第48話 レギオン

文字数 6,452文字

 年毎に 咲くや吉野の 山桜
 木を割りて見よ 花の在り処を

            ――一休宗純



 その日の昼少し前、第十三壁内霊術薬保管庫が倒壊した。
 都市軍はこれを先日の火で損傷した建物の崩落であるとし、霊術薬の混触危険回避の名目で立ち入りを禁じた。突然の事態に一時近隣は騒然としたものの、剣祭決勝が間もなくということもあり、最外壁に近い場所での事故は些事としてたちまちに忘却された。

 無論、倒壊は自然の出来事ではない。
 高空からふたりの男が高速度で突撃したために起きた、人為的なものである。前日の打ち合わせ通りに敢行された、オショウとセレストの仕業なのは言を待つまい。浮遊霊術により自重をキャンセルしたセレストをオショウが引っ掴み、潜入時に見取った配置から見当をつけ行った突貫であった。
 円錐状の結界を纏った迦楼羅天秘法(ヴァーハナ・スラスター)による突撃はいとも容易く建造物を貫通し、最短距離で先日探りえなかった水路へとふたりを到達させた。
 そののち、「オレらならどっからでも外に出れるだろうし、構わねェだろ」との大雑把な意見により、霊術薬保管庫へ繋がる通路を破壊して封鎖。後顧の憂いを物理的に断ち、地下の探索を開始したのだ。
 セレストの執行する光明に照らされたのは、天然の空洞だった。流れ水が地層を削り生成した鍾乳洞である。

「妙だな」

 周囲を見回して霊術士が呟き、「うむ」とオショウが同意を示した。
 水路と呼ばれるそこには、しかし水の流れがなかった。全く乾いているのではない。一帯は湿り気を帯び、ついこの頃まで確かに地下水脈があったことを教えている。

「金持ちの半分殿だ。上流に水門でも作ってるのかもしれねェな」
「ふむ?」
「水運を利用する時だけ、ここへ水を流すんだろうって話さ」

 言いながら見渡して勾配を判断すると、セレストは上流へと足を進めた。適当な勘働きではない。
 ロードシルトは各地より少量ずつマーダカッタを買い集めていた。この水路は、秘密裏にそれを集積させる際に用いられたものだろう。そして霊術薬を秘蔵するのは、来るべき時、為すべき目的に役立てるためだ。
 となれば集積場から使用予定地たるラムザスベルへの移送は、なるべく迅速であるのが望ましい。水運の活用時というわけで、つまり荷の貯蔵地点として上流側の可能性が高かった。
 潜入調査と言いながら、明かりを隠すでも足音を消すでもなくふたりは行く。「オレらなら何が出てもなんとかなんだろ」という大雑把もあるが、巧遅より拙速を尊重すべき状況であるというのが強い。両名としては一刻も早くロードシルトの一手を潰し、その上で剣祭側の手助けに駆け戻りたい心地なのだ。
 だがその焦慮を嘲笑うように長く長く水路は続く。

「何も見当たらねェな。こいつは下流側を読み違えたか……?」

 ぼやいて前髪をかき上げるセレストに、「間もなく決勝の始まる頃だ」と体内時計でオショウが応じた。
 するともう、かなりの時間を早足に移動し続けたことになる。正確な現在位置は知れないが、ラムザスベルを相当離れてしまったのに間違いはなかった。

「こうも遠いとなると、こっちはロードシルトの抜け穴かもしれねェな。逆に上手くすりゃ、奴さんの本体に行き当たる可能性もあるが、どうする?」
「ゆこう」

 返事は単純にして明快だった。一度断を下したならば、揺らぐべきでないとばかりの明快さである。

「じゃ、とことん行くか」
「その必要はない」

 腹を括って口の()で笑んだところへ、第三の声がした。
 術式の光の輪の中へ、物々しく鎧を鳴らしてひとりの男が歩み入る。ぎらりと鈍く光る鋼には、覚えのある紋章が刻まれていた。

