第45話 狗子仏性
文字数 3,148文字
カナタに先駆け、石舞台にひとりの男が立つ。
勲 しのように満身数多の傷を帯び、如何にも歴戦の相貌をしていた。筋骨隆々たる体躯には、剣士よりも戦士といった風情がある。あらゆる戦場の機微を知り、それに合わせうるよう進化した肉体と見えた。手足は丸太のように太く、瘤のような筋肉がうねっている。
それでいて、鈍重な印象は少しもなかった。まるで武骨な鞘に収まる名刀である。その神髄は閃光のような速さと鋭さを兼ね備えるに相違ない。野放図に任せた灰色の髪は、まるで獣のたてがみのようだった。
大質量の巌 めいた気迫は、オショウと相通じるふうもある。だが決定的に異なるのは、彼が他者を寄せつけぬ秋霜烈日の気配を纏う点だ。そこには安易な親しみを許さない、心身共に研ぎ澄まし、磨ぎ上げた境地が宿るようだった。
岩穿ちソーモン・グレイ。
拡声術式が語り聞かせる信じがたいようなその来歴を、彼の五体は裏打ちしていた。
軍がてこずる魔獣の群れを単騎で引き裂いてのけたことも、争う二都市を調停すべくそれぞれの城壁を斬り捨てたことも、最も高く謳われる岩紋龍との一騎打ちも、確かにこの男ならばしてのけるだろうと納得させるだけの威風を備えている。
手にするのは、龍を斬り伏せた折に用いたという一刀だった。グレイの体格と比するから尋常と見える刃渡りは、実際には大剣と呼ぶべき部類に属する。
幅広のこの刃にて、彼はかつて、恐るべき硬度で知られる岩紋龍の鱗を貫き通した。のみならず、手首の力だけで刀身を半回転させ、負わせた傷を更に攪拌。龍の肉体に同様の穴を数多作り上げ死に至らしめたのだという。
このことからついたあだ名が岩穿ち。ただひとりで中型界獣を屠る、凄まじき武功を称えるものであった。
「……」
他を圧する彼の剣気を浴びながら、カナタはゆっくりと深呼吸をする。
「大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ」
そっと寄り添うように囁くイツォルに頷いた。緊張はある。だが、臆してはいないはずだった。
きっと勝たなければならない。やり遂げなければならない。皆の期待に――。
「不安か」
強く拳を握ったところで、そう低く問われた。「はい」と頷きながら、カナタは声の主を振り返る。
「皆と違って、僕は才能がありませんから。いつだって不安です。だけど信じてもらえたからには、投げ出したくはないんです」
「うむ」
意味するところの取れない息をひとつ吐き、彼はしばし沈黙した。
「何か、お話ですか?」
「うむ」
「……」
「……」
この人が饒舌ではないことをカナタは理解している。だから彼が言葉を選ぶのを静かに待った。
「以前、最上位武士道 と言葉を交わす機を得たことがある。殺生席第二位。斬ることに関してならば、俺の知る限り最も秀でた人物だ」
やがてオショウが紡いだのはこちらではなく、元の世界での思い出だった。
宇宙戦艦 を一刀両断して一人前とされるのが武士道使いである。その中でもなお頭ひとつ飛び抜ける最上位武士道 の太刀筋は、誰の目にもその見事が伝わるものだった。
ゆえに問答叶った折、オショウは尋ねたのだ。どのような才あらば、斯様な境地に至れるのかを。そして強さの果てに何を見るのかと。
「答えは、どうだったんですか?」
それはまさに今、カナタが欲する答えだった。頼られ託され、しかし応じ切れない己の無力を、いつも彼は感じていた。
もっと立派でありたいのに、鎖に縛られたかのように足は前に進まない。悪い状況を打開できない。どうしようもない閉塞が、魔皇との対峙以降、カナタにはつきまとっている。
「かの仁はこう申された。『この歳まで刀を振るってわかったのはな、俺に剣の才なぞないってことよ』、と」
未熟な兵卒の無礼を咎めず、最上位武士道 は磊落 に笑った。その顔を、オショウはよく覚えている。
そしてカナタの面持ちを眺め、あの時の自分も今の彼と同じような不満を浮かべていたのだろうと思う。
「おそらく俺は窘められたのだ。才を語れるほどの練武をお前は重ねたのかと。同時に激励されもしたのだ。生まれ持つ才覚など一か二に過ぎず、後天で千も万も積みあげられるものだと。全ては零か一かではない。その間には無数の数があるのだ。未だ一として現れざると思うとも、尊公は無ならず、ただ途中であろう。俺と同じく」
「僕が、オショウさんと同じだなんて……」
