第12話 迎撃の爪牙

文字数 6,700文字

 ディルハディの死より、時はしばしを(さかのぼ)る。
 カヌカ祈祷拠点に起きた火の手を察知したのは、千里眼のイツォルではなくカナタが先だった。隠行術の維持に彼女を専念させるべく、自然な役割分担で八方目(はっぽうもく)に周囲を探っていたのだ。

「警戒!」

 カナタと同時に低く鋭い声を発したのは、前方哨戒を担当していたミカエラである。
 弓使いが一指したポイントは、何の変哲もない平原の一部としか見えない。だがまるで彼の所作に応じるように、直後、その地点から轟音と共に高く土煙が吹き上がった。
 空に砂塵を舞わせる何かは、地中に身を潜ませたまま驀地(まっしぐら)に一行へと迫る。

「気づかれてる……!?」

 その様に、イツォルが動揺を漏らした。
 彼女の術式により、一行は不可視どころか認識不能のはずである。
 それを裏付ける事実として、彼らは一度として魔軍と矛を交えぬままに魔城へと肉薄していた。
 高速度での移動には術の展開が追いつかぬ為、徒歩を余儀なくされてこそいるが、それでもセム家の隠行術が大幅な時間短縮の立役者である事に間違いはない。
 しかし地を泳ぐものの挙動は、明らかに一同を認識してのものとしか思えなかった。
 
「光も音も匂いも、全部遮断してるのに……」
「ならそれ以外で視て(・・)るんだろうよ。魔族ってのは一種一体の多様性がウリだ。おかしな目を持ったのがいても不思議じゃあねェ」

 杖を携え、セレストが一歩進み出る。応じてネスが、彼を守護する盾の位置へと陣取った。
 
「どうにもこいつァ、謀られたらしいぜ」

 霊術師は黒煙を吹き上げる祈祷拠点に目を走らせ、それから面倒くさげに前髪をかき上げた。

「オレたちが十二分に離れるのを待っての祈祷塔襲撃。でもって援護には行かせねェとばかりのあの土煙野郎だ。どうやらあちらさん、攻められる気満々だったようだな」
「どうします? 戻りますか?」

 剣の柄に手をかけながら、カナタが迷いを吐く。
 祈祷塔を破壊されれば、封魔大障壁の維持は覚束無い。それは魔軍の大規模進行を妨げる(すべ)の喪失であり、塔の防衛は最優先に属する事項だ。
 しかし迫撃する地中の魔もまた、端倪(たんげい)すべからざる存在のはずだった。
 五王六武の一角たろうこれに対処しつつ駆け戻り、その上での防ぎが果たして間に合うか、どうか。

「迷うな。我々は既に放たれた矢だ。速度を緩めるべきではない」

 首を振って見せたのはミカエラで、セレストもそれに首肯する。

「確かに祈祷塔をぶち壊されりゃあ、こっちの守りは御破算以下だ。だがよ、逆に考えろ。祈祷塔と引き換えに魔皇の首級を頂戴すれば、そいつで釣りが来るってもんじゃねェか」
「そういう事だ、クランベル君。今は惑うべきでも、悔いるべきでもない。迷いは判断を遅らせる。双方が得られないのであれば、一方を確実に手にすべきだ」

 奥歯を噛んで、カナタは頷く。
 祈祷拠点では今頃、魔軍との戦端が開かれているだろうと思われた。あそこで過ごした数日のうちに、親しくなった者たちがいる。新しく得た思い出がある。
 だがそれらは今、全て噛み殺すべき感傷だった。

「お利口さんだ。護符は忘れてねェな?」
「はい」

 表情を見極めてからのセレストの言いに頷き、カナタは自分の腕飾りを撫でる。
 それは相互の位置のみを指し示す導石(しるべいし)とは異なり、設定した複数の波長を感知するセレストお手製の術具であった。探知距離はごく短いが、このような状況下においては使い出がある。

「じゃ、この場はオレらが引き受ける。お前ら二人は先に行け。後で合流するとしようぜ」
「セレストさん!?」
「わたしは、全員で当たるべきって思う」

 カナタとイツォルの抗議の声に、セレストはひらひらと手を振り、

「今回の魔皇様はよ、どうも力を温存してやがるフシがある。何を狙ってるかは知らねェが、一秒与えりゃその分多く魔軍を生むのが魔皇だ。ちょいと先行って削りを頼まァ」
「それに、相手は随分と大柄のようだ」

