第21話 ボーイ・ミーツ・ガール

文字数 7,046文字

 イツォルが意識を取り戻したのは、やわらかな寝台の上でだった。
 目に映る天井には見覚えがある。自らが横たわるのは、カヌカ祈祷拠点で私室として割り当てられたひと部屋だ。そのままぼんやりと瞬きを繰り返すうち、思考が覚醒した。
 最後の記憶は、振るわれる寸前の魔皇の拳だ。
 その直撃を自分は受けて、それから、どうなった──?

「カナタ!」

 跳ね起きようとした肩を、やんわりと制した腕がある。
 はっと視線を動かせば、どうして気づかなかったのかと思うほど近くに、彼がいた。

「大丈夫。大丈夫だよ、イっちゃん。もう終わったんだ」

 優しい声音で囁いて、カナタはそっと髪を撫でる。
 言葉の意味よりも彼の温度に安堵して、イツォルは体の力を抜いた。
 もう一度目を閉じて、深く息を吸い、吐く。少しずつ各所を動かして自分の体の様子を探る。どうやら腕の良い霊術師の施療をうけたようだった。痛みはどこにもない。

「……あれから、どうなったの?」

 どうしても、先の光景より後が思い出せなかった。
 足りない言葉で尋ねると、カナタは汲み取って頷く。

「あれからアプサラスのケイトさんと、テラのオショウさんが駆けつけてくれてね。あ、その前にイっちゃん、喉渇いてたりしない? お腹は?」
「大丈夫だから。先に聞かせて」

 そうして彼女が知ったのは、荒唐無稽の顛末(てんまつ)だった。
 あの魔皇を、あれだけの力量を誇った魔皇を、ただ一方的に殴り倒した人間がいるなど正直信じがたい。だが間違いなく魔皇は現在、この拠点の虜囚であるらしかった。カナタが語ったのでなければ、鼻で笑い飛ばすような物語だ。
 更にイツォルの目を丸くさせたのは、続けてカナタが語った計画だ。彼らはこれより三国を説得し、魔族をひとつの国家として認めさせた上で共存を目指す所存なのだという。

「本気?」
「本気だよ。魔皇を殺したって、それはただの問題の先送りだって気がついた。あとね、思ったんだ。実らないかもしれなくても、僕たちは僕たちになりに、精一杯頑張っておくべきじゃないかって。自分の時代とその少し先に責任を負うのは、自分たちであるべきだしね」
「……ん」
「夢みたいな話だって自覚はしてる。でも勝算がないわけじゃ……」
「カナタ」

 悪戯の言い訳めいてきた彼の言葉を、人差し指を唇に押し当てる事でイツォルは遮る。

「カナタが一生懸命にする事を、私は笑ったりしない」

 カナタは束の間顔をほころばせ、しかし次の瞬間、胸の刺に気づいたように俯いた。

「イっちゃん」
「はい」
「少し、聞いてもらっていいかな」
「どうぞ」

 目を閉じて、カナタは自分の中の本当を探すようだった。   
 やがてため息のように、「自惚れてたんだ」と呟く。

「自分は強いって勘違いしてた。でも足りなかったんだ。全然足りてなかった。実力だけじゃない。知識も、見識も、経験も、判断も。何もかもが不足してた。それを思い知った。オショウさんは強かったよ。物凄く強かった。僕もあんなふうにイっちゃんを助けられたらよかったんだけど、でもできなかった。ごめん」

 咄嗟に告げかけた慰めは、イツォルの喉の奥で凝固した。
 きつくきつく握り締めて震える、彼の拳を見てしまったから。

「色んな意味で、僕は強くなりたい。大人になりたい。もっと沢山の選択肢を手に入れたい。牙がなくて噛めないのと、敢えて噛まないのと。しないって状況は同じでも、その重みは絶対に違うと思うから」

 語るカナタの横顔は、イツォルの知らない芯を秘めていた。
 男の子はいきなり大人になってしまうのだと、置いて行かれたような気持ちで思う。

「だからこの事を国に報告したら、僕は魔皇についていこうって決めたんだ。きっと魔族は大樹界を拓く事になる。色々と大変だろうけど、そこで僕は自分に足りないものを得られるって思う。えと、それでなんだけどね、イっちゃん」
「ん」

 カナタはイツォルを見、それから膝の上の自分の手を見た。
 幾往復か同じ視線の移動を繰り返し、とうとう決心をして、ダンスに誘うように手を伸べた。

「こんな未熟者の僕だけど、一緒に来てくれませんか。これからも傍にいてくれませんか」
「……」
「魔皇の近くとか嫌だろうし、樹界で暮らす以上不便もかけちゃうと思う。でも……」

