第50話 魂食

文字数 4,196文字

 それは、ラムザスベル各所で同時に起きた。
 昼酒を食らっていた親父が。娘の手を引いていた母親が。揺り籠に眠る赤子が。壁外に目を光らせていた兵士が。青物の値段交渉をしていた女が。病に臥せっていた老人が。獣車内の着飾った貴族が。睦まじく手を繋いだ恋人たちが。
 不意に目を見開いて、老人の声音で告げたのだ。

「我が法に服せ、ラムザスベル」

 各所で言い放った者たちは、繰り糸に引かれるようにぞろりと立って、手近の人間へと掴みかかる。それらに触れられた人々は悲鳴を上げてのたうち、転げまわった。彼らの肉体は気難しい陶芸家の見えざる手に捏ねられるが如く変形。一様の老人の相貌となって立ち上がり、更に周囲へと襲いかかった。
 肉人形による魂食の執行。連鎖捕食の開始である。
 叫喚は、闘技場近隣で最も多く聞こえた。主目標であるだけに、配されていた使役体の数が多かったのだ。観客席は波のようにロードシルトに塗り替えられ、逃げ惑う観客たちを、しかし封鎖された出入りの口が押し留めた。闘技場は獲物を腹に収めた罠であり、狩人は十分の収穫を見てその口を閉じたのだ。
 場外の銅鏡にもこの惨状は映し出され、周囲に混乱を振り撒いた。誰もが老怪人の魔手を逃れようと算を乱して逃げ惑う。だが実のところ彼らに、逃る先などありはしなかった。まだ知られぬことながら、ラムザスベルの全城門がこの時に閉ざされている。

「欲しいのはそなたであったが」

 石舞台上、イムヘイムの後背に降り立った複製体が言う。このロードシルトが伸ばした腕は水面月の喉を捉え、我法使いは意識なく痙攣するばかりとなっていた。

「随分と都合よく、こやつの心が折れてくれた。ひとまずはこちらで満足しよう」

 やがて失われた腕の切断面が泡立ち、そこからずるりと腕が生える。白目を剥いたままの顔が、虚ろなまま笑った。その笑みは、増殖するロードシルトのものに酷似している。

「貴方は!」
 諸悪の根源へ、怒りで顔を朱に染めカナタが叫ぶ。

「憤る必要はない。悲しむ必要もだ。いずれそなたも我となり、我らとなるのだから」

 付き合う必要も意味もない御託とカナタは判断。曲刀を閃かせ、ふたつの首を同時に飛ばす。
 が、無意味だった。

「無駄だ。もう遅い。おれは永劫を得た」

 耳に届くはイムヘイムの声だった。見やれば、石舞台近くのロードシルトが我法使いへと変貌しゆく最中である。

「斬法・水面月」

 元は都市軍の兵士だったらしいその男は帯剣を抜き、我法を執行する。危うく飛び逃れたカナタに追撃の刃が迫り、しかしその顔を横合いから呪弾が撃ち抜いた。
 怯んだ拍子に喉首をカナタの切っ先が抉り、ふたりめのウィンザー・イムヘイムはどうと地に倒れ伏す。

「助かりました、ケイトさん」
「どういたしまして、ですわ!」

 呪弾の執行者はケイトだった。手には抜き身の剣があり、白刃はもう血を絡めている。混乱に呑み込まれんとする観客席を離れ、ネスを連れて石舞台に避難してきたものらしかった。

「無駄だと言ったぞ、カナタ・クランベル」

 だが言葉を交わす間もあらばこそ、三度水面月の声がして、カナタはまたしても彼と刃を交える。
 肉体を活動不能に追い込めば、少なくとも死ぬ。だがイムヘイムはどの使役体からも生まれうるらしかった。ロードシルトとは異なり複数の出現はないようだが、全く以て(きり)がない。使役体たちが群がり来る中で鍔迫り合いに持ち込まれ、さしものカナタにも焦りが浮かぶ。

「!」

 けれどネスが一指するなり、イムヘイムそのものとなっていた肉人形の顔がぐにゃりと歪んだ。老人の、ロードシルトの相貌へと戻り、同時に水面月としての通力を失って容易くカナタに斬り捨てられる。
 ネスの同調の為せる業だった。
 ロードシルトの人格転写は、無理矢理に膨らませた風船のようなものだ。ぎりぎりまで薄くなった皮膜は、ほんのわずかの刺激でも容易く割れ弾けてしまう。ネスの接続は人格標本の上書きを解除し、それを元の肉人形へと戻しうる。

「太陽の連れていた娘か」
「あれを捕らえよ」

 口々に言う老人の頭部が、ぱっと爆ぜた。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつと立て続けに血の花が咲き、頭を欠いた骸が転がる。死体の跳ね飛ぶ向きから射撃地点を憶測し、カナタはそちらに軽く手を振り感謝を示した。姿は見えないが、これほど精密にして強力な狙撃は、ミカエラのもの以外ありえまい。

「皆様、こちらへ! 石舞台の上へ!」

 ケイトはその(かん)に、拡声の紋様術式が刻まれた護符を回収。会場中に響く声で告げ知らせる。

「わたくしたちがお守りしますわ! 慌てず落ち着いて、でもできるだけ急いでこちらへいらしてくださいまし!」
「フェイトさん!」

 しかしながら場内は混沌の坩堝だ。なかなかに指示は通らない。どうにかしようと焦るケイトへ、名を呼んで駆け寄った影がある。

「サダク様!」
「ご挨拶はまたのちほど。それをお借りできますか。商団(うち)の者を使って誘導します。幸い界獣ずれで、騒動には慣れっこですから」
「助かりますわ。なんとお礼を申し上げたら!」
「いいえ、恩義をいただいているのはこちらの方です。命拾いさせていただいておりますよ」

