第46話 二人舞

文字数 4,539文字

 カナタの入場と、滅法に賑やかな相手方の陣営を眺め、ソーモン・グレイはほんのわずかに笑った。

(あー……)

 周囲からは厳しい、恐ろしいと見られる面体の奥で、彼は流暢に思考する。

(聖剣君、爆発しないかなあ……)

 衣食住のいずれにも困ったことがなさそうな、クランベルのおぼっちゃま。しかも若くして武芸に秀で、聖剣を受け継いで魔皇を打倒し、今では新都市の領主を務める人物なのだ。現時点でも大物なのに、まだまだ将来有望である。おまけに観客席から黄色い声が沸き起こるほど顔がいい。
 更に関係者席に居合わせるのは、アーダルの太陽と神眼のふたり組だった。魔皇のこと以前から高名な顔くらいは、グレイでも心得ている。となれば他の面々も、同じく皇禍に挑んだ英雄たちに違いなかった。豪華極まりない顔触れが揃い踏みというわけだ。

(それに引き替えこっちはどうだい。人っ子一人いやしない。もうこの時点で負けてるよ。おじさん、孤高を気取るとかじゃないんだよ。ただ孤立してるだけだよ)

 己が後背をちらりと眺め、グレイは誰にも悟られず肩を落とす。

(あとはあの子、セムちゃんだっけ。あれは絶対あれだよね。お互い憎からず想い合ってるとか、そういうヤツだよねー)

 ふたりの仲は、これまでの試合前を見ていればもう瞭然だった。互いの手指を少しだけ触れさせたり、視線を合わせては外したり、今のように恥ずかしげにも必死の声援を送ったり。何とも言えない甘酸っぱさが充満している。

(いいなあ、おじさんもそんな思い出欲しかったなあ。……そういやさっき飲み物を貰おうと思って、物売りの女の子に声かけたんだよね。そしたらあれだよ、「ひいああ!?」って仰け反られたよ。断じて黄色い声とかじゃなかったよ。「ひいああ!?」だよ。完璧に悲鳴だよ。うん、そりゃおじさん強面だしさ。いきなり間合いに入られたら驚くよね。ごめんね。というかおじさんみたいのが若くて可愛い子に話しかけちゃ駄目だよね。うん、お祭りだってんでちょっと浮かれてた。あー、やだなあ。これってどれくらいの罪になるんだろう。死罪は勘弁してほしいなあ)

 胸の内だけで嘆息し、ゆったりと剣を抜いた。カナタが舞台に上がるのに合わせ、軽くひと振りをする。
 観客が、揃って息を飲んだ。遠く離れた自分の席まで、剣風が届いたと錯覚したのだ。

(いやもう女の子みたいな顔しちゃってさー。そりゃ人気者にもなるよねえ。これで強いとかずるくない? もう世界中の不幸が彼に押しかければいいのに)

 交友関係でも見た目でも予選敗退で、では実力はと言えばこれも危うい。
 カナタ・クランベルの試合はいずれもが美しいものだった。相手を研究し、対応し、その上で自らの得意を発揮する地力が身についている。相当の修羅場を潜るか、まるで実戦のような鍛錬を日々繰り返すかでもしなければ、あのような判断の嗅覚は身につかない。そしてそもそもからして、倒した相手の格が違うのだ。

(岩紋龍がどうしたって話だよねー。そりゃ丁寧に解説してくれたけどさ。まず大きさとか硬さとかをいちいち説明しなけりゃならない界獣じゃん? でもあっちは魔皇だよ、魔皇。もう名前出すだけで説明がついちゃう相手だよ。でもって聖剣君、それを降してるんだよ。やばくない?)

