第34話 水面月

文字数 5,951文字

 長く生き延びた都市は、複数の城壁を持つ。
 獣たちへの備えを厚くする意図ではない。既に述べたことだが、堅固な城壁は厚い卵殻に似る。身を守ると同時に、成長を阻みもするものだ。
 ゆえに人口の飽和を迎えた都市は当初の外殻を内より破り、より大きな壁を巡らして自らの領域を拡大する。度毎(たびごと)に増える年輪めいた壁たちは、都市が内包する活力と求心力の表れとも言えた。
 その伝でいくならば、ラムザスベルは一級の都市である。
 最外壁の城門から真っ直ぐに十七の壁を抜けて中央城砦へ続くメインストリートは、類を見ないほどに道幅が広い。星のない夜に道の端からもう一方の端を眺めても、闇に阻まれ見通せぬとの風聞まであった。どれほど交通量を想定した通りであるかが推して知れよう。
 拡張され続けた領地には空船や飛龍の発着場や隊商たちが獣車や騎獣ごと滞在するための居留地、生き残りに汲々とする小都市群にはありえぬ歓楽街までが存在し、一生涯をこの都市で暮らしたとて決して退屈は覚えぬと住民たちは豪語する。
 全ては領主、グレゴリ・ロードシルトの力を背景にしたものであった。
 此度の剣祭においてもそれは存分に発揮され、中央通りとその到達点である城砦の一部を改築し、闘技場が築かれている。剣を交える石舞台を高低をつけた楕円の客席が取り囲み、混雑を回避すべく数十を越える出入りの口が設けられた大規模なものだった。
 外周にはぐるりと幾枚もの銅鏡が設置され、これに石舞台の様子が映し出されるように手配されている。遠隔への音声と映像の出力は儀式霊術に属する大規模術式だが、こうも近距離であればさほど霊力を要さない。ロードシルトは祖竜教会に依頼し祈祷小塔を建立することでこれを賄っていた。
 お陰で会場を囲んで食事や酒を出す屋台が立ち並び、剣祭盛況の感をいや増している。流石に雨天と遮光への備えまではないが、急ごしらえとしては十二分の威容であり、同時にラムザスベル公の財力、動員力をも見せつけると言えよう。
 他にも祝い酒の名目でただ酒をふんだんに振る舞い、ラムザスベルを訪れる空船の乗船料を全て肩代わりするなど、ロードシルトは我が領地に多くを招き長く滞在させる手管を尽くしていた。
 大枚を入り用とする行為だが、半分殿の異名を持つ老人にとっては痛くもない出費なのだろう。
 飲食に宿泊に歓楽にと自都市に金銭を落とさせる彼のやり口は、経済の呼び水としても機能している。ここまでならば剣祭とは、皇禍制圧祝賀の名を借りた経済活動のようにしか思えない。
 が、カナタ・クランベルはそうではないと考えていた。
 自身が陰謀のように召し出された経緯もある。そしてのみならず、ラムザスベル公は誘引戦術の天才なのだ。