 石舞台へ逃れてきたのは彼だけではない。その背には、アプサラスよりの旅路で睦まじくなった隊商の顔触れがあった。中には子供たちの姿もあったが、不安を見せこそすれ、彼らに恐慌の色はまるでない。大したものだった。

「恩などと、お気になさらないでくださいまし。持ちつ持たれつが世間ですわ!」

 覚えのある台詞で返す彼女に釣り込まれて微笑し、それからふとサダクが尋ねた。

「ところでラカン先生は? あの方がいらっしゃれば……」
「申し訳ありません。今ちょっと外しておりますの。でもすぐに、きっとすぐに戻ってきてくださいます」

 言い口から事情があると推察し、サダクはそれ以上問わなかった。代わりに商団の者へ指示を飛ばし、混乱の慰撫と群衆の誘導に着手する。

「ネスフィリナ様」
「??」
「サダク様は上手くやってくださると思います。でも人流れができると、そこを狙われるものですわ。ですからネスフィリナ様。他の方を守るために、囮になっていただけませんかしら。ロードシルト様は、ネスフィリナ様がお嫌いのご様子ですから」
「!!!!」

 望むところだ、とばかりに少女は強く頷いた。

「きっとロードシルト様は逃げてくる方の中にこっそり混じろうとするでしょうから、そちらもお願いいたしますわね」
「!!」

 何の言葉も交わすことなく、でもたちまち人々を守る意志の下に動き出す。ネスはそうした仲間たちの心を、とても心地良く思う。だから彼らの役に立てることを、甚く幸運にも思う。小さな手をきゅっと握り、託された仕業を完遂すべく目を(みは)った。
 こうして協力体制が整う中、もっとも苦戦していたのはカナタである。
 与り知らぬことながら、ロードシルトの完全転写先として選ばれた彼は波状攻撃に晒されていた。肉人形たちは、さして動きに優れるではない。ロードシルトと同一の我法を執行もするようだが、法の圏内は狭く、また執行力は弱い。だが衆寡敵せずの言葉の通り、個人の力には限界がある。人の手足は二本ずつで、目玉は前しか見えないと決まっているのだ。
 それを補うミカエラの矢も、時折途絶えることがあった。狙撃地点を発見され、その対処と移動に時を割くのだと思われた。ロードシルトはラムザスベル中に存在する。その目を掻い潜り続けるのは難しい。
 またネスが対処してくれるとはいえ、不意に襲い来るイムヘイムも厄介だった。いくらでも蘇るあちらに対し、こちらは一度でも水面月を避けそびれればそれで終わりだ。常に目を凝らし、集中を続けねばならない。
 決勝から戦い続け、流石に疲労が蓄積したか。斬り捨てたつもりの相手に腕を掴まれ、カナタの動きが不覚にも止まる。

「しまっ……」

 たちまちに有象無象が群がり、しかしその指がカナタに触れるより早く、最前列のロードシルトたちが田楽刺しに貫かれた。数人を纏めて突き刺した幅広の剣は手首の力のみで半回転。肉人形たちの胴に大皿のような穴を穿って四散させる。

「しばらくは引き受ける。休んでおけ」

 ソーモン・グレイのひと振りで残る使役体が薙ぎ払われ、半円状の空白が生じた。その圧倒的な膂力を眺め、カナタは「よく勝てたなあ」と感慨する。

「いいや、休んじゃ駄目だぜ、クランベル」

 そこへ別の声がかかった。サダクら隊商の者の指示に従い、石舞台に集まってきた剣士たちである。早くに敗退した顔も、ある程度勝ち上がってから敗れた顔もあった。いずれもが決勝の観戦にやって来ていたと見える。

「お前は気に入らないが、この場をどうにかしねぇとこっちの命が危ない」
「なんで手を貸すぜ。剣士を使うなら剣士の指示が一番だろう」
「ホントはグレイさんがよかったんだが、本人が聞いちゃくれなくてよ」

 口々に好き勝手を言いながら、彼らはカナタの周囲に集まっていた肉人形を駆逐していく。ぽかんとしばらく呆けてから、

「助かります。ありがとうございます」

 少年は涙声で頭を下げた。

「そういうとこが気に入らねぇんだっての」
「おら指揮を寄こせよ、カナタ・クランベル! あんたの差配なら皆従う!」

 そのさまを横目に捉え、ケイトは小さく微笑んだ。どうやらあちらも大丈夫なようだ。
 カナタの側のみならず、馬手(めて)の剣を振るい、弓手(ゆんで)で術式を執行し、ネスを攫おうとする魔手を打ち払い続ける彼女の下にも、思いがけない助太刀はあった。

「ああくそなんだってんだ、悪い夢かよ」
「飲み過ぎた後の悪夢だったらいいんだがな」
「違いねぇ」
「だがよ、酒に任せて女子供に無体をすると、まーた痛い目を見るからな。見るなら悪夢がマシってもんだ」
「違いねぇ!」

 獣狩りの衛士たちが、声を揃えて馬鹿笑いする。「どうしてわたくしが悪者扱いなのですかしら!」と憤慨しつつ、ケイトは彼らをとても頼もしく思う。
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