 言いながらミカエラは指の股に矢を生み出し、番える。
 狙い定める先は砂塵の発生点に他ならない。彼の視力は、その中に潜む長大な影を見抜いていた。

「白兵戦主体の君たちでは相性が悪かろう」
「ま、相性云々ならうちのネス公が真っ先なんだけどな。とはいえこの図体が、屋内で暴れまわる方が難しい」

 カツンと杖でネスの装甲表面を叩き、セレストがにいっと口の()を釣り上げる。

「万一の信号が消えたなら、そいつは護符を落としたか、命を落としたかだ。無駄ない期待は抱かねェで、戦力から除外して進め。為すべきだけを考えろ。いいな?」
「……はい。皆さん、どうかご無事で」
「おいおい、城に突入すんのはお前らだぜ。危ねェのはそっちこそだ」

 男どものやりとりの横で、イツォルがそっとネスの装甲に触れた。

「きっと、また後でね」
「!!」

 任せておけ、とばかりに封入式霊動甲冑が巨大な両の拳を打ち合わせる。
 そうして駆け出したカナタとイツォルの後背を守るべく、砂煙へ向けて三人は身構えた。

「じゃ、ご挨拶といこうか!」

 セレストの杖が、地を突いた。彼の操作領域内に存在する霊素が爆縮され、数十の炎珠(えんじゅ)として半実体化する。
 次ぐ杖のひと振りで降り注ぐそれらが、地中の魔には見えているようだった。水を泳ぐが如き自在さで左右にうねくりながら爆炎の悉くから身を(かわ)す。
 この回避運動の隙を射抜くのが、ミカエラ本来の役である。だがしかし、彼は弓を引き絞ったまま放てない。さしもの強弓も、大地を穿ち貫くほどの威は備えない。土石という分厚い盾ごしにこの魔へ痛痒を与えるのは不可能だ。
 手を(こまね)くうちにも砂塵は迫り、そこから鞭のような影が走った。

「!!!」

 これに反応したのはネスである。
 一同をまとめて薙ぎ払わんとしたそれを間一髪両の腕で受け止めて──鈍く恐ろしい金属の軋みと共に、高硬度を誇る盾篭手(シールドガントレット)が打撃の形に陥没した。
 強打を加えた影は瞬きの間に引き戻され、そうして地の底から、艶やかな女の声音が響いた。

「我は皇に身命捧げ奉る五王が一、アーンク」

 巻き上げられた土埃(つちぼこり)と、炸裂した炎の余韻。
 二種のベールが薄れやがて姿を見せたのは、深い紫の鱗を煌めかせる長大な蛇体である。ネスを打擲(ちょうちゃく)した影の正体は、大人のふた抱えでも追いつかぬほどに太いその尾であった。

「低き者、我が紫鱗(しりん)破る事能わず」

 二股の舌をちらつかせながら、蛇が宣誓をする。
 告げてもたげた鎌首は、ネスの巨体より更に高く高い位置にあった。

(たい)らにしてあげる。骨も肉もわからないくらいに(ひら)たくしてあげる。叩いて潰して広げて伸ばして、真っ平らにしてあげるわ」



 *



 カナタとイツォルが踏み込んだ魔城。その回廊は急ごしらえとは思えぬ程に広く高く、そして滑らかに磨き抜かれていた。
 しかし不審この上ない事に、イツォルが如何に目を凝らそうと、どう耳を澄まそうと、魔軍の伏兵どころか罠のひとつすら見当たらない。内部構造も至極単純で、まるで攻められる事を想定しないかのような有り様である。
 最前線に築かれた拠点としてそれは有り得ぬ話であり、つまるところ回答はひとつだった。
 誘っているのだ。
 牙城へ踏み込む愚者たちを、魔皇の御許(みもと)へと。

 その推論の正しさとイツォルの目を保証するように、道中一切の障害はなかった。念の為に施していた隠行術も無駄打ちでしかなかった。
 しかし霧を押すように手応えのないまま二人がたどり着いた、皇の間の前。まるで戦闘に誂えたかのような広間となったその場所に、待ち構える者があった。
 それは褐色の肌をした、人の似姿だった。
 ただし背丈は人間よりも半身ほども高く、そして三面六臂(さんめんろっぴ)を備えている。だらりと下げた六手のいずれにも抜き身の利剣を握り、鎧兜ではなく緩く巻き付けた布を衣服としていた。
 
