第10話 すてごろ

文字数 6,470文字

「ともあれ、これ以上歓談の時間はなさそうですわね。どうやら今は、あちらが最優先のようです」
 
 声の調子を僅かに変え、ケイトが動かした視線の先。
 そこにはオショウを()めつけ仁王立つ、ディルハディの姿があった。まるで彼以外は視界にないかの如き眼光だった。

「お下がりくださいませ。わたくしと、オショウ様が引き受けます」

 ゆるりと進み出たオショウが、魔族の威圧を受け止める。
 ふたつの視線が絡み合い、きな臭く火花を散らした。空気が緊迫で熱を(はら)み、触れなば砕けるガラスのように凝固していく。

「手前か。手前がテラのオショウだな?」
「うむ」

 その中をディルハディは悠然と進み、互いの表情が伺える距離で足を止めた。

「ムンフを殺ったのが、手前だな?」
「うむ」
「あれは俺様の弟分でよ。まだひよっ子だったが、これからを期待してた奴でもあった。……ああ、こう言えば誤解されそうだが、違うぜ。あいつの仇討ちってのとはちょいと違う。俺様は強い人間が好きでよ。手前のやり口を見て、やり合えるのを楽しみにしてたのさ」

 魔には元来、性別も性格もありえない。魔皇より全てが発する魔族という種の形態からすれば、それらは不必要なものだからだ。
 しかしながらどうした理由か、五王六武やそれに準ずる上位個体は、こうした独特の個性を備える事が確認されていた。
 無論それは皇への忠誠を根源、第一とした上での個我である。だがこのディルハディのように、行動原理として時に強く発露する場合があった。
 
「テラのオショウ。手前に一騎打ちを申し入れる。よもや、逃げねぇだろうな?」
「うむ」
「オショウ様!」

 間髪入れぬ返答に抗議を叫んだのは、当然ながらケイトである。

「相手の言いを容れてはいけません。何を企んでいるかわかったものではありませんもの。それにオショウ様はもう半日も走り通しで──」
「今一度(ひとたび)宣誓しよう。我は皇に身命を捧げ奉る六武が一、ディルハディ。我が身、血肉に非ずして傷つくる事能わず!」

 咆哮めくディルハディの声音がびりびりと大気を震わせ、ケイトの口を閉ざさせた。先の宣誓を耳にしなかった彼女だが、これでエイシズがあのような無謀を行った理由を理解した。理解せざるをえなかった。
 霊術も武具も用いず、あの巨躯に自分が立ち向かうのは不可能だ。
 憂い顔で、ため息をついた。

「……お聞き及びの通りですわ、オショウ様。わたくし、一臂(いっぴ)の力にもなれそうにありません。であれば、自分に出来る事をしたいと思います」
「うむ」

 ケイトは手早く治癒霊術を執行。
 オショウの肉体を賦活し、僅かなりともその疲労を拭う。

「ご負担をかけてばかりですけれど、また、頼ってしまってよろしいですかしら?」
「うむ」

 何でもない事のように頷いてから、オショウはディルハディへと向き直る。その背を、いつしかエイシズは憧憬の眼差しで見つめていた。
 するべきを見定め、為すべきを担う。
 それは、彼がなりたいと願っていた背中だった。

 ケイトとエイシズの、そして兵たちの注視する中、オショウはゆるゆると流れるような足運びで魔族との間を詰める。
 ばしりと己が手のひらに拳を打ち付け、それから人差し指だけでディルハディは差し招く。

「さあオショウ。技(くら)べ、力競べといこうぜ。存分に、殴り合おうぜぇ」
「一騎打ちに腕競べか。これまで関心がなかったが、今は不思議と心が踊る。どうやら俺の内にも修羅が棲んでいたものらしい。まったく──」

 その口元に太い笑みが浮く。

「──仏騒(ブッソウ)な事だ」

 笑みながら、オショウは緩やかに双掌を合わせる。
 次いで握った両拳を腰だめに落とし、体内の気を高速循環。金剛身法(ゴンゲン・スタイル)により急激な練気圧の変化が発生し、彼を中心に球状の衝撃波が吹き荒れた。
 颶風(ぐふう)の如きそれを、しかしディルハディは期待の面持ちのまま受け止める。
 
