第6話 ボーズ・アンド・フォール

文字数 6,211文字

 殺戮は、瞬きの間で完了した。
 封魔大障壁を抜けたパエルはなまじの者には影すら見せぬその神速で空を駆け、大樹界上空を航行するアプサラスの飛空船を捕捉。一切速度を緩める事なくこれに打ち当たり、船壁に大穴を穿って内部に侵入を果たした。
 そうして(たちま)ち機関室に到達するや、居合わせた乗員たちを(ことごと)殴殺(おうさつ)してのけたのである。
 結果、機関室は目を覆わんばかりの有り様となった。
 人間の手が、足が、胴が、首が。まるで駄々をこねた子供の玩具のように撒き散らされ、紅がそれらを彩色する。臓腑と鉄錆の()がきつく立ち込めていた。未だ絶息せぬ者があるらしく、苦鳴が低く床を這う。
 無論、パエルは気にも留めない。
 魔族は次いで小規模祈祷塔、即ち飛空船の動力機関にその鎚を叩き込んだ。甲高く耳障りな音と共に収束されていた霊素が弾け、光と熱に変じながら周囲に拡散していく。
 数度それを繰り返し、祈祷塔を機能不全に追いやったところで、パエルの耳はふたつの足音を捉えた。
 打ち壊す勢いで開いた扉へ、魔族は牙を剥き出して振り返る。

「早い到着だな。だが、遅きに失した」

 駆けつけたオショウとケイトが目にしたのは、惨劇の中心に(うずくま)る獣である。
 剛毛を生やした四つ足は、獅子の如く太く、鈍く金物めいて光る爪はその強靭さを予感させた。しかしそのフォルムは、決して獣そのものではない。
 本来ならば頸部たるべき部分から、人の上半身が生えていた。自らの爪と同様の鈍い光沢を持つ鎧兜を着込み、両手にはふた振りの鎚を握り締めている。
 或いは引き裂かれ、或いは叩き潰された死骸の群れを作り出したのが、それらの凶器であるのは疑いようもなかった。

「アプサラスの巫覡、そしてテラのオショウだな。我が名はパエル。皇に仕える五王が一なり。不確定要素たる貴様らの排除を仰せつかった」

 魔族は名乗り、おそらく、笑った。
 人の似姿ながらも(おもて)は獣相であり、口から覗く牙は長大であった。

「この船の動力は既に破壊した。間もなく浮力も推力も尽きるであろう。故に、選ぶがよい。石の如く落ち砕けるか。我が戦鎚にて打ち砕かれるか」
仏騒(ブッソウ)な事だ」

 パエルは戦鎚を二人に突き付け言い放つ。
 応じて、オショウが前に進み出た。
 
「わたくしも!」

 後ろで霊術印を結びかけたケイトを、しかしオショウは背中越しの手で制す。

「まだ息のある者がいる。それを託す」
「オショウ様!?」

 咎めるような声を上げたケイトに、オショウは断固として首を振る。

「俺はただ戦うばかりが能だ。傷は癒せない。連れて、()く脱出を」
「でも……!」
「頼む」

 ひと呼吸だけ判断に迷ってから、ケイトは「信じます」と呟いた。言うなりで機関室の奥へと走る。それはパエルを完全に無視した、言葉通りにオショウを十全に信頼した動きだった。
 微かに口元を緩めてから、彼女を守るべくオショウはのそりと更なる一歩を踏み出す。

 ──信を受けたとあらば、応えるは必定(ひつじょう)

 パエルの前に立ちはだかり、音を立てて合掌をした。
 次いで握った両拳を腰だめに落としつつ、体内の気を高速循環。金剛身法(ゴンゲン・スタイル)により急激な練気圧の変化が発生し、彼を中心に衝撃波が渦を巻く。思わぬ烈風に押され、パエルの姿勢が崩れた。
 だが、敵も()る者である。
 即座に最小の動きで立て直し、

