第40話 take off thy mask

文字数 5,185文字

 接近するふたつの足音を聞き取って、その兵士は帯剣に手をかけた。
 ラムザスベル都市軍の装いをするが、彼は長い手(リングヒンゼ)に所属する人間だった。今宵こうして霊術薬保管庫の警備に当たるのは、全て彼と同じくロードシルトの私兵たちなのだ。
 剣祭での負傷や、都市に押しかけた見物客らが起こす騒動の対処として、現在酒蔵には貴重な霊薬が集積されている。個人としてみればひと財産以上のものであり、不心得者が悪心を起こしてもおかしくはない。

 ――というのが、表向きの理由だった。
 この保管庫にはごく一部の者しか知らぬ地下通路があり、ラムザスベル公はそれを用いて、秘密裏の動きを見せる様子なのである。
 長い手(リングヒンゼ)の面々も真相は知り及ばぬが、おそらくラーガムという国の腐った上層部を一掃し、ロードシルトが玉座を得るべくの一手に違いなかった。彼らは一様に、忠節を捧ぐ主が過日の汚名を雪ぐことを願っていた。
 礼を尽くし、聖剣を招聘(しょうへい)したのもその画策のうちであろう。かの少年はクランベルから離れ、新たな都市を築く人物である。新王の右腕として申し分ない。
 酒蔵出入口の番とは栄えぬ仕事であるけれど、ロードシルトの栄光に繋がると信じる場を任された長い手(リングヒンゼ)の士気は高い。ゆえに、殺意も高かった。探る者を生かして返さぬ心地をいずれもが備えている。

「よう」
「止まれ。この敷地は都市軍以外の立ち入りを禁止している。ただちに退去せよ。警告に従わぬ場合、殺害も認可の内である」

 だから夜更けの闖入者が発した気軽な声へは、抜剣を以て対処した。
 足音の主は、青年と少女のふたり組だ。
 青年は杖を携え、袖なしの長外套を羽織っている。どちらへも術的装飾が施され、まず霊術士で間違いなく思われた。
 少女の方は小柄でまだ(いとけな)く、年頃は十をいくつか越えた程度と見える。仕立ての良い衣服に身を包み、霊術士のマントの裾をぎゅっと握り締めていた。主従とするには付き従う風情だから、面差しは似ないが兄妹か何かであろうか。

「おっと、話が通ってなかったか? オレはここへこいつを連れてくように、ラムザスベル公から言いつかっているんだが」

 青年は少女の背に手を添えて、前に押し出すようにする。不安げな瞳が長い手(リングヒンゼ)を見上げた。

「そのような通達は……」

 受けていない、と言い切りかけて、彼はばちくりと瞬きをした。まるでふと、うたた寝から覚めたような仕草だった。

「聞いてるだろ? いつもの手段で、連絡が来たはずだ」
「あ、ああ。そういえば、確かに。すまない」

 慌てて剣を収め、兵士は謝罪した。
 こうも重要なことをどうして忘れていたのかと、首を振って訝しく思う。そういえば先ほど、通行人を装った仲間が暗号を落としていったのだ。これよりラムザスベル公が必要とする人間が(おとな)うので酒蔵に入れろ、と。

「いいさ。だが悪いと思うなら、謝罪代わりに中のお仲間へ事情を伝えてもらえるか。二度手間、三度手間の説明はごめんだぜ。それにいきなり剣を抜かれれば、オレだって肝が冷える」
「ああ、そうしよう」

 野放図に伸びた前髪を鬱陶しくかき上げて、青年はにっと笑った。頷くと兵士は背を向け、内部の仲間たちへロードシルトよりの客人の来訪を伝える。
 訝しげな声を上げる者もいたが、どうやら彼らもど忘れをしていたらしく、少女を見るなり通達を思い出して(・・・・・)口々に青年に謝罪した。彼は、「いいってことよ」と大雑把にそれへ応じ、

「それより我法使い様はどこだ? 念のため顔を出しておきたい。挨拶を欠かすと、角が立ちそうだからな」
「アイゼンクラー殿ならいつも通り、地下水路の側にいらっしゃる。例の扉からだが道順はわかるか?」
「大丈夫だ。案内は不要さ」

 出入口警備の者たちに見送られ、ふたりは酒蔵の中へ入り込む。マントの裾を掴んだまま少女がぺこりと一礼し、常になく和んだ心持ちで、長い手(リングヒンゼ)たちは手を振って返した。

