第44話 対症療法

文字数 4,510文字

 一同がカナタの宿する部屋に揃ったのは、翌日、日が昇り切ってからのことだった。
 イツォルの術式で酒蔵を脱したオショウらは、隊商居留地でミカエラと合流するというセレストたちとは一旦別れ、それぞれに夜を明かした。
 気を逸らせたイツォルが情報交換を急ぎたがったのだが、『悪いが眠い。流石に頭が回らねェ』というセレストの発言で沙汰止みとなった。
 アプサラスの二名もさりながら、アーダルの三名は随分な強行軍を続けている。ネスなどは手を引かれながら舟を漕ぐようなありさまだった。これでは知恵も回るまいと、互いの居所を教え合い、再会を約してしばしの休息と相成ったのである。
 ロードシルト側の襲撃を警戒しつつの仮眠であったが、幸いなことにどちらにも恐れたような事態は起こらず、斯くて魔皇に挑んだ者たちは、数か月ぶりに一堂に会することとなった。

「そんなこととは露知らず、なんというか、すみません……」 

 それぞれが久闊(きゅうかつ)(じょ)す中、ようやく昨夜のこと知り及んで所在なげにするのはカナタだ。
 無論ながらひとり寝入っていたこと、騒ぎに気づかなかったことは彼の責ではない。
 本日の午後に試合を控える以上、体調面で万全を期するのは当然だ。また酒蔵から第二城壁内のこの宿まではかなりの距離が開いている。酒蔵での騒ぎなど、イツォルでもなければ聞き取れまい。
 なのだが、そこを気に病むのがこの少年である。黙々と椅子と卓を運び込むオショウの横でひたすらに恐懼(きょうく)する彼をイツォルとミカエラが宥め、そこへ買い出しからケイトが戻る。
 大あくびをしていたセレストが、「じゃ、おっぱじめるか」と音頭を取って、情報の共有が開始された。
 と言っても、会議を主導するのはミカエラとセレストの両名である。弓使いが議事進行を担い、彼に指名された者が問いに回答する。その要点を大雑把に霊術士がまとめていく流れだ。
 自然アーダル側の未知部分が主体となるから、詳細を知るカナタとイツォルの発言率が非常に高く、アプサラスのふたりは手持ち無沙汰と言ってよい状況にあった。
 オショウはただ黙して耳を傾け、ケイトに至っては外の屋台で買い込んできた飲食物を配膳したのちは、寝台にネスを座らせてそのふわりと波打つ髪を(くしけず)るのに集中している。
 世話を焼かれるネスの方も、与えられた焼き菓子を()の実を齧る小動物のように両手でちまちまと食してご満悦の様子だが、ケイトの手つきが伸びたパケレパケレの毛を()く手際だとは知る人ぞ知ることだった。

「ま、こんなとこか」
「ああ、おおよその見当はついてきたようだ」

 やがて推察が煮詰まって、年嵩(としかさ)のふたりが頷き合う。

「大前提の確認だが、オレたちはロードシルトの邪魔立てをする。それで問題ないな?」
「ありません」
「うむ」
「ではその手段として、酒蔵の再襲撃を私が提示しよう」

 首肯を得て、ミカエラが一指を立てた。

「これは各地より多量に運び込まれたマーダカッタの破棄を目的とする行為だ。マーダカッタは摂取すれば酩酊に似た症状を発し、やがて喪神に至る霊術薬だ。ロードシルトは剣祭決勝ののち、これを用いた何事かを企んでいる。彼が以前マーダカッタを使用したのはラーガム防衛戦で民間人を界獣の餌とした折だという。かつての成功体験を踏襲したものとすれば、まずよろしからぬ目論みだろう。実行手段を奪うに越したことはない」
「じゃあ、今夜、また?」

