第13話 真夜中の太陽

文字数 5,986文字

 セレストたちは、一方的な防戦を強いられていた。
 理由はアーンクの機動性にある。
 何らかの霊術的働きにより彼女は自在に地中を泳ぐ。崩落や隆起といった影響を全く地表面に及ぼさぬ為動きは読めず、土に遮られてセレストの炎もミカエラの矢もネスの盾篭手も届かない。
 でありながら、アーンクの側は正確に一同を認識し、或いは硬質の尾を振り回し、或いは毒液を噴きつけるのだ。
 結果彼らは後手に回り続け、干渉拒絶の攻略どころか、ただの一打擲(いちちょうちゃく)すら困難な状況に陥っている。
 彼女の攻防いずれにも利する、この平原こそがアーンクの城塞であった。
 直接的な打撃はネスが壁となって受けはしているものの、アーングの蛇尾は攻城兵器めいた大質量の破壊として作用する。
 美しい鏡のように磨き抜かれていた霊動甲冑の装甲は、最早見る影もなかった。ひしゃげ、窪み、ただアーンクの乱打の威を知らしめるオブジェと成り果てている。限界は遠くない。
 そのネスへと吐きかけられた毒塊が、中空に生じた炎に阻まれた。セレストの炎壁である。高熱と気流とが毒を焼き、無害なレベルにまで分解、四散させた。
 如何に強固を誇る大甲冑といえど、可動の為に、呼吸の為に、装甲へは隙間を設けねばならない。そこから内部へと液毒が浸透すれば操縦者が危ぶまれる。防御を徹底せざるを得なかった。

 舌を打って、セレストは苛立ちを(あらわ)にする。
 確かに防いではいる。今のところ防げてはいる。だがこれは綱渡りだ。一瞬でも反応が遅れれば、戦いの天秤があちらへと傾けば、忽ちに切り崩される薄氷だ。
 感情のままにお得意の広域殲滅術でも放ちたいところだが、しかし土中に(とん)じられてしまえば効果は薄い。それどころか(いたずら)に火と砂とを巻き上げて、魔族に攻めの好機を差し出すばかりとなりかねない。
 何より腹立たしいのは、この状況が魔族の掌の上である事だ。
 アーンクは知悉している。
 このままじりじりと締め上げていけば、いつか人は集中を切らすと。切らして、致命的な失態を犯すのだと。
 故に地中より漏れ聞こえるは言葉ならず、ただ艶然と笑い声。

「勝ち誇りやがって……クソうぜェ女だ」

 歯噛みするセレストを尻目に、ミカエラはただ立ち尽くしていた。
 後天的に強化された視力で趨勢(すうせい)を睨みつつ、彼は思考していた。思考し続けていた。
 無為徒労としか思えぬ防戦を、それでもセレストとネスが継続したのは、(ひとえ)にこの弓使いの観察眼と頭の回転を信じたればこそだった。
 自身の放つ矢と等しく。ミカエラの策は常に最短距離を最速で、狙い過たずに飛び抜ける。

「セレスト、火だ。炎を、我々の傍に」

 だからこそ唐突な指示にも、霊術師は戸惑わなかった。相棒の言いに無意味はないとの信頼がある。
 杖のひと振りで彼らの周囲を炎の壁が取り囲み、途端、アーンクの攻勢が静まった。

「???」
「熱、さ」

 ネスが怪訝に甲冑の首を傾げる。火炎に炙られ汗を浮かべながら、ミカエラが簡潔に応じた。

「イツォル君が言っていたろう。光も音も匂いも遮断していた、と」

 防戦の間、彼はそこに含まれぬ知覚を想定していた。そうして魔族の動きと照らし合わせ、帰着した回答がこれだった。

「セレストの炎珠による初撃。あれを掻い潜った直後の一打は、思えば随分と大雑把なものだった。あれは当たるを幸いに薙ぎ払ったというよりも、当たれば幸いの部類だったのだろう。要するに、君の炎で()が眩んでいたというわけさ」
「まあ簡単に言えば、だ」