「己を未熟と見るならば、人と手を繋げばよい。合わせて無量の数となればよい。尊公を敬う者、想い慕う者は数多い。そも完璧な己を得ねば何事も行えぬというのなら、人は世に生れ落ちることすら叶わなかろう。左様に囚われ自らを否定するは、為さぬ理屈に違いなく思う」
長広舌をしてから、はたとオショウは口を噤んだ。未だ悟入ならぬ身が、何を増上慢にと恥じたのもある。思想とは決して他に押しつけるべきものではない。自ら思考し自ら見出す過程にこそ、零が一へと近づく道筋にこそ価値が生じる。
だが慚愧 にも増して思い至ったのだ。遠い日に贈られた言葉が、今も己の蒙を啓くものであることに。懊悩の鎖を解く鍵は、既にして身の内にあった。
「ま、要するに、だ」
受けて黙考するカナタの背を、ばしんと強くセレストが叩いた。
「お前はできる子で頑張ってる子だ、だから不安がるなとオショウさんは言ってるのさ。おら、わかったら背筋伸ばせ」
「……はい!」
少し吹っ切った首肯をして、カナタは石舞台へと進み出る。少しずつ集中を研ぎ澄ましながら、抜剣した。歩みながら幾度か宙を斬れば、体の自在が感得できる。
――これまでのことに、無駄なんてなかった。
ふと、そう思えた。
胸を張れたカナタを関係者席から送り出し、セレストは前髪をかき上げる。
「まああいつはあれだ、どう認められたいのか、自分の形を見定めるべきだな。クランベルとしてか、テトラクラム伯としてか。聖剣としてか、はたまたどれでもない自分自身をか。どれだって構やしないが、周りに応えるいい子のままだと中身がまるで見えねェしな」
「なるほど、含意深い」
「……いや、オショウさんに言われるとなんか怯むな」
「ふむ?」
噛み合うとも噛み合わぬともつかないやり取りをしてから、セレストは観客の歓声に合わせて指笛を鳴した。するとそれを聞いたネスが駆け寄ってきて、彼の服裾を引っ張り始める。
「!? ! !」
「ん? ああ、やり方か。こう指くわえて、こうしてだな」
「……あまり下世話な振る舞いを教えぬように願うよ」
請われて指笛の鳴らし方を教えるさまにミカエラが苦笑し、
「カナタさまー! がんばれー!」
その隣で、最前列に詰めかけたケイトが声を張った。
「ほら、イツォル様も、ほら!」
「わたし、そういうのはちょっと恥ずかしいんだけど……」
「カナタ様が負けてもよろしいのですかしら!? 殿方は愛する女子の声を受けて奮起するものでしてよ! 物語にもそう書いてありました!」
「ええ……」
「オショウさまもセレスト様もミカエラ様も! 恥ずかしがらずに声援をお願いしますわ!」
イツォルの肩を掴んで揺さぶりながら、ケイトは男どもへも呼び掛ける。
「うむ?」
「おいあれどうにかしようぜ。オショウさんの担当だろ」
「むう」
肘で突き合う様子には頓着せず、妙に張り切ったケイトは手をラッパ筒のようにして口元に当てた。
「それでは参りますわよー。せーの、カナタさまー!」
「カ、カナター!」
それでいて、鈍重な印象は少しもなかった。まるで武骨な鞘に収まる名刀である。その神髄は閃光のような速さと鋭さを兼ね備えるに相違ない。野放図に任せた灰色の髪は、まるで獣のたてがみのようだった。
大質量の
岩穿ちソーモン・グレイ。
拡声術式が語り聞かせる信じがたいようなその来歴を、彼の五体は裏打ちしていた。
軍がてこずる魔獣の群れを単騎で引き裂いてのけたことも、争う二都市を調停すべくそれぞれの城壁を斬り捨てたことも、最も高く謳われる岩紋龍との一騎打ちも、確かにこの男ならばしてのけるだろうと納得させるだけの威風を備えている。
手にするのは、龍を斬り伏せた折に用いたという一刀だった。グレイの体格と比するから尋常と見える刃渡りは、実際には大剣と呼ぶべき部類に属する。
幅広のこの刃にて、彼はかつて、恐るべき硬度で知られる岩紋龍の鱗を貫き通した。のみならず、手首の力だけで刀身を半回転させ、負わせた傷を更に攪拌。龍の肉体に同様の穴を数多作り上げ死に至らしめたのだという。
このことからついたあだ名が岩穿ち。ただひとりで中型界獣を屠る、凄まじき武功を称えるものであった。
「……」
他を圧する彼の剣気を浴びながら、カナタはゆっくりと深呼吸をする。
「大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ」
そっと寄り添うように囁くイツォルに頷いた。緊張はある。だが、臆してはいないはずだった。
きっと勝たなければならない。やり遂げなければならない。皆の期待に――。
「不安か」
強く拳を握ったところで、そう低く問われた。「はい」と頷きながら、カナタは声の主を振り返る。
