第41話 真昼の月
文字数 4,112文字
「悪ィ、欲をかいた。オレのしくじりだ」
詫びて、ぶんぶんと首を横に振るネスを尻目にセレストは圧縮詠唱。単音節で無数の炎弾を執行し、壁を爆砕する。
逃げ場の限られた屋内で、あれを相手取るのは骨が折れる。そう考えての逃走経路作成だったが、これもまた遅きに失した。仕上がった通路を駆け切るより早く、間近の壁を薄紙のように押し破り、全身鎧が姿を見せる。
霊術砲火の音響から所在をより正確に把握したのだろう。現れるなり打ち振るわれた棍棒の如き腕を、咄嗟に展開した障壁で霊術士は受ける。尋常ならざる衝撃が防御霊術越しに骨まで軋ませ、セレストに苦鳴を漏らさせた。
「覚悟せよ。最早逃げ道は無い」
「ったく、生えたてだってのに、折れたらどうしてくれやがる」
叩きつけられた殺意にセレストが口の端 を歪めて肩を回す。
「!!!!」
「無理すんな。もう十分認識されちまってる。小手先の同調は通らねェよ。それに、我法使いってのは我が強いもんだ」
うろたえるネスに囁いてから、彼はその背をぽんと押した。破壊の向こうに差し込む月を目で示し、
「先にミカ公んとこ行ってろ。兵隊どもに絡まれたんなら遠慮はいらねェ。全力で惑わせ」
「!!??」
「問題ねェよ。オレは、特別だからな」
袖なしの外套を大きく翻し、アーダルの太陽は杖を構える。
「我が身を呈するか。その判断、正しいと思うてか」
「正しいかどうかは知らねェが、大人にゃガキの前でカッコつける義務があんだよ」
おろおろと逡巡するネスを小突いて嘯くと、その手で前髪をかき上げた。
「無意味なことだ」
「お前の了見で決めつけんな。物知り顔で諦めるよりよっぽどマシさ」
「…………」
ぱたぱたと駆け出すネスを見送り、何を思ってか数呼吸だけ、我法使いは動きを止める。
「どうした。来ねェのか? なら、唱えちまうぜ?」
正統詠唱を経てならば、霊術の威や作用範囲を本来より増幅しての執行も可能だ。よって先手先手で暇 を与えず封殺するのが対霊術士戦の基本となる。セレストの挑発は、これを踏まえてのものだった。
「剛法・無道鎧。推して参る」
がしゃりと音を立て、我法使いが向き直る。セレストがにいと笑って応じ、杖の尻で床を打つ。
直後、紅蓮の輝きと轟音とが、眠れる第十三壁を揺るがした。
身を呈する云々とやり取りは交わしたが、セレストにそうした殊勝な心持ちはない。単にネスが逃げるまでの時間稼ぎとして、話を合わせただけのことだ
よって当然のように、彼は炎珠を執行する。瞬きの間 に無数の火球が生み出され、立て続けにアイゼンクラーの周囲で炸裂した。
これが無道鎧に通じぬとは承知している。
だが響き渡る轟音と噴き上がる紅蓮は霊薬保管庫内の長い手 をこの場へと誘導し、消火に手を割かせてネスの逃亡を幇助しうる。またミカエラに、アクシデントを通達する役割を果たしてのけるはずだった。相棒ならばこれだけで、状況を推察し的確に処するだろうとセレストは踏んでいる。
そしてこれは彼の意図せぬことだが、オショウとケイトが目にしたのも、まさにこの炎であった。
狭隘 な通路に充満した爆炎は、アイゼンクラーのみならずセレスト自身へも襲いかかる。発生した爆風を敢えて正面から障壁で受け、セレストは後方へ、酒蔵の外へと撥ね飛ばされた。
それが不格好でなく、姿勢を保ってスムーズな滑空であるのは、既にして彼が浮遊霊術を執行するからだ。精妙にコントロールした障壁と浮遊の両術式によって荒れ狂う炎を乗りこなし、ネスの後を追うように、彼は酒蔵より夜に躍り出る。
炎珠、浮遊、障壁の三重執行。一流どころの霊術士でも目を剥くような荒業である。これによりセレストは、本来這うような動きしか叶わぬ浮遊術式を、高速度の移動手段として運用するのだ。距離の維持と攻撃を同時に行う、独特独自の戦法だった。
そのまま浮遊の高度を維持し、アイゼンクラーが灼熱を呼吸しつつも平然と追いすがるさまを睥睨 した。
この形から執行したいのは、無論真夜中の太陽 だ。五王六武の干渉拒絶すら焼き食らう、獰猛に飢えた炎。解き放てば如何な我法とて耐え切れはすまい。だが太陽の執行には、セレストといえども正統詠唱を必須とする。
無道鎧の手の届かぬ位置に浮遊するとはいえ、それは膨大過ぎる隙だった。
