第2話 ボーズ・ミーツ・ガール

文字数 8,180文字

 間近から、赤い瞳が覗き込んでいる。
 やがて両眼が焦点を結ぶと、その持ち主は栗色の髪をした少女だと知れた。(よわい)はハイティーンといったところか。驚くべきか、コーカソイド系である。

 ──斯様(かよう)な娘が、何故この宙域に?

 ぼんやりと思ったところで強烈な違和感に襲われ、HTF-OB-03の意識は急速に覚醒へと移行した。
 重力がある(・・・・・)
 仰向けに横たわった状態から腕の力だけで体を跳ね上げ、片膝立ちの姿勢を移行する。唐突な動きに怯えたのだろう。娘が言葉にならない声で逃げた。
 委細構わず、彼は己の体に目を落とす。全身に負っていたはずの深手が癒えていた。
 だがあれからどれほどが経ったのか、皆目見当がつかない。時間の感覚を完全に喪失していた。
 着込んでいた戦闘用宇宙服は脱がされ、代わりにシャツと、トーガめいて(ひだ)の多い衣類を纏わされている。彼の知識にない動物繊維で編まれたものであるようだった。
 目を転じれば、壁に張り付いている娘の服装も同様である。
 ただ彼とは異なり、緑色のケープを肩がけにしていた。飾り物が縫い止められ、儀礼的雰囲気のあるそれは、某かの社会階級を意味するものであるのやもしれない。
 視線を移して見回せば、部屋は石造りの小さなものだ。実物は初めて目にするが、ぱちぱちと音を立てている熱源、あれは暖炉という代物ではなかったか。
 一瞥(いちべつ)の限りでは拘束具の類はない。娘が非武装であるのと、膝下の寝具が捕囚には不釣合いにやわらかなのとを併せれば、どうやら自分は危険度の低い客人と見做(みな)されている様子だった。

 ──ここは、どこだ?

 HTF-OB-03の中で、疑問が入れ替わる。
 視覚から得られる情報だけでは不足が過ぎた。憶測の巡らせようすらもなく、現状把握など尚更だった。

 (いぶか)しみで動きを止めた彼の元へ、おずおずと再び娘が寄ってくる。小首を傾げながら、二言、三言と語りかけられた。
 表情から何やら問われていると察しはついた。だが正確な意味合いがわからない。HTF-OB-03の知るどんな言語体系にも属さぬ言葉の響きであった。
 少女は困ったように眉を寄せると、またいくつかの音節を発する。
 やはり意味は取れない。しかし発声と同時に、彼女の指先にやわらかな燐光が(とも)った。
 娘は害意がない事を示すように、殊更にゆっくりとした仕草でそれを彼の額へ向ける。そこに状況を打開する意図を読み取り、故に避けず、彼はされるがままになった。
 協力的態度に目礼をすると、娘はHTF-OB-03の眉間に指を押し当てた。
 伝わる、体温とは異なる熱。更に続けて、彼女は歌のような文言を繰り返す。

「──すかしら?」

 やがて唐突に、音が意味を成して耳を打った。

「あの、如何ですかしら? わたくしの言葉、おわかりになります?」

 驚きに目を見張る。
 それが十分な答えとなったのだろう。娘はぱっと破顔した。

不躾(ぶしつけ)な霊術干渉をお許しくださいませ。こちらの3つの公用語と42の転訛に対応した言語翻訳を施しましたの。これで言葉に不自由はないと思うのですけれど……?」
「……うむ」
 
 意思疎通の成功に気を良くしたのか、彼女は勢い込んで言い募る。向けられ慣れぬ表情に、HTF-OB-03は曖昧に頷いて目を逸した。
 にしても、驚愕の御技(みわざ)だった。何の機材も術具も用いず、未知の言語体系を丸ごとひとつ理解させる。これほどの精度の知識伝播は、どの道派とて成し得ぬだろう。
 だが一先ず、そのような驚きは差し置くべきだった。言葉が通じるのならば問う事もできる。「ここは?」と最前の疑問を繰り返しかけ、彼は再び瞠目(どうもく)した。