「皆と違って、僕は才能がありませんから。いつだって不安です。だけど信じてもらえたからには、投げ出したくはないんです」
「うむ」
意味するところの取れない息をひとつ吐き、彼はしばし沈黙した。
「何か、お話ですか?」
「うむ」
「……」
「……」
この人が饒舌ではないことをカナタは理解している。だから彼が言葉を選ぶのを静かに待った。
「以前、
やがてオショウが紡いだのはこちらではなく、元の世界での思い出だった。
ゆえに問答叶った折、オショウは尋ねたのだ。どのような才あらば、斯様な境地に至れるのかを。そして強さの果てに何を見るのかと。
「答えは、どうだったんですか?」
それはまさに今、カナタが欲する答えだった。頼られ託され、しかし応じ切れない己の無力を、いつも彼は感じていた。
もっと立派でありたいのに、鎖に縛られたかのように足は前に進まない。悪い状況を打開できない。どうしようもない閉塞が、魔皇との対峙以降、カナタにはつきまとっている。
「かの仁はこう申された。『この歳まで刀を振るってわかったのはな、俺に剣の才なぞないってことよ』、と」
未熟な兵卒の無礼を咎めず、
そしてカナタの面持ちを眺め、あの時の自分も今の彼と同じような不満を浮かべていたのだろうと思う。
「おそらく俺は窘められたのだ。才を語れるほどの練武をお前は重ねたのかと。同時に激励されもしたのだ。生まれ持つ才覚など一か二に過ぎず、後天で千も万も積みあげられるものだと。全ては零か一かではない。その間には無数の数があるのだ。未だ一として現れざると思うとも、尊公は無ならず、ただ途中であろう。俺と同じく」
「僕が、オショウさんと同じだなんて……」
「己を未熟と見るならば、人と手を繋げばよい。合わせて無量の数となればよい。尊公を敬う者、想い慕う者は数多い。そも完璧な己を得ねば何事も行えぬというのなら、人は世に生れ落ちることすら叶わなかろう。左様に囚われ自らを否定するは、為さぬ理屈に違いなく思う」
長広舌をしてから、はたとオショウは口を噤んだ。未だ悟入ならぬ身が、何を増上慢にと恥じたのもある。思想とは決して他に押しつけるべきものではない。自ら思考し自ら見出す過程にこそ、零が一へと近づく道筋にこそ価値が生じる。
だが
「ま、要するに、だ」
受けて黙考するカナタの背を、ばしんと強くセレストが叩いた。
「お前はできる子で頑張ってる子だ、だから不安がるなとオショウさんは言ってるのさ。おら、わかったら背筋伸ばせ」
「……はい!」
少し吹っ切った首肯をして、カナタは石舞台へと進み出る。少しずつ集中を研ぎ澄ましながら、抜剣した。歩みながら幾度か宙を斬れば、体の自在が感得できる。
――これまでのことに、無駄なんてなかった。
ふと、そう思えた。
胸を張れたカナタを関係者席から送り出し、セレストは前髪をかき上げる。
「まああいつはあれだ、どう認められたいのか、自分の形を見定めるべきだな。クランベルとしてか、テトラクラム伯としてか。聖剣としてか、はたまたどれでもない自分自身をか。どれだって構やしないが、周りに応えるいい子のままだと中身がまるで見えねェしな」
「なるほど、含意深い」
「……いや、オショウさんに言われるとなんか怯むな」
「ふむ?」
噛み合うとも噛み合わぬともつかないやり取りをしてから、セレストは観客の歓声に合わせて指笛を鳴した。するとそれを聞いたネスが駆け寄ってきて、彼の服裾を引っ張り始める。
「!? ! !」
「ん? ああ、やり方か。こう指くわえて、こうしてだな」
「……あまり下世話な振る舞いを教えぬように願うよ」
請われて指笛の鳴らし方を教えるさまにミカエラが苦笑し、
「カナタさまー! がんばれー!」
その隣で、最前列に詰めかけたケイトが声を張った。
「ほら、イツォル様も、ほら!」
「わたし、そういうのはちょっと恥ずかしいんだけど……」
「カナタ様が負けてもよろしいのですかしら!? 殿方は愛する女子の声を受けて奮起するものでしてよ! 物語にもそう書いてありました!」
「ええ……」
「オショウさまもセレスト様もミカエラ様も! 恥ずかしがらずに声援をお願いしますわ!」
イツォルの肩を掴んで揺さぶりながら、ケイトは男どもへも呼び掛ける。
「うむ?」
「おいあれどうにかしようぜ。オショウさんの担当だろ」
「むう」
肘で突き合う様子には頓着せず、妙に張り切ったケイトは手をラッパ筒のようにして口元に当てた。
「それでは参りますわよー。せーの、カナタさまー!」
「カ、カナター!」