我法による防御ばかりに目が行くが、このアイゼンクラーの身ごなしは鍛え抜かれた戦士のものだ。今回も鎧以外の武具を備えてはいないが、詠唱の間 に飛散した建造物の破片を投じる程度は容易くしてのけよう。兜もつけない頭部に石くれが直撃すれば、それで十分、人間は昏倒するのだ。
どうにか詠唱の猶予を作らねばならぬ状況だが、手を明かすならセレストは、切り札をもう一枚持っている。
真昼の月 。
魔皇との戦いののち、今後を睨んで編んだ術式のひとつだった。
火力面では真夜中の太陽 とほぼ遜色がなく、圧縮による数音節での執行も可能。要求される霊素許容量に目を伏せれば、およそ優等と言ってよい霊術である。新作 であるため知名度もなく、従って対応される可能性も低い。
だがしかし開発途中のこの術は、太陽に比して作用範囲が著しく劣った。正統詠唱を経て槍か剣、圧縮詠唱ならば拳の間合いが精々というお粗末さである。ために直撃させるには、相手をこの距離に捉えねばならなかった。あくまで霊術士であり、武術に精通しないセレストにはなかなか難儀な課題である。
実のところ無道鎧との初戦においても、彼は真昼の月 の執行を目論んでいた。ミカエラとの連携であれば、一撃は叩き込めるつもりでいたのだ。
しかしながら現状、弓矢の援護はありえない。さてどうしたものかと唇を舐めたところで、セレストははっと気づいた。
アイゼンクラーが、こちらを見ていない。
無道鎧が同じくセレストから目を切った状況が、大樹界での交戦の折にもあった。あの時の我法使いは樹上のミカエラを狙ったが――。
アイゼンクラーの視線を追い、セレストは強く舌打ちをする。そこに竦むネスの姿があった。連続する霊術砲火に不安を刺激され、立ち戻ってしまったものと思われた。
「どこ見てやがる、くそったれ!」
自身で障壁を構築できないネスの周りに、爆裂を伴う術式を振り撒くは悪手だ。アイゼンクラーの足止めにはなるだろうが、ネスに余波が及びかねない。とはいえこちらから障壁や炎壁を立ち上げた程度では、無道鎧が遮れぬのもまた事実。この我法使いはちゃちな阻害や炎熱など、歯牙にもかけずに押し通ろう。
霊術士は即座に浮遊術式を破棄。杖を捨てつつ落下の合間に脚力を強化し、数音節の圧縮詠唱を行いながら疾駆する。
愚かにも戦場へ舞い戻った娘を標的としつつ、アイゼンクラーはセレストの動きを把握していた。そして、思う。
――選択を誤ったな。
だがそういうものだとアイゼンクラーは諦念している。誰しもが誤るのだ。誰しもが局所に囚われ、大局を見失う。大を生かしたくば、時に小を見殺さねばならない。愛民は煩わすべし。その判断こそが上に立つ者の責務であり、大きな力を備えた者の義務である。
踏まえれば、アーダルの太陽の行いは愚の骨頂だ。後先考えず一時 娘を守ったところで、己が敗れればそののち彼女が辿る未来が同じだと理解していない。この娘は捨て置いて、自身が撤退する奇貨とすべきであったのだ。
躊躇いのないセレストの動きに微かな羨望を覚えつつ、アイゼンクラーは娘へと手を伸ばす。彼の装う篭手は五指の分かたれた形状であり、大きく広げたその指でネスの頭蓋を握り潰さんという形だった。無道鎧を執行する以上、この腕を妨げる術 は誰にもない――はずだった。
身を強張らせた娘か割り入る太陽、いずれかを捕らえ致命に至らせるはずの手は、しかし彼自身の意で静止する。ネスに触れんとする眼前を、炎が過 ぎったのだ。
セレストの前腕を、白い烈火が取り巻いている。幾重にも螺旋を描いて燃え盛るそれこそが、無道鎧を退かせたものの正体であり、真昼の月 の執行だった。
「惜しい」
「……!?」
白熱の帯が翼のように夜を焼き、陽炎を残してやがて消える。揺らめきの向こうで霊術士が呟き、声なき動揺をアイゼンクラーは漏らした。
無道鎧に守られた身なれば、無視してよい一撃のはずだった。だが恐るべきその輝きが我法使いを制動した。触れればただではすまぬという直感が為さしめたことだった。つまり彼は、我が法を疑ったのだ。
一点の曇りなく、信仰のように思い込めばこそ強まるのが我法である。疑念はただ作用を弱めるばかりに働く。
もし今の一瞬、臆したアイゼンクラーがセレストの火を浴びていたなら。