「いやあ、いやいや、やるじゃねェか、ネス公」

 蔵の扉が閉じられ、外部に声が漏れぬ位置まで移動すると、セレストはばしんと景気よく少女の背を叩く。

「! !!」

 勢いにつんのめりかけながらも踏ん張って、ネスは胸を逸らすと、ふん、と得意げに鼻息を吐いた。
 長い手(リングヒンゼ)たちの明らかに奇妙な反応は、全て彼女によるものである。
 封入式霊動甲冑を操るべく、ネスは強い同調能力を保持していた。
 巨大にして自在に機能する体に恐るべき動力を備えた鉄の巨人は、しかし一切の意志を持たず、そのままでは指一本とて動かさない。これへ一種憑依に近い形で接続し、代替の意志となるのが甲冑繰りたる彼女の役割なのだ。
 しかもこの同調能力は器物ならぬ生命体、つまりは人間へも及ぶ。彼女は他者へ接続し、その記憶と認識を書き換えることができた。

 無論、精神崩壊を生じさせたり、人格を書き換えたりといった多大な干渉は禁忌とされている。倫理的な理由ではなく、ネス自身が同一の影響を被るためだ。対象の意識に深く潜れば潜るほど自他の精神境界は曖昧となり、感情や記憶は混濁して共有される。ゆえに同調中の他傷は自傷と同義なのだ。もし深く愛や憎悪を焼きつけたなら、自身も同じだけの感情を対象へ(いだ)く羽目になる。
 だがちょっぴり心の表層を触る(・・)程度ならば、ネスへの負荷は甚く軽度である。
 誤った認識を思い出させる、初対面を既知と勘違いさせる、敵意や警戒を慰撫する、なんとない厚意を抱かせるといった仕業はお手の物だった。
 そして心は、かすり傷が自然治癒するさまに似て補完と修復を行う。埋め込まれた錯覚は自己欺瞞の覆いを纏い、外部からの指摘がなければ違和感すら覚えられないものと成り(おお)せるのだ。

「いつもの手段で」や「我法使い様は」といった、特定するようでいて不分明(ふぶんみょう)なセレストの物言いは、これを理解して補強する舌先だった。
「こっから先も、その調子でよろしく頼むぜ」
「!!!!!!」

 実に利便な才と見えるが、しかし母国で彼女が忌み子扱いされる理由もここにある。気づかぬうちに我が心を変質させうる存在を、一体誰が信じ、また愛そうか。
 けれどそうしたことに、まるで頓着しないのがセレストだ。
 ぐしぐしと頭を撫でられ首をぐらつかせつつも、ネスは満足げに口元をほころばせた。

 彼らアーダルの三名がラムザスベルへ着いたのは、夜も更けてからのことである。 
 界獣魔獣の活動が活発化する夜間、出入りの口を堅く閉ざすのが都市としては通例だ。しかし剣祭の最中(さなか)にあるラムザスベルは、昼夜問わず外壁の門を解放している。無論多数の都市軍を配置して、安全を保障した上での処置だった。他都市には真似のできない振る舞いで、これもロードシルトの力の一端を見せつけるものと言えよう。

 とまれこのお陰で、セレストたちは朝を待たずに都市に入ることが叶った。
 到着した彼らがまず着手したのは、居留地にいる隊商たちへの接触である。セレストたちはアーダルの意向を受けて動く存在であり、それを証し立てる書面もある上、ミカエラの騎士という身分が強い。
 彼らが探る隊商消失事件は都市と商団の死活に関わることでもあり、積極的協力を得るのは容易だった。
 王女としての名は出せないが、ここにネスの同調とアーダルが置く駐留官の下調べとが加わって、調査はたちまちに捗った。
 以後の手腕はミカエラの面目躍如と言えよう。彼は消えた隊商が、いずれもラムザスベルにマーダカッタなる霊薬を運んでいたことを突き止めた。その効能は酩酊による喪神。ひどく心の働きを弱らせる薬物であり、都市によっては流入を拒む品であった。
 遭遇したあの奇態な死を考えあわせ、商団の死は口封じを兼ねたこの薬品の効能実験とミカエラは判断。
 悪事に用いられるに相違ない霊薬を破棄すべく、これが保管されるロードシルトの酒蔵への襲撃を企てた。

