第17話 援軍・後

文字数 5,303文字

「セレスト様」

 ラーフラを目の端に捉えたまま、娘はやわらかな瞳を霊術師へ向けた。
 利き手を開き、握り締めていたものを露わにする。

「こいつァ、ネス公の」
 
 手のひらにあったのは各々の居場所を知らせる為の、セレスト手製の護符だった。
 差し出してから霊術師の状態に気づき、ケイトは会釈して謝罪する。身を屈め、彼の足下にそれを置いた。

「道中でネスフィリナ様にお会いしましたの。お陰で迷わずここへ馳せ参じれましたし、状況も聞き及んでおりますわ」
 
 場にそぐわぬ、奇妙にふわりとした空気を漂わせる娘だった。
 だがラーフラの物言いが確かならば、この娘が、この娘こそがアプサラスの確定執行。魔王の馬鹿げた干渉拒絶を無効化し、ただ一撃に討滅できる人類の切り札なのだ。

「……お前が、あの(・・)ウィリアムズなのか?」

 セレストの確認に、少女は「あ」と手を口に当て、

「いけません。名乗りを忘れておりましたわね。はい、肯定ですわ、セレスト様。わたくしがその(・・)ウィリアムズです」
「そうか」

 複雑な感情が、彼の胸中で渦を巻く。
 これは確かに光明だった。自分たちが助かる為の、魔皇を討つ為の、人が勝利する為の。
 だがその光に縋るのは、この少女に死ねと命じるのと同義だった。
 しかし。

「ご安心くださいな」

 セレストの瞳から一切を汲み取って、ケイトはにかむように笑んだ。

「覚悟なら、もう随分と前に済ませております。わたくしには素敵な思い出がありますわ。その為になら、命だって惜しくはないのです。ええ。わたくし、ここへ死にに来ましたの」
「……」

 朗らかとも言える表情で告げられて、それ以上は何も言えなかった。
 そもそもこの場において、最早魔皇と戦いうる者は彼女の他にない。最初から、全てをこの少女に託すしか道はないのだ。
 セレストはただ唇を噛む。そこへ、黙していたラーフラが割って入った。

「ひとついいかな、ケイト・ウィリアムズ」
「なんですかしら、魔皇様」
「テラのオショウは、どうした?」
「置いてきましたわ。だってオショウ様はこの戦いに、この世界の戦いに、本来関わりのない人ですもの。わたくしが守るべき方ですもの」

 臆病にも似た細心からの問いへ、真っ正直にケイトが答える。
 魔皇は意外めいた表情になって顎を撫で、それから深く嘆息をした。

「なんと評したものか。己の不利を顧みずにここへ飛び込んできたのもそうだが、君は大分、正義感と直情径行が強いようだ」
「先走ってばかりですわ。お恥ずかしい」
「いや、賞賛のつもりだよ。私はそれを美しいと思う。君はいい目をしている。覚悟を決めた、実にいい目をしている。だが無駄だ。悲しいかな、無駄なのだ。君は私に届かない。何故ならば」

 直後魔皇はその爪で、自らの手首を縦に掻っ切った。
 滴り落ちた黒血は瞬く間に(かさ)を増し、床に血の池を形成。と見るや黒い水面(みなも)は不吉に泡立ち、そこより百鬼万怪が生まれ出る。忽ちに魔軍が、雲霞の如く皇の間にひしめいた。

「塞き止めていたのだ。全てはこの時の為に。ただ一時(いちどき)に、我が軍勢を解き放つ為に。数もまた力だ、ケイト・ウィリアムズ。君という質に、私は量で対抗しよう」

 ラーフラが、魔軍を用いての侵攻を行わなかった主たる理由がこれだった。
 確定執行のウィリアムズ。この一族が伝える必倒必滅の霊術は、魔皇にしてみれば最大の脅威である。しかしながらこれを執行しうるのは生涯にただ一度きりであり、対象もまた、ただ一体のみに限られていた。
 そこを突くならば、対応は不可能ではない。
 ウィリアムズという恐るべき個を、無量の群れですり潰してしまえばよいのだ。
 無論、ただ数に任せるでは駄目だ。広域殲滅能力を備える他の人類精鋭が、そのような仕業を許すまい。よってウィリアムズを一同から切り離し、孤立させる必要があった。
 アプサラスの王城を襲い出立を遅滞させのも、見定めに赴いたパエルに飛空船の撃墜を優先するよう命じたのも、(ひとえ)にケイトと他の合流を遅らせる為である。
 これらの策を全て覆してきた不確定因子こそがオショウだが、その姿は今、ここにない。
 そしてセレストたち一行は、既に戦力として数え得ぬほどに傷ついていた。
 状況は概ね、魔皇の掌上にある。

