第28話 我法使い

文字数 4,057文字

 全身を包み込む外套と丈高な鍔広帽、そして分厚く強靭な革靴は、見るからに旅装である。

「だが話通りのお陰で手間が省けた。カナタ・クランベル――テトラクラム伯だな?」

 しかし彼がただの旅人でないのは、一目して瞭然だった。
 鞘尻が地を摺るほどに長大な剣を背負うのもある。だが尋常の旅客は単身で開拓都市の外縁を彷徨いはしないし、カナタの感覚をすり抜けて、ここまで接近できもしない。何よりテトラクラム伯と承知で殺気を浴びせも、こびりつくような血臭を漂わせもしないのだ。

「失礼ですけど、貴方は?」

 魔皇が楽しげに傍観を決め込む気配を感じつつ、カナタはわずかに膝を撓めた。無論、柄は握ったままである。剣呑な手練れだとの直感があった。

「こいつを届けに来てやったのさ。とんだ使い走りだ」

 露骨な警戒を気にも留めず、彼は内懐から二通の封書を抜き出した。カナタの目に怪訝の色が浮いたのは、その封蝋にクランベルとラムザスベル、両家の紋を見たからだ。

「受け取れ」

 指の股にそれぞれ挟んだ封状へ、回転を加え男は投じる。靄を吸ってゆるんだ土へ二通が浅く突き立った。

「貴様の本家よりの指示と、グレゴリ・ロードシルトからの招待だ。詳しくは読めばわかるが、役者が揃って丁度いい。端的に中身を教えてやる」

 男は帽子の鍔を上げ、自身より背丈の低いカナタを睨め上げるようにして見やる。
 声から察しのついていたことだが、覗かせた面持ちはまだ若いものだった。カナタよりも数年歳を重ねる程度であろう。

「ロードシルトが剣祭を開く。ラムザスベルへ来い。そこで貴様は、おれに斬られるんだ」
「行って死ぬならお断りです。僕は命が惜しいですから」
「ならば代わりに魔皇の首か、セム家の娘を差し出せ」

 直後、男が大きく後方へ跳ねた。言い捨てた刹那吹きつけたカナタの怒気に、鼻先を掠められたからである。

「おいおい、クランベルの本家の言いだぞ。おれに当たるなよ」
「使者の礼も知らない流れ者の舌を、どう信じたものかわかりかねます。身の証しをお願いできますか」

 静かに告げられ、男は億劫げに帽子の鍔を撫でた。
 客観的に見て、カナタの言い分は正等である。男は(おおやけ)にテトラクラムを来訪し、領主に面会を求めた使者ではなかった。突然に押しかけ、身の証も立てずに妄言を吐きかけた流浪なのだ。まずその口上を信用する道理がない。加えて公家(こうけ)紋章の偽造に書状の捏造となれば、これは手打ちにして然るべき罪状だった。
 無論カナタも、男が完全な虚偽を述べるとは思っていない。
 少年の物言いは、非礼を詫びさせ譲歩を引き出すための一種常識的な対応であり、垣間見せた怒りも半ばは芝居である。しかし。

「面倒を避けたつもりが、逆に面倒になったな」

 ため息混じりの軽い口調だったが、その底に、ぞろりと怖いものがとぐろを巻いていた。

「面倒ついでだ――ここで首を獲るか」

 男の手が背の剣を握る。「失せろ」と小さく呟くなり、刃を包む鞘が爆ぜた。粘液化したそれは刀身を這い登り、元よりあった鍔に絡んでアーチを描くと、太い護拳を作り上げる。
 合言葉と共に霊力を流し込むことで起動する紋様術式であった。剣に合わせて長大な鞘は抜刀において不利となる。これを補うべく霊術紋を刻み、鞘と護拳、双方の形状を即座に切り替えられるよう取り計らっているのだ。
 固形物のような殺意が、強く打ち当たる。男が容易く命のやり取りに踏み切ったのを察し、カナタが抜き合せた。

「抜いたな。じゃあ、死ね」

 両者の距離は剣を交えるにはまだ遠い。先の男の後退もあり、あと数歩は詰めねば切っ先の届きようがない隔たりが生じている。
 だというのに次の瞬間、何の音も感触もなく、カナタの剣が半ばより斬り飛ばされた。少年の背筋を、ぞっと冷たい戦慄が()く。もし斬撃に合わせて半歩退(しざ)らなければ、宙を舞っていたのは彼の首だったろう。
 地を擦るように刃が薙がれ、まったく同時に剣が断たれた。どのような理屈かはさておき、ここに男の意志が介在するのは確かである。

「我法か」

 道理と間合いの外からの斬撃を目にし、ほう、とラーフラが感嘆を漏らした。その目に興深げな色が浮く。
 我法とは、我が意のままに世界を歪める法の名であった。
 通常起こりえぬ現象を顕すという点で、それは霊術に似る。だが共通するのはそれだけで、そこまでだ。霊術式が体系だった知識であり学問であるのに対し、我法は徹頭徹尾個人に属し、一切の汎用性を備えない。
 確かに霊術にも、使い手を選ぶ術式は存在する。
 たとえば真夜中の太陽(ラト・スール)や他界干渉のような巨大な霊素許容量を要求するもの。
 たとえば聖剣や千里眼、順風耳といった、その一族の血脈に最適化したもの。
 だが我法はこれらより遥かに強く個人に属して結びつく。法に至った当人を除いては誰にも執行できず、誰にも継承できない。ただ使い手の意志と前後の宣誓のみを条件として起動し、発現する作用も、さながら人格の如く千差万別にして特有である。効能は法に至った者の魂の形に即すると言われ、類似はあれども同一の法は世にないとされる所以だった。
 そのありようはいっそ上位魔族の干渉拒絶に近く、法の圏内において執行者の願望はおよそ現実となる。
 とはいえ、あらゆる希求の全てが叶うではない。実現されるのは執行者が起きて当然と認識する現象のみだ。

