第14話 彼方の聖剣
文字数 3,366文字
「聖剣の使い手と相対するには些か無粋な得物だが、お目こぼし願いたい。用意の剣は、全て斬られてしまったからね」
じゃらり、とナークーンは黒爪 を鳴らす。
鉤爪と変じた六手五爪は、腕を垂らせば地を擦るほどに長い。
「だが安心して欲しい。自分の本領は──」
言いながらの軽いひと振り。
それだけで石畳に五本の斬線が刻まれた。刀剣に劣らぬどころか、遥かに勝る鋭利さであった。
「むしろ、こちらだ」
対峙するカナタとイツォル、両名の顔はいずれも険しい。
消耗を覚悟の上での速攻を、結果的に凌がれてしまった事もある。だがそれ以上に、ナークーンの爪が侮れなかった。
三度殺されぬ限りは死なない。
この魔族はそれのみが取り柄のように言うけれど、彼が身に宿す干渉拒絶は上位のものだ。証拠に最前、この魔は辛うじてながらも聖剣による斬首を免 れている。
当然、あの黒爪にも同様の干渉拒絶が働くはずだった。ならばあれは、聖剣と真っ向に打ち合いうる妖刀に相違ない。
正統詠唱を経ての聖剣抜刀により対決したい相手であったが、しかしそれは叶うまい。霊素操作に集中したまま長く吟じるその隙を、この魔が見逃すとは到底思えない。
「では此度 は、仕掛けさせてもらうとしようか」
二人の逡巡を見抜いたように、魔族が踏み出す。
そうして繰り出された斬撃は、まるで小型の嵐のようだった。
六つの目による見定めと見切り、そして六手が踊らせる三十の爪刃。先手から押し切った最前には発揮できなかったた魔族の剣舞 が、余すところなく披露される。
一流程度の戦士であったなら、為す術 もなく膾 に刻まれていただろう。
しかしカナタもイツォルもこれを凌いだ。無論、無傷とはいかない。十数ヶ所を裂かれてはいる。それでも深手を避け切ったのが、二人の修練の尋常ならざるを告げていた。
「よく、絡まない……!」
「鍛錬の賜物と思ってくれたまえ」
暴雨のような連撃に思わず零したイツォルへ、ナークーンが笑む。
余裕の現れでは決してない。それは己の全力を受け止めた敵手へ贈る、賞賛の笑みだった。
ナークーンは恥じていた。
この素晴らしい戦士たちの力を量るのに、まず出来合いの武具を用いた己を深く恥じていた。命一つを失ったのも当然と思う。自分は人の強さを認識していたつもりだった。だがつもりでしかなかった。その認識ですらまだ甘く、遠かった。
人間が重ねる時とは、実に深遠なものなのだ。
感慨しながらナークーンは、左右に別れて飛んだカナタとイツォルを、その三面で逃さずに追う。そして反攻として繰り出された連携の悉 くを、受けて捌いて止めて流した。
二人のコンビネーションは多彩であった。影のように光のように、陰陽和合して切り結ぶ。
しかしその動きは惜しいかな、対人に練られたものだった。
一方が注意を引き、もう一方が好機を得る。全ての基盤はそこにあり、三面六眼の魔との戦闘は考慮していない。
対してナークーンに死角はなく、振るう腕は多い。
取りも直さず、それは対応力の高さを、防御面での鉄壁を意味していた。
「どうした? 聖剣は抜かないのか?」
挑発めいた物言いをしながら、ナークーンは真っ向から振るわれるカナタの太刀を払い、その背後から飛ぶ投げ縄を事もなく切断する。彼の爪は長い。上体をおらずとも、足元までもをカバーする。
投じた縄を追うように、イツォルが槍を腰だめに前に出た。カナタと入れ替わりつつ、正面から打ち合う構えだった。
突いて、引く。
彼女の動作はそれだけだったが、しかし神速だった。稲光の如く閃いた槍が、きな臭く空を焦がす。受けたナークーンの腕一本が、想定外の威に大きく弾かれた。
そして彼女のは技は、ただ突いたのみに留まらない。槍は同速で手元に引き戻されている。即ち、次弾の装填である。
──手傷を与えられなくても、動きを封じるくらいは!
