第30話 彼の根

文字数 5,096文字

「カナタがここを離れるのには、反対?」
「いいや、そちらではない」

 小首を傾げたイツォルに否定を告げ、ラーフラはカナタへ厳しい視線を向ける。

「聖剣。君は今、我法を得ようと思ったな?」
「……はい」
「あれは毒だ。もう一度言う。やめておけ」

 腕を(こまぬ)いて、(かぶり)を振った。

「法に至る過程はまだ解明されていないはず。どうして、あなたがそこまで?」

 怪訝を浮かべてイツォルが問う。
 我法を得るまでの道程(どうてい)は不明にして不定だった。我法使いのほとんどが、自身が法に至った経緯(いきさつ)に無口であるため、ただ天与の才覚の他に強烈なきっかけを要すると語られるばかりである。だというのに、ラーフラの言葉はあまりに強い。まるで誰よりも、そのことを知悉するようにすら聞こえる。

「あれは歪みの表出だ。欠落の果て、自らの色で世界を塗り潰すほどの個我を得てようやくに発現するものだ。ゆえに欠けて、飢えている。誰とも分かち合わず、誰とも共感せず、ただ己のみの世界を彷徨い、埋まらぬ(うろ)に贄を盛る。そのような代物だ。変わらず、変われず、最早死人と遜色がない」

 直接には答えず、だがラーフラは我法使いの内実を断言してのけた。
 そうして大きく息を吐き、不遜(ふそん)めいて椅子にもたれる。

「もし君があれに至ろうとするならば、手始めにそこの懐刀を失う必要があるだろう。無論、ただ亡くすのではない。全身の皮膚を剥がれ、それでも生きたまま打ち捨てられたその娘が苦悶のうちに息絶えゆくさまを、救うことも殺してやることもできずにじっくりと眺め続ける。そのような欠落を経るのが第一歩だ。何のために力を欲するかを思えば、随分と馬鹿げた話だろう。君の価値も強さも、そこにはあるまい」
「仰る通りです」

 魔皇の語りが真実ならば、まさに滑稽の一言だとカナタは思う。
 浅はかに欲した力であるが、それは目的ではなく手段である。対価が守りたいものその人だというのなら、到底成立する取引ではない。

「馬鹿げてる」

 押し黙る彼の代わりに呟いたのはイツォルだ。

「それはありえない仮定。だってカナタを苦しませる死に方をするくらいなら、わたしはその前に舌を噛むから」
「千里眼。君のその思想を、ある意味法などよりも恐ろしく思うよ」

 芝居ががって両手を広げ、魔皇は肩を竦めてみせた。

「イっちゃん」
「はい」
「駄目だからね、そういうのは。僕が絶対なんとかするから、そういう時でも諦めないで信じて欲しい」
「ん」

 小さく頷き、彼女は微笑む。ラーフラがもう一度、処置なしとばかりに肩を竦めた。

「とまれ、競う相手にも勝ち方にも拘るが主義だ。天を争うなら斯様な死人とではなく、君たちのような雄敵とでありたいと願っているよ」
「貴方に案じられるのは、どうも妙な気分ですね」

 はにかむように少年は額を掻き、これを無視して魔皇は言葉を続ける。

「そもそも万能の打開策を求めるのなら、もっと賢く簡単な手立てがあるだろう?」

 当てつけがましく首筋を見せつけ、ラーフラはそこに嵌った金環をとんとんと指で叩いた。

「君の聖剣ならばこれも断てよう。私を解放するがいい。そうすれば都市の守りも大樹海の開拓も、我法使いの始末も君たちの故国の片付けも、一切合財を私が担おう。ああ――君たちふたりが存命のうちは、決して必要以上の害を人には為さぬと誓うとも。こう見えて私は、約束を守る性質(たち)でね」

 蠱惑的な声音で、冗談とも本気ともつかない誘いをかける。
 気軽めくそれが、決して大言壮語でないのが恐ろしいところだった。元より彼は単身で、人類を殲滅しうる魔皇なのだ。

「カナタ」
「うん、安易はやっぱりいけないね。実例を示されて頭が冷えたよ」
「大体我法だなんて、自分だけ強くなる手段は悪手。わたしを置き去りにするのは駄目。いい?」
「はい。大変よくわかりました」
「よろしい」