 仮に「自身には傷を癒す力がある」と確信し、そうした法に至った人間がいたとする。治せるのがどれほどの傷までか。癒えるまでにどれだけの時を要するのか。そうした事象は悉く、彼の心に依存するのだ。
 もし彼が自らの法が衰えたと感じれば、いずれ些細な傷すら塞げぬようになるだろう。
 もし彼が自身に満ち、死者の蘇生すら為せると確信するなら、復活は実際に発現するだろう。
 成ると思えば為せ、成らぬ思えば為せぬ。自身の意志力が限界を決定する。我法とは斯様に異質かつ強力で、同時に曖昧にして脆弱なものであった。

「如何にも、斬法(ざんぽう)水面月(みなもづき)

 低く笑いを含んで、男が宣誓した。

「斬り損ねたのは久しぶりだな。何だ、今のは? どうやって避けた?」
「……」

 口を結んで、カナタは応えない。答えられるはずもない問いだった。咄嗟の後退は、彼自身も由来のわからぬ勘働きであったのだから。

「まあ、どうでもいいか。いずれ、逃げ切れずに死ぬ」

 ゆっくりと男が剣を握り直す。触れなば断つ不可視の斬撃を以てするなら、その言葉は妄言でなく予言であった。
 ゆえに、カナタの動きに躊躇はない。
 踏み込みに合わせ、彼は半ばになった剣を我法使いの顔めがけて投じた。驚くべき思い切りである。掌中の一刀は、現状唯一無二の護身具だ。武具としても防具としても半端に成り果てたとはいえ、そうそう手放せるものではない。だがだからこそ、男の意表を突けたと言えよう。
 舌打ちしつつ、我法使いは仰け反ってこれを躱し、その空隙を盗んで、カナタが懐に潜り込む。少なくとも男の我法は、斬撃に連動するものだと判明している。ならば得物を封じてしまえばそれでいい。
 剣どころか拳を振るう距離すらないインファイト。極小の間合いで、カナタは体重を乗せた肘を突き出す。鳩尾を狙った一撃を、柄から外した片腕で男が逸らした。剣を手放したくない我法使いと両手を空けたカナタとでは、立ち回りの自由に大きな差がある。形勢は一瞬にして逆転したかに見えた。

「絡め」

 けれど直後、男が告げる。
 合言葉による紋様術式の起動。護拳が爆ぜ、先と逆回しのプロセスを経て鞘へと変じて、刀身を(くる)む。我法使いが意図したのは、無論剣の保護ではない。形状変化の過程で生じる爆発的な膨張。これを利した一瞬の目晦ましだった。刹那視界を奪われたカナタの脇腹へ、男が膝頭を叩き込む。痛烈な一撃に、小柄の体躯は苦鳴を漏らして土を転がる。
 そして、死命を制する間合いが生じた。

「やれやれ、面倒な餓鬼だった」

 過去形で我法使いは吐き捨てる。
 脇に側めた刀身に、既にして鞘はない。護拳が再び形作られ、抜き身が(あらわ)となってる。恐ろしく場慣れた動きだった。法に依らずともこの男は強い。
 今度は、カナタに何をする(いとま)もなかった。
 膝立ちの少年へ向けて刃が走り、

「……魔皇が、人に加勢するかよ」

 確実に首を飛ばすと思えた剣閃は、あわやのところで停止している。
 いつ動いたとも悟らせぬまま、ラーフラがそこに居た。
 花を手折らんとでもするかに軽く伸ばした指先だけで、ぴたりと刃を受け止めていた。まるで大剣に乗るあらゆる力が拒絶されたような、それは奇態な光景だった。

「困ったことに、聖剣の生死は私の暮らしを左右するのだ。よりよい生活環境を追い求めるのは、生き物として当然の仕業だろう?」

 囁いて、魔皇は端正な唇に、ふっと甘い笑みを浮かべた。

「とはいえ、君をどうこうする義理まではない。どこへなりと失せるがいい。私が、ここで首を獲る方が手間がないなどと思わぬうちにだ」
「こいつは……面倒が過ぎるな」

 舌打ちと共に、我法使いは二度続けて後方へ跳ねた。背中に目があるかのように木立を避けて、彼は正面を向いたまま連続で飛び下がる。
 やがて十分の距離を得たところで、帽子の鍔を撫でつつ告げた。

「ウィンザー・イムヘイムだ。ラムザスベルで待つ」

 それは、剣祭で決着をつけようという宣告に他ならぬものであったろう。

「残念なことだ」

 外套を翻し靄に消える背を見送って、ラーフラが小さく(かぶり)を振った。

「ああした手合いばかりであれば、我が事は容易かったろうに」
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