 魔皇とは殺すために人を殺す、人類の天敵だ。恐ろしさは幾代にも語り継がれ、三ヶ国全てが共同して挑むほどの存在である。それを打倒するのみならず、捕らえて降伏させたのだから、武勇としては最上位の部類であろう。
 一方自分の界獣退治など、ただ決まり切った行動を繰り返した結果に過ぎない。
 岩紋龍は硬質の鱗を持つぶん、動作が鈍いのだ。なので注意するのはよくしなる首を用いた噛みつきと頭突き、そして同じく可動域の広い尻尾によるぶっ叩きだけでよい。それらを躱して足元に潜り込み、踏まれないよう気をつけて後足を潰す。ただでさえ鈍い歩行速度と旋回動作が更に鈍化するので、残りの足も穿って失血死待ち。少しも英雄的でない戦法だというのが、ソーモン・グレイの自己評価だった。

(しかもラムザスベル公から、「聖剣君に負けてくれたら金あげるよ」なんて言われちゃったしね。なんていうか、萎えるよね。いや当然断りましたよ。そういうの、聖剣君にも負かしてきた相手にも失礼でしょ。でも腕試しのつもりで参加しちゃったけどさ。実はラーガムって国の中でもう優勝者が決まってたりした催しだったら、おじさん、だいぶ空気の読めない人だよね。あーやだやだ)

 拡声術式に乗った審判の声が、試合開始の数え下ろしを開始する。

「よろしくお願いします」

 一礼して、カナタが構え直す。堂に入った正眼だった。

「全力でお相手させていただく」

 わずかに目を細め、グレイが頷く。

(あー、さっき呪っちゃったけど 君、怒ってたりしないよね? 虫も殺さない顔で、開幕おじさんの腕斬り落としたりしないよね? 大丈夫だよね? 君は優しい子だっておじさん信じてるよ?)

 昨日(さくじつ)、ウィンザー・イムヘイムが為した惨劇を回想し、グレイは思う。そうしてカウントゼロと聞くと同時に、突いた。 
 岩穿ち。
 界界獣の外皮をも貫く突きに捉われたが最後、恐るべき手首の返しが刃を回転させ、骨肉どころか鎧をも抉り穿つ剣である。この幅広の刀身に攪拌されれば、それはもう致命の傷だ。だからソーモン・グレイは、当たってもいつもの癖で回転はさせないように気をつけている。
 だがそれ以外の点に関しては、言葉通り全力だった。カナタの剣力を察するからであり、また彼をヒューイット・ムジクの二の舞にするのは忍びないと思い立ってのことでもある。
 両者の間の大気ごと串刺しにするような切っ先を、しかし辛うじてカナタは避けた。グレイと自身の膂力差を正確に認識、流しも捌きもできないと見て、咄嗟に横へ飛んでいる。いい目と優れた反応速度だった。
 お返しとばかりのカナタの突きがグレイに迫る。が、岩穿ちは無造作に剣を横へ薙いでこれを弾いた。振り子のように振り戻しざま、カナタの右肩を狙って刺突する。

「見事」
「どうにかです」

 左肩(・・)で鋼の噛み合う音がした。グレイの剣尖を、カナタはわずかに逸らし凌いでいた。右と見せてすかさず逆へ仕掛ける高速の剣に、少年は対応してのけたのだ。

(あー、やっぱ強いわ、聖剣君。絶対どうにかじゃないよこれ。同じことしたら最初の虚に反撃してくるね。学習能力高すぎない?)

 思う間に、カナタの剣が閃いた。両眼を狙って払われた、鋭く速い刃。躱され左へ流れた一撃を、カナタは逆袈裟に斬り下ろす。思い切りのよさから、初めから予定した変化であると思われた。視界に迫る白刃に怯え大きく上体を逸らしていたなら、続く二撃目へは対応困難であったろう。
 だがこの程度の見切りを損ねるグレイではない。最小の距離だけ身を捻り、カナタの太刀行きを受け止める。このまま大きく弾こうとグレイが動くその寸前、岩穿ちの太刀に沿い上方へ、カナタが剣を滑らせる。再びの顔狙いだが、無理な形からゆえ勢いがない。
 反撃を意識しかけ、次の瞬間、グレイははっと片手を我が柄から離した。咄嗟に降ろしたその手で、下腹部へ跳ね上がった少年の膝を受け止める。上体へ目を向けさせ、更に甘い一刀で迎撃に意識を逸らしておいての打撃だった。何者が彼の師匠かは知らないが、なかなかえぐ味の強い手も身につけている。