彼女の目的はそこにある。
立て続けに二撃目、三撃目を繰り出し──だが、それらは効果を上げられなかった。
魔族は即座に自身の感覚を修正。降り注ぐ穂先に対応しつつの半回転で位置を変え、イツォルの背で詠唱に入ろうとしたカナタへと牽制の爪を送る。
「……っ!」
自分では、時間稼ぎにすらなれない。
思い知らされて、イツォルは唇を噛んだ。
彼女の個人武勇は、決してカナタに引けを取るものではない。しかし上位魔族に対しては、絶望的なまでに攻め手が足りなかった。
「イっちゃん」
そして、恐れていた声がした。
彼がどういう結論に至ったのか、彼女にはわかりすぎるほどわかってしまう。
カナタはまた、聖剣を抜くつもりだ。自らの体を苛 むつもりだ。
かつて、彼女は思考した。
人一人の犠牲で人類全部が救えるのならそうすればいい、と。
手段を選り好みして全てを失うなど愚か者の所業である、と。
だがその犠牲のうちに、彼女は彼を含んでいない。
イツォル・セムは、あらゆる価値の上にカナタ・クランベルを置いている。
そのように育てられ、そのように歪められている。
「……駄目。まだ後には魔皇が控えている。完全な形でカタナを届けるのが、私の役目」
だから彼女は否定する。彼の輝きが、僅かなりとも減じる事を否定する。
そうして命を賭すならば、まず己からだと覚悟した。
ここで捨て駒となるのは自分であるべきだと決断をした。
「わたしが、作るから。絶対に詠唱の時間を作るから。だからカナタは」
「駄目だよ」
目の端で、彼が微笑するのが見えた。
その心は鋼のように曲がらぬのだと、またしても思い知らされる。
「駄目だよ、イっちゃん。だって君が死んだら僕は悲しい」
イツォルがカナタの心を読むように。
カナタもまた、イツォルの心を透かし見る。彼女が身命を投げ打つつもりなのは察していた。
「それに僕だけよりも、僕とイっちゃんの方がきっと強い。だから、二人で魔皇に会いに行こう」
それ以上は何も言わなかった。
圧縮詠唱。カナタの刀を、黄金の陽炎が包 み込む。
ひと呼吸ごとに、ぎしぎしと胸骨が軋む。視界が急速に狭まる。膝が折れそうになる脱力感を、彼は必死で押し殺した。押し殺して、不安げに自分を見つめる少女に笑ってみせる。
その様を、ナークーンは妨げずに見守っていた。
干渉拒絶を否定する界渡りの霊術は、当代の魔皇にとっても厄介な代物だった。しかし使い手は代を重ね、聖剣という術式は劣化し、消耗著しくなった。
上位魔族と全力で切り結べば、わずか十数合で精も根も尽き果てるほどに。
だからこそ彼の目的は、聖剣を抜かせる事に尽きた。
カナタに対するイツォルの献身めいて、ナークーンは思い定めている。
三度の死を経ねば滅さぬこの身は、ただ皇の為にあるのだと。
磐石の勝利の為に。皇に細瑕とて許さぬ為に。
この命は、カナタ・クランベルという人間を枯渇させる為にこそあるのだ、と。
そして念願叶ったこの時点で、ナークーンは戦闘の趨勢 を読み切っていた。
聖剣という恐るべき力が加わった今、彼ら二人の連携はその力を十全以上に発揮する。攻勢の怒涛は凌ぎ難く、残された命の火ふたつが吹き消されるのは、さして遠い未来ではない。
そのように予見しながら、それでも彼は抵抗を止めなかった。
1秒でも長く相対すれば、その分聖剣の使い手は疲弊する。それが皇の優位を、より確実なものとするのだと信じていた。
彼の執念が稼いだ時は、長かったか、短かったか。
やがて思惑 の通り、聖剣がナークーンの胴を深く薙いだ。
「──見事」
一歩だけよろめき、しかし彼は倒れずに踏みとどまる。
まだ戦う余力を残すかと構え直すイツォルを、カナタが片手で制止した。