 だが対する両名は意にも介さない。むしろ長閑(のどか)にじゃれあう始末である。それもそのはず、ラーフラの提案はテトラクラム建造以来、幾度となく繰り返されてきたものだった。あまり馴染んではならぬ言い口なのだが、正直もう慣れてしまっている。
 肩を透かされた魔皇は鼻を鳴し、「話を戻そう」と呟いた。

「聖剣がラムザスベルに赴く件については、私は賛成だ」
「資金と大樹界の情報。僕はこれを利得と捉えましたけど、貴方は他に何かありますか?」
「加えて、君の懐刀がラムザスベルを闊歩できるとという点だ。セム家の人間が警戒を受けるとは聞き及んでいる。だが聖剣、今回はあちらよりの招待だ。是非とも招きたい君が伴侶を連れ立った程度で、追い返せるはずもなかろう」

 優れた目と耳は、セム家の家伝霊術の一端に過ぎない。その本質は隠行術であり、諜報術だ。これが広く知られるがゆえに、彼女の一族は他都市滞在時、常に所在を明らかにする義務が課せられている。猜疑の視線も一方(ひとかた)ならず、城壁内へ足を踏み入れることすら拒絶される場合があった。
 だがラーフラの言う通り、今回は事情が違った。相手は訪問を依願する立場であり、しかもイツォルはカナタのパートナーとして周知されている。下手に拒んで本命のカナタに退去の大義名分を与えてはは思惑が狂おう。大手を振ってロードシルトを探るには、確かに絶好の機会だった。
 ラーガムの主流はクランベルであり、半分殿である。しかし貴族の全てが彼らの傘下というわけではない。テトラクラムに肩入れしないまでも、大派閥と非友好的な向きが中にはある。小石ひとつの波紋で勢力図が書き換わるのが、政治という魔物の住まいだ。ラムザスベルの内情を掴んでおくことは、そうした小勢力との結託に有益となるはずだった。

「待って。でも、わたしは行けない」

 けれど、ここで否定を述べたのが当のイツォルである。

「わたしがいないと、哨戒に穴が開く」
「問題ない。不在中、都市は私が庇護しよう。君たちの敬意と厚遇を、私は正しく理解している。その返礼に、少しばかり便宜を図ろうというのだ」

 対するラーフラの言葉は、いささかならぬ驚きを伴うものだった。
 今までも彼は、テトラクラムの防衛に力を貸してはくれていた。しかしそれはあくまで手助け、カナタが主体として行う活動を支援する形である。そのラーフラが積極的に動くと言うのだ。申し出としては願ってもないことだが、一体どうした風の吹き回しかと、カナタとイツォルは揃って顔を見合わせる。

「理解が足りぬようだな。では、有り体に言うとしようか」

 若干ならぬ呆れを含んで、ラーフラは手を組み替えた。

「このままでは、君たちの破滅は目に見えている。聖剣の状況はわずかばかり改善されたようだが、千里眼、今の君は限界まで荷を乗せた騎獣に等しい。あと藁束ひと筋でも重みが加われば、限界を越えてその背は折れる。心身共に疲労が蓄積しているのは瞭然だ。その様子では、聖剣の諌めも容れていまい」
「でも、それは」
「努力するという言いは、何もかもを独力でこなすという意味合いではない。無理をしないとの言いが、何もしないことの同義ではないように」

 口に出しかけた反論を切り捨てられ、イツォルが縋るようにカナタを見やる。しかし彼もまた、魔皇に同調するのは明らかだった。

「イっちゃん、この間の約束は?」
「それは、その……」

 咎める調子で指摘された約束とは、適宜人を頼んで休息を取ることの言い交わしである。

「ごめん。言うだけじゃなくて、僕がきちんと見るべきだった。君がそういう子なのは知ってたんだから」

 もっとも、イツォルの具合に気づけていない時点でカナタの側の立て込みも推して知れるのだが、怒るよりも悲しむ風情で俯かれてしまえば、もう彼女に継げる二の句はない。

「そういうことだ、千里眼。もし君ひとりが哨戒に当たる折、無理が祟って倒れたならばどうなるか。君が処理していた物事が、更に聖剣の肩に載ればどうなるか。十分に想像がつくことだろう? 加速した獣車が不意に車輪を失うようなものだ。君は自ら破滅を招こうとしている」