(こういうのもありか。楽しくなってきた)

 受け切られたカナタが飛び下がり、グレイの口元に太い笑みが浮いた。
 そこからの立ち合いは、約束された舞踏のようだった。

 突く。
 払う。
 突かれる。
 薙ぐ。
 受ける。
 流す。
 右。
 拳。
 左。

 剣のみならず五体を得物として、息詰まる剣戟が続く。 
 死力を尽くしながら、けれどいつしかふたりの剣は、無心にして全霊の遊戯めいたものへと変化していた。相手を打ち倒すのではなく、その力を引き出すために斬り結んでいる。そのようにすら見えた。
 ひとつの剣の次は、前の剣を必ずひと回り上回る。一段高みに上った側が手を伸ばし、もう一方を更に一段引き上げてゆくようだった。判断と思考は短縮化され、思考猶予の消失に伴って、ふたりの速度は増していく。
 やがて、剣のぶつかり合う音が聞こえなくなった。
 まるで互いを知り尽くしたように、それぞれの剣をそれぞれが見切り始めたのだ。ただ空を斬る刃音と呼吸音、踏み込みと回避の足音だけが入り混じる。息も忘れて、観客たちはそれに見入った。

「悪い」
「いいえ!」

 滝のような汗と荒い呼吸の下で、時折そんな言葉を交わす。 

「すみません!」
「気にするな」

 そのさまは、ダンスパートナー同士が、相手のミスを補い合うのに似ていた。
 ここは駄目だ。ここでもまだ駄目だ。決着は、もっともっと上でつける。
 そういう思いが双方にある。

(あー、忘れてた)

 実力伯仲同士が稀に至る、剣士として至福の時間だった。
 己の感覚が、技が澄み切っていくのがわかる。

(食うの生きるので振ってきたが、(こいつ)は楽しいもんだったけな)

 自身だけではない。
 カナタが音を立てて伸びてゆくのが愉快だった。これまで彼が積み重ねてきたものが、一瞬ごとに花開いていくのがわかる。
 打って合わせて打ち合って。

 ――あと、三合。

 永遠に続くかと思われた時間の中で、天啓のように両者は悟る。
 一合。
 腰だめからの岩穿ちを、カナタが上に跳ね除けた。グレイの動き出しを読み切り、機先の技で力に押し勝ったのだ。
 二合。
 無防備となったグレイの胸元へ、カナタの切っ先が伸びる。しかし驚くべきか、岩穿ちは剣の腹を拳で打ってこれを払った。偶然でも自棄でもなく、見えてしてのけたことだった。できると、わかりきっていた。
 そして。
 互いに(たい)を立て直し、生じたわずかの距離を踏み込んで、真っ向から刃を振るう。これが噛み合った直後、グレイの愛剣が半ばから折れ飛んだ。
 美しく残心を取ってカナタは正眼に戻り、手の中に残った柄を眺めた岩穿ちは、それを握ったまま空へ諸手を上げる。降参の合図だった。
 動きを止めたふたりへ向けて、万雷の喝采が起きる。
 それを別世界の出来事のように聞きながら、どさりとグレイは腰を落とした。鉛を詰め込まれたように手足が重い。しばらくは動ける気がしなかった。

「聖剣を、抜かなかったな」

 息を切らしたまま言う。「ええ」と頷き、カナタもまた糸の切れたようにへたり込んだ。

「あれはひどく消耗するんです。だから貴方に――ソーモン・グレイに勝つためには、使えませんでした。もし執行していたら、とてもここまで競り合えなかった」
「そうか」

 敗北したというのに、奇妙な充実が胸にある。

「武運を祈る」

 呼吸を整えつつ(しん)から告げると、少年は明るく笑んで礼を述べた。
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