第5話 影差す魔軍

文字数 6,470文字

 カヌカ祈祷拠点。
 それは人界各所に築かれた、皇禍対策用城砦のひとつである。冠せられた「祈祷」の名は、拠点中央部に設けられた大規模祈祷塔に由来した。
 祈祷塔とは、周囲の霊素を吸引し収束、内部で永続反響させつつ霊力に置換する方陣である。中規模の一基もあれば儀式霊術の執行を十分に(まかな)うだけの霊力集積が可能だった。
 無論この内部蓄積霊力は、術式の執行時にのみ用いられるものではない。各国王都に備えられた同型の大規模祈祷塔は、日常生活における各種動力源として活用されている。
 都市機能の運営を担うほどのその力は、現在この平原へ魔軍を釘づけにする為だけに傾けられていた。
 強大な遮蔽力を持つ封魔大障壁は、その強大さ故に執行者への負担が著しい。祈祷塔の補助なくしては、数時間と維持できぬ術式なのだ。
 この注力により、障壁は下位魔族らの侵攻をほぼ完全に封じている。

 だが、油断は決してならなかった。
 有象無象は阻めても、五王六武や魔皇自身に対してまで障壁の効果は期待できない。これら上位魔族が前線に現れ、祈祷塔の破壊を目論んだなら、人類は戦線の大きな後退を強いられていたろう。
 しかし此度(こたび)の魔皇は、祈祷拠点に対する一切の攻勢を見せなかった。五王六武の幾体かに各国への奇襲を命じた他は、ただ静かに、大山の如く構えるばかりだ。
 ただ戦端を開くその代わりに、魔軍は恐るべき仕業を見せつけた。
 それは築城である。
 無数の魔族が寄り集まり、意思を持つ波のように蠢くと、(たちま)ちに平原は切り拓かれ地均(じなら)しをされ、石材が積み重ねられ木材が組み合わせられ、一昼夜のうちに堅牢めく城が姿を成していた。
 ひとつの目的の為に高度に統率されたその様は、無言の威圧として見る者の心に恐怖と不安とを植え付け、肌に粟を生じさせずにおかなかった。あれらと相対せねばならぬのだと、心を病む者までもが出た。
 そうした人の動揺など知らぬげに、魔の牙城は悠然とそびえ立っている。



 *



 その魔城の奥まった一室に、今、五つの影がある。
 この地に残る五王六武と、そして彼らが奉戴する一帝であった。

「今、アプサラスでムンフが死んだ」

 末席のひとつが、苦く口を開く。上半身は人の似姿なれど、直接床に座すその下半身は四足獣のものであった。
 魔皇の指令や断末魔のような上位魔族の強い思念波は、種全体へと即時に伝播する。これにより彼らは遠くカヌカ平原に居ながらにして、アプサラス王城での出来事を感知していた。

「仕方ねぇさ。あいつは五王六武において一番の弱者。……くそ、成長を楽しみにしてたってのによぉ……」

 ぎしりと椅子を軋ませて、一際に大きな影が呻く。
 休息用ポールに体を巻き付けた長身が、しゅうと息を漏らした。

「アーダルで四武が焼き払われて、ラーガムで二王が斬られて、更にまた一武を失って──随分と数が減ったわね」
「元よりわかっていた事だ。アーダルの太陽、クランベルの聖剣、そしてアプサラスの巫覡(ふげき)。何れも侮れぬ。人は、我らよりも強い」
「気合の足りねぇ言葉を吐くんじゃねぇ!」
「事実を申したまで。喚き散らしたとて、ここに残るが三王一武という事実に変わりはない」

 吠える巨漢を見据え、四つめの影は三対の腕を組む。

「戦力の分散と逐次投入。人は我らを愚かと見るであろうな」
「うむ。であればこそ来るであろうよ。人類の最高戦力どもが、我らが皇を(しい)さんと」
「それこそが我々の見せた希望とも知らずに、な」

 一同は低く笑い、そこに最初の影が「しかし」と告げた。

「巫覡めが喚んだ想定外の戦力、些かながら気になりますな」
「テラのオショウ、か。あのムンフが、ただのひと打ちであった」
「皇よ、許しを頂けませぬか。パエルめが見定めたく存じます」

