第22話 開拓史
文字数 2,142文字
人の生存圏として世に在るは、アプサラス、アーダル、ラーガムの三国。
各国家の首都は、アプサラスへの距離を長辺とする二等辺三角形の形に位置し、その中央に鎮座するのが大樹界である。人類を脅かす大自然の象徴として広大無辺に聳える森は、界獣の寝床としても知られている。
樹界内の霊素は外界とは異なる特殊な働きを備え、それが長き年月に渡って獣たちを変異させてきたのだとは学者たちの唱えるところである。が、どう異なりどう特殊であるのかとの問いへ、詳細に答えうる者はない。
教会はこの地をはじまりの竜の墓所と呼ぶ。人に弑 されたかの竜の憎悪が森を成し、界獣を育み魔獣を生むのだと彼らは謳う。いつか竜の憎しみが溶け、瞋恚 が静まるその日まで、人類は許しを請うて祈るほかないのだ、と。
知恵による究明よりもこうした崇拝こそがいっそ相応しいほどに、大樹界とは神秘と拒絶に満ちた地であった。
けれど人は、この森と無関係には生きられない。
界獣は害を為しもするが、およそ食肉に適する。小型の何種かは、既に家畜として手なずけられてもいた。奥地に生える植物はいずれも貴重な霊薬の素材であり、周辺に繁茂する草木 もまた、家屋となり、武器となり、用具となり、燃料となり、食料となった。大樹界近郊ではいずれの生物も生長著しく、脅威と共に恵みもまた大きい。
ゆえに、人は森に沿って住処を築いた。
先に挙げた三国の首都も、かつては全てが大樹界に面した城塞都市だった。外に壁を築き、内に武を蓄え、大樹界よりの脅威を打ち払って形成された都市国家である。確立された安全圏に人は群れ集い、市内で新たな産声が上がり――だがこうした安定と繁栄の兆しは、同時に都市機能の限界を予感させた。
内部を手厚く守護するが、自らの枠を越える成長を阻みもするという点で、堅固な城壁は厚い卵殻に似る。いずれ壁の内の生活空間が飽和し、人口が外へ溢れ出すのは明白だった。
壁外に押し出された人間は、しかし決して都市周辺からは立ち去るまい。獣たちに脅かされながら長旅を行える者は少なく、そもそも他に頼る先もないのだから。となれば壁に沿ってバラックを掛け、都市のおこぼれに縋りつくような暮らしを始めるのは目に見えている。
城壁を拡大する余力もない都市にとって、これはよろしくない未来だった。
押し出された人間がどうにか生きてくれるならば、本来そこに注文はない。だが日々界獣を恐れる土地で、ただ屠殺され、捕食されるのは問題だった。言いは悪いが、それは獣寄せの撒き餌でしかない。
一旦界獣どもに餌場として認識されてしまえば、都市自体が毎日のような襲撃を受ける羽目になりかねぬのだ。
人口が飽和してからでは遅いと判断した上層部は、早速に活動を開始した。
都市内には、二等市民として扱われていた後から来た者 たちがいる。彼らと都市建国時よりの住民を、市民権という定義で明確に区別し、差別した。より重い税を課し、より酷薄に仕事を割り当てたのである。
そうして不満が募り出す頃合を見計い、第二都市の建設計画を発表した。計画の参加者には、勿論まだ出来上がってもいない街の市民権が確約されたのである。
言うまでもなく、これは棄民だ。実際第一次建設計画に際し、対獣戦力や職人といった貴重な人材はほとんど同行していない。
だが時期こそ異なれど、三国全てでほぼ同様の流れが起き、人が溢れかけるそのたびに同じ仕業が繰り返された。
当然ながら、ターゲットとされた二等市民らも馬鹿ではない。同じ手口が繰り返されれば、甘い言葉にも耳を貸さなくなる。しかし第二次建設計画以降から、不思議にも市民権を持つ層からの志願者たちが現れた。
彼らはいずれも理念と理想に燃えていた。
仕方ないと諦め顔で今に屈するをよしとせず、抗ってよりよい未来を勝ち取らんとする者たちだった。闇夜を行く灯火 のように、か細くも払暁の先駆けたることを望んだ者たちだった。
中には英雄願望に酔い、承認欲求に突き動かされた甘い夢想者もいただろう。気高い心を抱 きつつ、それでも夢破れて野晒しとなり果てた者もあったろう。
けれど彼らはやり遂げた。針穴ほどの可能性を潜り抜け、新たな都市を築き上げて閉塞を打破してのけた。人類の生存圏を広げ、新たな地平を切り拓いていった。これもまた、三国の全てで起きたことである。
斯様な尽力の積み重ねにより、大樹界はわずかばかりその領土を減じた。長 の年月 を経て人類は国家間を繋ぐ陸路を得、道を確保するに至った。