 グレゴリ・ロードシルトは、大英雄として知られた男である。
 若くして用兵術で頭角を現し、特に防衛戦に長けた。ラーガムを襲った大界獣群の撃退により国の内外に武名を轟かせ、護国の堅盾(けんじゅん)と尊称されたものだった。当時は発展途上であったとはいえ、重要拠点であるラムザスベルを任されたことからも声望の一端が窺える。
 しかしある時、ラーガムは国を挙げて大樹界への侵攻を企画。老練の指揮能力を見込まれ、この計画の総大将に選ばれたことが、彼の人生の岐路となった。
 ロードシルト率いるラーガム軍は、大樹海深奥への切り込みに一旦は成功する。しかしそののち、界獣の襲撃により壊滅の憂き目を見た。生存者はロードシルトの他は側近の数名のみというから凄まじい。
 失望した国王と対立派閥の貴族らは、当然この損耗の責をロードシルトひとりに求めた。栄光に満ちた彼の経歴は汚泥に(まみ)れ、その名は怨嗟と嘲笑に満ちて語られることとなった。
 彼が領土を失うに至らなかったのは、(ひとえ)に国が、ラムザスベルの離反を恐れたからに過ぎない。
 かの土地はアーダル国境にほど近く、また城砦都市はその成立の経緯から、独立不羈の精神を強く備えた。王軍に匹敵する軍勢を持ち、自給自足で都市機能を維持できるのだから、国の意向など何するものぞとの気風は根強い。ラーガムは大都市を失う愚を慮り、過剰な処罰を回避したのだ。
 だがロードシルトは自ら引責して一線を引き、こののち自領を出ていない。
 以後の彼は、ただ財貨の蓄積にばかり腐心した。色には耽らず、傷心をひたすら金銭で埋めたのだ。そうしてついたあだ名が半分殿。国の富の半ばを有するとの意だが、無論尊称ではない。過ぎた欲を嘲って言うものである。
 しかしラムザスベルの栄華からも知れる通り、金の力とは到底侮れるものではない。彼の権勢はかつてを上回り、王ですらその意を容易に阻めなくなっている。
 加えて齢八十に届こうとしながら、この老人の精気はなお横溢していた。四十五十を老人と呼ぶこの世界において、既にして大した長命である。にも関わらず壮年に勝るとも劣らないありさまに、一部の者は簒奪の気配までもを嗅ぎ取っていた。
 懸念の影は大きく、彼を失帰(しっき)(よう)と呼ぶ向きまで出る始末である。死に時を失って現世に執着し続けるあやかしと、最早ロードシルトは見立てられているのだ。

 斯様な人物が催し、また我法使いを遣わしてまで自分を引きずり出したのが剣祭である。十重二十重の思惑が巡らされると見て間違いのないはずだった。
 貴賓席を()め上げ、カナタは険しく眉を寄せる。
 視線の先に、遠目ながらもロードシルトの姿があった。背筋のしゃんと伸ばし威風周囲を払う、白美髯の丈夫である。年波に弱る様子は少しもなく、噂の通り底知れぬ生命力を渦巻かせていた。
 ――果たして己は、あれに敵しうるか。
 強く拳を握ったところで、隣から頬をつつかれた。
「今見るべきは、そっちじゃない」
 同じく関係者席に座るイツォル・セムは、我に返ったカナタへ悪戯めかした笑みを向ける。

