第23話 旅路

文字数 6,533文字

 その街道を、獣車(じゅうしゃ)が行く。
 車体の数は四。うち三台は荷を満載し、まず間違いなく商団と思われた。車を引くのは太い四つ足に長い首、羽子板のような背びれを生やした小型――といっても、体高は大人の肩ほどもある――の地龍である。本来は首と同じく長い尾を持つ種だが、いずれの尾も中途で短く切り取られていた。八方に鋭い刺を備えたその先端で、鞭をくれた御者を殴り返す事例が多発したがゆえの処置だろう。車の護衛として十数名が散開するが、その全てが騎獣に跨っていた。いざ事あらば、かなりの機動力を発揮する構成である。
 旅慣れた、地力のある一団と見えたが、にしては奇妙な面があった。
 足取りがどうにも緩やかなのだ。弛緩している、と言ってすらよい。
 アプサラスからラーガムへ至る街道のこの一帯は、親知らず子知らずとして知られる土地だ。北側の険峻に押し込められる格好で、道筋が樹界へと著しく寄っているのだ。このため往来を界獣が悟りやすく、多くの旅人が犠牲となっている。親子といえども我が身以外を顧みる余裕なく、ただ早足に駆け抜けるしかない難所であった。
 そこを、隊商はゆうゆうと進む。
 街道のすぐ脇にまで、木々は高く、まるで壁のように聳え立つ。崖めいた山肌とに挟まれ、道筋はまるで谷底を行くが如くであった。この狭隘で散って逃れがたい地形も、難所と呼ばれる所以のひとつである。
 一団がその細道に差し掛かったその時、静かだった森がついに人を咎めた。
 後方より、衛士(えじ)の笛が鳴り渡る。まず長く一度。間をおいて、続けざまに三度。小型が三体との報せだった。
  
「壷抱えだ!」
「先頭に寄せるな! 軽いのから狙われるぞ!」

 たちまち怒号めいた声が飛び交う。
 壷抱えとは、蜂に似た体躯の界獣である。背なの六対の羽により高速で飛行し、人を攫う。この獣の下腹部は名に負う通り壷状であり、やはり六対の強靭な脚を用いて、毒液に満ちたそこへ生きたまま人体を漬け込むのだ。哀れな被害者は麻痺毒により身動きもままならず、じっくりと時をかけて齧られていくこととなる。
 小型といえども人の背丈をゆうに上回るその体殻は、なまじの刃も霊術も受けつけぬ代物だ。しかしその習性上、最悪でも襲撃の個体数と同じだけ犠牲を出せば逃走が叶うことから、脅威度が比較的低い界獣とされてはいた。
 だが餌食として囚われた人間は、毒液の作用により無慈悲にも生かされ続ける。ために壷中より助けを求める犠牲者の声が漏れ聞こえた、生首となった壷の中身が目玉をぎょろりと動かしてこちらを見たといった体験談が後を絶たず、強く嫌悪される獣であった。
 散開していた騎兵が、先頭の獣車を守るべく集結していく。荷を載せぬ車内には、商団で生まれ育った子供たちが乗り込んでいた。体重の軽い子供は、壷抱えの好餌(こうじ)である。御者たちも地龍に歩みを任せ、得物を抜き出し身構えた。
 だが事ここに至っても、彼らの(おもて)にはまだ幾許かの余裕がある。

「先生!」

 先頭車両の御者――隊商の統率者であるサダクが、幌の内へ、その余裕の源へと呼びかけた。

「ラカン先生、お願いします!」
「うむ」

 応えてぬっと顔を出したのは、(おお)きな男だった。
 長身ではある。だが彼を背丈で上回る者は決して少なくはない。それでも彼の第一印象は、ただ「巨きい」の一言に尽きた。その身の内に、細く見えて針金の束を叩き込んだような筋肉を備える五体の内に、より大きな何かを湛えている。そう直感させる圧があった。研ぎ澄まされた刀身のような、秘めたる武の圧力である。
 巨岩の如き存在感に呑まれたのち、人はようやく彼の風体の奇態さに気づくだろう。
 ラカンと呼ばれた男は禿頭(とくとう)であった。キトンに似た貫頭衣を纏うそのさまは、この世界には(・・・・・・)ありえぬ僧形に他ならない。
 湖水のように静かな瞳が空を仰ぎ、界獣たちの姿を見定めた。続けて眉をわずかに顰めたのは、その容姿から、元の世界で交戦し続けた蟲人(ムシビト)を想起したためである。

