第1話 HTF-OB-03は僧である。名前はまだない

文字数 5,093文字

 星々の合間の闇に、無音の光の花が咲く。
 小型高速戦闘艇(擬宝珠)により拡大された知覚で、彼──HTF-OB-03はそれを認識した。爆発の規模と位置からして、亜光速で飛来する誘導式甲虫弾(スカラベ)を、友軍の侍が斬断したに相違ない。
 同様の光芒が、続けざまに戦場の各所で起きた。
 蟲人(ムシビト)の奇襲による開戦から6時間34分。
 膠着した戦況を打破すべく放たれた敵軍の全艦総力射撃(A.G.B)を、或いは武士道使いの侍たちが後の先にて迎撃し、或いは仏道使いの僧兵たちが複合型積層結界により封殺しているのだ。
 無論、これらの防衛網とて完璧ではない。
 飽和的に放たれた誘導式甲虫弾(スカラベ)の幾匹かは、友軍の宇宙戦艦(フネ)に取り付き爆裂。一際(ひときわ)大きな閃光となって漆黒の宇宙を染めている。
 しかしそれでも第六地球宙域駐留軍(ヘキサ・テラフォース)は、敵方の乾坤一擲を大凡(おおよそ)で凌ぐのに成功していた。

 これを機に、反転攻勢を行うべき局面である。
 だが蟲人の侵攻優先度を低く見積もられていた第六宙域に戦力は少なく、攻め手の要となるべき中位武士道(マイナー・ダイミョウ)より格上の侍は配属されていない。
 斬撃の精度と鋭さ、そして到達距離は刃を振るう侍の精神練度に比例する。
 最上位武士道(ミフネ)までもは求めぬが、上位武士道(メジャー・ダイミョウ)クラスの刃でなければ、蟲人どもの生体戦艦を鎧う甲殻壁を斬り破るのは不可能だ。

 ならば、とHTF-OB-03は即断。機内にて音を立てて合掌をする。
 侍の(にな)う役割が矛ならば、僧兵のそれは盾である。金剛不壊(ふえ)の守りとして敵の鋭鋒を押し止める。それこそが強固な結界展開能力を持つ仏道使いの本意だ。
 だがこれは決して、僧兵たちが牙を持たぬ事を意味しない。
 そも仏道とは護法の為に編まれ、やがて体系立ててひとつの道として確立された総合戦闘術である。
 その基本理念は色即是空。
 (しき)とは即ち物質を意味し、この一切を空へ、虚無へと帰せしめんというのだから、どれほどの攻撃的思考が根源に横たわるかが窺い知れるというものだ。
 特に諸行無常、盛者必衰、寂滅為楽といった(ことわり)を練り上げ、打撃に乗せて通念させる仏理的打擲(ちょうちゃく)は凄まじく、一度(ひとたび)その拳に晒されたが最後、陶物(すえもの)の如く破砕されるか、心魂構造を基幹から折伏(しゃくぶく)されるか以外の道はないという。
 まさに拳禅一如の武術であり、従軍僧兵たちは皆、仏の教えならぬこの道を深く鍛錬した有髪(うはつ)の僧であった。無論、HTF-OB-03とて例外ではない。

 故に。
 彼の両眼は、鋭く敵旗艦を捉える。
 それは女王と通称される、蟲人どもの中枢であった。
 蟲人の軍団はまるで一個の生物であるかの如く、鮮やかで精密な艦隊運動を行う。
 これを成さしめるのが、体外のもうひとつの脳たる彼女(・・)の機能だった。如何なる手段によってかこの生体戦艦には、タイムラグゼロで光年距離に展開する自軍への指令伝達が可能なのだ。
 だからこそ女王は、蟲人どもの弱点として認識されていた。
 人類は経験から知っている。彼女を痛撃すれば敵全軍が統率を乱し、大混乱に陥る事を。
 本来ならばその重要度に比して厚く守られる麗しの女王であったが、長時間の激戦から陣形は崩れ敵味方は入り混じり、護衛艦もその数を減じている。
 自身の生還を算に含まぬ自殺的特攻(カミカゼ)であれば、肉薄するは(かた)くないはずだった。

 ──死ぬ事と見つけたり。

 それは自らの命を既に無きものと観ずる武士道使いの心得であるが、決して彼らの専売特許というわけではない。僧兵にできぬ振る舞いではないのだ。
 そして、HTF-OB-03は持っていた。
 誰の為に戦うか。何の為に命を賭すか。
 その答えを、HTF-OB-03は持っていた。

