第20話 兵の見た夢

文字数 6,178文字

「魔皇を、殺さない?」

 皇の間の石床に、四名が車座になっていた。
 オショウ、ラーフラ、セレスト。そして今、一際に大きな声を上げたカナタである。

 オショウが魔皇を降して後、しばしが治療の時間に当てられた。
 医療都市アプサラスの治癒霊術は、異名の通り三国の内でも特に秀でたものである。それを学んだケイトの施療効果は目覚しかった。
 先に突入した四人の傷は、セレストの腕のような大きな欠損部位を除いて殆どが再生され、未だ意識は戻らぬものの、ミカエラとイツォルの容態も落ち着きを見せている。
 一巡の処置を終えると、ケイトは改めて意識のない二人への施術に集中。
 体の空いたセレストとカナタをオショウが手招き、この珍奇な会談の場が設けられたのだ。

「それはどういう意図ですか。まさか、魔皇をこのまま放免(ほうめん)するんじゃあないですよね?」

 霊術式の増血作用により取り戻した顔色を更に一層赤くして、カナタはオショウへと詰め寄る。きつめの視線が胡座(あぐら)の彼と、隣で正座を強要されたラーフラとを行き来した。
 オショウはただ曖昧に「うむ」と応じ、当然ながらカナタはそんな返答で納得しない。

「では、どうするつもりですか」
「まァ落ち着けよ、カナタ少年。このオショウさんがいなけりゃあ、オレらは揃ってご臨終だったんだ。少し頭を冷やして、きちんと話を聞く姿勢になれ。そうがなりたてたんじゃ、(はな)から話にならねェだろう」
「……すみません」

 (いさ)められて頭を下げ、カナタは居住まいを正した。瞳を真っ直ぐにオショウへ向ける。
 元々からして、カナタはこのオショウという人物に悪感情を抱いてはいない。むしろ逆で、その隔絶した強さに憧憬を抱きすらしていた。責める調子になったのは、予想外すぎる言葉を聞いたからに過ぎない。

「そういうわけだ、オショウさんよ。先を続けてもらえるかい?」
「うむ」

 頷きながら、しかしオショウは数秒ほど沈黙。その(のち)、改めて口を開いた。

「そも、何故殺す。俺は異界の者だ。こちらの道理に疎くもある。だが、これを殺す意義は薄いと感じる。魔族が皇を頂点とするひとつの生き物たるならば、頭と直接話しをつけるのが一等早かろう」

 セレストは意図を吟味するように残った腕で前髪をかき回し、

「あー……話をつけるってのはつまり、魔族と講和しろとか、共存しろとかって事か?」
「うむ」
「僕は反対です! 魔族は人にとって脅威以外の何者でもありません。どれだけの人が、これまで魔軍に殺されてきたかをご存知ないから──」
「言った通りだろう、テラのオショウ」
 
 カナタの感情論を遮ったのはラーフラであった。
 オショウの意を受けてケイトは彼にも治癒を施しており、その相貌はかつての端正を取り戻している。

「我々は互いが恐ろしいのだ。恐ろしくてたまらないから、互いの絶滅を望むのだ。既にして屍は積み重なり、歴史は血で彩られた。恨みもまた(うずたか)く、今更全てを水に流せはしまい」

 それぞれの回答に、オショウは深く、長い息を吐いた。

「殴られたから殴り返す。殺されたから殺し返す。幾度繰り返そうと、それでは何も変わりはすまい」
「それはそうかもしれません。でも!」
「俺の世界にも合戦はあった。俺はその為にこそ造られた。この生に闘争の他はなく、闘争の他を知らぬ。修羅道だ。無論争わねば、戦わねば奪われ、殺され、滅びていただろう。だがそれでも、いつも思っていた。いつもいつも思っていた。こんなものは早く終われば良いと。戦うより能のない俺は、俺が役立たずになる日を夢見ていた」