「フィエル・アイゼンクラーか」
「如何にも」

 両手を広げ、巨躯がずしりと身構える。セレストが不興げに鼻を鳴らした。

「これより先へ、お前たちを行かせるわけにはいかぬ」
「てっきりへし折れたと思ったが、お元気そうだなくそったれ」

 鎧姿は単身ではなかった。その背後にまだ数名の気配がある。だが供回りの援護を待たず、彼はセレストへ突っかけた。無道鎧の硬度を活かしたぶちかましである。
 が、その突撃は横合いから伸びた腕一本により阻まれた。
 絶大の防御を誇る剛法であるが、別段それで自重が増すではない。消去しきれぬほどの衝撃を受ければたたらも踏むし、大きく押し返されもする。つまり鎧武者ひとりを片手で釣り上げる膂力があれば、彼の頸鎧(ゴージット)部分をむんずと捉え、猫の子のように掴み上げることもできる。
 無造作にその仕業をしてのけたのは、無論ながらオショウであった。

「悪く思うな」

 打ち合わせのない行為だったが、状況に即応してセレストは圧縮詠唱。真昼の月(パヘル・マー)を執行すると、白炎を宿した掌底を鎧の腹に押し当てた。 
 陽炎めいて空間が歪み、甲高く金属音に似た軋みがあがる。収束された超高熱と干渉拒絶のせめぎ合いよる、世界法則の悲鳴だった。我法と霊術の衝突はやがて火炎の勝利に終わる。どろりと鎧が解け崩れ、それが守っていた人体を霊術火と熱された金属とが焼き焦がす。
 絶叫を上げる鎧姿をオショウが投げ捨てた。赤熱する鋼を握っていた手のひらだが、当然のようにそこには火傷は痕すらもない。
 二対一とはいえ、我法使いに対してあまりに圧倒的な制圧だった。
 が、後背の者たちは怯まない。どころか一様に、同じ声(・・・)嗤笑(ししょう)した。

「無駄だ。ひとり殺した程度では全くの無駄だ」
「然り。一切が無駄なことだ。何故ならば」
「そう、何故ならば――我らは多勢なるがゆえに」

 杖を掲げ、セレストが光を強める。霊術が暴き出したのは、グレゴリ・ロードシルトの顔をした男たちであった。

「呑法・魂食」
「我が法により我らは地に満ちる」
「そしてついに我が魂食は、他の我法をも呑み食らうことを果たしえたのだ」

 うち一人の肉体が、ぐにゃりと粘土細工のように変形していく。瞬きの間に仕上がったのは、フィエル・アイゼンクラーの巨体であった。

「剛法・無道鎧。さて、我らにいつまで抗いうるか」

 瓜ふたつの人間がいるように、似通った我法は存在する。
 だが同一の人間がいないように、同一の法は存在しない。
 それが不文律である。我法とは個の顕在であり、人間のかたちそのものであるからだ。しかしロードシルトの邪悪な意志はこれを踏み躙り、他の生を手中に収むるに至っている。アイゼンクラーを用いた実験により、そのことは証明されていた。
 ゆえにロードシルトは絶頂にある。
 この力あらば霊術薬などというまだるっこしい手段に頼らずとも、多くの心魂を食せよう。半分殿はそのように判断し(・・・)、マーダカッタを用いた一斉捕食から、全人格転写用素体の複数確保と我法の収集へと計画の重点を移していた。ひとまずは量よりも質、というわけである。
 特に欲しいのは飼い骨だ。死したものを繰るあの法は、生死を表裏に挟んで魂食と同じ働きをする。是非とも手に入れたい我法だった。
 ロードシルトがここで待ち受けていたのも、クランベル一味の侵入を見抜いていたがためだ。酒蔵襲撃の件から一行の目的が霊術薬にあると看破。重要度を減じたこれを餌に、カナタらと協力関係にあるツェラン・ベルを釣り上げんと欲したのだ。
 結果として期待は外れたが、アーダルの太陽とテラのオショウ、この二者を得られるのであれば不満はない。

「案ずることはない。そなたらの死は、あちら(・・・)の私がそなたらの仲間に伝えてやろう」
「そして心せよ。死する前に気が弱れば、我らに呑み食らわれるぞ」
「だが恐れることはない。それは永遠だ。我らは永遠となるのだ」

