第26話 第四国

文字数 2,977文字

 木々を抜けた曙光が、淡く辺りを照らしている。夜の名残のように、薄靄が下生えを這っている。
 冷え切って静かなその大気をかき乱し、激しく立ち回るふたつの人影があった。

 一方は少年。
 常寸の曲刀を握るその体躯は、武人と呼ぶにはいささか細い。優しげな面立(おもだ)ちと、額に張りつく絹糸めいた薄茶の髪とが相まって、まるで少女のようですらあった。
 が、時に駆け、時に刃を振ういずれのさまにも、しんと崩れない一本の芯が通っている。それは白雪(はくせつ)の美だった。天与の才ではなく、剣に携わった時間だけが研ぎ上げる、一切の無駄がそぎ落とされた美しさである。歳若くして彼は、紛うことなく剣士だった。

 もう一方は、青年。
 驚くべきか、こちらは無手である。霊術式を纏った両腕(りょうわん)で、剣の達者たる少年と互角に、或いはそれ以上に切り結んでいる。
 ひどく(うるわ)しい男だった。
 嵐のように立ち合いながら、白磁の肌は運動の気配すらなく透き通り、呼吸ひとつも乱していない。動きにつれ、両肩に分かれて長く流れる金髪が、優雅な舞の余韻の如く(あで)やかに揺れた。
 状況も性別も関わりなく目を奪う蠱惑を、彼は周囲に漂わせている。少年を乙女のようと評するのなら、こちらは絵画か彫像だった。人の似姿であり、見惚れるほどに美しい。が、決して人ではない。

 下段から跳ね上がった一刀が、その人外の美貌を掠めた。
 否。
 掠めさせられたのだと、少年は直感する。切っ先は薄紙一枚で届いていない。わずかだけ及ばぬと見えた距離は、その実、彼我の圧倒的な実力差を示す代物だった。
 なんとなれば青年の緑の瞳が、涼しく余裕を湛えて少年を見下ろしている。彼の手腕を以てすれば、今の一瞬に致命的な反撃を打ち込むことのできた証左であろう。
 忸怩(じくじ)を噛み締めつつ、刃を返し打ち下ろす。
 半歩の踏み込みと同時に放たれたひと太刀は、やはり剣士の教本のような一撃だった。呼吸から始まり、爪先、指先、膝、手首、肘、腰、肩。あらゆる肉体の動きが見事なまでに連動していた。体内で発生した力は損なわれずに伝導し、寄り集まって螺旋のように増幅され、太刀行きとして現出する。
 袈裟懸けのそれを、青年が手刀で受けた。直後、奇態にもぴたりと少年の刀が静止する。篭められた一切の力が拒絶されたような、あらゆる慣性が消失したような、不可思議な現象だった。
 が、この作用を知悉するかのように、少年は動きを止めない。続けざま、紫電の如き剣を一閃ならず振るいゆく。そのいずれもが、首、腋、内腿といった太い血管のある箇所を的確に狙う、神速にして精密なものだった。
 全身を駆動させたこの連撃も、しかし青年には届かない。予め、刃の軌道を知り尽くすように。緩やかとすら思える歩法で、彼は刃の群れを掻い潜る。剣はただ空のみを裂いた。靄へ斬りつけるよりも手ごたえがない。
 空振りが焦りを蓄積し、やがて少年の腕に無駄な力みが生じる。その瞬間を見透かして、青年が動いた。
 わずかに粗い剣の腹をやわらかに手の甲で押し上げる。そっと添えられたかに見えたそこに、どのような力と術を伴ったのか。太刀筋は容易く乱され、少年は大きく(たい)を崩した。あっと目を見開く(いとま)すらなく、その喉元に逆の貫手が突きつけられる。