「三体です」
「うむ」

 サダクの声を受け、ラカンはなんでもないことのように頷いた。気負いも意気込みも感じられない淡白な返答であるが、この首肯が絶対であることを、サダクはこれまでの旅路で学習している。
 数日前、悪夢のような大型界獣と遭遇した折もこうだった。
 彼は「うむ」のただ一言で幌を出て、文字通りに界獣を一蹴して車内へ戻った。しばらく開いた口の塞がらぬ光景であったが、以来サダクを筆頭にこの商団の面々は、ラカンに全幅の信頼を置いている。いささかに緊張を欠く長閑(のどか)な道行きは、彼に守られている感覚が生んだ緩みであった。

「あれは、上空から毒液を散布します。お気をつけて」

 余計な口添えであろうと思いつつ告げると、僧兵は「うむ」と応え、それから振り返ってわずかに笑む。

「感謝する」

 言いざまに、まだ走り続ける獣車から飛び降りた。が、その両足は土を踏まない。直後見えざる何かが彼の体から放出され、不可思議なその作用を受けて、ラカンの体は蒼天へと駆け登る。排気(・・)を受けた街道がぼこりと窪み、土埃が舞い上がった。霊術式では為しえぬ機動性に、あれが我法(がほう)というものであろうかとサダクは思う。

「サダク様」

 思わず背筋を伸ばして礼を受けたサダクに、背なの側から別の声がかかった。低く静かなラカンのものとは異なる、耳にやわらかな若い娘の声音だ。

「わたくしにも、何かできることはありますかしら」

 新たに顔を覗かせ、栗毛の毛先を白い首筋に揺らして意気込む少女の名を、フェイト・アンデールという。アンデールは王家にツルモン・ドゥーヤを納める織物師の家であり、娘はその長女だと聞き及んでいる。下の弟に身代を託し、若隠居して販路拡大の旅に乗り出すのだという触れ込みだった。アプサラスのラカンは、選び抜いた旅の供であるらしい。
 護衛付きとはいえ陸路に乗り出すだけあって、彼女は箱入り娘めいた印象にそぐわず優れた霊術式の使い手だった。その万能さには旅の随所に現れており、既にして世話にならぬ者はない。更には天性の朗らかさを備え、今や子供たちが懐くのみならず、隊商のほとんどが彼女へ好意の眼差しを向けていた。閉鎖的な商団にあって稀有な現象といえた。

「このままオ……ラカンさまに頼りきりでは、わたくしだけ御恩をお返しできないことになりますわ。なんなりとお申しつけくださいませ」

 彼女の言う恩義とは、ラカンとフェイト、両名の同道に関してだ。陸路でラーガム領内へ向かいたいというふたりを、唯一受け入れたのがサダク一行なのである。
 大樹界周辺都市を巡る商団は、とかく余所者の帯同を忌避する。
 何故なら陸路に関する知識こそが、彼らの財宝であるからだ。
 地図にない抜け道に隠された水源。魔獣界獣に気取られにくい野営方式に、獣どもと遭遇してしまった際の心得と個々の対処法。いずれも都市内部では得られぬ知識であり、情報である。
 多くの隊商が剣呑な道程に子供たちを同行させ続けるのも、こうした無形の財産を継がせるべくであり、当然彼らは秘伝が外に漏れるを好まない。ゆえにごくごく稀に部外者を受け入れる場合も、守秘の霊術契約を交わした馴染みの衛士までと限られていた。
 また、訪れる先との信頼関係もある。
 城塞都市群は誕生の性質上、来訪者に対する視線が厳しい。スムーズな商談のためには、幾度も交易を重ね、縁を繋ぎ顔を繋いで関係を深めていく必要があった。しかし各地の風俗を肌で知らぬ人間は、うかうかと土地の者の逆鱗に触れかねない。そのような振る舞いがあれば時をかけて培ってきた絆は一瞬に破壊され、その責は斯様な人物を一員として連れ込んだ商団自体へも及ぶのだ。
 こうした事情から、ほぼ全ての商団がふたりを拒んだ。彼女らの身元を保証するのが王家であるという点も、信頼より不審を強めた。魔皇を捕え旭日昇天の勢いを得たアプサラスが、何事かの企みを為すべく投じる一石ではないかと(うたぐ)ったのだ。