 呼びかけに応じて、それまで黙していた上座の気配が動いた。
 それは異形の群れるこの場では最も小さく、最も人の形に似ていた。そうでありながら、最も強力な圧を放っていた。 

「任せよう。だが決して油断はするな。それの傍には巫女が居る」
「胸に刻みましてございます」

 返答に頷くと、皇はゆるりと配下を睥睨(へいげい)した。

「我々はこれまで敗北を重ねてきた。これは覆せぬ事実だ。よって(おそ)れよ。人は、磨き上げた人というものは恐ろしい。だが案ずるな。人は人であるが故に、私に決して及ばぬのだ」

 皇の言いに、三王一武は(こうべ)を垂れ恭順を示す。
 忠誠もある。だが何よりも、その言葉が決して慢心でないと知るからこそであった。

「パエルを動かす他は変わらん。最大の警戒を保ちつつ、予定通りに進行せよ。遺漏、許すまいぞ?」
「は!」

 唱和と共に、四つの影が走り出る。
 ただひとり残った魔皇は、ゆるりと玉座に頬杖をついた。戯れめいて、宣誓の文言(もんごん)を舌に乗せる。
 それは人が耳にしたならば、絶望を覚える(ほか)ないものであった。



 *



 小型飛空船の一室。
 私室として貸与されたその部屋で、ケイトは備え付けの鏡を覗き込んでいた。赤みがかったブラウンという己の瞳の色を確かめると、小さく息をついて身支度へ移行する。
 彼女とオショウがアプサラス王城を立ったのは、ムンフの襲撃より半日が過ぎての事だった。
 後詰(ごづ)めを警戒しつつの人心慰撫、兵の緊急動員等々の手配を整えるのに、それだけの時が要されたのだ。
 直接に魔族の脅威を体験した貴族のうちにはケイトとオショウを引き止めんとする動きも出たが、これはマハーヤーヤナ6世により圧殺された。

「アーダルとラーガムの両国も、我が国と同様に急襲を受けたとの報が入っておる。だが最精鋭を──太陽と聖剣を(つか)わす意図に変わりはない。ならばカヌカより最も遠いアプサラスが保身を論ずるは恥と心得よ。そも、この二人を欠いたが故に人類が遅れをとったならばなんとする」

 刃の如き声に、返す言葉を持つ者はなかったのだ。

 自分たちを見送った王の眉間、そこに刻まれていた苦悩の皺を思い出しながら、ケイトは鏡を離れて船窓に寄る。
 そこからの眺望は、ただ緑一色であった。飛空船に乗り込んでから丸二日、風景の変化はまるでない。
 大樹界。
 現在船が航行するのは大陸の中心に存在し、でありながら未だ一切開拓を受け付けぬその密林の上空であった。
 アプサラス、アーダル、ラーガムという人界の主要三国は、この樹海を大回りする陸路と海路、そして樹上を越える空路によって結ばれている。
 樹界の危険を避ける陸海に対し、敢えて直上を横断するのが空路である。
 しかし一応ながら、空の旅は安全であるとされていた。
 如何にこの樹林、大樹界に棲まう界獣といえども、高空を飛ぶ船にまで襲いかかって危害をもたらすものは流石に少ない(・・・)からだ。
 船員たちからは、カヌカ祈祷拠点までもう一日以下の距離であると聞かされてはいた。しかし眼下の緑絨毯は同じ道を巡り続ける悪夢にも似て途切れ目なく、己の矮小(わいしょう)さを思い知らせてやまない。
 それは魔軍を慮外に置いたとしても世界は人の版図にあらず、脅威と危険に満ち満ちているのだと声高に告げるかのようだった。

「……」

 ふと足元が頼りなくなる感覚に襲われれて、ケイトはふるふると(かぶり)を振った。
 別段高いところが苦手というわけではない。郷里から王城へ推参する折にも飛龍を使っている。けれどそんな彼女を飲んでしまうほどに、この緑の圧力は強烈だった。
 もしこの船があそこに落ちたなら。運良く墜落を生き延びたとしても、到底生還は望めまい。徒歩によるで樹界横断など、自殺と遜色(そんしょく)のない仕業だ。