結果は我法使いの危惧する通りとなったであろう。
「そのまま突っ込んでくれりゃ、苦労がなかったんだがな」
いっそ優しく囁いて、太陽は火炎を宿したままの腕をひと振りした。白い輝きが、やはり翼めいて長く尾を曳く。挙動に連れ、数瞬中空で燃えるこの火は、カナタの聖剣を、時間的に連続するかの剣閃を構成の基幹として編み上げたものだった。
「誰にもあの方を阻ませはせん」
歯ぎしりの下から、アイゼンクラーが呻きに似て宣誓する。
「そして、誰も俺を阻めはせん」
それは自らに言い聞かす文言 であったろう。先鋭化した意志を反映し、無道鎧が聞こえざる軋みを上げる。
「簡単にゃ折れてくれねェか。……おいこらネス公」
「!?」
少女はびくりと身を竦ませた。自らの軽率が危うい局面を作ったと理解して、早くから涙目だった。
「仕方ねェからもう逃げなくていい。そこで、オレの勝つとこ見てろ」
「!!!」
詫びて、ぶんぶんと首を横に振るネスを尻目にセレストは圧縮詠唱。単音節で無数の炎弾を執行し、壁を爆砕する。
逃げ場の限られた屋内で、あれを相手取るのは骨が折れる。そう考えての逃走経路作成だったが、これもまた遅きに失した。仕上がった通路を駆け切るより早く、間近の壁を薄紙のように押し破り、全身鎧が姿を見せる。
霊術砲火の音響から所在をより正確に把握したのだろう。現れるなり打ち振るわれた棍棒の如き腕を、咄嗟に展開した障壁で霊術士は受ける。尋常ならざる衝撃が防御霊術越しに骨まで軋ませ、セレストに苦鳴を漏らさせた。
「覚悟せよ。最早逃げ道は無い」
「ったく、生えたてだってのに、折れたらどうしてくれやがる」
叩きつけられた殺意にセレストが口の
「!!!!」
「無理すんな。もう十分認識されちまってる。小手先の同調は通らねェよ。それに、我法使いってのは我が強いもんだ」
うろたえるネスに囁いてから、彼はその背をぽんと押した。破壊の向こうに差し込む月を目で示し、
「先にミカ公んとこ行ってろ。兵隊どもに絡まれたんなら遠慮はいらねェ。全力で惑わせ」
「!!??」
「問題ねェよ。オレは、特別だからな」
袖なしの外套を大きく翻し、アーダルの太陽は杖を構える。
「我が身を呈するか。その判断、正しいと思うてか」
「正しいかどうかは知らねェが、大人にゃガキの前でカッコつける義務があんだよ」
おろおろと逡巡するネスを小突いて嘯くと、その手で前髪をかき上げた。
「無意味なことだ」
「お前の了見で決めつけんな。物知り顔で諦めるよりよっぽどマシさ」
「…………」
ぱたぱたと駆け出すネスを見送り、何を思ってか数呼吸だけ、我法使いは動きを止める。
「どうした。来ねェのか? なら、唱えちまうぜ?」
正統詠唱を経てならば、霊術の威や作用範囲を本来より増幅しての執行も可能だ。よって先手先手で
「剛法・無道鎧。推して参る」
がしゃりと音を立て、我法使いが向き直る。セレストがにいと笑って応じ、杖の尻で床を打つ。
直後、紅蓮の輝きと轟音とが、眠れる第十三壁を揺るがした。
身を呈する云々とやり取りは交わしたが、セレストにそうした殊勝な心持ちはない。単にネスが逃げるまでの時間稼ぎとして、話を合わせただけのことだ
よって当然のように、彼は炎珠を執行する。瞬きの
これが無道鎧に通じぬとは承知している。
だが響き渡る轟音と噴き上がる紅蓮は霊薬保管庫内の
そしてこれは彼の意図せぬことだが、オショウとケイトが目にしたのも、まさにこの炎であった。
それが不格好でなく、姿勢を保ってスムーズな滑空であるのは、既にして彼が浮遊霊術を執行するからだ。精妙にコントロールした障壁と浮遊の両術式によって荒れ狂う炎を乗りこなし、ネスの後を追うように、彼は酒蔵より夜に躍り出る。
炎珠、浮遊、障壁の三重執行。一流どころの霊術士でも目を剥くような荒業である。これによりセレストは、本来這うような動きしか叶わぬ浮遊術式を、高速度の移動手段として運用するのだ。距離の維持と攻撃を同時に行う、独特独自の戦法だった。
そのまま浮遊の高度を維持し、アイゼンクラーが灼熱を呼吸しつつも平然と追いすがるさまを
この形から執行したいのは、無論
無道鎧の手の届かぬ位置に浮遊するとはいえ、それは膨大過ぎる隙だった。