 言いが途切れたのは、イツォルが頭から布団を被ってしまったからだ。
 けれど「フラれたかな」と悄気(しょげ)るより早く、

「一緒なんて、そんなの当たり前。だってカナタだけよりも、わたしとカナタの方が強いもの」

 気恥ずかしげに上掛けから出たイツォルの手が、おずおずとカナタの手のひらと重なる。
 やがて、熱っぽく指が絡んだ。



 *



「なあミカ公」
「何かね?」
「おかしくねェ? なんでお前がぴんぴんしてて、オレは寝台に縛り付けられてんだ? 絶対おかしくねェ?」
「少しもおかしな事はない。私はウィリアムズ君に綺麗さっぱり治してもらったが、君は未だ片腕のない重傷者だ。その様で祝い酒を煽りに行こうなど言語道断だろう。安静にしていたまえ」

 クソが、とセレストは吐き捨てて、自分のベッドに転がり直す。
 どう足掻いてもお目付け役気取りの弓使いは出し抜ぬけそうになかった。祈祷拠点で催されている祝勝の宴に混ざるのは、諦めるよりなさそうだ。
 呑みながら手柄を語り倒さねば魔皇を打ち倒した甲斐などないに等しいというのに、この堅物にはそこらの機微が理解できないのだ。

「よしミカ公。お前責任取って一人でアーダルに帰れ。報告は任す。オレは先にアプサラス行って腕生やすわ」

 腹立ち紛れで言い放った。
 医療都市の儀式霊術であれば四肢の再生も可能だと、ケイトから伝え聞いている。七面倒なお偉方への報告を相棒に押し付けて、自分はのうのうと小旅行を決め込むつもりだった。

「こちらの生殺与奪を握ったつもりの彼らの肝を、この機に夕涼みさせてやるのではなかったのかね?」
「そいつはやめだ。おっさんやら爺さんやらが脂汗流すのを眺めたって、食欲が失せるばっかりだ」
「やれやれ、いつも通り大雑把な事だ。だが君がアプサラスに同行するというのは賛成だよ。オショウ君は大変な豪傑で、ウィリアムズ君の実力も十二分と見えるが、揃ってどうにも危なっかしい」
「お前、ほんっとに見る目がねェな。あの二人はあれでかっつり釣り合いが取れてんだよ。そんなだからお前はその年になっても──」

 セレストの悪口(あっこう)最中(さなか)、唐突に部屋のドアが(ひら)いた。
 扉を開け放ったのは、ミカエラの腰ほどの背丈の少女である。彼女は二人の姿を認めるなりぱっと顔を輝かせ、ゆるくウェーブのかかった長い髪を揺らしながら、ぱたぱたとセレストの枕元に駆け寄った。
 何やら親しげに振る舞う闖入者(ちんにゅうしゃ)を彼はしげしげと()めつけて、

「なんだこのチビっこは。迷子か? 親ァどこだよ」
「!?」
「待ちたまえ。何を言ってるんだ、君は」
「お前こそ何言ってんだ、ミカ公。ああアレか、ひょっとしてこいつ、お前の隠し子か」
「!!??」
「つまらない冗談はやめたまえ。ネス君が涙目になっているじゃないか」
「……あん?」

 セレストの指が少女を示し、「これが?」と目線でミカエラに問いかける。

「いやネス公ってのはもっと硬くてデカくて鎧っぽいヤツだろう」
「その中身だ! 阿呆なのか、君は!」

 語気も荒く近寄ると、ミカエラはうやうやしく少女に(かしず)いた。

「この御方はネスフィリナ・アーダル・ペトペ。カイユ・カダイン直系血族にしてアーダルの第三王女殿下にあらせられるぞ」
「は? ネス公が? 嘘だろ? てかそういう大事な事は早く言えよ。オレ、ネス公の前で王族の悪口をさんざ大盤振る舞いしちまってるぜ」
「言ったろう! 一番最初に言ったろう!」
「悪ィ、じゃあ多分聞き流してたわ」
「……つまり君は無礼ではなく、ただひたすらに大雑把なだけだったのだな」