「卑劣な……!」

 どうにか身を起こしたカナタが、ラーフラを睨みつけて叫ぶ。幼く美しい正義感を抱く彼にとって、魔皇の振る舞いは到底捨て置けぬものだったのだろう。
 だがラーフラは、ただ呆れの素振りで肩を竦めた。

「必勝を求める戦に正々堂々など、愚か者の振る舞いだ」

 言い放たれて、カナタは唇を噛む。徹底して実利のみを追う魔皇の姿勢はひとつの真理だ。現状を顧みれば、その正しさに揺ぎはない。
 だが途切れた抗議の代わりのように、しゃらんとひとつの()が響いた。
 それはケイトの抜剣である。

「お詫び申し上げますわ、セレスト様、カナタ様、ミカエラ様、イツォル様。本当なら方々の治療に当たるつもりでいたのですけれど、どうやらそうはいかないようです。わたくし、これからあれを抜けなくてはなりませんの」

 掲げた剣先で無数たる魔軍を示し、ふんわりと娘は笑う。
 その姿はあまりに無力と見えた。
 だが彼女は、一瞬たりとも首を垂れはしなかった。

「万難を排して貴方にたどり着きましょう、魔皇様。こう見えてもわたくし、少々(たしな)んでおりますのよ?」

 言うなり、ケイトが駆けた。
 阻まんとまとわりつく小鬼の胴を圧縮詠唱による呪弾で撃ち抜き、振るわれた大鬼の拳を最小動作で避け切ると、すれ違いざまに刃を振るってその足の筋を切り裂く。
 一々止めを刺すような遅滞は犯さない。
 転げた小鬼は足下の障害として迫る隊伍を乱せるし、膝を突いた大鬼は後方からの射線を遮る壁として利用できる。機動力を軸とするオショウを参考にした、彼女なりの戦術だった。
 自身の速力強化のみではない。ケイトの武装は、いずれも微かに青く燐光を帯びている。聖剣抜刀には格段に劣るが、霊術強化により打撃力を、切断力を増しているのだ。女の細腕で大立ち回りが適う理由だった。

 そうして(はしこ)く、彼女は駆け続ける。
 大鰐の頭を踏み台に獣人の牙を躱し、奇岩兵の肩を蹴って更に跳躍。中空で身をひねりながら呪弾を掃射し、着地地点を確保しつつ(おの)が枝を投げ槍の如くに引き(つが)えた人樹を牽制する。
 おっとりとした見かけとは裏腹の、獅子奮迅の振る舞いだった。
 数ばかりの魔軍はこの機動に追随できない。
 ただ一人で軍勢をかき乱し、ケイトは魔皇までの(なか)ばを走破する。
 もし生み出された魔が有象無象ばかりであったなら、彼女は宣言通り、ラーフラに肉薄していた事だろう。
 だが、そうはならなかった。

 疾走するケイトの前に、五つの影が立ちはだかる。
 それは五指から刃の如き爪を伸ばした三面六臂であり、鋼鉄の如き鱗と毒牙を備えた大蛇であり、四足の獣の下半身に人の上半身を備えた半人半獣であり、不吉な赤色(せきしょく)紋を蠢かせる鉄塊であり、幾億本もの鋼線めいた毛髪から形成された人体の模倣であった。
 ナークーン。アーンク。パエル。ダーント。バール。
 魔城で、飛空船で、ラーガムの王都で。
 それはこれまでに屠られてきた五王の複製であった。
 無論体躯はふた回り以上も小さく、力量もまた落ちるのだろう。けれど単身のケイトにとって、それらは十二分過ぎる脅威だった。

 恐るべき速度で迫った半人半獣の横殴りの一撃が、ケイトの側頭部を襲う。強烈な打撃に兜が宙を飛ぶ。首が折れなかったのは僥倖(ぎょうこう)でしかない。
 跳ね飛ばされながらも、ケイトは勢いを利用して自ら床を数転。どうにか(たい)を立て直す。結わえ髪が解け、動きにつれて大きく広がった。
 その懐へごろりと転がり込んできたのが鉄塊だった。
 何の予備動作もなく、その随所から鋭い突起が槍の如く伸びる。咄嗟に受けた盾が、強化も虚しく粉砕された。刺突の威力はなお減ぜず、鎧を激しく打たれて彼女は大きく押し戻される。
 更に続いたのは三面六臂だった。暴風雨めいた三十爪が、ケイトの剣と鎧とをずたずたに斬壊していく。
 朱の舞う空間へ、人体模倣が加わった。自らの構成を解き上半身をひとうねりの太い縄に変じると、周囲の魔軍ごと彼女の胴を薙ぎ払う。
 障壁は間に合わず、また回避の(いとま)もなかった。
 小柄なケイトの体がふたつ折りになり、そのまま壁面へと打ち付けられた。衝撃に息が詰まる。無防備になった後頭部が叩きつけられ、一瞬とはいえ意識が飛んだ。
 反作用で跳ね返ったケイトは前のめりに倒れ伏し、彼女を中心とした半円を、十重二十重(とえはたえ)に魔軍が囲む。
 速度による攪乱(かくらん)で多対一の戦況をどうにか凌ぎ、誤魔化していたのだ。その足が止まればどうなるか。後の事は自明だった。