我法による防御ばかりに目が行くが、このアイゼンクラーの身ごなしは鍛え抜かれた戦士のものだ。今回も鎧以外の武具を備えてはいないが、詠唱の
どうにか詠唱の猶予を作らねばならぬ状況だが、手を明かすならセレストは、切り札をもう一枚持っている。
魔皇との戦いののち、今後を睨んで編んだ術式のひとつだった。
火力面では
だがしかし開発途中のこの術は、太陽に比して作用範囲が著しく劣った。正統詠唱を経て槍か剣、圧縮詠唱ならば拳の間合いが精々というお粗末さである。ために直撃させるには、相手をこの距離に捉えねばならなかった。あくまで霊術士であり、武術に精通しないセレストにはなかなか難儀な課題である。
実のところ無道鎧との初戦においても、彼は
しかしながら現状、弓矢の援護はありえない。さてどうしたものかと唇を舐めたところで、セレストははっと気づいた。
アイゼンクラーが、こちらを見ていない。
無道鎧が同じくセレストから目を切った状況が、大樹界での交戦の折にもあった。あの時の我法使いは樹上のミカエラを狙ったが――。
アイゼンクラーの視線を追い、セレストは強く舌打ちをする。そこに竦むネスの姿があった。連続する霊術砲火に不安を刺激され、立ち戻ってしまったものと思われた。
「どこ見てやがる、くそったれ!」
自身で障壁を構築できないネスの周りに、爆裂を伴う術式を振り撒くは悪手だ。アイゼンクラーの足止めにはなるだろうが、ネスに余波が及びかねない。とはいえこちらから障壁や炎壁を立ち上げた程度では、無道鎧が遮れぬのもまた事実。この我法使いはちゃちな阻害や炎熱など、歯牙にもかけずに押し通ろう。
霊術士は即座に浮遊術式を破棄。杖を捨てつつ落下の合間に脚力を強化し、数音節の圧縮詠唱を行いながら疾駆する。
愚かにも戦場へ舞い戻った娘を標的としつつ、アイゼンクラーはセレストの動きを把握していた。そして、思う。
――選択を誤ったな。
だがそういうものだとアイゼンクラーは諦念している。誰しもが誤るのだ。誰しもが局所に囚われ、大局を見失う。大を生かしたくば、時に小を見殺さねばならない。愛民は煩わすべし。その判断こそが上に立つ者の責務であり、大きな力を備えた者の義務である。
踏まえれば、アーダルの太陽の行いは愚の骨頂だ。後先考えず
躊躇いのないセレストの動きに微かな羨望を覚えつつ、アイゼンクラーは娘へと手を伸ばす。彼の装う篭手は五指の分かたれた形状であり、大きく広げたその指でネスの頭蓋を握り潰さんという形だった。無道鎧を執行する以上、この腕を妨げる
身を強張らせた娘か割り入る太陽、いずれかを捕らえ致命に至らせるはずの手は、しかし彼自身の意で静止する。ネスに触れんとする眼前を、炎が
セレストの前腕を、白い烈火が取り巻いている。幾重にも螺旋を描いて燃え盛るそれこそが、無道鎧を退かせたものの正体であり、
「惜しい」
「……!?」
白熱の帯が翼のように夜を焼き、陽炎を残してやがて消える。揺らめきの向こうで霊術士が呟き、声なき動揺をアイゼンクラーは漏らした。
無道鎧に守られた身なれば、無視してよい一撃のはずだった。だが恐るべきその輝きが我法使いを制動した。触れればただではすまぬという直感が為さしめたことだった。つまり彼は、我が法を疑ったのだ。
一点の曇りなく、信仰のように思い込めばこそ強まるのが我法である。疑念はただ作用を弱めるばかりに働く。
もし今の一瞬、臆したアイゼンクラーがセレストの火を浴びていたなら。
結果は我法使いの危惧する通りとなったであろう。
「そのまま突っ込んでくれりゃ、苦労がなかったんだがな」
いっそ優しく囁いて、太陽は火炎を宿したままの腕をひと振りした。白い輝きが、やはり翼めいて長く尾を曳く。挙動に連れ、数瞬中空で燃えるこの火は、カナタの聖剣を、時間的に連続するかの剣閃を構成の基幹として編み上げたものだった。
「誰にもあの方を阻ませはせん」
歯ぎしりの下から、アイゼンクラーが呻きに似て宣誓する。
「そして、誰も俺を阻めはせん」
それは自らに言い聞かす
「簡単にゃ折れてくれねェか。……おいこらネス公」
「!?」
少女はびくりと身を竦ませた。自らの軽率が危うい局面を作ったと理解して、早くから涙目だった。
「仕方ねェからもう逃げなくていい。そこで、オレの勝つとこ見てろ」
「!!!」