「それと、熱心に見るなら私にすべき」

 軽口のように告げてから、悔いて含羞(はにか)むその髪を、少年はくしゃくしゃと撫でた。イツォルが満足げに目を細める。

「先を考えないのは駄目だけど、考えすぎて縛られるのはもっと駄目。わかった?」
「ごめん、そうだね」
「ん」

 軽く顎を引いて肯定を示してから、

「でも私も時々そうなる。だから、その時はまたカナタが教えて」
「もちろん」

 うべなって、カナタは石舞台に視線を戻した。
 百を越える闘技者たちが、連日この場で剣を(くら)べている。その戦いを少年は、聖剣を執行することなしに、危なげなく勝ち進んでいた。
 剣祭への参加を許されるだけあって、集った剣士たちはいずれもが一流に属する強者である。それらを敵に回しての連勝であるが、カナタはこの結果を当然と考えていた。
 無論、傲慢な思い上がりではない。
 彼はこれを、ロードシルトの意図的な差配と見ている。決勝で子飼いの我法使いと――ウィンザー・イムヘイムと戦わせるべく、ラムザスベル公はこちらにやや技量が劣るか、金で勝敗を言い含めた人間を配したのだと信じていたのだ。
 こうしたカナタの判断と、イツォルの感慨は甚く異なっている。
 彼女の見るところ、カナタは明らかに強くなっていた。以前よりも格段に実力が増している。
 まだ体の伸びる時期の彼であるが、元より鍛錬を積んだ身だ。数か月でフィジカルが大きく上乗せされることはない。つまり剣腕の向上は、肉体面以外に理由がある。
 それは判断速度だった。
 相手の起こりを読み、対応を組み立てる。その精度が著しく増しているのだ。
 昔からカナタは、どうにも自信のない少年だった。常に己を足りぬ者、及ばぬ者と見做す節があった。その心地は剣にも現れ、動作の遅滞を生んでいた。
 だが何とは言えぬ何かが、彼の中で確実に変化したのだろう。現在のカナタは、決断に迷いがない。迅速な決断はのちの行動に余裕を生み、それがゆえにますます彼の太刀は冴え渡る。無駄なく洗練された技は、一見緩やかなものとして人の目に映る。カナタの剣は、今やそのような領域にあった。
 これをもたらしたのは魔皇征伐に際して潜り抜けた死線であり、魔皇との鍛錬であろうとイツォルは見る。なんとなく寂しく、また妬ましい気がした。別の働きで挽回するよりないと、彼女は思いを新たにしている。
 そうして開催より十数日を経た現在、剣祭は終局へ至ろうとしていた。
 聖剣カナタ・クランベル。
 水面月ウィンザー・イムヘイム。
 岩穿ちソーモン・グレイ。
 届かずのヒューイット・ムジク。
 剣士は今や絞りに絞られた。勝ち残ったはこの四名(よめい)。いずれ劣らぬ剣技が覇を競い合う格好である。
 複数回行われていた試合は、伴って数を減らして、ついには一日に一試合を行うのみとなっていた。
 が、ロードシルトは生じた空き時間も舞台を遊ばせる人間ではない。曲芸師を揃えて様々な演目を繰り広げ、観覧に訪れた人々を退屈させることを知らなかった。
 今も芝居が打たれていたが、当然ながらふたりはこれを見に来たわけではない。
 カナタたちが検分を意図するのはこののちの立ち合い。ウィンザー・イムヘイムとヒューイット・ムジクの一戦であった。

 中央城砦の尖塔が長く影を差しかける頃、滑稽劇が幕を閉じた。
 一礼して演者らは退散し、次いで登場したラムザスベル都市軍により、石舞台は見る見るうちに清められる。練度の高さを思わせる、一糸乱れぬ動きだった。
 それからしばしを経て、ひとりの剣士が姿を見せる。
 全身を(くる)む外套に丈高な鍔広帽。そして鞘尻が地を摺るほどに長大な剣。勝負の場に臨んでなお旅装を解かないその姿は、ウィンザー・イムヘイムに他ならない。
 拡声術式により簡便な彼の武勇が流れ、我法使いであることが明かされる。
 この前口上は、ある程度剣士の数が絞り込まれてから開始され、繰り返されているものだ。内容に目新しいところは何もない。
 だが観衆に、イムヘイムの法を見た者はまだなかった。我法などそうお目にかかれるものではないから、今日こそそれが閃くことを期待して詰めかけた者も多かろう。
 小さな呟きで紋様術式を執行し、水面月は抜剣。戦場の中央へと歩み出る。
 続けて、もうひとりの剣士が現れた。
 こちらは、常寸よりもやや短い二刀を携えた小兵(こひょう)である。ともすればその背丈は、カナタよりも低く思えた。
 体格を身体強化の霊術により補う剣客であるとの紹介が入ったが、これを聞くまでもなく、カナタもイツォルも「届かず」の武名は耳にしている。
 ヒューイット・ムジクはラーガムでも指折りの使い手であった。数多の武勲を積み上げれど(よわい)は三十に及ばず、心技体いずれにも脂が乗り切っている。
 特に双剣を用いた防ぎに秀で、また対峙する者の目を幻惑する作法を心得ている。彼はあらゆる剣難を亡霊の如くにすり抜け、敵手にただ疲労と絶望ばかりを蓄積させるのだ。
 この惑わしは人のみならず獣にまで作用し、数十体に及ぶ魔獣の群れを、半日単身で釘付けにしてのけたとの逸話も有していた。無論この剣祭においても、彼は一筋の傷とて身に受けていない。いずれの太刀もムジクの身には届かぬままだ。
 などと長所を語れば護身ばかりの印象となるが、ムジクは攻め手を欠く剣士ではない。
 攻めれば無数の連撃を閃かせ、守れば相手の技量の全てを吐き出させる試合運びは素人目にも見応えがあり、来歴からばかりでなく観衆の人気は高かった。
 ゆえに観客の興味は、やはり我法に集中する。
 ロードシルトの我法使いが、ムジクの鉄壁を如何に噛み破るか。或いは届かずか、如何にイムヘイムの我法を打ち砕くか。
 関心は一様にそこへ集中した。剣の限りを尽くし、その果てに振るわれる法の力が必ずや勝敗を決するであろうと期待は高まる。
 衆目が集まる中、入場した両者は互いの間合いにやや遠い距離で向き合い、