 満願成就を前に老怪人の舌はよく踊り、

「口は、ひとつあればよい」

 直後、浮かれは微塵に粉砕された。
 ふっとオショウが動き、二度ずつ左右の突きを繰り出したのだ。砲撃のような鉄拳が頭部を粉砕し、四人のロードシルトを終了させる。技ですらない技であり、至極単純な不快の表出であった。

「これほどか、テラのオショウ……」

 一体だけ残されたロードシルトが呻きを漏らす。セレストが黙って肩を竦め、諦念と同意を並べて示した。
 だが魂食はなお、敗北ではなく傲慢を顔に浮かべる。

「流石に驚かされたが、備えは怠らぬのが信条でな。先ほど、別の私が水門を開いた。今にもここに水が至ろう。最早逃れることは叶わんぞ」

 それが虚偽でない証しに、地響きが地下空洞を揺るがしていた。本来ならば別の水脈へ流れる水をも堰き止めることで作り出された、鉄砲水の足音である。
 瀑布の如き圧倒的水量の叩きつけを受ければ、衝突の衝撃だけで即死もありうる。運よく霊術防御でこれを免れたとしても、逃れる余地なく押し寄せる濁流に抗しきれるはずもない。障壁ごと押し流され、いずれ力尽きて溺死を迎えるばかりだ。
 ロードシルトの哄笑を圧して、水音が迫る。
 セレストが空洞の天井を振り仰ぐ。崩落を顧みずに、炎珠の爆撃で脱出口を穿つ思案だったが、遅い。視界の端できらりと水が光るなり、もう壁のような波濤が目鼻の先に(そばだ)っている。
 何をする(いとま)もなく水のうねりは迫り、全てをひと飲みにした。 


 *


「すっぱり、諦めましょう」

 闘技場の石舞台の傍らで、言い切ったのはケイトである。
 昼を過ぎて尖塔の影が石舞台にかかり、剣祭の決勝が間近となっても、オショウとセレストが戻る様子はないままだった。魔皇に挑んだ七人の中でも、彼らは屈指の戦力である。またオショウの醸す安心感とセレストの陽性は、一同の精神的支柱として機能するものだった。
 その両名を欠き漂い出した不安の中で、この娘は朗らかに、透明に笑ってみせた。

「仮に何かあったとしても、オショウさまとセレスト様ですもの。笑いながら踏み越えてお戻りになりますわ。なので、わたくしたちはそちらに心を割くよりも、これからのことを考えましょう。どんな事態にも対応できるようにしておきましょう」
「!」

 自らの頬を両手でぺちりと叩いて、ネスが賛同を示す。次いでミカエラが、誰かを真似るように前髪をかき上げた。

「その通りだ。我々に不手際があった場合、『オレがいねェと全然だな』とそっくり返る輩に思い当たりがある。実際にされるのは業腹だ」
「ん、了解。カナタはあっちに集中してもらうとして、わたしたちは、どうする?」

 言いながらイツォルは、対面の席を目で示す。舞台にはまだ上がらぬものの、そこにはウィンザー・イムヘイムが陣取っていた。全身を(くる)む袖なし外套と手にした大剣。常と変わらぬ出で立ちで、差し込む陽光を帽子の鍔に受けている。

卒爾(そつじ)ながら、よろしいですかしら」
「承ろう」

 挙手したケイトをミカエラが促し、娘はちょこりと会釈して、「それでは」と切り出した。

「まずミカエラ様はイツォル様と、高いところへ行っていただきたいと思います」
「えと、どうして?」
「だって姿の見えない狙撃手というのは、とても怖いものではありませんかしら」

 イツォルの隠行術により身を潜め、事あらば射よという差配だった。つまるところ暗殺の示唆である。

「それにオショウさまたちが戻ってらしたら、ミカエラ様はすぐそれにお気づきになりますわよね?」
「高所から目を配るなら、まあ気づけぬことはないだろうね」

 流石ですわ、と手を打ってケイトは続ける。

「おふたりが戻られた時に騒動が起きていたなら、まず状況の把握が必要になると思いますの。なのでミカエラ様にはいくつか簡単な(ふみ)を用意しておいて欲しいのです」
「文……というと?」
「あ、わかった。合流地点とか行って欲しい場所とか、そういうのを事前に書いておいて、見つけたら矢文するんだ」