無論、大樹界の脅威が薄れたわけではなく、旅路の無事は保障されたものではない。道行く隊商が魔獣に鏖殺されることも、村ひとつがまるごと飢えた大型界獣の胃の腑に収まることも、今だままある悲劇である。人と獣の天秤は拮抗を保ち、ゆえに人類は陸の果て、海の果てに何があるかをまだ知らない。世界は未知に満ちている。
それでも腕船 、空船 の手配を要する海路空路と異なり、我が足のみで歩める陸路の開通は非常に大きな事績であった。
各国家の首都は、アプサラスへの距離を長辺とする二等辺三角形の形に位置し、その中央に鎮座するのが大樹界である。人類を脅かす大自然の象徴として広大無辺に聳える森は、界獣の寝床としても知られている。
樹界内の霊素は外界とは異なる特殊な働きを備え、それが長き年月に渡って獣たちを変異させてきたのだとは学者たちの唱えるところである。が、どう異なりどう特殊であるのかとの問いへ、詳細に答えうる者はない。
教会はこの地をはじまりの竜の墓所と呼ぶ。人に
知恵による究明よりもこうした崇拝こそがいっそ相応しいほどに、大樹界とは神秘と拒絶に満ちた地であった。
けれど人は、この森と無関係には生きられない。
界獣は害を為しもするが、およそ食肉に適する。小型の何種かは、既に家畜として手なずけられてもいた。奥地に生える植物はいずれも貴重な霊薬の素材であり、周辺に繁茂する
ゆえに、人は森に沿って住処を築いた。
先に挙げた三国の首都も、かつては全てが大樹界に面した城塞都市だった。外に壁を築き、内に武を蓄え、大樹界よりの脅威を打ち払って形成された都市国家である。確立された安全圏に人は群れ集い、市内で新たな産声が上がり――だがこうした安定と繁栄の兆しは、同時に都市機能の限界を予感させた。
内部を手厚く守護するが、自らの枠を越える成長を阻みもするという点で、堅固な城壁は厚い卵殻に似る。いずれ壁の内の生活空間が飽和し、人口が外へ溢れ出すのは明白だった。
壁外に押し出された人間は、しかし決して都市周辺からは立ち去るまい。獣たちに脅かされながら長旅を行える者は少なく、そもそも他に頼る先もないのだから。となれば壁に沿ってバラックを掛け、都市のおこぼれに縋りつくような暮らしを始めるのは目に見えている。
城壁を拡大する余力もない都市にとって、これはよろしくない未来だった。
押し出された人間がどうにか生きてくれるならば、本来そこに注文はない。だが日々界獣を恐れる土地で、ただ屠殺され、捕食されるのは問題だった。言いは悪いが、それは獣寄せの撒き餌でしかない。
一旦界獣どもに餌場として認識されてしまえば、都市自体が毎日のような襲撃を受ける羽目になりかねぬのだ。
人口が飽和してからでは遅いと判断した上層部は、早速に活動を開始した。
都市内には、二等市民として扱われていた
そうして不満が募り出す頃合を見計い、第二都市の建設計画を発表した。計画の参加者には、勿論まだ出来上がってもいない街の市民権が確約されたのである。
言うまでもなく、これは棄民だ。実際第一次建設計画に際し、対獣戦力や職人といった貴重な人材はほとんど同行していない。
だが時期こそ異なれど、三国全てでほぼ同様の流れが起き、人が溢れかけるそのたびに同じ仕業が繰り返された。
当然ながら、ターゲットとされた二等市民らも馬鹿ではない。同じ手口が繰り返されれば、甘い言葉にも耳を貸さなくなる。しかし第二次建設計画以降から、不思議にも市民権を持つ層からの志願者たちが現れた。
彼らはいずれも理念と理想に燃えていた。
仕方ないと諦め顔で今に屈するをよしとせず、抗ってよりよい未来を勝ち取らんとする者たちだった。闇夜を行く
中には英雄願望に酔い、承認欲求に突き動かされた甘い夢想者もいただろう。気高い心を
けれど彼らはやり遂げた。針穴ほどの可能性を潜り抜け、新たな都市を築き上げて閉塞を打破してのけた。人類の生存圏を広げ、新たな地平を切り拓いていった。これもまた、三国の全てで起きたことである。
斯様な尽力の積み重ねにより、大樹界はわずかばかりその領土を減じた。
無論、大樹界の脅威が薄れたわけではなく、旅路の無事は保障されたものではない。道行く隊商が魔獣に鏖殺されることも、村ひとつがまるごと飢えた大型界獣の胃の腑に収まることも、今だままある悲劇である。人と獣の天秤は拮抗を保ち、ゆえに人類は陸の果て、海の果てに何があるかをまだ知らない。世界は未知に満ちている。
それでも