ナークーンは、立ち往生を遂げていた。
死に顔に浮かぶのは満足気な笑みであり、五体が粘液に変じ揮発するまで、それが消える事はなかった。
じゃらり、とナークーンは
鉤爪と変じた六手五爪は、腕を垂らせば地を擦るほどに長い。
「だが安心して欲しい。自分の本領は──」
言いながらの軽いひと振り。
それだけで石畳に五本の斬線が刻まれた。刀剣に劣らぬどころか、遥かに勝る鋭利さであった。
「むしろ、こちらだ」
対峙するカナタとイツォル、両名の顔はいずれも険しい。
消耗を覚悟の上での速攻を、結果的に凌がれてしまった事もある。だがそれ以上に、ナークーンの爪が侮れなかった。
三度殺されぬ限りは死なない。
この魔族はそれのみが取り柄のように言うけれど、彼が身に宿す干渉拒絶は上位のものだ。証拠に最前、この魔は辛うじてながらも聖剣による斬首を
当然、あの黒爪にも同様の干渉拒絶が働くはずだった。ならばあれは、聖剣と真っ向に打ち合いうる妖刀に相違ない。
正統詠唱を経ての聖剣抜刀により対決したい相手であったが、しかしそれは叶うまい。霊素操作に集中したまま長く吟じるその隙を、この魔が見逃すとは到底思えない。
「では
二人の逡巡を見抜いたように、魔族が踏み出す。
そうして繰り出された斬撃は、まるで小型の嵐のようだった。
六つの目による見定めと見切り、そして六手が踊らせる三十の爪刃。先手から押し切った最前には発揮できなかったた魔族の
一流程度の戦士であったなら、為す
しかしカナタもイツォルもこれを凌いだ。無論、無傷とはいかない。十数ヶ所を裂かれてはいる。それでも深手を避け切ったのが、二人の修練の尋常ならざるを告げていた。
「よく、絡まない……!」
「鍛錬の賜物と思ってくれたまえ」
暴雨のような連撃に思わず零したイツォルへ、ナークーンが笑む。
余裕の現れでは決してない。それは己の全力を受け止めた敵手へ贈る、賞賛の笑みだった。
ナークーンは恥じていた。
この素晴らしい戦士たちの力を量るのに、まず出来合いの武具を用いた己を深く恥じていた。命一つを失ったのも当然と思う。自分は人の強さを認識していたつもりだった。だがつもりでしかなかった。その認識ですらまだ甘く、遠かった。
人間が重ねる時とは、実に深遠なものなのだ。
感慨しながらナークーンは、左右に別れて飛んだカナタとイツォルを、その三面で逃さずに追う。そして反攻として繰り出された連携の
二人のコンビネーションは多彩であった。影のように光のように、陰陽和合して切り結ぶ。
しかしその動きは惜しいかな、対人に練られたものだった。
一方が注意を引き、もう一方が好機を得る。全ての基盤はそこにあり、三面六眼の魔との戦闘は考慮していない。
対してナークーンに死角はなく、振るう腕は多い。
取りも直さず、それは対応力の高さを、防御面での鉄壁を意味していた。
「どうした? 聖剣は抜かないのか?」
挑発めいた物言いをしながら、ナークーンは真っ向から振るわれるカナタの太刀を払い、その背後から飛ぶ投げ縄を事もなく切断する。彼の爪は長い。上体をおらずとも、足元までもをカバーする。
投じた縄を追うように、イツォルが槍を腰だめに前に出た。カナタと入れ替わりつつ、正面から打ち合う構えだった。
突いて、引く。
彼女の動作はそれだけだったが、しかし神速だった。稲光の如く閃いた槍が、きな臭く空を焦がす。受けたナークーンの腕一本が、想定外の威に大きく弾かれた。
そして彼女のは技は、ただ突いたのみに留まらない。槍は同速で手元に引き戻されている。即ち、次弾の装填である。
──手傷を与えられなくても、動きを封じるくらいは!