 ──霧の都アプサラスの王城、貴賓室。

 娘の言を待つまでもなく、自身の思考内で連鎖的に回答が発生。自問に自答する形で解が得られたからだ。
「アプサラスとは?」と念を凝らせば、「この大陸に存在する三大国家のひとつであり、常に治癒作用を促進させる濡れずの霧を街全域に降らす医療都市」との答えが即座に浮かぶ。
 知らぬ間に、彼はそれらを知悉していた。

「重ねてのご無礼をお許し下さいませ。こちらの一般常識と事情の説明を兼ねて、わたくしの知識を併せて感染させていただきました。大抵の事は思い出せる(・・・・・)はずですわ。でももしそれでもわからない事がございましたら、なんなりと聞いてくださいましね」

 そんなHTF-OB-03表情を読み解いて、娘は微笑みと共に付け足す。それからきっぱりと口を(つぐ)んだ。彼に理解の時間を与える為に相違なかった。
 その気遣いに頷いて感謝を伝えると、彼は問いに没頭する。

 そうして得られた知識はまず、ここが己の知る地球ではないという事実だった。彼は眼前の娘の召喚術式により、遠く他世界よりこの地へ運ばれたものであるらしい。
 次いで、召喚術式についての記憶を探る。
 それは名に負う通り、平行世界群から対象を己が世界に喚び寄せる術であった。
 無論、無作為かつ無選別の行為ではない。
 一定水準以上の強さを備える事、召喚者と同一の環境で生存可能である事、召喚者と価値観、倫理観を共有できる事、転写知識と言語を利用しうるだけ知力を持つ事、等々。
 膨大にして詳細な必要条件を満たし、そして更に死の淵に瀕している──つまりその世界において可能性を失い、世界との繋がりが薄くなった存在を捕捉。世界間の壁を打ち砕いて引き寄せるという、類稀なる大規模霊術である。
 当然ながら行使に伴う代償は大きく、今回の術の執行に際しては祈祷塔八基に蓄えられた霊力全てが枯渇したほどだった。これはアプサラスの霧を十数年間維持しうるだけの量となる。
 では何故(なにゆえ)に、それほどの対価を払ってまで彼を喚んだか。
 その答えもまた、感染知識の中に存在していた。

魔皇(まおう)か」
「はい」

 硬くした面持ちで、娘は頷いた。
 数十年から数百年に一度、この世界に皇禍(おうか)なる災厄が訪れる。何処からか皇を称する者が現れ出でて、その股肱(ここう)たる魔軍を率い、人類の絶滅を目論むのだ。
 他世界より一騎当千の(つわもの)を召し出す術式は、これに抗するべく編まれた手段のひとつであった。

「つい先頃、当代の魔皇が誕生しましたの。カヌカ平原で大障壁を展開しておりますけれど、これで抑えられるのは下位の魔族だけですわ。もし上位の働きで障壁が解かれたりしたら、それだけ多くの人死にが出ます。そうなる前に、わたくしを魔皇の前まで連れて行っていただきたいのです」

 娘は胸の前で強く両の拳を握って詰め寄り、それからはっと気づいて距離を取る。

「申し訳ありません。わたくし、先走りました。先走り過ぎましたわ。まずは挨拶、そう、ご挨拶を申し上げなければですわね」

 肩にかかった髪を背に払い、居住まいを正してから娘は一礼をした。

「わたくしはアプサラスのケイト。ケイト・ウィリアムズと申します。地方領主の子、などと言えば聞こえはいいですけれど、先日までパケレパケレの世話をして暮らしていたような田舎娘ですわ。どうぞ、お見知りおきくださいませ」
「うむ。自分は地球軍(テラフォース)の──」

 簡潔な自己紹介に応じて識別番号(コード)を名乗りかけ、そこで彼は、それが何の意味も持たぬものだと気づいた。ここは己が生まれ育った世界ではなく、第六地球宙域駐留軍(ヘキサ・テラフォース)は存在しない。
 何者でもない己を自嘲して首を振ったその時、

 ──和尚様、和尚様。

 暖かな声が心を過ぎった。刷り込まれた偽憶(ぎおく)ながら、彼の憧れてならぬものだった。

「……ョウと」
「はい?」
「和尚と。そう呼んでもらえればありがたい。そういうものに自分……俺は成りたいと思っている」
「ええと……では、テラのオショウ様、でよろしいのですかしら?」