 サダクも元々はこの向きであった。
 だが間もなくアプサラスを発とうというある日、彼はラカンの姿を見た。その巨きさに気圧されたのち、彼は直感した。
 ――ああ、こりゃ商売のできない人間だな。
 小回りが利かず、小器用な嘘のつけない顔をしている。つまりは大きなことしかできない類だ。鳥と魚の如く、自分とは住む世界が違っている。恩を売るならこういう相手に限ると思った。
 自らの勘に従い、サダクは霊術契約を交わしてふたりを対獣衛士として雇用した。身内は当初、大層に渋ったが、結果はご覧の通りである。
 サダクは大いに面目を施し、先見を賞されて発言力を高めた。口うるさい古参も彼へは言を慎むようになり、商団内の意志決定は以来非常に円滑だ。恩ならば、その時点で釣りが出るほどに返されている。

「フェイトさんは不測に備えて待機でお願いします。それと、恩などとお気になさらず。持ちつ持たれつが世間です」

 よってその言葉は適当な慰撫ではなかったのだが、娘をなだめるにはいささか及ばぬようだった。

「オ……ラカンさまほどとは参りませんけれど、こう見えてわたくし、それなりにそれなりですのよ!」

 彼女はブラウンの瞳を不満で満たし、聞き分けのない子供のように口を尖らせている。
 この少女は、自身がラカンの添え物として扱われるのを甚く嫌うのだ。おそらくは若人特有の盲目的な感情がゆえであろう。しばしば自身が守られる側であることを忘れ、彼に並び立って前線に赴くを希望する。それだけの実力はあるのだが、フェイトの能力は多彩にして高水準だ。際立って得意とする分野がないのではなく、万能といってよい平均値を誇る。彼女にないのは長所ではなく、短所だった。
 旅と実戦の経験はほぼないと自己申告をしていたが、これに反して判断も早く、思い切りがよい。組んだ相手を立てる動きに適しているのだ。よって突出した破壊力を持つラカンが前に出るならば、防御と治癒を受け持って後背に控えてもらうべきというのが商人の判断だった。

「ですがフェイトさんは治癒霊術を執行できますでしょう? 我々のような弱い者は、貴方のような方が隣にいらしてくれると安心なのです。それにすぐ後ろで備えていてくだされば、万一があった場合でも、すぐにラカンさんの補助が叶いますしね」

 まだ不服顔の少女に微笑んで、サダクは幌の内を目で示した。そこには先ほどまでフェイトと戯れていた幼子らの姿がある。不安げな彼らの面持ちを振り返った娘の横顔に逡巡が過ぎるのを、商人にはしっかりと見て取った。