 意地の悪い笑みで、セレストが額に貼り付いた前髪をかき上げる。

「こっちだけが目隠ししてる時間は終わりって事でいいんだな?」
「ああ。君が火を絶やさずにおけば、あちらとしても土を出て、本来の視覚に頼らざるを得ないはずだ。盲撃(めくらう)ちの類はするまいよ。何故なら地中の彼女は我々よりも低い(・・)。ご自慢の鱗の強度も知れたものになってしまうわけだからね。対応されて自らが害を被るような振る舞いは避けるはずだ」

 推量めかして言いながら、ミカエラはアーンクの攻撃パターン変更を確信している。
 恐らく、彼女は怖がりか痛がりだ。手傷を負う事をひどく忌み嫌っている。でなければ尾ばかりに頼り、毒液を滴る牙を一度たりとも用いない理屈がつかない。
 噛めば当然頭部晒す。動きも止まり、そこへ反撃を受ける可能性が生じる。
 既に指摘したように、地中の彼女は一行の誰よりも低い。干渉拒絶を十全に発揮しないその紫鱗は、防御として万全でないという判断であるのだろう。
 だが結果から言えば、彼女は攻めにこそ全力を傾けるべきだった。僅かな傷を危惧したが為に、自分の手札を見抜かれる事態に陥ってしまった。

「しかし油断は禁物だぞ。我々はあれを引きずり出せる。だが、引きずり出しただけに過ぎない」
「その通りよ」

 苛立ちを隠せぬ声を発したのは、今度はアーンクだった。
 地表に蛇体の全てを晒し、薄く制御されて立ち昇る炎壁越しに、憤懣(ふんまん)(たぎ)った視線をミカエラに注ぐ。

「随分しつこくしぶとく粘るけれど、人間にできるのはそれくらいよ。死ぬまでの時間がほんの少し伸びたくらいの事だわ」

 言うなり、魔族はその身をくねらせた。
 網膜に像を残す、戦慄すべき速度である。推して量るべきだった。土をかき分け地中を泳ぐものの動きが、障害の皆無たる地上に出た時どうなるかを。
 彼女は、より自在に地上を横行する。

「ち、速ェ!」

 咄嗟にセレストが放った火球は、殆どが魔族の後方に着弾。僅かに的中した数発も、生じた干渉拒絶により微塵の被害も及ぼせない。鎌首をもたげたアーンクは、彼らよりも遥かに高い。
 炎の壁を無傷のままに突き抜け、迎え撃つネスの巨体をフェイントひとつですり抜けて、大きく開いた口がミカエラへと迫った。

 ──ふむ。

 胸中、弓使いはひとつ頷く。
 憶測の通りだった。この魔は痛みに弱い。肉体的にも、精神的にも。
 何もかもを見抜いたような物言いでプライドを(えぐ)ってやれば、己の心を傷つける存在として、即ち最優先攻撃目標としてアーンクは自分を認定するだろう。そのようにミカエラは考えていた。
 よって、ここまでの全てが彼の想定の上だった。

 ミカエラ・アンダーセンの視力はイツォル・セムに劣る。遠くを見るという、その一点のみにおいて。
 彼の神眼が真価を発揮するのは斥候でではなく、戦闘においてだった。
 強化された広い視野は戦場の如何なる顔色も見逃さず、挙動に先立つ全ての予備動作を看破する。あらゆる所作から心理を見抜き、半ば未来予知めいた行動予測を達成するのだ。
 弓とは、射撃から着弾までに時間的誤差を生じる得物である。それを百発百中の域に修正するのが彼の眼だった。

 だからこそ、弓使いは動かない。
 既に番えた矢をきりりと引き絞り、けれど放たず動かない。
 怯えて竦んだのでも、反応できずに逃げ遅れたのでもない。己が身を顧みながらでは、決して有効打を与えられぬと断じての行為だった。
 魔族の(あぎと)が眼前に至る。鬼灯(ほおずき)めいて爛々と光る目。毒液にぬらつく牙と、蠢く舌。暗く湿った喉の奥の深淵までもを彼は見る。

 ──宣誓の穴だ。破れないのは鱗だけ、なのだろう?