 うむ、と彼が頷いたところで、少々間の抜けた沈黙が落ちた。双方ともが、上手い話の()ぎ穂を見失ったのである。
 だがこれは致し方のないところだった。
 戦闘経験こそ豊富な彼であるが、反面、対人交渉は全くの不慣れである。命令を下し、下される。それ以外の形の会話など、殆ど交わした事がない。
 召喚術式を継いでこそいるものの、一方のケイトも異世界人との対話は初の体験だ。当然ながら、緊張で頭の回転は滞りがちになる。

「あの、それでは改めまして、オショウ様にお願いがありますの」

 ベッドに胡座をかき腕を組んだ大男と、その前におろおろと立ち尽くす少女。
 傍目(はため)にも状況把握の難しい光景が数十秒続いた後、半ば強引にケイトが口火を切った。

「うむ?」
「先ほど申し上げました通り、魔皇の(もと)まで、わたくしを護衛していただけませんでしょうか。勿論召喚で命を救っただのなんだのと、恩義を着せて命じる意図はありませんわ。ですから、お断り下さっても結構──」
「引き受けた」
「……ええ。ええ、そうですわよね。当然の判断ですわ。わたくしたちの勝手な都合で喚び出して、また死地に赴けなど都合のいい頼みですもの。大丈夫、大丈夫ですわ。オショウ様はわたくしの実家の方で当座の暮らしが立つように……」
「引き受けた、と申したのだが」
「え……?」

 再度の言いに、ケイトの動きが停止した。
 少々先走りがちのこの娘は、申し出が拒絶されるのを前提にしていたものらしい。彼の言葉を受けてしばしその目を瞬かせ、やがてぱあっと喜色を浮かべた。
 表情豊かな事だとHTF-OB-03は──否、オショウは思う。

「よろしいのですか!? でもでも、とても、とっても危険な道程(みちのり)になりますのよ? なにせ相手は魔皇ですのよ?」
「うむ」

 頷きながら、彼は自分の手のひらに目を落とした。
 握り、開く。
 あの宇宙(そら)の虚空でこの手に触れたもの。
 記憶の伝播(でんぱ)により、それがこの娘の指先であったと彼は知った。満身創痍、半死半生の身を医療霊術により賦活(ふかつ)し、快癒に至らせたのも彼女であると把握している。
 故に、至極簡単な道理だった。
 この娘には恩がある。生を願い生に縋った己を生かしてくれた、大恩がある。
 それに報じる為ならば、死線如きを潜るのは訳の無い仕業だった。そも、戦場は彼の日常なのだ。

「ケイト・ウィリアムズ。俺は貴台(きだい)の伴をして魔皇の前に至る。それで、いいのだろう?」
「そうなのですけれど、あ、オショウ様の強さを疑うとか、不満があるとかではないのですけれど、でも本当に危うい場所に行く事になるのですわよ?」
「その本当に危険な場所へ、貴台は行くのだろう」
「それは、その、そうですけれど。でもわたくしには為すべき事があるのですから、必ず参らなければなりません。けれどオショウ様は違いますわ。わたくしたちの都合など一蹴をして、安穏(あんのん)と暮らす道だってありますのよ?」

 どうにも、彼女は人が好いようだった。
 召喚術式の目的は、どう言い繕おうと使役である。
 戦いの為に。殺し、殺される為に。その為にこそ彼を喚び、彼は喚ばれたはずなのだ。でありながらこの娘は、まず彼の意志を尊重する心積もりでいる。
 恩人のそうした性質を、オショウは好ましく思った。

「だが皇禍とは、人類の存亡を賭した大戦(おおいくさ)であるのだろう。ならば逃げ隠れても致し方ない。何より、衆生を救うは仏道の本懐である」

 この話はこれまでと手で制し、代わりに彼は指を二本立てて見せた。

「ただし、ふたつばかり訊ねたい」
「はい、なんなりと!」
「貴台は」
「あ、ケイトと呼び捨ててくださって結構ですわ、オショウ様」
「では俺の事も」
「いえ、それは駄目ですわ。わたくし、頼らせていただく側ですもの。きちんと敬意を払わなくては。義理を欠いては渡世は成り行きません」
「だが」
「駄目ですわ」
「……うむ」