「つまり貴方は秘密兵器なんです。なので最初から御出座いただかずとも、といったわけで」
「秘密兵器!」

 ぱん、と胸の前で手を合わせ、フェイトは喜色を浮かべ声を弾ませた。

「でしたら仕方ありませんわね。仰せに従いますわ、サダク様」

 今までの不承をさっぱり投げ捨てて、娘はいそいそと幌に戻る。横目に様子を窺えば、子供たちひとりひとりに声をかけ、不安を拭い去るようにそれぞれの頭を撫でていく様子だった。
 一体自分の言いの何が決定的な翻意に繋がったのかと困惑しつつ、サダクは聞き分けてもらえたことにほっと胸を撫で下ろした。彼女がもしもの場合の切り札であるとの見解に嘘はない。機嫌を損ねたい相手ではなかった。
 ただ、それにしても、商人は思わずにいられない。あれに比肩するというのは、大層極まる難事でなかろうか。
 上空へ目をもたげたサダクは、呆れのような嘆息をして肩を竦めた。
 その視線の先で、ラカンは界獣と対峙している。
 霊術式ではありえない速度で接近した彼を前に、壷抱えたちは明らかに狼狽していた。
 彼らが主に獲物として狙うのは、地上を歩行する人間大以下の生物だ。そしてこの界獣は、木々のわずかな隙間をも縫って飛ぶ、高い機動力を備えている。よって縄張りを争う同種の他に彼らの高度に敵はなく、攻撃は自然、上から下へ向けて圧倒的な優位で行うものと限られてきた。敵性存在にこうも肉薄される経験は、彼らの進化の過程に皆無であったのだ。
 それでも本能的な反射で、壷抱えたちは羽の動きを一層に早めた。滞空から上昇への切替である。ラカンの更に上を取り、常通り毒液を散布する目論見だった。
 だが、それを拱手して眺めるラカンではない。
 彼が天へ向けた手のひらを伸ばすや、界獣たちを青く透明な球体が(くる)む。僧兵たちが得手とする結界術だった。
 本来は防御のために構築するものであるが、ちょうど今現在のように、対象を空間に固定すべく用いる場合もまたある。本来ならば外部よりの禍いを阻む壁を、内よりの能動一切を封じる檻とする仕業であった。
 生殺与奪を完全に掌握するこの状態を、総合戦闘術仏道において右掌上(うしょうじょう)と呼ぶ。かつて釈尊が手のひらに10万8千里を乗せ、仙猿を遊ばせた故事に由来するものだ。ラカンの結界は今だ未熟にしてその境地には至らぬが、しかし界獣数体を封じるには十分な拘束力を発揮していた。
 封殺された獣を見据え、ラカンが静かな息を吐く。練気と装気。彼の右腕(うわん)がほの白く光を帯び――刹那、それが閃いた。
 利剣の名号(アミダ・リッパー)
 前腕を鎧う気により手刀を文字通り刃へと変え、ひと声にあらゆる罪業を滅ぼす阿弥陀仏の功徳めいて(しき)を斬り裂く仏技である。鞘を払った利剣が如き一閃は円を描き、さも容易い仕業のように、軌道上のみっつの頭部を刎ね飛ばした。
 ほぼ同時に迦楼羅天秘法(ヴァーハナ・スラスター)の慣性が消失し、ラカンは界獣の屍と共に落下を開始。着地の衝撃をやわらかな足首と膝で殺すと、固唾(かたず)を飲んで推移を見守っていた騎兵へ向けて、「うむ」と頷く。
 一瞬の間を置いて、歓声が上がった。
 無論それは命を永らえたことのみに対するものでない。直後、幌から解体具を携えた女たちが走り出た。彼女らが各々に携える独特の反りを持った鉈は、界獣を分解し、加工可能な部位をいち早く入手するための器具である。
 魔獣とは異なり、界獣は死したのちに骸を残す。壷抱えのような食用に向かぬ存在であっても、残された羽や爪牙、甲殻といった箇所は、或いは霊術の媒体に、或いは高級な武具や日用品の素材として用いられるのだ。
 一例を挙げるなら、それはラカンの履物である。尋常の靴は彼の体重と機動に耐え切れず、ほんの数日で履き潰されてしまう。しかし現在僧兵が着用するのは界獣の皮をなめし、霊術的な加工を施した品であり、強靭かつ柔軟に動きを支えていっかな破損することがない。
 こうした上質の素材を求め、界獣を専門に狩る者も世にはある。人を餌食と看做す獣は、人に餌食と看做されもするのだった。

「ラカンさま、ラカンさま!」

 呼ばわられて、作業にかかる女たちから目を逸らした。この種の解体術も商団の秘伝のうちと聞き及んでいる。まじまじと観察してよいものではない。ラカンは大股に、元々乗り合わせていた先頭の獣車へと向かう。

「おつかれさまでした」
「うむ」

 フェイトの手招きに従い車内に戻り、労いの声に胸前(むなさき)での合掌を以て応えた。それから思い出したように、「楽勝だ」と付け加える。「あら」と娘が笑い、子供らはオショウのさまを真似、音を立てて合掌をした。

「うむ!」
「うむ!」

 いくつもの幼い声が唱和する。聞いて、少女がもう一度笑んだ。未来の死を見据えて透き通る、覚悟の笑みではない。見せたのはごく普通の娘のように屈託のない、ものやわらかな微笑である。
 そのことに満足をして、僧兵は(いわお)のような口元をほんのわずかだけ綻ばせた。
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