彼女の目的はそこにある。
立て続けに二撃目、三撃目を繰り出し──だが、それらは効果を上げられなかった。
魔族は即座に自身の感覚を修正。降り注ぐ穂先に対応しつつの半回転で位置を変え、イツォルの背で詠唱に入ろうとしたカナタへと牽制の爪を送る。
「……っ!」
自分では、時間稼ぎにすらなれない。
思い知らされて、イツォルは唇を噛んだ。
彼女の個人武勇は、決してカナタに引けを取るものではない。しかし上位魔族に対しては、絶望的なまでに攻め手が足りなかった。
「イっちゃん」
そして、恐れていた声がした。
彼がどういう結論に至ったのか、彼女にはわかりすぎるほどわかってしまう。
カナタはまた、聖剣を抜くつもりだ。自らの体を
かつて、彼女は思考した。
人一人の犠牲で人類全部が救えるのならそうすればいい、と。
手段を選り好みして全てを失うなど愚か者の所業である、と。
だがその犠牲のうちに、彼女は彼を含んでいない。
イツォル・セムは、あらゆる価値の上にカナタ・クランベルを置いている。
そのように育てられ、そのように歪められている。
「……駄目。まだ後には魔皇が控えている。完全な形でカタナを届けるのが、私の役目」
だから彼女は否定する。彼の輝きが、僅かなりとも減じる事を否定する。
そうして命を賭すならば、まず己からだと覚悟した。
ここで捨て駒となるのは自分であるべきだと決断をした。
「わたしが、作るから。絶対に詠唱の時間を作るから。だからカナタは」
「駄目だよ」
目の端で、彼が微笑するのが見えた。
その心は鋼のように曲がらぬのだと、またしても思い知らされる。
「駄目だよ、イっちゃん。だって君が死んだら僕は悲しい」
イツォルがカナタの心を読むように。
カナタもまた、イツォルの心を透かし見る。彼女が身命を投げ打つつもりなのは察していた。
「それに僕だけよりも、僕とイっちゃんの方がきっと強い。だから、二人で魔皇に会いに行こう」
それ以上は何も言わなかった。
圧縮詠唱。カナタの刀を、黄金の陽炎が
ひと呼吸ごとに、ぎしぎしと胸骨が軋む。視界が急速に狭まる。膝が折れそうになる脱力感を、彼は必死で押し殺した。押し殺して、不安げに自分を見つめる少女に笑ってみせる。
その様を、ナークーンは妨げずに見守っていた。
干渉拒絶を否定する界渡りの霊術は、当代の魔皇にとっても厄介な代物だった。しかし使い手は代を重ね、聖剣という術式は劣化し、消耗著しくなった。
上位魔族と全力で切り結べば、わずか十数合で精も根も尽き果てるほどに。
だからこそ彼の目的は、聖剣を抜かせる事に尽きた。
カナタに対するイツォルの献身めいて、ナークーンは思い定めている。
三度の死を経ねば滅さぬこの身は、ただ皇の為にあるのだと。
磐石の勝利の為に。皇に細瑕とて許さぬ為に。
この命は、カナタ・クランベルという人間を枯渇させる為にこそあるのだ、と。
そして念願叶ったこの時点で、ナークーンは戦闘の
聖剣という恐るべき力が加わった今、彼ら二人の連携はその力を十全以上に発揮する。攻勢の怒涛は凌ぎ難く、残された命の火ふたつが吹き消されるのは、さして遠い未来ではない。
そのように予見しながら、それでも彼は抵抗を止めなかった。
1秒でも長く相対すれば、その分聖剣の使い手は疲弊する。それが皇の優位を、より確実なものとするのだと信じていた。
彼の執念が稼いだ時は、長かったか、短かったか。
やがて
「──見事」
一歩だけよろめき、しかし彼は倒れずに踏みとどまる。
まだ戦う余力を残すかと構え直すイツォルを、カナタが片手で制止した。
ナークーンは、立ち往生を遂げていた。
死に顔に浮かぶのは満足気な笑みであり、五体が粘液に変じ揮発するまで、それが消える事はなかった。