 本気で頭を抱えたミカエラに「すまんすまん」と口だけで詫び、セレストは今度こそ真面目に頭を働かせる。

「……うし、大体把握した。つまりあれだな。皇禍用の戦力として王族を選出したのはいいものの、他の国にバレれりゃあ厄介の種になるから基本甲冑に隠れてたってな話だな? オレの無礼を一々が咎めねェのも、お供のお前が『ネス君』呼ばわりすんのも、作法に則って接すりゃ悪目立ちするからって寸法か」
「そうだ。横紙破りであろうとも我々の助太刀をしたいという、殿下のたっての希望だったのだ。でなければどうして旅の仲間が、ここまで頑なに顔を見せないと思うのだね」
「いや、フツーに嫌われてんのかと」
「!!!!????」
「おう、わかった。わかったって。オレが悪かった。そんな力一杯否定しなくてもわかったっつーの」

 服の裾をぎゅうっと掴んだ幼子に全力で首を左右に振られては、流石のセレストもたじたじだ。あやすように、もしくは誤魔化すように頭を撫でてやると、ネスはそれでぴたりと大人しくなる。
 子供あしらいの駄目な彼はほっと安堵して枕元を漁り、

「飴舐めるか、飴?」
「!!」

 相変わらず敬意の欠片もない霊術師と屈託ない笑顔で両手を差し出す姫君とを交互に眺めやりながら、「この男のどこをお気に召したものやら」と、ミカエラは深く嘆息した。



 *



 魔皇封じの障壁が執行完了するまでラーフラに随伴し、その後祈祷拠点外壁の損壊についてエイシズに詫び、けれど祝賀の宴を固辞して割り当ての自室へとオショウが向かった理由は、至極単純だった。
 物言いたげなケイトが、彼の後を雛鳥の如くついて回っていたからである。
 ならば折り入った話があるのだろうと部屋に招いたもの、しかし卓を挟んで向かい合っても、彼女はいっかな口を開かない。
 促す手管があるはずもなくオショウが困り果てていると、そこでようやくにして彼女が動いた。テーブル越しに腕を伸ばし、指先で袖を摘んでちょいちょいと引く。

「あの、オショウ様」
「うむ?」
「わたくし、とても身勝手な振る舞いをしました。……やっぱり怒ってらっしゃいますわよね?」
「うむ」

 オショウはきっぱりと頷き、途端ケイトが消沈したのを見て、「いや」と言を(ひるがえ)した。

「今、お気遣いくださいました?」
「……うむ」
「もうっ」

 嘘のつけない様子にケイトは頬を膨らませ、それで緊張が緩んでふわりと笑う。

「とにかく、ですわ。わたくし、その件については大変反省していますの。もしオショウ様が駆けつけてくださらなかったら、わたくしの傲慢が大惨事を引き起こしていたところでした。オショウ様へのお詫びとお礼は、いくらしても足りるものではないと思います。なので!」

 勢い込んで身を乗り出し、袖を離したケイトは卓を両手でばんと叩いた。
 
「お望みのものをなんなりとお申し付けくださいませ。わたくしに出来る事ならば、なんだってさせていただきますわ」

 一大決心を告げる風情である。
 真剣勝負のような瞳で告げられ、オショウは「ふむ」と顎を撫でた。

「なんなりと、か」
「な、なんなりと、ですわ」

 頬を染めるケイトを他所に、オショウはしばし考える。
 が、そもそもからして欲の多い気質ではない。答えはするりと見つかった。

「ではあの茶を一杯、所望したい」
「……お茶、ですの?」
「うむ」

 肩透かしされたようなケイトの言いに軽く頷き、

「未だ十数年余の生だ。さして美味を知る舌ではない。だがあれは俺の記憶の中で、一等美味い茶であった」

 世辞も嘘偽りもない、実に正直な気持ちだった。
 味覚的な楽しみに拘泥するのは初めての事である。

「え……? えっ!?」
「……む?」

 しかしながら、ケイトの反応がどうにも奇妙だ。
 途方もない衝撃を受けたかのように上体をふらつかせ、白昼横行する竜を、到底信じがたいものを目撃した顔で口をぱくつかせている。
 
 ──覚悟しておりましたけれど! わたくしよりずぅっと年上は覚悟しておりましたけれど、と、年下!? まさかの年下ですの!?