 イツォルの理解に、にっこりとケイトが微笑む。

「アンデールでは川向こうの相手とやり取りする時、石を手紙で包んで投げ渡すのですわ。川音が大きくて、叫んでも声が届かないのですもの」
「なるほど、意図は了解した。用意しておこう」
「わたくしとネスフィリナ様は、こちらで待機ですかしら。ネスフィリナ様は狙われる可能性があるようですから、わたくしが護衛いたしますわ。こう見えてもそれなりに嗜んでおりますから、ご安心くださいませ」
「!!」

 心強い、とばかりにネスがくっつき、ケイトがその頭をくしゃくしゃと撫でた。

「ネスフィリナ様にはいざとなったら、化けの皮剥しをお願いいたしますわね。大変なお仕事ですけれど、大事なお役目ですわ。お出来になりますかしら?」
「!!!!」

 やる気満々の姿勢に頷くと、ケイトは視線を上げて一同を見渡した。

「分担としてはこれくらいだと思いますけれど、何かありましたらお願いしますわ」
「いや、十分だろう。あまり細かくを取り決めても足かせになるばかりだ。それぞれの行動指針を共通理解していれば問題はない」
「わたしも、同感」

 ミカエラが弓張りの準備を始め、イツォルが自前の刺突剣と投擲用短剣の具合を確かめる。カナタのみならず本日は全員が、いざとなれば立ち回れる装いをしていた。

「ちょっぴり意外でした」

 帯びた剣の握りを確かめるケイトに、カナタが小さく囁いた。

「あら、何がですかしら?」
「ケイトさんは、指揮の類もお得意だったんですね。することが明確なら、それに専念して安心もできますし」
「指揮だなんて、そんな大層なものではありませんわ」

 謙遜めいた言い口だが、おおよそのところ事実である。彼女の仕切りは迷子のパケレパケレ探しや薬草摘みの折に経験した、効率的な人使いの延長に過ぎない。

「それよりカナタ様こそお気をつけくださいましね。立ち合いは誰にもお手伝いできないことですけれど、わたくし、武運をお祈りしておりますわ」
「ありがとうございます。精一杯を……」

 礼を言いかけたところで、ケイトが「いいことを思いついた」とばかりに胸の前で手を打ち合わせた。

「イツォル様、イツォル様。ここから離れてしまうと、カナタ様を声援できなくなってしまいます。なので今のうちに、ご存分に武運を祈って差し上げるのは如何ですかしら! 思い切って、こう、ふたりっきりの時のような親密な感じで!」
「う? ううう……」

 唐突に無理難題を吹っ掛けられたイツォルは困惑し、ちらちらとカナタを眺める。
 だがそのまま逃げるかと思いきや、意を決して彼に近づくと、揃ってふっと姿を消した。術式の執行による、あらゆる意識、知覚からの隠形である。
 ふたりの消失はほんの数秒だったが、認識が戻るなりケイトは頬を膨らませた。

「ずるですわ! そういうやり方、わたくし、よろしくないと思います!」
「君のやり方も、いささかを越えて押しつけがましい」

 嗜めるようにミカエラがケイトの肩を叩く。自覚はあったのだろう。はっとしてから娘は露骨にしょんぼりとして、

「申し訳ありませんでした。わたくし、はしゃぎが過ぎました。イツォル様、カナタ様、お詫びさせていただけますかしら」
「大丈夫です。僕は、えと、わりと得した感じなので」

 自分の頬に触れながらカナタが応じ、イツォルはその背に隠れるようにして、気にしてないの意志表示でひらひらと手を振った。

「星の数ほどいるのが人だ。同じ形の恋路などありはすまいよ。つまり自分の道は自分で見出すしかないということだ」

 ケイトの動機を見透かして、弓使いは片目を瞑ってみせた。
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