 そして、交錯。
 ほぼ零距離で射られたその一矢は、見事アーンクの片目を貫いていた。
 同時に、左腕が食い千切られた。
 直後、眼球を襲った激痛に魔族は絶叫。口中から吐き出された腕が平原に転がり、まるで横倒れした酒瓶のように血液を(したた)らせる。
 ミカエラの誤算とは、それだった。

「ぼさっとしてんじゃねェよ、ミカ公」
「……君は、一体何をしているのだ」

 突き倒された姿勢のまま、ミカエラは隻腕となった霊術師を見やる。
 魔族の片目と引き換えに深手を負うはずだった弓使いを救い、そして片腕を失ったのは、割って入ったセレストだった。

「オレは片手でも問題はねェ。けどよ、お前はそうもいかねェだろうが」

 激痛があるだろうに、セレストの声は(つね)と少しも変わらない。眉一つ動かさぬまま、彼は杖の頭を傷口に押し当てる。肉の焦げる匂いが立ち込めた。傷を焼いての、強引な止血だった。
 不幸中の幸いを述べるなら、それはアーンクの牙は綺麗に腕を切断していった事だろう。毒はうっすらと塗布された程度のもので、注入されたわけではない。この荒療治でも十分な消毒となる。

「!!!!」
「問題ねェ。後できちんと施術する」

 淡々と告げる彼の姿は、視界の半分を奪われ、屈辱と激痛にのたうち回るアーンクと全くの対照だった。臨戦態勢を保ち続けるセレストと異なり、魔族の身悶えは重傷を加味しても無様なほどだ。
 それは、これ以上ないほどの隙であり、好機だった。
 故にミカエラは問答を切り上げる。
 そもそもこの困った男が、言葉での感謝など受け取るはずがないのだ。本人は返せとも言うまいが、この借りはいずれ別の形で返礼するまでの事だと割り切った。

「ネス公、ミカ公!」

 セレストの視線が空を示し、そして杖の先がアーンクの頭部を標的する。意を汲み取って、二人は即座に行動を開始した。
 先陣を切ったのはミカエラの矢である。
 不規則な頭部の動きを読み切った偏差射撃が、魔族の残された片目へと集中した。
 カウンターであった先の一矢とは違い、アーンクの防ぎもある。そうそうに射抜けるものではない。だが一度刷り込まれた痛みと恐怖とは根深く、それらは鎖の如く絡みついて蛇体の動きを鈍らせる。
 そこへ、

()が高ェよ、蛇公」

 嗤笑(ししょう)と共に、大量執行された炎珠が上方から降り注いだ。
 火炎は鱗の表面で爆裂し爆裂し爆裂し爆裂。咄嗟に鎌首をもたげたが故に致命打こそ受けなかったものの、アーンクは衝撃で地べたに打ち据えられる。
 鱗は傷つけられずとも、そこに加わる力自体は有効なのだ。

「おのれ!」

 人に封殺される屈辱に、アーンクが呻く。
 魔皇は、かつて告げた。(おそ)れよ、と。
 知性では首肯したものの、しかし彼女の感情はその言葉に納得していなかった。アーンクは人を見下し続けていた。だからこそこの窮地も跳ね除けられるものと考え、地に遁じようとはしなかった。
 それが、致命的は判断ミスだった。