 淡々と語る自然石めいた(おもて)は、けれど深い痛みを(いだ)くようだった。
 聞くカナタもセレストも、皇禍に際しての切り札としてその生を歪められている。オショウの感覚は、決して理解の及ばぬものではなかった。

「人魔の争いは生きる為の版図の奪い合いではあるまい。空から眺めたのみでも知れる。こちらの大地は肥沃にして広大だ。一先ずは双方が領土を接さぬままに在る事もできよう。また、この城は一昼夜にて築かれたと聞く。所がないのならば、その手際にて(くだん)の樹界を(ひら)けば良い」

 決して流暢ではなく(さえず)り、そこで言葉を切ってオショウはぐるりと一同を見渡す。

「今すぐに手を取り合えとは申さぬ。だが俺は好機と思う。尊公らの前にあるのは、長く続く悪縁を断ち切る奇貨たるものと考える。これは愚昧(ぐまい)であろうか。存念を伺いたい」

 しばらくは、誰も口を開かなかった。
 声音の響きが途絶えた(のち)は、ただ重い沈黙だけが場を支配した。

「ま、難しい話だな」

 それを破り、真っ先に口を開いたのはセレストである。
 オショウの視線を真っ向から受け止めて、

「理屈ではあるがよ、人間ってな感情の生き物だ。でもってオレらにとって、魔族ってのは不倶戴天の異物だ。そういうふうに教えられて、そういうふうに信じてきた。いきなり共存共栄ってのは、ちと受け入れられねェな」
「感情的には、僕も到底()れられません。でも」

 身を乗り出して異を唱えたのは、意外にもカナタだった。

「でも確かに、怖いから殺し合うだけじゃ駄目だって、恐れなくてもいいように話し合うべきだって思います。そもそも完全に信用しあうのなんて、人同士でも難しいです。なら恨んだり憎んだりがこれ以上積もる前に、疑いながらでも並んで歩けるようになった方が、その方がいいんじゃないかって、僕は……」

 自身の心情とも折り合いがつかず、上手くまとめられないのだろう。彼の言いは尻すぼみに小さくなる。
 そんな少年の額を、杖を伸ばしてセレストが小突いた。

「おいおい、誤解すんなよ。オレは『難しい』っつっただけだぜ?」
「え、じゃあセレストさんも?」
「切った張ったなしでだらだら楽に生きられるんなら、そいつがいいに決まってらァな。考えてもみな、カナタ。ここで終わりにしときゃあよ、お前は、お前の子に聖剣って重たい荷物を預けなくて済むんだぜ?」

 虚を突かれたカナタの視線が、一瞬だけイツォルへ泳ぐ。目ざとくセレストに笑われて、彼は赤面した。

「確かに我々と人とが友好を築けば、双方に余力は生まれるだろう。だがその余力で次の敵を(こしら)え、わざわざに争うのが人であろうよ」

 ふと漂ったやわらかな空気に、鼻を鳴らしてラーフラが毒づく。
 だがオショウがわずかに拳を動かすと、彼はぴたりと口を(つぐ)んだ。

何処(いずこ)にも争いの火種は生じるものだ。だが今のように目を光らせる者があれば、それも少しは抑えられよう。また人魔共存の件についてだが、ひとつ告げておくべき事実がある」
「なんでしょうか?」

 疑問げに目を瞬かせるカナタに「うむ」と頷き、

「尊公らが魔族と呼ぶ者たちだが、実のところ彼らは、既に人と暮(・・・・・)らしている(・・・・・)
「……あん?」

 魔族について、オショウは違和感を抱いていた。
 ケイトから転写された知識によれば、彼らは魔皇に生み出される存在である。ただ皇の為のみに身命を捧げる群れである。
 だというのに魔族は個我を持ち、感情を抱き、性別を備えていた。直面した状況に対して、独自の判断を下していた。真正(しんしょう)の群体であればもっと機械的な働きを行うものだと、オショウは蟲人との戦闘から体験している。