「参る」

 直後、オショウは迦楼羅天秘法(ヴァーハナ・スラスター)により加速。真っ向から速度と質量、そして全身の運動を統合した鋭槍(えいそう)の穂先めいた裏蹴りを魔族の腹筋に叩き込む。
 だが先の奇襲とは異なり、ディルハディには気構えがある。両足は根が生えたようにしっかと踏ん張っている。宙を舞う代わりに、線を引くように地表を抉りながら滑って後退し──そして、それだけだった。
 ディルハディはオショウを見やって歯を剥き出す。
 不意打ちで炸裂したドロップキックのダメージが、少しも残留しない事からも知れるように。
 干渉拒絶により身を守っていたムンフやパエルとは違い、この魔族は自身の宿す素の耐久力のみで、オショウの一撃に耐えうるのだ。

「じゃ、お返しといくぜ」

 蹴り足を引き戻す停滞を見逃さず、ディルハディが拳を引き、突き下ろす。腰が入り体重の乗った、筋力だけに頼らぬ武術の(ことわり)を備えた動きだった。
 爆発物さながらの剛拳が、オショウの胸板に直撃する。
 体重差もあったろう。彼の足は魔族のそれに倍する軌跡を土に刻み、ようやく止まる。
 
「オショウ様!?」
「うむ」

 ケイトの悲鳴に、オショウはちらりと目をやって頷いた。無事を見て取り、彼女がほっと胸を撫で下ろす。
 追撃を仕掛けずに待ったディルハディが、そこへ「おい」と割って入った。

「おい。手前、どうして避けなかった」
「尊公がそのようにしたからだ。これは、競べなのだろう?」

 魔族は毒気を抜かれたように瞬きをし、それから愉快げに大きく笑った。

「面白ぇ。手前、面白ぇな! ムンフも手前に負けたんなら以て瞑すべきだ。いや、いい男だ。実にいい男だ。だがよ」

 笑いを収め、足を踏み直してディルハディが構える。応じて、オショウも調息をした。

「だが次からは技を使え。力だけなら俺様が有利だ」
「うむ。ならば忌憚なく」
「そうだ。お互い全力じゃねぇとな。なんせ腕競べだからなあ!」

 次の仕掛けはディルハディからであった。巨体とは思えぬ速度で距離を踏み越え、猛烈な一打を繰り出す。最前の試しのものよりも、遥かに凶悪な威を誇る拳だった。
 対してオショウは、避けずに腰を沈め身構えた。
 迫り来る壁の如き巨拳に対し繰り出されたのは千手連撃(サハスラブジャ・テンペスト)。秒間千撃。40分の1秒の()に放たれる25の連打を正確に同一地点に集束させる事により拳の軌道を逸らし、空を切らせる。
 ディルハディは即座に逆腕(さかうで)を振るうが、結果は同様だった。
 しかも、オショウのそれは防ぎのみに終わっていない。魔族の両人差し指の付け根は、重ねて打ち込まれたオショウの拳によりぐずぐずに破砕されている。
 普通ならば痛みに呻くべき負傷だが、しかしディルハディは異なった。
 自身の鉄拳が砕かれるなり躊躇なく間合いを詰めきり、オショウに肘鉄を打ち下ろす。当たれば卵殻の如くに頭蓋を砕くであろうそれを、恐れげもなく右脇に飛び違える事でオショウは回避。
 やや前傾した姿勢から、瞬速の掌打を放つ。

 三鈷掌(ヴァジュラスタブ・スリー)
 紫電を(まと)った三連撃が、ひと刹那のうちに魔族の腿と両の脇腹に叩き込まれる。
 (たなごころ)からオショウの爆気が通念し、内部で炸裂。打撃の接触面とは逆側の血肉を爆ぜ散らし、大皿でも隠せぬような破壊痕を穿つ。

「があッ!」

 決着を予感するほどの深手を負いながら、それでもディルハディは退かずに攻めた。
 攻撃の直後に生じる毛ほどの隙を逃さずに、真っ向正面から再びの鉄拳を突き入れる。交差させた両腕とそれを(くる)む硬気、そして極小の結界でオショウは殴打を受け止め、