 ──でも。

 でも、と、つい思ってしまう。自らのこの旅路とて、結局似たようなものではないのだろうか。ただの自殺行為に過ぎないのではなかろうか。
 思考の暗い淵に沈みかけ、けれど自嘲的な面持ちの女を窓ガラスに見つけて、ケイトは両手でぱちんと頬を叩いた。

「いけません。何を揺れていますの、ケイト・ウィリアムズ。楽勝です。ええ、こんなの楽勝ですわ」

 指で口角を持ち上げて、強引に笑顔を作る。
 笑いましょう。下を向かず、笑顔でいましょう。でなければ、ますますくすむばかりでしてよ。
 自らを鼓舞すると、独りで閉じ篭っているのがよくないのだと結論をして、ケイトは持つべきを(たずさ)え部屋を出た。向かう先はオショウの居室である。
 召喚からわずかの時間を共にしただけだけれども、彼女の中にオショウへの隔意は最早ない。むしろ懐いていると言ってすらよかった。だってちょっとの観察だけでも断言できるくらいに善人なのだ、彼は。

 真っ先に例を挙げるとすれば、それはムンフとの一戦になるだろう。
 あの折、どうしてオショウがただ一人で戦う事を望んだのか。その理由は、少し考えれば思い至れた。
 動機は十中八九、自分が施した記憶の感染である。
 あの術式は本来、伝達情報の取捨選択が可能なものだ。教えたくない事、知られたくない事を黙秘しておける。そういう設定が施されている。
 だがその秘匿部分以外においては、施術者の主観記憶が──つまりはまつわる個人的な感情がそのまま伝達されてしまう場合があった。おそらくオショウもそのようにして、漏れ出した自分の心を、そこに横たわる不安を見たのだろう。
 だから彼は、敢えてその力を誇示したのだ。
 そうしてウィリアムズの一族が伝えてきたものは信ずるに足るものであると、広く──同時にケイト自身にも──知らしめてくれたのだ。胸を張れるようにしてくれたのだ。
 生死を賭した魔皇征伐の同道に(がえ)んずるのみならず、出会ったばかりの小娘に対しそのような心遣いをする者を、善き人と呼ばずしてなんと呼ぶのか。

 他にも、ある。
 部屋に押しかけた自分の他愛ない話にいつまでも付き合ってくれたり、食事時に苦手な皿をそれとなく請け負ってくれたり、それでいて決して不埒(ふらち)な手出しはしてこなかったり。
 召喚術式は、召喚者と価値観や倫理観を共有する存在を対象として選択する。
 よって被召喚者の抱く欲求欲望はこの世界の住人の近似値となり、そこに権勢や金銭、そして性というカードを用いた交渉が働く余地が生じる。
 クランベル家の例があって以降、そのようにして他世界の異能を血筋に取り込む事は推奨すらされていた。
 であるから被召喚者からの性的な要求は、望む望まざるを別として、ケイトの覚悟と想定の範囲内だった。なので教範に従って、男性の気を引くように振る舞ってもみた。
 が、結果は全くの無反応である。
 人物なのだとの印象を深くして安堵するのと同時に、ちょっぴりだけ腹が立った。妙齢の女性に対して、その態度は失礼なのではあるまいかと思ったのである。
 決して無体を働かれたいわけではないのだけれど、どうにも複雑な心情だった。

 ──もしかしてわたくし、魅力を欠いているのかしら。

 思い返しながら、頬を撫でた。
 母譲りの目鼻立ちは、美貌と呼ぶには気が引けるけれど、それなりに整ったもののはずだった。
 けれどそこで脳裏に浮かんだのは、王城で見たきらびやかな貴婦人たちの姿である。
 目が覚めるような美しい召し物に色とりどりの装飾品。(つや)やかに演出され大胆に強調された豊かな胸とくびれた腰。ああいう女性らしい女性にならば、オショウも反応したのかもしれない。
 ぺたぺたとケイトは自分の体に触れ、