 ──和尚様、和尚様。

 己を慕って呼ばわる、人々の声を思い出す。銃後にはあの平和があるのだと、彼は太い笑みを浮かべた。
 操縦者の念を受けて、擬宝珠(ぎぼし)が機動を開始する。
 先ほどまで広域に展開していた結界を、HTF-OB-03は機体の周囲のみに限定収束。効果範囲を狭め、その分結界の強度を深める。散漫なれども降り注ぐ砲火を縫い、一個の弾丸と化して彼は飛翔した。
 HTF-OB-03の階級は住職。本来ならば4名の僧兵を束ねる5人組(ファイブマンセル)の長である。しかし激戦に次ぐ激戦により、後背(こうはい)に付き従う(つわもの)の姿は最早ない。
 即ち、一機駆けである。
 狙いを定めぬままに威嚇の百八式念弾をばら撒きながら、戦闘艇は螺線状に回転を開始。
 口の()に笑みを溜めたまま、HTF-OB-03は誘導式甲虫弾(スカラベ)の模倣めいて女王に着弾(・・)した。速度を破壊に変換し、外壁から内部へ十数キロほども甲殻壁を貫いて擬宝珠は停止する。
 間を置かず機体を脱すると、彼は機体サイズまで縮めていた結界を再度収束。自身のみを覆う円錐へと変形させる。
 直後、タイマー式の自爆指令を入力されていた擬宝珠が爆裂した。
 冥加(みょうが)により守られ、その爆風をただの推進力としてHTF-OB-03は更に侵撃。女王の装甲組織を掘削して、消化器官めいて蠢く生体戦艦内部通路への到達を果たす。
 おっとり刀で駆けつけてくる蟲人どもを尻目に、彼はゆるりと合掌をした。
 動作をスイッチとして、精密に練り上げられ制御された気が、常よりも高速での体内循環を開始する。
 忽ちに格闘戦の準備を整えたHTF-OB-03は、敵兵の群れに躍りかかるや或いは拳で殴殺し、或いは足刀で斬殺した。戦艦並の硬度を持つ蟲人の甲殻を粉砕するのは、体を(くる)む硬気の働きである。

 一個の弾丸と化した彼は、戦艦中枢を目指して宙を蹴って飛ぶ。
 飛んで、その先に蟲人の姿があれば、殺した。
 斧刃(ふじん)の如き踵が真っ向唐竹割りに一刀両断し、瞬間的に作用範囲を拡大された結界が通路一杯に広がる巨大な拳となって圧殺した。紫電を纏った掌撃を打ち込まれると、爆気を通念させられた個体は数歩よろめいた(のち)に地雷めいて炸裂。外甲殻を散弾のように撒き散らし、周囲を殺傷した。
 行き遭えば死ぬ。
 それはさながら死の颶風(ぐふう)であった。

 しかし──。
 如何に強固な結界を構築し、どれほどに強力な体術を備えようと、衆寡(しゅうか)敵せずの言は覆せない。
 高度に統率され、また恐れを知らぬ蟲人たちの牙が、角が、爪が、顎が、甲虫弾が、徐々に彼の体と命とを貫き穿ち削り取る。
 それでもなお、HTF-OB-03は怯まなかった。
 損傷により失われた宇宙服の機密性を結界で補強し、気の放出により飛翔し、五体の全てを凶器として甲殻を叩き割る。

 ──いずれ生還を求めぬ特攻である。ならばよりを多くを道連れにするまでの事。

 その心は明鏡止水のままであった。思いをただひとつに定め、呼吸のように容易く生死の境地を踏み越えている。
 修羅が顕現したかの如き姿に、恐れを知らぬはずの蟲人どもが、包囲の円の半径を広げて退いた。追って飛ぼうとしたその刹那、突如として巨大な衝撃と加速が彼を襲う。

 出来事を人体に例えるのなら、それは免疫機構の発動であった。
 生体戦艦は自身内部に潜り込んだ有害な異物を周辺組織ごと切り離(パージ)し、宇宙空間に排出したのである。蟲人が取った距離は怯えに非ず、HTF-OB-03諸共艦外へ排除される愚を避くものだったのだ。
 よりよい治癒の為に、腐った傷口を周辺の肉ごと抉り取るのに似た強引な療法であったが、この場合の効果は覿面(てきめん)だった。
 咄嗟に展開した心頭滅却(ジョウキ・イニシエーション)により猛烈な加速度にこそ耐えたものの、身一つで星間の闇に放り出されたHTF-OB-03に為す(すべ)はない。
 彼の体は射出速度を保ったままに漂流し、女王の姿は見る見る遠ざかっていく。

 ──不覚!