「む……!」

 想定以上の膨大な衝撃が爆裂し、今度はオショウの足が浮いた。拳の勢いそのままに、大きく殴り飛ばされる。
 ディルハディの拳威を読み違えた理由を、オショウの目は確認していた。
 最前打ち砕いたディルハディの両指。それが既に癒えていた。打撃部位として死んだはずの拳は、今や完璧な形で握り込まれている。
 のみならず。
 腿と背中に空いた大穴も、恐ろしい速度での再生を遂げていくところだった。
 さらけ出されていた骨周りに肉が盛り上がり、筋繊維同士が手を伸ばしあうようにして結合。忽ちに薄皮が張り、フィルムの逆回しのように傷口は消えて失くなる。

「ま、そういうわけだ」

 オショウの視線を受け、ディルハディは牙を剥いて哄笑した。

「魔族ってのはこういうもんさ。尾を生やしたのがいれば火を吐くのもいる。羽を持つのがいれば鱗があるのもいる。同じように、俺様の体はこうってわけだ。よもや卑怯たぁ言うまいな?」

 傲然と(うそぶ)くもむべなるかな。
 驚異的な剛力とタフネスに加え、この魔は異常なまでの再生能力をも備えているのだった。
 パエルとの戦闘と墜落、そしてその()半日に渡る樹界横断行。如何にオショウとて疲労が滲む行程である。練気の精度も落ちている。この状況下で相対する敵手として、ディルハディは最悪の部類であった。
 ならば、とオショウは思考する。

 ──ならば、ただ一撃(ひとう)ちにて撃ち倒すまで。

 総合戦闘術たる仏道の基本理念は色即是空。
 (しき)とは即ち物質を意味し、この一切を空へ、虚無へと帰せしめんとするものである。
 物質的影響に強靭な抵抗力を持つならば、精神面から魂魄を破砕すればよい。その為の技は編まれ、練られている。

「どうやら俺様が機動で劣るのは間違いがねぇ。だがよ、殴られんのを覚悟でいきゃあ、手前の隙は狙い澄ませる。要は、どっちが早く相手を壊せるか、だ」

 己に分があるが如き物言いをしたが、しかしディルハディにもまた余裕はない。当然ながら、彼の再生能力は無限でも無尽蔵でもないのだ。
 加えて。

 ──なんだってんだ、あの硬さはよ。

 吐き捨てるように、思う。
 先ほど受けられた一打。それは並みの人間ならば、受けた腕が胴にめり込みそのまま体がひしゃげる程のものである。彼の筋力が生み出す破壊は、破城槌(はじょうつい)にもおさおさ引けをとらぬのだ。
 しかしながら、受けられた。受け切られた。
 派手に吹き飛びこそしたものの、あれは半ば以上(おの)ずから飛んでいる。オショウは両足の裏でぴたりと着地を決めて、そこから小揺るぎもしない。ダメージなどまるでないに相違なかった。
 魔族の巨大にして強大な拳を、オショウは恐れもなく見極め、捌いてのけているのだ。
 常在戦場にて研ぎ澄まされた精神力と、小型高速戦闘艇(擬宝珠)の知覚拡大を受ければ光速にすら対応する反応速度。
 両者を車輪として駆動する、それは金城湯池の守りだった。

 思惑のうち、双方の動きはしばし止まり──そして三度(みたび)先手を取ったのはオショウだった。
 その速力、機動力を活かして行うは、ディルハディを中心に据えた幻惑するが如き円運動。
 幾回もの変化の後に稲妻の如く切り込み、魔族の右膝目掛け、鞭のような蹴りを放つ。オショウにとってはミドル、ディルハディにとってはローとなる一打だった。
 先の思案とは裏腹めいた小技だが、一撃必倒の秘拳にはより一層の練気を要する。一時的にでもこの魔の挙動を封じ、数呼吸分の猶予を得ねばならなかった。
 無論、そう容易く魔族の(たい)は崩れない。
 蹴打のフォロースルーを、迦楼羅天秘法(ヴァーハナ・スラスター)によりオショウはキャンセル。前言通り機動の停止を狙って唸りを上げた裏拳を鼻先にやり過ごし、続けざまに鉈の如き蹴撃を放つ。
 同一箇所に蓄積させられた痛手により、ディルハディの膝ががくりと落ちた。
 その一瞬を逃さずオショウが繰り出したのは、足の甲ではなく踵だった。インサイドキックめいた動きで、いい位置に来た膝の皿を、斧のように踏み砕く。