 更に、相対した五王六武が身につけていた武具や服飾があった。
 それらは干渉拒絶の対象に含まれず、つまり彼らの肉体では決してない。
 魔皇より発し、魔皇と共に消える。魔族がそのような歴史を持たぬ存在だというならば、生まれつきにのものならぬ品々を、彼らはどこでどのようにして手に入れたのか。
 治癒を施術する間にオショウが問いただし、そうして得た回答がこれだった。

「皇より生み出されたものは皇とともに滅びる。だが、我らの全てが一人の皇より生まれるわけではない。むしろ逆だ。我らの殆どが人のように生き、人のように死ぬ。人に紛れ、人めいて暮らしている」

 渋面を作りながら、秘事の告白をラーフラが継いだ。
 
「要するに、私や五王六武は君たちと同様だ。君たち人と戦うべく稀に生じる(しつ)なのだ。逆に問おう。皇共々に全ての我らが死滅するというならば、一体どこから次の我らが生まれるというのだね?」
「……やれやれ、参った。こっちの内情が知れてる気配も、対策されてる印象もあった。魔族の多様性からして、人間そっくりのが内偵してんじゃねェかって憶測はしてた。だがまさかそこまでたァ、想定外もいいとこだ」
(いたずら)に人心を惑わせるばかりだ。口外法度にしてくれたまえ」

 魔皇直々の言である。
 疑いようのない真実に額を抑えたセレストへ、ラーフラが皮肉めかして唇を釣り上げた。

「ただし、言明しておきたい。彼らは害意を(いだ)いて人に潜むわけではない。立ち位置としては消極的現状維持だ。君たちの国にもいただろう? 君たちという刺客に全てを(ゆだ)ね、後背の安寧に浸る人間が。そういう事だ。私個人としては恥に類する真実を晒すなら、私と同様に皇の力を備えつつ、人と争わぬ選択した者もいる」

 言い訳のしようもない敗北が影響しているのだろう。告げる魔皇の面持ちは、いっそ清々しかった。
 人を滅ぼすという強烈な一念が鉄拳により拭われて、晴れやかさすら(うかが)える。

「こうした次第だ。個々の想念を別とすれば下地はある。そのように俺は思う」
「だけど上手くいくでしょうか。僕たちだけならこうして、それぞれの顔を見ながら話せます。でも集団と集団、国と国の事になれば、細かな表情なんてわからなくなります。ここでのやり取りだって、全部無駄になるかもしれません。それでも、上手くやれるでしょうか」
「わからぬ」

 光明を欲したカナタへの答えは、にべもない。
 だがのみに終わらず、オショウは続けた。

「俺は永遠には生きぬ。その俺のできる限りなど、歴史のうねりにとっては飛沫(ひまつ)に過ぎぬだろう。墨汁に一滴の清水を垂らそうと、その墨色が変じはすまい。だがひと零のみに終わらねばどうか。清水たれずとも、黒は薄れるのではないか。俺は良いと信じた種を()く。それが芽吹くか否かは、以後の土壌と環境次第だ」
「ま、人間ってのは忘却の生き物で、おまけに何にでも慣れるらしいからな。オレらの子か、その子か、更にその子か。それくらいまで時代が進みゃ、魔族への悪感情なんてのは粗方消え失せてるかもしれねェぜ。相変わらず泥沼の殺し合いをやらかしてるって可能性はなきにしもあらずだが、できるかどうかわからねェってのは、やらない理由にゃならんだろうよ」

 これもまた、ただ楽観ばかりの絵図面である。
 けれどカナタとセレストは、かつてケイトの遅参を是とした二人だった。そんな理想を、美しく、素晴らしく感じる(たち)だった。