「大層な自信だ、オショウ。では先ず貴様の脳漿(のうしょう)を拝み、巫覡の五体は(しか)(のち)に砕くとしよう」

 告げた直後、その姿がかき消えた。
 否。
 それは消えたとしか思えぬほどの高速移動であった。
 壁を駆け上がり天井を蹴り、頭上から襲い来たこの真正面からの奇襲に、しかしオショウは反応している。
 双掌に生まれた極小の結界が、パエルの戦鎚を受け止める。金属同士の衝突めいた鈍い音が響き、結界界面から火花が散った。

「なるほど、使い手だ。ムンフめが一蹴されたも頷ける。では、宣誓するとしよう」

 飛び下がったパエルの言を待たずにオショウは迫撃。
 片足で床の鋼板を凹ませながら踏み切ると、刺突めいた横蹴りを放つ。が、空を灼いて走った蹴り足を、魔族は亡霊めいてすり抜けた。紙一重の見切りである。

「話は、最後まで聞くものだ」

 そのまま更に後方へ跳ね、魔族はぴたりと壁に直立。傲然と続けた。

「鈍き者、我が身を害する事(あた)わず。速度で劣るのならば、私に一切の傷はつけられぬ。果たして貴様の速さは、私に触れるが叶うかな?」

 言い放つや、パエルは壁を走った。
 加速を乗せ、真横から半円の軌跡で戦鎚が唸りを上げる。
 だが。
 オショウの一撃が、それよりも速い。
 独鈷掌(ヴァジュラスタブ・ワン)
 紫電を(まと)った掌撃がカウンターの形でパエルの鳩尾(みぞおち)に叩き込まれ、

「む」

 手応えに、オショウが眉を寄せた。
 猛烈な爆気を(はら)んだ掌打は、(あやま)たずにパエルを捉えた。その鎧を打ち砕きもした。だが魔族の肉体そのものには、毛筋ほどの傷も残せてはいない。
 即ち、干渉拒絶である。
 インパクトの瞬間、自分の腕が不可思議に停止するのをオショウは感じていた。発生させた運動が何の反作用もなく無に帰するその様は、奇怪極まる幻戯(げんぎ)のようだった。
 だがそちらに気を払えたのも一瞬。
 感覚を吟味する(いとま)もなく、パエルの前肢が跳ね上がった。鋭爪が喉笛と膝を同時に払い、オショウは防ぎながら飛び退がる。
 身震いで鎧の破片を振り落としながら、パエルはまたも牙を剥き笑った。

「実に見事。この私を見失わぬどころか、反撃までもを狙うとは。だが無駄のようだな。貴様の打撃は確かに速い。瞠目(どうもく)に値する。だが貴様自身は、私よりも遥かに遅い」

 パエルの宣誓にある鈍さ(速さ)とは、攻撃に用いる五体一部の運動速度を意味しないようだった。今の一合から推し量るのならば、その定義とは体ごとの移動速度であるのだろう。
 ならば敵手の仕掛けに合わせる交差法は無効。稲妻めいたこの魔を彼我の相対速度で上回りつつ、尚且(なおか)つ打撃を的中させねばならぬという事になる。
 無論、迦楼羅天秘法(ヴァーハナ・スラスター)ならば、速度で対抗もできよう。
 しかしかの秘法は、あくまで姿勢制御と直線移動の為のもの。
 精緻な方向転換は望むべくもなく、また得られる加速に対して、この機関室は狭すぎる。方角を転じるその前に、壁なり祈祷塔なりの障害物に激突するのは明白だった。
 パエルには十二分のスペースを有するこの戦場は、オショウにとって檻でしかない。
 そして何よりこの雄敵は、速力のみならず武の技量を併せ持つ。単純極まりない直線軌道の突進など、初手の蹴りのように容易く見切られるに相違なかった。