 同時に遺棄された戦艦組織からどうにか抜け出し、結界界面に凍結する蟲人の体液を振り払いながら、HTF-OB-03は(ほぞ)を噛む。擬宝珠という足を失った今、生じていく隔たりは絶望的なものだった。再び舞い戻れるものでは到底ない。
 しかし結果としては、この距離こそが幸いした。
 数瞬(のち)に彼は見る。
 突如として生じた眩い球体が、女王戦艦を押しのけるようにして現界する様を。
 それは禰宜(ねぎ)たちが神楽舞により降ろす、天照(アマテラス)の神威であった。
 神道使い十数名の命を供犠(くぎ)として要する、恐ろしく燃費の悪い(・・・・・)砲術だが、それだけに絶大な火力を誇る。富嶽三十六計を修めた軍師が、ここを先途(せんど)と見定めて切った札に相違なかった。
 女王が、光の質量に屈してひしゃげた。
 真っ二つに折れ曲がり、断末魔めいた炎を各部から噴き出しながら圧壊。やがて微塵へと爆散していく。
 神光は止まらない。()り手の禰宜の意思を受け、ゆっくりと光速で(・・・・・・・・)、蟲人の艦のみを選んで焼き潰していく。
 もしHTF-OB-03が擬宝珠の知覚拡大を受けていたなら、機能不全に陥った敵軍が雪崩打って敗走する様が見れたろう。
 その光景は第六宙域における戦闘が、人類の勝利で幕を閉じた事を布告するものだった。



 斯くして、HTF-OB-03は虚空に取り残された。
 僚友は入滅し、機体は失われ、友軍は帰投し、全身は傷にまみれていた。
 心頭滅却(ジョウキ・イニシエーション)により(なが)らえてこそいるものの、救助の見込みは絶望的だった。広大な宇宙から人一人を見つけ出すなど、駱駝が針の穴を通るよりも困難な仕業だ。
 自力での帰投も同様である。
 残された気の全てを仏道にて推進力に置換しようとも、それは蝸牛(かぎゅう)の歩みに似て(はかど)らぬものだ。半光日程度の移動も覚束無い。
 ならば結界を維持する精神力が尽きたその時が、己が命脈の尽きる時であろう。遠からずそれは訪れ、骸は宇宙塵(スペースデブリ)として、この闇を彷徨う事となる。

 戦の終わりを見届け、また自身の終焉を悟り、HTF-OB-03の思考は内を向く。
 彼には何もなかった。そこにはただ、孤独だけが横たわっていた。
 己が誰の為に戦い、何の為に命を賭したか。それは理解している。

 ──和尚様、和尚様。

 もう一度、その声を思い出す。
 ささやかながらも確かに築かれた幸福の輪。
 銃後にあるその守りとなれたのならば、この生涯は無駄ではなかった。以て瞑すべきである。
 故に幾度この生を繰り返そうと、自らはこうしてここで寂滅する道を選ぶであろう。HTF-OB-03が修めた仏道とは悟入に至らず、しかし衆生を救う道である。

 けれど──その思念の、なんと薄っぺらい事か。
 ああ、彼は知っていた。
 その記憶が。呼ばれ慕われた、優しく暖かな記憶が。
 断じて己のものではない事を。
 それは複製体の精神安定の為に本体(オリジナル)から転写された、培養槽の夢。仮初(かりそめ)()り所であり、紛い物の幸福である。
 ただ寂しいばかりの虚像だった。

 HTF-OB-03。
 この識別番号(コード)が示す通り、彼は第六地球宙域駐留軍(ヘキサ・テラフォース)所属の従軍複製僧兵である。戦う為だけに生み出された彼は、ただ一度とて地球の土を踏んだ事はない。
 彼には名など無く、故に一人だった。
 どうしようもなく、独りだった。

 報われたいと願ったわけではない。
 ただ何者かになりたかった。
 誰かに呼ばわれる、何者かに。
 だが、それは叶わぬ望みのようだった。
 体は熱を失っていく。視界は暗く落ち込んでいく。経文を()そうとして、やめた。己が為の祈りは要らぬと思った。

 我知らず、HTF-OB-03は虚空へと手を伸ばす。
 決して触れられぬ幻に、縋るように。
 やがて。
 どこへも届かぬはずのその指先に、何かが触れた。
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