『もう少し調べを続けておきたい。となると私は同行できないが、可及的速やかに対処したい件ではある。頼めるかね、セレスト』
『問題ねェよ。オレは特別だからな』

 ミカエラの歯切れの悪さは我法使いとの遭遇を危惧したものだったが、セレストは言下にこれを切り捨てる。

『傍若無人の君にこそ、法が発現するべきと思うが』
『オレにゃ無理だな。オレは先を考えて、駄目なら次の手を考えちまう性質(たち)だ。悪く言や、諦めちまうのさ』
『ままならぬものだ』

 内実を知る弓使いは案じ気味に嘆息し、そこでネスが霊術士のマントの裾を掴んだ。

『もう夜も深ェぞ。いつまでも起きてないで、ガキはとっとと寝ろ』
『!! !!』

 邪険に振り払われかけるが、少女はしがみついて離れない。

『そうか。ではネス君、セレストは君に任せたい。頼めるかな?』
『!!!!』

 そこへミカエラが割り込んで、過保護な騎士としてはあるまじき放言をした。

『おい!』
『逆に尋ねたい。君が単身で赴いたとして、酒蔵にはどう潜入するつもりなのかね?』
『そりゃお前……なんかこう、上手くするさ』
『! ! !』
『却下だ。大雑把すぎる』

 結局実利面で説き伏せられ、セレストはネスの同伴を余儀なくされたのだった……

 だが最後まで渋ったその結果が、現在の上首尾なのだ。
 ここは機嫌を取っておくべきだろうと、望まれたままに手を引きながらセレストは思う。飴玉如きで釣れるのだから、子供ってのは安いものだ。
 しかし巡回に我から声をかけ、ネスの惑わしと口先で情報を引き出しはするものの、目当てとするマーダカッタは影も形も見当たらない。ここに移送したというのは、相棒が調べ上げた確かな話だ。
 脳内に内部の間取りを焼きつけながら、セレストは思案する。
 ――なら怪しいのはやっぱり地下水路、例の扉ってとこか。
 そちらには我法使いがいると知れている。なるべくなら近づきたくはなかったが、今後の行動を考慮するならもう少し手掛かりの欲しいところだった。

「ネス公」
「?」
「もうちょい散歩を続行だ。キツくなったらすぐに言え。絶対に今できる以上の無理はするな。もし不調を黙ってたらオレが死ぬと思え」
「!!」

 念押しにこくこくと頷くのを見届けて、セレストは歩みを早めた。これまでの観察と聞き取りから、例の扉とやらの場所は見当がついてる。近づくほどに巡回兵の気配も増え、憶測が正解であることを示していた。
 これだけの数になると、ネスひとりでの対応は困難だ。さてどうしたものかと足を止めたところで、

「何者だ!」

 背後から厳しい誰何(すいか)が響いた。前にばかり気を取られ、後方への注意が疎かになっていたのだ。胸の内で舌打ちをしつつ、セレストは両手を上げて振り返る。

「何者とはご挨拶だな。こないだ(めん)を通したろ」

 彼の言葉に合わせて、ネスが同調を執行した。見えざる意識の手で兵士の精神表層に触れ――直後、異常な感触を覚えて彼女は身を竦ませる。
 接触した途端、眼前の兵士の心が不気味に変質したのだ。それはまるで冬の始めの湖面に張る氷のようだった。一見丈夫に見えて、足を乗せればたちまちひび割れ、その下には暗く冷たい水が渦巻いている。それは巣穴に潜むひどく恐ろしいものを刺激してしまった感覚だった。
 突如身を引いて青ざめたネスに異変を察し、セレストが身構える。
 ほぼ同時に、兵士の顔がぐにゃりと歪んだ。人格標本の仮面を剥され、露わとなった精神に相応しく肉体が変質を開始したのだ。

「なななんだだだこれれれは。なににををををした、むすすすめめ」

 ごきごきと骨格ごと組み変わり、老人の相貌へと変形しながら兵士が呻く。
 それが大樹界で骸を晒した隊商たちの死に顔だと、ミカエラがグレゴリ・ロードシルトだと告げた(おもて)だと気づくなり、セレストは詠唱を棄却して炎弾を放った。拳大の呪弾が青白く灼熱を纏って飛び、兵士の頭部を消し飛ばす。
 が、ひと呼吸遅かった。

「アアイゼンンンクラアアァァァ!」

 断末魔に似てそれは大音声(だいおんじょう)を発し、これを聞きつけたか前方から、凄まじい破壊音が発される。
 あまり想像したくはないが、過日大樹をへし折った鎧の男を思い浮かべれば憶測は容易だった。即ち、我法使いが酒蔵の壁を打ち破り、一直線にこちらへ走り来る物音である。
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