「どうした。動きが止まったぞ」

 攻めあぐねるオショウに対し、パエルは自在の動きで駆け巡る。
 頭上から落ちかかる戦鎚を、片手を上げてオショウが受ける。先よりも速度と質量の乗った打撃に、踏みしめる床がみしりと軋んだ。続く攻めのその前に、オショウの足刀が魔族の前肢を蹴り払う。本来ならばパエルを崩して然るべき打撃であったが、やはり通じない。力そのものが伝達されていないのだ。
 逆に体を乱したオショウへ、逆手の槌が振るわれる。
 パエルの一撃は激烈であった。四肢で万全に床を踏みしめ、高速移動を生み出す瞬発力を余さず破壊力に置換している。
 多重展開した結界で受け切りはしたものの勢いは殺しきれず、オショウは一息に壁際にまで押し込まれた。

 まったく、この魔族は手練(てだ)れだった。
 雷光の速度と三次元的な自在機動。自身の長所を十全に活かした攻め手は恐るべきものであり、並の戦士であれば、どこから襲撃されたかも悟れぬままに死していたろう。
 だが──見よ。
 いつしか、オショウの口元には太い笑みが浮いている。
 骨を砕かんとする戦鎚を 肉を裂かんとする猛爪を、わずかの距離で捌きながら。
 彼は、笑っていた。
 その瞳にはケイトの姿が映っていた。
 彼女は息のある者を探し出しては治癒を施し、抱き起こし助け起こしている。その衣は己のものならぬ血に塗れていた。けれど、気にする素振りは少しもなかった。その姿を、やはり美しいと思った。
 愉快だった。
 今、自分はあの娘の為に戦っている。幻の記憶ではなく、自らが知る確かなものの為に戦えている。
 それが笑みとなって面に浮かび、誇りとなって両足を支えた。
 パエルを痛撃する為の思案が、既に幾つか浮かんでいる。果たして思惑通りに運ぶかは知れず、また好機至らねば試みるも叶わぬ術策ではある。
 けれどオショウに、負ける気など少しもなかった。


 対して、パエルは焦れている。
 一方的な戦局を作り、圧倒的な優位を保ちながら、それでもオショウを打ち倒せない。
 如何に幻惑しようとオショウの眼光はパエルを捉えて逃さず、どのような連撃も彼の防御を破るには至らなかった。自在の角度から猛攻を加えるようでいて、パエルはオショウを一歩たりとも退かせられない。
 ならば、と巫覡へ狙いを転じようとしたが、それも叶わなかった。
 この速度で動き続ける限り、オショウにパエルを害する手立てはないはずである。だというのに眼前の男には、一瞬たりとも目を切る事を許さない凄みがあった。
 もしほんのひと呼吸でも注意を逸らせば、一瞬で喉笛を噛み切られてもおかしくはない。オショウにはそう感じさせる何かがあった。その底知れぬ力量に、本能が警鐘を鳴り響かせている。
 人を(おそ)れよと、皇は告げた。
 戦慄と共に、その言葉の意味をパエルは思い知る。いや──それを発した皇であってすら、これほどの猛者を想定していたか、どうか。
 結局魔族は指をくわえて、負傷者を連れたケイトが機関室を脱出する様を見送るしかなかった。

 だが。
 だが、とパエルは考える。
 いずれにせよ、己の勝ちは動かない。何故ならば、オショウには時間制限がある。
 まるで気にする素振りもないが、この船は墜落の最中なのだ。このまま地表に激突すれば、如何なこの男とても砕けて死ぬ。死ぬはずである。死んでくれると思いたい。
 既に見切ったという事なのか、結界ではなく平然と素肌──正確には皮一枚の厚みで硬気に(くる)まれているのだが──で戦鎚を弾き返すオショウを見ながら、パエルは希望的観測を修正した。
 この男の生死は一先ず別として、それでも船の墜落は少なからぬ混乱を生じるはずである。それはオショウから距離を取る好機となろう。
 そして動向を見るにアプサラスの巫覡は、今頃船を脱している。だが、そう遠くまで逃れてはいまい。
 ならば墜落の(のち)、両者が再び合流するその前に、離れ離れのそのうちに、この駿足を以て巫覡の首を獲ればよい。それで不確定要素の一方は片付く事になる。


