのときに安徳天皇(あんとくてんのう)の即位と――最期を予言する童子の歌が聞こえてきたそうです。その童子は安倍晴明が一条戻橋の下に隠していた式神、十二神将の化身である、と」
 以前であれば、花梨はそれをただの物語として受け取っただろう。しかし、石たちの存在を知ってからは、そうやって切り捨てることもできない。少なくとも、花梨はそう思った。
「読み解いてみますか? その声の意味を」
 槐の問いかけに、柚子は呆気にとられたような表情で、こう返した。
「このお店、実はスピリチュアル系?」
「スピリチュアル……?」
 首をかしげる花梨をちらりと見て、柚子は肩をすくめた。
「パワーストーンとか、ヒーリングとか、そういうの」
 それだけ言うと、柚子は考え込むようにうつむいてしまった。しかし、考えていても仕方がないと思ったのか、ひとつうなずくと、決心したようにこう答える。
「まあ、いいや。ちょっと気味悪く思ってたところですし、わかれば安心ですよね。でも、どうやって読み解くんですか? 声の内容なんて、覚えてないんですけど」
「わかりました。少々、お待ちください」
 そう言って、槐は席を立つ。しばらくして戻って来た彼は、石を手にしていた。
「こちらは、針鉄鉱(しんてっこう)という鉱物です」
 槐はそう言って、その石を柚子へと差し出した。
 白い部分に囲まれた中心に、黒い針のようなものが密集しているような石だ。当然、あの部屋にある鉱物のひとつだろう。
「地味、ですね」
 柚子のひとことに、槐は苦笑する。
「針鉄鉱は、鉄の酸化鉱物。いわゆる自然の鉄サビです。褐色の塊状のものが多いのですが、こちらはその名のとおりの針状の結晶を有した個体です」
 柚子はその針鉄鉱を槐から受け取った。それを確認して、槐はさらにこう告げる。
「こちらをお貸しいたします。橋で声をお聞きになったら、もう一度、これを持っていらっしゃってください。その声を読み解いてみましょう」
 柚子は、はあ、と気のない返事をした。しかし、それも仕方がないだろう。鉱物と橋占。普通であれば、それを結びつけて考えたりはしない。
 しかし、彼女が渡されたのは、特別な鉱物。きっと、柚子の言う不思議な現象が何かを知るために、力になってくれるに違いない。
「あ。これ、取り扱いに注意することとか、あります?」
 柚子の問いかけに、槐は首を横に振った。
「うちの石は少し特殊でして、そう簡単に損なわれたりしませんよ。ご安心ください」
 槐の言葉に、柚子はうなずいた。とはいえ、石を借りることについては、いまいち納得できていない様子だ。
 それでも、彼女はこう言った。
「わかりました。まあ、ショップの準備とかで近くに来ることもあるでしょうし。橋で声を聞いたら、また寄ります」
「ええ。いつでもどうぞ」
 柚子は借り受けた針鉄鉱をていねいに鞄にしまうと、今度こそいとまを告げて、店を去っていった。近いうちに、また来店することを約束して。

      *   *   *

 すぐそこに橋がある。
 戻橋――死者がよみがえった橋。鬼が切られた橋。そして、予言の橋。いつも通っている橋なのに、そんな話を聞いた後だと、どこか不気味なものに思えてくる。今までは何てことはない橋だと思っていたのに。
 また、あの声は聞こえるだろうか。いつもなら聞こえませんように、と祈るところだが、こんなことになってしまったあとでは、むしろ聞こえない方が都合が悪い。
 何とも複雑な思いで、柚子は戻橋を渡り始めた。そうして、橋の半ばまでたどり着いた、そのとき。

 えじきをもとめさまよふキツネ……ししむらくはへてカラスは木の上……

 聞こえた。確かに、いつもよりはっきりと。
 柚子は思わず立ち止まる。そして、景色でもながめるふりをして、その声に耳を澄ませた。どうにか、その意味を聞き取れないものだろうか。そうやって必死になって耳を傾けると、曖昧だった声が少しだけ聞き取りやすくなった気がする。

 すぐれて美しきその御身……御こえ一節聞かまほしうこそ侍れ……

 柚子は思わず顔をしかめた。
 全然わからない。声は聞き取れても、それが意味するところは全く読み取れなかった。
 そもそも、この声の言っていることに、本当に意味などあるだろうか。キツネだのカラスだのでは、たとえそれが予言なのだとしても、たいした内容があるようには思われない。少なくとも、あの店の店主が話したような、深刻なできごとを示しているということはないだろう。
 やはりこれは、子どもの歌声か何かが風に乗って聞こえているだけに違いない。一度は否定したそんな疑いが、ふつふつと沸き上がってくる。
 柚子はその場を離れた。これ以上、ここにいても仕方がない。声は聞こえたのだから、近くに行く用があるときにでも、あの店に寄ってみよう。それで何がわかるとも思えないが。
 柚子はそう考えると、声のことは忘れて戻橋を渡りきった。ショップのオープンまでもう日がない。やることはたくさんある。意味のわからない声になど、構ってはいられなかった。
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