 彼女の窮地を認識しつつ、けれどセレストもカナタも動けない。
 魔軍はケイトのみならず、満身創痍の彼らへも群がっていた。自らと仲間たちへの爪牙を防ぐのが手一杯で、それ以上の動きがとれない。
 彼ら両名ともが、ケイトが即座に切り込んだ理由を理解していた。それが魔族の注意を引き付ける為の、自分たちを庇う為の行いだと把握していた。
 だからこそより一層に、内心の忸怩(じくじ)と絶望は深い。

「──まだですわ」

 それでも。
 それでも、ケイトは折れなかった。
 強がりでしかない言葉と共に、魔軍の先のラーフラを見る。
 床に手を突き身を起こし、しかし独力で立ち続けようとして果たせずに、よろめいて背を壁に預けた。
 それでも、自身に治癒を施さない。残る力のひと雫まで、前進の為に振り絞るつもりだった。魔皇を霊術の距離に捉えさえすれば、それで一切合切は決着するのだ。

「まだ、まだですわ!」

 徒手空拳のまま。
 自らを鼓舞し、震える足を叱咜し、ケイトは顔を上げた。血に(まみ)れ、傷に塗れ、それでもきっと瞳を据えた。
 気圧されたように、包囲の輪が半歩広がる。
 希望があるのでも、伏せ札があるのでもなかった。最後まで足掻いてやろうと、足掻き抜いてやろうと居直っただけの事だった。
 ほんの一瞬だけ、とても大きくて頼もしい人の顔が胸を過ぎる。
 なんだか、可笑(おか)しくなった。自分で置き去りにしてきたくせにここで思い浮かべるだなんて、どうにも都合のいい話だと思う。けれどそのお陰で、少しだけ心が軽くなった。
 我知らず彼女の口元に、年頃の微笑が浮かぶ。

 けれど、現実は無情だ。
 如何に崇高な信念も美しい理想も、望んだ結果を約束しはしない。
 直後、五王の影のひとつが動いた。
 忌まわしく体をうねくらせ、大きく(あぎと)を開いた蛇の狙う先は、白く細い首筋だった。
 その動きはケイトも知覚している。してはいるが、反応できない。最前のダメージが大きすぎた。体が頭についていかない。柔肌に毒牙を突き立てんと、足下(そっか)まで這い寄った蛇影が跳ねる。
 ケイトの命があわや風前の灯火と見えた、その時。

 ずん、と下腹に響く鈍い衝撃が走った。
 破砕音と同時に、ケイトが背にしていた壁から腕が突き出た。厚い石壁から生えたそれは、蛇の喉首をむんずとばかりに掴み止める。
 貫かれた箇所から放射状に、壁面を亀裂が駆けた。それは忽ちに拡大し、驚くほど他愛なく石造りは崩壊。皇の間に新たな出入り口が設けられる。

「何だ! 何が起きている!?」

 状況を終始(たなごころ)に収めていたラーフラが、初めて動揺と驚愕を漏らした。
 だが答える者はない。ありえぬ光景に、誰もが目と言葉とを奪われていた。

 もうもうと上がる粉塵。
 ぱらぱらと飛び散る砂礫(されき)
 それらを全く意に介さず、腕が動いた。ケイトを避けつつ縦横無尽に、捕らえたままの蛇体を振るう。
 本体より小型化しているとはいえ、この蛇は片手に収まりきる首回りをしていない。
 だが腕の(ぬし)は、まるで柔らかな果実であるかのように鋼の鱗へ指を沈ませ鷲掴(わしづか)む事でこの無法を可能とした。
 その上で掌握部位を握り潰してしまわぬよう力加減を(・・・・)しながら(・・・・)、五王の影を己が得物として、鞭の如くに取り回しているのである。

 周囲の魔軍は或いは硬質の蛇体に打たれて倒れ、或いは腕の暴虐に怯えて下がり、ケイトを中心とした空白が拡大する。
 のそりと、そこへ闖入者の大きな影が進み出た。
 絶息した蛇を投げ捨てる胸元に、導石(しるべいし)の光が揺れている。
 ──オショウであった。
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