 斯様な胸算用のうちに双方が決定打を欠く接戦は続き──その均衡を崩したのは両者のいずれでもなく、唐突な衝撃と爆音だった。強烈な光線が船体を撃ち貫き、機関室の壁に蒼穹が拝める程の大穴を穿ったのだ。
 どちらにも不意打ちめいたこれは、無論不時着によるものではない。船は未だ高度を保ち、辛うじてながら飛んでいる。飛び続ける力は失ったものの、健気に滑空めいた飛行を続けている。
 光の正体は知れぬまま、しかしこれがオショウとパエルの命運を分けた。
 破壊はオショウの正面、相対するパエルにとっては背面で生じた。故にオショウはそのままに状況を視認でき、パエルは思わぬ事態にオショウから目を外して顧みた。見て、しまった。

「ぬ……ッ!」

 痛恨の()を漏らす間もあらばこそ。
 生じた一瞬の空隙にオショウは肉薄。鞭のような蹴り足のひと振りで、パエルの手から戦鎚をまとめて払い飛ばす。鎧が打ち壊せたように、魔族自身の肉体ならぬものへ干渉拒絶は及ばない。
 顔を歪めるパエルの腕を掌握し、捻りながら背後へ。丁度四足獣の部分に跨がるような体勢で、オショウはその肩を固める。

「ようやくに、捕らえた」

 力の伝導を感得し、オショウは推測の正しさを確信する。
 このように組みついての締め技であれば、彼我の速度に差は生じない。彼はパエルよりも遅くない。干渉拒絶は発生しない。
 関節の構造は、人体と大差ないようだった。
 金剛身法(ゴンゲン・スタイル)により増幅された筋力で捩じ上げれば、ぶちぶちと腱の、続いてごきりと骨の外れる音がする。

「──ッ!!」

 声にならぬ苦鳴。
 吠えながらバエルは、オショウを振り落とさんと暴れ馬の如く跳ね回る。しかし、できたのはそれだけだった。得物を失い、腕を封じられ、その背の上は、獣の四肢の攻撃範囲外である。
 そして魔族の我武者羅な暴れ回りにより都合のいい方角を得た瞬間、オショウが迦楼羅天秘法(ヴァーハナ・スラスター)を起動した。生じた爆発的な推力により、オショウとパエルは船体の大穴から空へと躍り出る。
 船壁を抜けて視界が広がり、船に並走して飛ぶ小型脱出艇が目に入った。風防などないその機体から身を乗り出し、気流に踊る髪をそのままに霊術印を結ぶのは、他ならぬケイトの姿だ。
 陽光を反射して、彼女の左手に煌めくのは導石。オショウの首飾りと共鳴する宝玉が、指輪の格好でそこに()まっていた。
 オショウが彼女の働きを認識していたように、彼の苦戦をケイトは見ている。故に彼女はオショウの退路を設ける手段を思案し、実行したのだ。
 詳細な位置情報の把握による、オショウを射線から外しての霊術砲撃。それこそが先の閃光の正体であった。

 ──此度(こたび)もまた、救われたか。

 思いながら、オショウは迦楼羅天秘法(ヴァーハナ・スラスター)を連続起動。彼とパエルの体は下方へ、地表へ向けて加速し加速し加速する。

「貴様、何を考えているッ!」

 想像の埒外の行為に、魔族が悲鳴じみた声を発した。
 パエルは飛翔能力を備えている。本来ならば、落ちて死ぬなどあり得ぬ話だ。しかし後背(こうはい)のオショウが、その発揮を許さない。
 これでは。このままでは。
 その背を冷たいものが走り抜けた。
 自身と同速を保つオショウと、待ち受ける大地とに挟み込まれればどうなるか。結果は明白だった。干渉拒絶どころではない。

「ま、待て。やめろ! やめ──!」

 必死に身を(よじ)るが、それが何ほどの役に立とうか。オショウの拘束は万力の如く緩まない。

「尊公は我らを落としに来た。ならば、落とされる覚悟もあるのだろう?」

 オショウにしてみればこの落下は、やや長い(・・・・)投げ技の滞空時間でしかない。
 パエルの絶叫が長く尾を引いて流れ──やがて、ふつと絶えた。
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