「そうですよね。魔族との共存なんて、僕は思いもしませんでした。でもそういう考え方があるって、今知る事ができました。未来の選択肢は、きっと多い方がいい」
「うむ」

 ゆっくりとオショウは頷き、「だが」と付け足した。

「当然、言葉だけで魔族を信頼しろってのには無理があるわな」
「うむ」
「何より魔皇の監視役は絶対に必要だ。なんせそいつ一人で、人間全部と戦争ができちまう」
「うむ」
「オレとしちゃそこはオショウさんに頼むよりねェと思ってるわけだが、他になんか妙案はあるかい?」
「ラーフラ様に、泥を被っていただけばよいのではないかしら」

 セレストの懸念へ、新たな声が割って入った。
 オショウの影から、ひょっこり顔を覗かせたのはケイトである。彼女は目でミカエラとイツォルを示し、

「お二方(ふたかた)はもう大丈夫ですわ。じき、目を覚まされると思います」
「ありがとうございます、ウィリアムズさん」
「オレからも礼を言わせてもらうぜ。あいつは口うるさいが、いなけりゃいないで座りが悪い」

 深く頭を下げた二人にふんわり笑み返すと、ケイトはオショウの隣にちょこんと腰を下ろした。

「失礼しました。話を戻しますわね。わたくし、ラーフラ様に魔皇の能力を制限する呪具を帯びていただけばよいのではないかと思いますの。導石と同じ、所在通知の機能も(もう)けておけば万全ですかしら」
「いやお前、魔皇の能力を封じるって、そんな馬鹿げた効能の霊術式が……あ」
「ええ。お気づきの通りですわ。わたくしは確定執行のウィリアムズで、そんな馬鹿げた霊術式を執行するのが役目ですの。またアプサラスの祈祷塔を涸らしてしまう事になるかもですけれど、陛下ならきっとお許しくださいますわ」
「……おう」

 オショウの物言いも独特だがこいつは輪にかけて苦手だと、セレストは眉を寄せる。
 調子が奇妙で独特で、会話が噛み合うのだか噛み合わないのだかわからない。

「ラーフラ様も、それでよろしいですわよね?」
「随分と調子良く話を進めるようだがね、アプサラスの巫女。どうして同意が得られるなどと思ったのだ? 私がその提案を蹴るとは考えなかったのか?」

 低く否定を告げられて、ケイトはとても意外そうに「あら」と口元に手を当てた。

「わたくし、また先走ってしまいましたかしら?」

 小首を傾げてオショウを仰ぎ、視線を受けた彼は、ずずいとラーフラに向き直る。 
 
「……」
「……」
「……」
「蹴ったら、どうなりますか?」

 しばし見つめ合った後、何故か魔皇が敬語になった。

「尊公の罪は、弥勒が許す事になる」
「ミ、ミロクとは何だ? どういう意味だ?」
「オショウ様の故郷の神様だそうですわ。56億7千万年後にやって来て、世界を救ってくださるのだとか」
「許す気ないじゃないですか! やだー!?」

 ふむ、とオショウは顎を撫で、

「ならば、無間地獄に参るか」

 勿体ぶってそう言った。
 またしても理解不能の単語を投げつけられたラーフラが、捨て犬の眼差しでケイトを見やる。

「オショウ様の故郷にある、ひどい責め苦を受ける場所だそうですわ。そこで349京2413兆4400億年ほど耐え忍べば、全ての罪が清められるのだとか」
「うむ」
「ミロクより先じゃないですか! やだー!?」

 結局のところ、敗軍の将に選択肢はなかった。
 魔皇は緊箍児(きんこじ)めいた呪具の装着を、ただ悄然(しょうぜん)と受諾する。
 なおこの様を眺めて、

「オショウ様と魔皇様、なんだか仲がよろしくていらっしゃいますわ。そういえば殿方って、拳で語らって友情を深めるのでしたわね」

 などと評した娘がいた事を付記しておく。
「そういうんじゃねぇよ」と思う者がなくもなかったが、賢明にも、誰も口にはしなかった。
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