「ぎ、ぎりぎり成長期ですもの。わたくしだってまだ育ちます。先走って結論してはいけません。ええ、育ちますとも!」

 つい声に出して拳を握り、慌てて周囲を見回した。
 幸い誰の姿もなかったが、気恥ずかしさから彼女は足を早める。そうしてノックもそこそこに、オショウの部屋へと飛び込んだ。

「失礼しますわ、オショウ様」

 大きめで口早の声に、身を屈めて船窓を覗いていた彼は振り向き、僅かに笑む。
 ただそこでそうしているだけなのに、どっしりと大きな存在感があった。きちんと身構えたなら、それだけで部屋が一杯になってしまいそうな気さえした。
 この姿を前にしてなお、在室の折の無施錠を不用心と(そし)れる者はないだろう。

「外を見ていらしたのですか?」
「うむ」

 頷いて、それ以上をオショウは語らない。
 だが口数の少なさは別段不機嫌を意味しないのだと、ケイトは既に諒解していた。
 言葉以上に行動が雄弁な者の常なのか、彼の口は重い。大抵の応答や相槌は「うむ」で済ませて、生まれてからこの方、無駄話などした事もなさそうな顔をしている。
 でもだからと言って、決して人との交流を拒むではない。
 とりとめもない小娘の(さえず)りにじっと耳を傾けてくれるその様は、やはり実家のパケレパケレたちによく似ていた。その大きな気配に包まれて静かな眼差しを受けているだけで、心の尖ったいたところがやわらいでいくのもそっくりだ。

「緑ばかりで、あまり面白いものはありませんでしょう?」

 ケイトの言葉に「いや」とオショウは首を振り、「物珍しい」と付け足した。子供のような物言いに、ふとその顔を見つめてしまう。
 実のところ、ケイトは彼の(よわい)が読めぬままでいた。
 ある時は父親ほどにも老成して見える。けれどまたある時の表情はひどく(いとけな)くて、弟のようにすら感じられた。
 結局これらの印象を総合して平均し、一先ず「年の離れた兄」という辺りに彼女は判断を落ち着けている。

「……あ」

 たっぷり不躾(ぶしつけ)な視線を注いでからはっと我に返り、ケイトはほんのりと頬を染めた。
 オショウが不思議そうな目を返してきていて、気づけば黙って見つめ合う格好になっている。

「そ、それでですわね、今回はオショウ様にお渡しするものがあって参りましたの」

 取り繕うように言い添えてケイトが差し出したのは、小指の爪ほどの大きさの宝石だった。首にかけられるよう、細く長い鎖が装飾されている。

「以前お話した導石(しるべいし)ですわ」

 重ねて告げられて、オショウの顔に得心の色が浮かんだ。
 導石とは、術式により特定の波長を染みこませ、(つい)となる石の位置情報を得られる機能を付与された術具と聞き及んでいる。
 いうなれば一種の迷子札であり、高速通信機器のないこの世界においては重要な品であるとオショウは認識していた。

「では、使い方を説明しますわ」
「うむ」

 受け取って、オショウはぴしりと直立不動の姿勢になる。
 召喚の直後から、「知識だけでは必ず不便が出るでしょうから」と甲斐甲斐しく身の回りの世話を焼いてくれるこの娘に、彼は(いた)く感謝している。その厚意を誠心にて受けるならば当然の構えだった。
 斯様(かよう)にして術具起動法の伝授は開始され──船全体を揺るがす横殴りの衝撃が来たのは、その最中(さなか)の事である。

「きゃっ!?」

 不意打ちに転びかけたケイトを、すいとオショウが抱き止める。その両足は根を張ったが如くに揺らがない。
 強烈な揺れは、ただそれ一度きりであった。
 だが以降も小さな振動は継続して続き、また、遠く悲鳴めいたものが耳に届く。明らかな異常事態だった。

「か、界獣の襲撃かもしれませんわ。様子を見に参りましょう。オショウ様、ご一緒をお願いできますかしら?」
「うむ」

 縋った胸に手をついて慌て気味に体を離すと、先立ってケイトは駆けた。
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