三度目(・・・)だ、聖剣」

 唇を噛んで少年――カナタ・クランベルは動きを止めた。悔しさを隠し切れないその面持ちを眺め、ラーフラがくつくつと笑う。

 魔皇ラーフラ。それは忌むべき魔の名だった。
 数十年から数百年に一度、無数の魔軍を身の内より生む異能を備えた魔が現れる。必ず人類根絶の(いくさ)を起こすがため、人はこれを恐れて魔皇と呼び、もたらされる災いを指して皇禍(おうか)と言った。
 当代に皇禍をもたらした張本人が、このラーフラである。
 邪悪なる企ては、カナタら七人(しちにん)の尽力により打ち砕かれ、彼は虜囚と成り果てた。本来ならば即刻処刑さるべき身の上に他ならない。しかし魔皇の死を押し留めたのが、ラーフラと直接干戈を交えた英雄たちだ。
 幾度魔皇を討とうとも、皇禍は繰り返し発生している。ならば将来の禍根の根を絶つべくと、彼らは人魔の融和を提唱したのだ。
 魔を敵とする世の道理を覆す言いであった。皇禍により縁者を亡くした者も数多く、感情的にも到底容れられる案ではない。当初は魔皇による精神支配を疑う向きすら出たのも、無理なからぬところであろう。
 しかし通信の儀式霊術を用いた三ヶ国大会合が長きに渡り繰り返され、明るみに出たひとつの真実といくつかの実利により、ついにラーフラは助命された。
 無論、自由の身として解き放たれたではない。たとえばラーフラの喉首を(くる)む金環は束縛の表れである。
 ラーガムの精緻なる施紋術、アーダルの霊術知識と実験結果の蓄積、そしてアプサラスよりの膨大な霊力供給と確定執行があってはじめて完成したこの品は、魔軍を生み出す魔皇の異能を封じるものである。
 首輪の解放には三国の王二名以上からの同意と英雄四名以上の許諾を同時に必要とし、同様の承認を得ることにより、魔皇の頭部を微塵に爆ぜさせることも可能としている。身体能力と上位魔族の備える干渉拒絶の完全な抑止にまでは至らぬが、活動規模を制限する頚木として十二分の効能を備えると言えよう。
 こうしてラーフラを鎖に繋ぎ、三国は大樹界と魔族を食い合わせる目算で大樹界開拓案を認可。事業の始点としてラーガムの首都と大樹界との中間点となる土地が選ばれ、テトラクラムと名づけられた。
 ラーガムが最も開拓の恩恵を浴する格好だが、ウィリアムズとオショウという切り札を抱えるアプサラスは鷹揚に譲り、アーダルも即時に大きな支援を行わないことを条件としてこの立地に同意している。二国の判断は、開拓によるメリットとデメリットを比べ見てのものだった。
 開拓が利益を生むまでには時を要する。最多の取り分を見込めるとはいえ、三ヶ国の共同事業である以上それは独占できるものではない。加えて、獣と魔の脅威がある。森を侵すことが界獣を刺激するのは勿論、先鋒を名乗り出た国は魔皇の管理をも請け負わねばならぬのだ。不慮の事故により開拓都市建設が頓挫する場合も十分にあり、国力を注ぐには危険が多く見返りが薄い。即時の支援を行わぬというアーダルの言い分は、ある程度運営が安定した城砦都市が完成したなら一枚噛もうという魂胆に他ならなかった。

 では自ら名乗りを上げたラーガムが愚かかと言えば、そうではない。
 かの国はかつて、大樹界の開拓に着手している。大きな損害を受けて撤退を余儀なくされたが、ラーガムの国軍は樹界深奥まで足を踏み入れたとも言われていた。その折の知識と経験が、彼らをしてテトラクラム運営に挙手せしめたのだろう。
 そしてこの都市の初代管理者として選出されたのが、他ならぬカナタ・クランベルだ。
 彼と魔皇が立ち回っていたのも、テトラクラム外縁の一角でである。どちらかが三度死に体を晒すまでという地稽古(じげいこ)のルールは、魔皇曰く「ナークーンを討った褒美」だった。
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