「大分、平たくなった(・・・・・・)な?」

 セレストの言葉に、心の内をぞくりと冷たいものが走る。だが、もう遅い。
 内部小型祈祷炉の最大稼働(フルドライブ)による飛行で上空待機していたネスが、自由落下を開始する。封入式霊動甲冑の全重量を乗せた盾篭手が、振り仰いだアーンクの喉首に直撃。展開された霊力刃が鱗の守りを突き通す。
 笛のような魔族の苦鳴を聞きながら、ネスは甲冑内部の霊力循環系を前腕部のみ閉鎖した。
 行き場を失い暴走した霊素が半実体化、装甲の隙間から蒸気のように噴出する。蓄積する内圧に肘関節が自壊し、その爆裂を更なる推進力とした盾篭手は、アーンクの体に大穴を穿ちつつ貫通。拳から先を大地へとめり込ませ、魔族を低く縫い止める。

 そして。
 その間にセレストが霊術式を吟じていた。彼にしては珍しい正統詠唱。長く長いそれが意味するものを、断末魔の思念の伝播によりアーンクは知っていた。
 アーダル王都を攻めた四武を、まとめて火葬した炎の禁呪。
 セレストの歌に連れ、彼の正面、胸のほどの位置に一抱えもある青白い火球が姿を見せ始める。
 それを(くる)む多重積層型の障壁は、呼び起こされた炎を抑留すべく、執行手順開始と同時に自動生成されるものだ。
 この備えがなければ、現出の余波だけで周囲は焼滅していた事だろう。だが霊術的遮断により強固に隔離されてなお、燃え盛る光は真夏日の如き超高温を一帯に伝導していた。
 真夜中の太陽(ラト・スール)──それはありえぬものの名を冠された、純粋無垢なる熱である。 

「残念ながら、今のセレストは詠唱に忙しい。よって私が舌を回すとしよう」

 前腕部を打ち込んだまま、ネスが後退して距離を取る。
 霊術砲火に巻き込まれぬ事を意図した動きに、アーンクの絶望が深まった。今からこの(くさび)を引き抜いて逃れようとしたところで叶うまい。詠唱の完了が断然に先だ。
 あれの本質は炎ではない。虚無だ。何もかもを飲み干す、底なしに大食らいの穴だ。
 呑まれた物質は、焼かれるのではなく消滅する。灰も影も残さずに消え失せる。そういう代物だ。
 
「存分に、温まっていきたまえ」

 ミカエラの言葉と呼応するように、セレストの唱呪がやむ。それは術式の完成を、処刑の開始を意味する静寂だった。
 捕縛されていた太陽が解き放たれる。
 指向性を与えられた(あぎと)は、アーンクへと揺籃(ようらん)を滑り出す。
 大気が焼け、大地が焦げた。接触もなしに草が潅木(かんぼく)が燃え上がり、陽炎により光景が歪む。
 恐るべき熱波を振りまきながら、禁呪は軌道上の全てを(むさぼ)って蛇体に着弾。

「──ィィィィィッ!」
 
 生き物が発するとは到底思えぬ、甲高く耳障りな悲鳴が轟いた。
 アーンクの出血が忽ちに蒸発し、残された眼球が煮え(たぎ)る。鱗は灰となり、肉は炭と化した。
 燃える。熱を浴びた体表が燃える。高温の大気を呼吸した喉が燃える。沸騰した血液が全身を駆け巡る。突き立てられたままの盾篭手が液化して更なる苦痛を生んだが、もうそれどころではなかった。
 並みの存在であったなら、波に洗われる砂城よりも脆く、その形と命を失ったろう。
 だがアーンクは違う。
 上位魔族の備える干渉拒絶。その力こそが、(あだ)をなした。
 禁呪の火力のおおよそをそれは否定し、しかし完全なる無効化を果たし得ない。結果として彼女は、触れた箇所をじわじわと火刑され、さながら拷問めいた最後を迎える事となる。

 やがて訪れた死に際し、断末魔はなかった。
 飽食した太陽は、その直径を急速に減じて収縮。初めから何もなかったかのように静かに消える。
 残されたのは炭化した蛇体の半分と、ぐつぐつと赤く煮沸(しゃふつ)する地面の大穴ばかりだった。
 張り詰めていたものが途切れたのか。
 そこでセレストがふらりとよろめき、慌ててネスがその体を支えた。
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