 カナタとイツォルは、素早く目を交わす。
 周囲を圧する武威からして、あれが五王六武の一角であり、皇の守護者であるのは疑いようがない。
 干戈(かんか)に及ぶは必定で、ならば隠身を利した如何なる奇襲を仕掛けるか。それが無言の会話の中身であった。
 だが。

「来たか」

 三面六眼の全てがかっと眼光を放った。その視線は確実に二人の姿を絡め取っている。

「カナタ」
「了解」

 囁いて、イツォルは隠行を解除。
 カナタは曲刀を、イツォルは短槍を俊敏に抜き放ち、並び立って身構える。

「きみも最初から気づいていたの? こうも続けて見破られると、自信をなくす」
「すまないな。自分は人間の三倍ほど、気配に敏感なようでね」

 愚痴めいたイツォルの呟きに、魔は律儀に応じた。言いながら、器用に三面全ての片目を瞑って見せる。
 切り結ぶ一瞬前の、ほんの束の間の諧謔(かいぎゃく)
 だがその空気を読まずに、或いは読んだ上で完全に無視をして、イツォルが駆けた。
 霊術による強化を施した肉体の瞬発力は風さながらで、繰り出される穂先は稲妻のようだった。

気忙(きぜわ)しい事だ」

 しかし彼女の襲撃に、三面の魔は易々と反応した。二剣がこれを迎えて鮮やかに捌き、体の崩れたイツォルへ、更なる一刃が突き立てられる。
 無論、彼女とてただの小娘ではない。詠唱棄却により中空に簡易障壁を展開。魔族の剣撃が打ち砕くまでの僅かなタイムラグのうちに立て直し、大きく飛び下がる。
 その退避と交錯して前に出たのがカナタだった。
 注意の大凡(おおよそ)をイツォルに奪われていた魔族であるが、それでも死角から振るわれた一刀を辛うじて受け止める。

 何の合図もなしに恐ろしく息のあった連携を披露したカナタとイツォルであるが、彼らの出自を考えれば、これに少しの不思議もない。
 二人の故国(ここく)たるラーガムでは、個ではなく(むれ)としての力を重視する。古くから練磨され続けてきた、1と1の和を十に変える戦いのメソッドが下地として存在するのだ。

 この背景に加えて、何より聖剣の特性がある。
 近接戦闘において聖剣の性能を最大限に発揮し、また支援する為には、第二の本能めいて体が覚え込んだ阿吽(あうん)の呼吸が必須とされるのだ。
 故に、その地点を完成形としてカナタとイツォルは計画的に育てられた。
 二人が年の差のほぼない幼馴染であるのも、幼少時より揃って武術の指南を受けたのも、寸分違わぬ戦術的思考の研鑽を積まされたのも、いつしか互いに淡い思慕を抱くようになったのも。
 全てが周囲の誘導と計算によるものである。
 誹謗(ひぼう)する向きもなからぬ仕業であるが、それだけに二人は以心伝心であった。

 しかし如何に精妙な連携を行おうとも、無謀であり無意味だ。干渉拒絶を備える上位魔族には奇襲も速攻も通用しない。
 通用するはずがない。本来ならば(・・・・・)
 今一度、逆接を用いよう。
 しかし──ここにクランベルの聖剣という要素が加わるならば話は異なる。

「──(しこう)して、吼え猛れ!」

 圧縮詠唱による聖剣抜刀。
 カナタの握る曲刀を、黄金の粒子が陽炎めいて取り巻いた。
 それはかつてこの地に召喚され、そして根付いた他世界人の編んだ擬似霊術式。異界の(ことわり)に立脚し、異界の血脈を有するものだけが起動しうる秘法であった。
 冠された聖剣の名は伊達ではない。
 斬伏のみに練られたその牙は、上位魔族の干渉拒絶を不完全ながらも噛み破る。