 イツォルの問いかけに、「今度は僕も行きます」と勢い込んでカナタが続く。だがミカエラは首を振り、その後をセレストが引き継いだ。

「いいや、決行は明日の午前だ。今日カナタが勝ち上がりゃ、明日は聖剣と水面月の決勝になる。となりゃ試合の前後、グレゴリ・ロードシルトとウィンザー・イムヘイムは闘技場にいなけりゃならない。そして飼い骨は少なくとも敵じゃなく、無道鎧は昨日、オショウさんがへし折ってる。つまりその時間、酒蔵方面の戦力は極手薄ってわけだ。狙わない手はないだろ?」

 だが彼の描いた絵図面を聞き、カナタが顔を曇らせる。

「僕が勝ち抜けるとは限りません。相手のグレイさんは単身で中型界獣を討ち取るという噂ですし……」
「すまないがカナタ君、君の勝利は大前提だ。ラムザスベル公は、間違いなく君に悪意を(いだ)いている。水面月に君を打ち破らせ、恥辱を味わわせるつもりなのだろう」
「え……それは一体、どうして?」

 ロードシルトに執着される理由が、カナタには微塵もわからない。そもそもラムザスベルを訪れて、初めて面識を得た相手である。これほど大規模な祝祭を催してまで陥れられる心当たりなど皆無なのだ。

「君は自分が周囲にどう見られるか、いい加減自覚すべきだ。聖剣を担い魔皇を捕らえ、更には大樹界に挑む新たな都市の統治者となり――。洋々たる君の前途は、落日を迎えた老人の羨望を受けても仕方ないものだよ」
「……」
「標的である君が中途で敗退すれば、かの老人は大幅に計画を変更しかねない。その場合の行動予測はほぼ不可能だ。ならある程度、彼の思惑通りに事が進む方がいい」

 ロードシルトが剣祭の完遂に拘ることは、昨夜の霊術薬保管庫襲撃事件の扱いからも知れている。彼は今朝方、霊術薬を盗み出そうとした襲撃犯の一味を拿捕したと公表していた。
 セレストたちが実行犯だと見当はついているだろうに、敢えて虚偽の犯人を仕立てたのだ。そしてこれにより剣祭の進行に遅延が生じることのない旨を、広く触れ回っている。

「大舞台で君を辱めるのは、悪趣味からだけではない。ラムザスベル公の目的は君の心を折ることにあるのだろう。彼の我法は、他者の肉体を奪い取るものだそうだね?」
「ええ。ツェランさんからは、そう聞いてます」
「ならばおそらく、法の執行条件がそれ(・・)なのだ。対象の心の弱りにつけ込まねば、心魂を奪うには至れないのだよ。マーダカッタの効能と考え合わせれば、まずそれで間違いないだろう」

 少年の心が重圧を受けたのを察して、隣のイツォルがそっと手を重ねた。彼女の温度に、カナタは一瞬だけ気弱な笑みを見せる。

「難しく考えることはねーぞ、カナタ。単にお前が優勝すりゃいいってだけさ。そうすりゃ面倒ごとは起こらないし、テトラクラムに金も入る。ついでに水面月の心の方を、オショウさんよろしくへし折っといてくれりゃ万々歳だ。殺さずとも、我法使いはそれで無力化できっからな」
「……すごく、責任重大な気がします」
「だから気負うなって。できねェ奴には言わない無理だ」
「クレイズさん、あの、カナタはそういうの、駄目だから。とっても駄目だから」
「繊細だ」
「誰も彼も君のように神経が太いではないのだ。理解したまえ」

 すかさず三方向から窘められて、「前はもうちょい言ってのけなかったか……?」と霊術士は頭を掻いた。

「カナタ様、カナタ様」

 そこへ割り込んだのがケイトである。菓子を食べ終えたネスがセレストとミカエラの間の席に収まり、ちょうど彼女も、会議の卓に戻ったところだった。

「でしたら相手の方を、オショウさまに闇討ちしていただくのはどうですかしら!」

 名案顔からの身も蓋もない発言に、イツォルとミカエラは絶句する。

「オレでもやらねェぞ、それ。いや有効だけどよ」
「……ええと、次の対戦相手の方はラムザスベル公と深い関りのない、純粋に剣祭に参加された剣士です。なので、それはちょっとよくないかと」

