第3話 嚆矢来る

文字数 3,054文字

 訓練は、物心ついた頃から重ねてきた。
 いつも穏やかな父も、その時ばかりは別人のように厳しかった。伝える術式の危険性を熟知していたからこそだと、今ならばわかる。だが幼いケイトにとって、わずかならず恐ろしいものだった。
 けれど教えの通りにしてのければ、上手く成果を成して見せれば、父は口元を緩めて「よくやった」と撫でてくれた。
 それは確かな愛情の表れであり、そのようにして伝授された秘術はケイト・ウィリアムズの誇りとなった。亡き父との、大切な思い出だった。
 彼女にとって己の血と生まれとは、決して厭うべきものではなかった。

 そう思っていたからこそ、王宮に上がり浴びた視線は、ケイトを(いた)く怯ませた。
 貴族たちが注ぐそれは、主に二種に大別された。
 ひとつは彼女を懐疑し、軽侮する目である。あんな田舎領主の小娘が、(いさお)しもない相討ちばかりの血族の出が、この禍いに際して本当に役立つのか。そういう(いぶか)しむ眼差しだ。
 家名を担うとはいえ、ケイトは自身が何の信頼も勝ち得ない小娘なのだと自覚している。不信は働きで拭う以外にないと思うばかりだ。
 それでも、心は揺れた。
 自分が父から、父がその父から、代々大切に受け継いできたものが嘘偽りのように、無価値なもののように遇されるのは心苦しかった。
 だがなお辛いのはもう一種こそだった。

 ──ああ、あれが。
 ──あれが確定執行の。

 何も知らぬ生贄の羊を憐れむが如きその視線。
 ケイト自身を忌むように、痛ましいもののように眺めるその目。
 ウィリアムズの一族そのものをどうしようもない(いびつ)として認識するような、そんな瞳に晒される度、ケイトは足元が崩れていくような感覚を陥った。
 磐石であると疑いもなく信じていた大地が突然に消え失せて、中空に投げ出される心地だった。

 今日(こんにち)の召喚術式の成功は、そうした不安を払拭する意味合いにおいても、彼女にとっての救いだった。
 長らく起動されていなかった術式が、錆つかずに機能したという事実。それは彼女の誇りの正当性を、少しなりとも補強するように思えた。
 これでウィリアムズへの見方も変わってくるに違いない。
 無邪気に信じて、彼女の足取りはいつもより軽い。

 ただそれにしても、とケイトはちらりと振り返った。
 王城の回廊を歩む彼女の後ろをついてくるのは、先程目覚めたばかりの被召喚者である。その足取りにもう揺らぎはなく、念の為に施した持続性の治癒霊術は良好に機能している様子だった。

 ──ああまで深手の方が喚ばれるのは、予想外でした。

 命運が尽き死に(ひん)し、世界との関わりが希薄化した存在を喚び寄せる術式であると教えられてはいた。だがその成功と同時に現れた男性は想像以上に満身創痍で、ケイトの施術だけでは危うく間に合わないところだった。
 応急手当の後、救援を求めての再治療。小康状態を確保した後、部屋に運んでからの再々治療。
 徹底した治癒霊術の連続執行でどうにか事なきを得たものの、祈祷塔八基を空にして喚んだのが屍ひとつで終わっていたなら、到底笑い話では済まなかったところだ。
 改めて、心中でほっと息をつく。

「先にお伝えした通り、もうオショウ様を元の世界に戻す事はできませんの。でもご安心くださいましね。魔皇討伐の暁にはアプサラスの国賓(こくひん)として、三代の栄華を保証致しますわ。こちらに馴染めるかどうか心配があるかもですけれど、ええ、大丈夫。きっと大丈夫ですわ。ラーガムのクランベル家が一等に有名ですけれど、他世界からいらして、こちらに根付いた方は他にも沢山いらっしゃいますから」
「うむ」

 移動しながら続けていた説明に短い相槌を受けたところで、ケイトは(かす)む目を擦った。それから再度、肩越しに後方を確認。物珍しげに周囲を見回しているオショウを、とっくり観察する。

 とても、とても大きな人だった。
 背丈の割に細身めいているが、間近で見、また触れたからわかる。それは針金を叩き込んだかのような、実戦的な筋肉の塊だった。
 見かけに比して体重があるだろうに、身のこなしは軽やかだ。
 歩く際にも頭の上下動がひどく少なく、体の中央に一本の芯が通っているかのように重心がぶれない。こそりとも音を立てないその歩法は、地を滑る影の足取りにすら似ていた。
 そうした物腰の端々(はしばし)が、並々ならぬ彼の技量を伝達してくる。

 また武に秀でるのみならず、彼は捨て目も利くようだった。
 部屋を出てからほんの数歩で「目を悪くしたのか?」と尋ねられた時は、もしや想定以上の知識を感染させてしまったのではと、どきりとしたものだ。
 幸いただの気遣いだとすぐに判明したのだけれど、それだけこちらの一挙一動をよく見ているという事である。状況の見極めや戦局の判断にも長けた人物なのだろうという印象を受けていた。

 だからこそオショウの温厚篤実な雰囲気を、非常な幸運だと彼女は思う。
 もしもそんな彼が被召喚を()とせず、手荒な振る舞いに出ていたならば。それで止められたかどうかは別として、切りたくはない札をきっと切らねばならなかった。
 押し付けがましいこちらの言い分を、それでも理性的かつ友好的に咀嚼(そしゃく)してくれるオショウの様子に、ケイトは好感を抱いている。
 ただ彼に親しみを覚える理由は、また別にもあって。

「陛下にお目通りをしたの後は、大樹界を越えてカヌカ祈祷拠点まで、高速艇での移動になりますわ。あれなら三日とかからずに目的地に到達できます。船には一通りの武装も積み込まれておりますから、移動中にお体に合うものを見繕(みつくろ)いましょう」
 
 ケイトは前に向き直り、気づかれぬようそっと微笑む。
 彼の短い黒髪と、穏やかで深い黒色(こくしょく)の瞳。
 大変失礼ではあるけれど、毛刈り直後のパケレパケレによく似ていた。遠慮なく抱きしめて頬擦りしてもまるで気分を害さなそうという点も、やはりあの大きな草食動物にそっくりだ。
 実家の牧舎を思い出して、彼女はふんわりと心を緩める。

「武装と言えば、だが」
「ひゃい!」

 そこへ不意に言葉をかけられ、ケイトは驚きでつい噛んだ。

「……はい、なんでございましょうか、オショウ様」
「こちらに喚ばれた折、俺が身につけていたものはどうなったろうか」
「申し訳ありません。召喚術式で移送できるのは、体一つだけですの。ですからお召し物や武具の類は、恐らく元の世界の元の場所に置き去りになっているかと思いますわ」
「そうか」

 さして残念げにもなくオショウは頷く。なければないでどうとでもなる、といった風情だった。

「あ!」
「うむ?」

 泰然自若とした彼であったが、唐突にケイトが発した大声には流石に眉を動かした。案じる瞳で娘を見やる。

「あの、体一つと申しましたけれど、大丈夫ですからね。その服をオショウ様に着せたのは別の男性ですから。わたくし、見ておりませんから。施術の折は別として、その時以外は見ておりませんから。指の隙間から覗いたりなどしておりませんから」
「……うむ」

 言い募りにどう処したものか困惑し、オショウは手のひらを握って開く。 
 二人の向かう先、即ち王の座所から爆音が轟いたのは、その直後であった。
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