「おお!?」

 魔族が、驚愕とも感嘆ともつかぬ叫びを上げる。
 続くカナタの曲刀を受けた瞬間、彼の刃が甲高い響きと共に破砕されたのだ。
 聖剣抜刀とは刃身の強化のみを意味しない。意を込めて聖剣化した刃を振り抜けば、およそひと呼吸の間、空間に斬線が滞留する。それは振るわれた一刀の反復再生(リピート)であり、それこそが聖剣という霊術式の真骨頂、時間的に連続する斬撃であった。
 滞留剣閃は、高速で回転する鎖鋸(くさりのこ)さながらだ。
 接触は無数の剣撃を浴び続けると同義であり、魔族の得物があっさりと砕け散ったのもこれが故であった。
 三の太刀、四の太刀。
 息もつかせぬ猛攻に、魔族はただ退るより他にない。聖剣に防ぎは通用しない。斬線の檻に追い立てられ、六手の六刃は次々に斬り破られる。

「これがクランベルの聖剣か。傍目(はため)に見ると味わうでは、物が違うか……!」

 たまらず後方へ逃れようとした魔族の足へ、飛来するものがあった。
 床を舐める軌道で投じられたのは錘付き投げ縄(ボーラ)だ。
 前衛を交代(スイッチ)するのと同時に得物を持ち替えたイツォルの仕業である。聖剣の軌跡が消失するタイミングを熟知しきった彼女ならではのアシストだった。
 三叉の縄の先端それぞれに付けられた(おもり)により投網めいて縄先が広がり、魔族の膝下(しっか)へと絡みつく。即座に発動した干渉拒絶により慣性が消失。完全に絡め取るには至らない。
 しかし挙動に生じた一瞬の遅滞を、カナタが見逃すはずもなかった。
 踏み込みの速度は閃光。
 三面の首元を、その刃がひと薙ぎにする。
 黒血が、激しく噴き上がった。
 干渉拒絶と無限回の一撃がせめぎ合い──身を翻して、魔族は辛うじて斬首を免れる。だがすかさず返しの刃が閃いて、魔族の首は、今度こそごろりと床に転げた。
 そこまでを見届けてから聖剣を解除し、

「カナタ!?」

 カナタは、がくりと膝を突いた。 
 慌てて駆け寄るイツォルに、「大丈夫だよ」と笑みを見せる。だがその(おもて)には、明らかな苦しみがあった。呼吸は整わず、鼓動は不規則な早鐘を打っている。意識の焦点が定まらない。全身が熱を帯び、多量の発汗が生じていた。
 聖剣の執行とは界境を歪め、異界の(ことわり)を召喚し続けるのに等しい振る舞いである。
 クランベルの一族は自身が世界的異物であるのを利して、この術式より生じる負荷を軽減していた。
 だが9代目の呼び名が意味する通り、最早カナタを流れる異世界の血は薄い。この世界と親和した彼の身に、聖剣抜刀は多大な負担を強いるのだ。

「少しだけでも休まないと」
「いや、駄目だよ」

 気遣わしく額を拭ってくれる幼馴染みに、けれどカナタは首を振る。

「嫌な予感が膨らんでやまないんだ。セレストさんに言われた通り、今は()くべきだって思う」

 消耗を顧みない、正統詠唱を経ずにしての聖剣抜刀。それは斯様に判断したが為の拙速であり、なればこその強引であった。
 イツォルは深く嘆息し、諦め顔で手を差し伸べる。
 彼は意固地だった。昔から。普段は意気地がないと見えるほどに穏やかなのに、一度決めたら鋼のように曲がらないのだ。
 小さく「ごめんね」と呟いて、カナタは縋って立ち上がる。

「行こう」
「ん。魔皇はあの扉の──」

 通路の奥を指さそうとしたイツォルの動きが凍りつく。
 遅れて理由を察したカナタが、彼女の肩を離れ、曲刀を握り直した。

「どこへ行こうというのかね」

 そこに立ち塞がるのは三面六臂の魔であった。
 最前、確かに斬り捨てたはずの魔族であった。

「名乗りと、そして宣誓が遅れた事を詫びよう」

 にい、と魔族は唇を釣り上げる。

「我は皇に身命捧げ奉る五王が一、ナークーン。この身、二度(ふたたび)の死にて葬る事能わず」

 空の六手が構えを取る。ぞろりと、彼の五指の爪全てが捻くれながら伸びた。黒く太く厚く鋭い、それは猛獣の鉤爪だった。
 カナタとイツォルが、思わず半歩を退(しりぞ)く。
 気圧されたのだ。一度は下した、この敵手に。
 
「実にわかりやすいだろう? 我が皇に目通(めどお)り願うなら。もう二度ほど、この首を打ち落とす事だ」

 まるで親切であるかのように告げて、ナークーンは三面全ての片目を瞑って見せた。
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