 引き続きセレストが眉間を抑え、ぎこちない微笑でカナタがどうにか収めた。「残念ですわ」と引っ込めたケイトが次の発案をする前に、

「それとオショウさん、いいかい?」
「うむ」
「話を戻して酒蔵の方だが、これはオレとオショウさんのふたりでやろうと思ってる。残りはカナタの後詰(ごづ)めだ」
「あら、何故ですかしら?」
「今述べたラムザスベル公の思惑は、所詮我々の憶測に過ぎないからだよ、ウィリアムズ君。状況に対応できる人数は多い方がいい。そしてセレストとオショウ君であれば戦力面、分析面に問題はあるまい。……多少大雑把になりかねない嫌いはあるがね」

 小首を傾げるケイトに、ミカエラが応じる。

 ――この都市には居やがるんですよ。グレゴリ・ロードシルトがそれこそ幾人もね。

 飼い骨はロードシルトの我法について、そう語っていた。この複数のラムザスベル公がどう動くかも、また不分明である。

「それとな、ネス公のことがある」
「? ?」
「ペトペちゃんが、何か?」

 名指された当人がきょとんと隣を見上げ、気がかりのふうで、イツォルが卓上へ身を乗り出した。  

「昨日のことだがな、こいつがちょいと触ったら、ロードシルトの法っぽいのが解けた。それまで別人になりすましてたのが、いきなりあの爺顔になりやがったのさ。要するにネス公が同調すりゃあ、他人に化けてるロードシルトの化けの皮を剥がせるってわけだな」
「……初耳だが?」
「悪ィ、じゃあ多分言い忘れた」

 じろりと睨む相棒の視線を受け流し、

「本当は事を起こす前に、こいつは逃がしとこうかと思ってたんだが、こうなるとそうはいかねェ。あっちにも(つら)見られてっからな。つーわけでオレがいない間、なんとかこいつの面倒を見てやってくれ」
「もちろん、引き受ける」
「ええ、楽勝ですわ!」

 頭を下げるセレストに、すぐさまイツォルとケイトが唱和した。歳よりも幼く見えるネスを、彼女たちは妹のように愛でるものらしい。

「助かるぜ」
「私からも御礼(おんれい)申し述べたい。ありがとう」
「!!」

 そのやりとりを微笑で見守ってから、カナタが「それじゃあ」と口を開く。

「僕がすべきは次の試合の勝ち上がりですね。そのあとは英気を養って、決勝に臨む。セレストさんとオショウさんは決勝前を狙って酒蔵へ。他の皆さんは不確定要素の対応で会場へ入ってもらって、怪しい人物はネスさんに確認してもらう。こんな理解でいいでしょうか?」
「ああ、問題ねェ。とりあえず飯食って、それから今日はカナタの応援だな。オレたち魔皇拿捕組が雁首揃えてるさまを、あちらさんに見せつけてやろうぜ。きっと今夜はさぞ手堅く守ることだろうよ」

 当然それを肩透かしさせる意図で、悪童のようにセレストが口の()を持ち上げた。

「到着が遅れてしまいましたから、観戦は初めてですわ。精一杯応援させていただきますわね、カナタ様」
「ありがとうございます」

 素直に礼を言う少年の肩を、ひと足早く立ったセレストがぽんと叩く。

「出る前に、ちょいと時間をもらうぜ」
「え、なんでしょう?」
「腕治してる間にな、いくつか術式を編んだのさ。お前に用立つのが仕上がったから、もののついでで覚えてけ」

 やはり悪さを企む顔で、セレストは片目を瞑ってみせた。
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