 彼女の動揺の正体は、無論ながらこれである。
 そういえば、とケイトは思い返した。
 時にひどく(いとけな)くて弟のように感じられる、だなんて。
 そんな印象を、この人に対して抱いた事がある。でもまさかそれが正鵠(せいこく)だったとは、予想の埒外(らちがい)にも程があるというものだ。
 椅子から滑り落ちそうな彼女を支えたのは、最前こっそりとかけられた激励だった。

「あのオショウさんってのは、朴念仁だがいい男だ。頑張んな」

 アプサラスでの治療を勧めた際、アーダルの霊術師は礼とばかりにそう囁いたのだ。
 その折は「わかりかねます! 何の事だか全っ然わかりかねますわ!」と完璧にとぼけておいたのだけれども、もしかしたらこここそがその頑張りどころ、踏ん張りどころであるのかもしれない。
 思い定めたケイトはぐっと姿勢を持ち直し、

「はい。お茶については承りましたわ。でもとりあえずそれは一先ずといたしまして、今後の事、そう、今後の事をお話しましょう」
「うむ」
「オショウ様には、しばらくラーフラ様についていただく事になると思います。魔皇に(まさ)る人間がオショウ様以外にいるとは思いませんけれど、でももしもの時は、あの方を守ってあげてくださいましね」
「うむ」
「それから呪具を作って環境を整えて、やる事はあれこれと山積みですわ。だけどお話したいのは、更にその先の事なのです」
「うむ」

 手を組んで、ケイトは大きく深呼吸する。
 大丈夫。驚きの残響は否定できないけれど、自分はもう冷静だ。ちゃんと、落ち着いて話ができる。

「以前、オショウ様の今後は国が引き受けると申しましたわよね。あの時はわたくし、ラーフラ様共々いなくなっているつもりでしたの。でもオショウ様のお陰で、無事長らえる事ができました。こうして生き延びた以上、オショウ様の後見は召喚主たるわたくしが務めるのが筋と思います。……ですから、その、全部が片付いたら、わたくしのうちにいらっしゃいませんか?」

 言い終えたら急に恥ずかしさが募って、ケイトはつい俯いた。
 それでも反応は知りたくて、ちらちらと上目遣いにオショウの様子を確める。

「……俺は」
「はい!」
「俺のこの手は、拳を作る以外を知らぬ手だ。ケイトの郷里を(おとな)ったとて、何の用も成さぬやも知れぬ。それでも、厄介になって良いものだろうか」

 戸惑うようなオショウの言いには一種の弱気すら漂って、この方にも自信のない事があるのですわねと、ついケイトは噴き出してしまう。
 少々不満げな目つきをされたが、それすらも愛らしかった。やはり彼は、故郷の大きな草食動物を連想させる瞳をしている。
 顔を上げて、ケイトは()(こう)からオショウを見つめた。

「そういえばオショウ様は、ご自身がお出来になるのは戦う事だけと仰っていらっしゃいましたわね」
「うむ」

 聞かれていたかと、彼は決まり悪げに身動(みじろ)ぎをする。

「それなら教えて差し上げます。ええ。わたくしが手ずから、野良仕事というものを教えて差し上げますわ。覚悟してくださいましね。パケレパケレの世話は、魔皇と殴り合うよりよっぽどに大変ですわよ?」

 ケイトの大仰な物言いに、オショウもまた笑みで応じる。
 地に足をつけた生き様は随分と難しく、そして好ましいように思えた。

「だけど暮らし心地は保証いたしますわ。だって、愛しいわたくしの故郷(ふるさと)ですもの。オショウ様もきっと好きになってくださると思います。あ、母も弟も他の方々も、是非に紹介させてくださいませ。皆いい人ばかりですから、すぐ親しめるはずですの。それでうちがオショウ様のふたつめの故郷のようになれたら、わたくし、とっても嬉しいですわ!」

 ぱん、と胸の前で手を打ち鳴らし、そこでケイトは我に返った。
 またしても、である。未来の展望に浮かれるあまり、自分の願望だけを語ってしまった。自分の気持ちばかりを押し付けてしまった。
 何より決して帰れぬオショウに対し、故郷云々の物言いは如何にも無神経だ。二重の意味で顔から火が出る思いだった。
 自責からしゅんと目を伏せ、ケイトは声を弱くする。

「……いけません。わたくし先走りました。ええ、先走り過ぎですわ。勿論全部オショウ様さえよろしければ、オショウ様がそうお望みくださるのでしたらの話ですのよ」
「うむ」
「それであの……い、いかがですかしら?」

 精一杯の問いを受け、オショウは静かに、己の手のひらに目を落とした。
 握り、開き、ゆっくりとまた握る。

「──うむ」

 返答は例の如く、足りぬほどに短い。
 けれどそこに同意と含羞(がんしゅう)とを汲み取って、ケイトはどこにでもいる、幸福な少女の顔で微笑んだ。
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