 我が意を得たりとばかりに少年は頷き、それからはたと気がついた。

「もしかして僕たちに、骨休めをして来いと?」
「然りだ。休暇と呼ぶには危険の多い旅程だが、君たちはしばらくここから離れるべきだ。テトラクラムは、聖剣と千里眼に頼らぬ歩みを知る必要がある。君たちも無論、人の使い方を学んでゆかねばなるまいが」
「……」
「……」

 ラーフラの発言に、もう一度ふたりは顔を見合わせた。目を(しばた)かせてから、くすりと微笑む。

「誤解があるようだが、全ては私のためにすることだ。今は雌伏の期間に当る。その(かん)の住環境を快く保つ必要があるのだ。理解できたか? 君たちの失態を防ぐのは、予想される後任よりも君たちが扱いやすいと見るからだ。つまりこれは侮りなのだよ」

 彼の行動を、都合よく親切と解釈するのは危険だろう。或いは魔皇に都合よく思考誘導されている可能性がなくもない。
 けれど確証はないままに、ラーフラのこうした側面は信頼してもいいのじゃないかとカナタは思う。
 元より少年の主張は、「相容れなくても信頼して信用できる部分がある」なのだ。根拠も何もない、ただ楽観的なばかりの未来図を描く悪癖は、今に始まったことではない。

「わたしも、ラーフラを信じる」

 ゆえに意外だったのは、イツォルのこの言いだった。カナタが思わず目を丸くして、ラーフラもまた、可笑しそうに片眉を上げる。

「君が私を? これは思いもよらない言葉を聞いたものだ。虚言を弄して君たちを遠ざけ、人心を掌握し都市を掌中に収めるべくの姦計とは考えないのか?」

 お人好しでお気楽な幼馴染に代わり、魔皇を猜疑するのがこの少女の役柄だった。そのような反応が出るのも無理なからぬところであろう。

「思わない。わたしが信じるのはあなたの戦略眼。ここで動くのは悪手でしかないもの。それに」

 言葉を切って、イツォルは思わせぶりな笑みを湛える。

「もしあなたが悪さをした場合、わたしには報復の用意があるから」

 剣呑に目を細め、威圧のように魔皇は卓に身を乗り出した。

「これは強く出たものだ。是非お聞かせ願おうか。私が悪辣を行ったとして、君に何ができ――」
「オショウ様に言いつける」

 ぴたり、と。魔皇の動きが凍りついた。
 錆びついた金属を無理に動かすような固い動きで(こうべ)を巡らし、強張った(おもて)で問い直す。

「今、なんと?」
「オショウ様に言いつける」
「あ、いや、ホントごめんなさい。すみません。調子に乗ってました。はい、反省してます。それだけは勘弁してください。いや、ホント、ホントに反省してるんで……」

 それは、心的外傷後ストレス障害の如き反射だった。一体どのような記憶が魔皇を苛んだのか。椅子を蹴立てて直立不動となった彼は、深々と頭を下げて躊躇いのない陳謝を開始する。

「え、あ、ううん。こっちこそごめんなさい。まさそこまで折れてるなんて、思わなくて……」

 あの折のありさまを伝聞でしか知らぬイツォルには、想定外極まる反応である。虎の威を借るではなく、単なる冗談口のつもりだったのだ。魔皇の平身低頭という事態に動揺し、釣られる形で思わず詫びる。
 ラーフラと同じく、傍若無人の武勇を体験したカナタにすれば、苦笑と同情を捧ぐよりない情景だった。やれやれと首を横に振ってから、思う。
 眼前の光景は、本来ありえなかった未来だ。オショウの力があればこそ得られたものだ。
 今は未熟で至らず、助けられてばかりの我が身だけれど。いつか自身の強さと価値の在り処を見出し、彼のような振る舞いを為せるだろうか。
 帯剣の鞘を撫で、少年は静かに先を見据える。
 まだ底の知れない、ラムザスベルに蟠る悪意。これに立ち向かうことが道を拓く一歩となるなら、竦んでばかりはいられなかった。
 己の根を思い返し、カナタ・クランベルはやわらかに笑む。

 ――あの子に、いいところを見せたい。

 自分の動機なんて、所詮その程度のもので。
 だから彼女が共に来てくれるなら、なんだってできるような気がしていた。
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