 持国。増長。広目。
 それは八百八の大悪鬼を踏みしだく四天の名を冠し、蟲人の甲殻をも蹴り砕く三連の足技であった。さしものディルハディも苦悶に呻く。
 意によらずして(ひざまず)かされた六武へ向け、またしてもオショウが動きの兆しを見せる。
 ゆるりと上がる蹴り足。強制的に学習させられた下段へと、ディルハディの防ぎの意識が向く。とはいえ砕けた膝では、足を上げての防ぎが叶わない。身を(かが)めるようにして降ろした腕で、オショウの一打を絡め取らんとする。
 しかし、それこそが誘いだった。
 刹那。
 稲妻のように魔族の顎を、オショウの爪先が薙いだ。上体を少しも揺らさぬまま、彼は腰から下だけで蹴りの軌道を変えてのけたのだ。
 多聞から毘沙門への騙し技。足下(そっか)へ向いた心の隙を狙い撃つ、戦慄の右ハイキックである。
 ディルハディの両腕がだらりと垂れた。束の間ながら、その意識が刈り取られる。

 確かな手応えを得ると同時に、オショウは両足を大きく開き、腰を沈めた。左掌を突き出し、逆の拳を腰だめに引く。
 深く吸い、また吐く。
 金剛身法(ゴンゲン・スタイル)により全身に充填していた気を、より高密度に練り上げ、循環させ、圧縮する。やがてそれは蛇体めいてのたうつ三昧(さんまい)の真火として可視化され、幾重もの螺旋を描いてオショウの腕に絡みついた。
 その右拳に、紅蓮が装填される。

 体を崩しかけたディルハディが、かっと目を見開いたのはその時だった。確かな意識を取り戻した眼光が、オショウを見据える。
 そして、咆哮。
 おそらくはただ勘だけで、次に繰り出すされる一撃が必殺のものと察したのだろう。未だ再生しきらぬ膝の代わりに拳を大地に打ち付け強引に体勢を変え、逆腕(さかうで)を投げつけるように振り落とす。
 燦然(さんぜん)と燃え立つその闘志に、オショウはただ感嘆した。
 この魔は恐るべき高速再生能力を有する。だが最前からの反応を見れば知れる通り、それは肉体の破壊に伴なう痛みを減じはしない。彼の痛覚は尋常のものである。
 でありながら一瞬たりとも怯まぬ克己を、決して折れぬ戦意を見事と思い、雄敵であると思った。奇妙ながら、厚い交誼を得たようにすら感じている。
 故に、手心はない。

(ふん)!」

 ディルハディの挙動よりも速く。
 オショウの正拳が、魔族の胸板を撃ち抜いていた。肉を穿ち骨を砕いて、めこりと穿たれる、拳の痕跡。
 凄惨な打撃痕を覆い隠すように、その直上に種字が浮く。通念したオショウの火炎が(かたど)るそれは、不動明王を意味する一文字(いちもんじ)であり、火生三昧(かしょうざんまい)の刻印であった。
 超人的精度で投射された字形が視認できたのは、しかしひと刹那だけの事。
 転瞬、種字を核に、放射状に炎が爆ぜた。
 
 降魔の利拳(フォアフィスト・オブ・カーン)
 それは拳により肉体を、炎により魂魄を破砕、強制的に入滅せしめる秘奥である。
 吹き抜けた仏理的爆風の余波により、兵舎の火災の悉くが鎮火。また陣を組む兵たちの半数がよろめいて膝を突き、更に半数がそのまま心神の喪失により気絶した。
 そうして風が止み、静寂(しじま)が落ち。
 やがて、声が漏れた。

「……ああ、畜生め」

 (よど)みなく残心を取るオショウへ向けて、ディルハディは破顔する。子供のように。

「強ぇなあ、手前」

 (おお)きな体が揺れ、地響きを伴って大の字にどうと倒れた。
 オショウは「うむ」と呟くと、身構えを解いて黙祷をした。
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