「どうぞ、お手柔らかに」

 刃音を立てて抜き合わせて、ムジクが一礼。これを無視して、イムヘイムは音を立てて首を回した。

「実に面倒な話だが、殺すなと言われている」

 鼻白んで、届かずは瞳を鋭くする。
 二者間に張り詰めた険悪を焚きつけるように、拡大された審判の声が数え下ろしを開始した。
 剣以外の得物を用いぬこと。相手を殺傷せぬこと。このふたつのみを規則とした実戦さながら立ち合いが、カウントが尽きたその時に幕を開ける。
 観衆が固唾を呑み。
 半身になったムジクが集中を高め。
 大剣を肩に乗せたイムヘイムが薄く笑い。

「だから、腕二本で勘弁してやる」

 そして勝敗は、開始と同時に定まった。
 明らかに刃先の届かぬ位置から、我法使いは二度だけ剣を打ち振るう。

「斬法・水面月」

 彼が告げたその直後、ヒューイット・ムジクの両腕が付け根から落ちた。紅が飛沫(しぶ)き、だが双剣士は声を上げない。驚愕の過ぎ去った後に敵意の火だけを凍らせて、イムヘイムを睨んだ。歯牙にもかけず、我法使いは刃を鞘に納めて背を向ける。
 会場は水を打ったように静まり返り、しわぶきひとつ聞こえない。
 武を競う催しである。当然ながら、血なまぐさい光景は幾度もあった。だがそれらは互いに死力を尽くした上で起きたものだ。そこには敵意のみならず、敬意と称賛が混在する。
 だがこれは違った。相手の何もかもを踏み躙るような一方的な暴力は、恐ろしい無惨を観衆の肌に味わわせ、忘れられなく刻み込んだ。
 そこでようやく決着がアナウンスされ、救護の治癒術士たちがムジクの下へ駆け寄る。
 剣士ばかりでなく名の知れた霊術士たちをも、ロードシルトは招聘している。ムジクは一命は取り留めるだろう。剣祭において受けた傷の治療は全て、ロードシルトが責任を持って執り行うと明言していた。おそらく容体の安定を待って彼はアプサラスに移送され、再び両手を得もするだろう。
 だが元の技量を取り戻すまでに、どれほどの労苦を要することか。その困難を思うと、同じ剣士としてカナタは戦慄を禁じえない。
 イムヘイムとの決闘は予期していたものだった。それゆえ彼の我法を解き明かさんと欲して観戦にも来た。だが見せつけられたのはただ、防ぎも何も通用しない圧倒的な法力である。
 去り際、ウィンザー・イムヘイムは昏くふたりを一瞥した。
 その眼差しは、カナタの不安と焦慮を煽り立てるに十分だった。
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