 ふんわりと見えて、意外に押しの強い娘だった。
 あっさりと押し切られ、咳払いの後にオショウは続ける。

「まずケイトは何を為せる。勝算なく、ただ魔皇の前に赴くのではあるまい?」
「上位魔族の能力については、ご存知(・・・)ですわよね?」

 うむ、と頷くオショウ。それもまた感染した知識にある事柄だった。
 魔皇とその側近たる上位魔族、五王六武(ごおうりくぶ)を名乗る計12体は、特殊な干渉拒絶能力を備える。
 過去の数例を挙げるならば、それは「孤影たる身を損なう事(あた)わず」、「土上にて傷つける事能わず」、「天日(てんじつ)至らぬ地にて害する事能わず」といった具合だった。
 彼らはまず敵対者の理解可能な言語でこの異能を宣誓し、その後に闘争を開始する。
 謎かけめいたこれらの条件を解かぬ限り、上位魔族の肉体は、敵意殺意を含んだほぼ全ての干渉を拒絶するのだ。
 有利不利の観点からすれば、この宣誓は自らを苦境に追いやるが如き行為である。だがそれは恐らく干渉拒絶能力の起動条件、課せられた(かせ)であるのだろうと推測されていた。

 これらの難題を、人は知恵を絞って切り抜けてきた。
 或いは複数の光源の用意によりその影を増やす事で。
 或いは水霊術で生み出した即席の湖を戦場とする事で。
 或いは遠く離れた真昼の光景を厚い雲に映し出す事で。
 どうにか上位魔族を打破してきた。
 だが決して達成不可能ではないとはいえ、斯様に手間をかけねば打ち倒せぬ敵が、自らのその特性を知悉し最大限に活用する手合いが、どれほどに厄介な存在であるか。それは言を待つまい。
 
「わたくしはその干渉拒絶を一切無視して、どかんと一撃必殺できてしまうのですわ」
「どかんとか」
「はいっ! どんな魔も、それが魔皇であろうとも必滅させる。それがわたくしの切り札ですの。けれど、勿論万能ではありませんわ。消耗が激しいですから、恐らく執行できるのは一度きり。なので魔王の御座に侍る他の五王六武をやっつけてくださる、強くて信頼できる護衛の方が必要なのです」
「ふむ」

 ならば一個の(きょう)を頼るよりも、一軍を以て当たるが確実であろう。
 そう口に出しかけて、オショウは言い淀んだ。これに対する回答もまた、己の内より得られたからだ。
 軍団にて抗さぬ理由。それは単純この上なく、人と魔との物量の差にあった。

 戦力を数字として、個々の質を見たとする。
 この場合、子供の戦力は1、成人男性は10、武装し訓練を受けた兵士は30ほどに換算できるだろう。対して下位魔族の数値は、平均で20前後に落ち着く。
 人の側の英雄、魔皇討伐に参戦するような存在ともなればこれが100にも200にも至るのだから、一見人類が優位と見える。
 しかし将来的に4桁の評価を受けるような人間が存在したとしても、花開く前は1であり10でしかない。その素質を開花させるまでには長い修練が欠かせず、どのような才であろうとも、芽吹く前に摘み取られれば意味はない。
 だが、魔族は違う。
 彼らは生み出されたその時から、一定水準の20を備えている。そして上位はさておき下位の魔族は、魔皇によりそれこそ無尽蔵に生み出されるのだ。
 成長後の質では勝れど、ごく少数の例外を除いて、人はその利点を活かしきれない。
 正面切っての一大会戦を行えば、人類は量ですり潰される。

 そして(いささ)か固執めいて見える、魔皇のみに狙い定める刺客戦術。
 これにもまた理由があった。
 魔皇は脳であり、心臓である。五王六武は目であり耳であり手足であり、下位魔族は爪牙であり髪膚(はっぷ)である。この言いは決して比喩ではない。
 魔族とは種族ではなく、ひとつの生き物であるとされる。
 心の蔵を穿たれた人の体が、最早朽ち果てるしかないように。魔皇を失った魔族は、時を置かずその全てが自壊する。
 これは皇禍の度に確認されてきた事象であり、故に最良の手段として選択されたのが少数精鋭による魔皇の暗殺であった。
 必要とされるのはただ一発の弾丸なのだ。
 速く鋭く精確な、必殺の銃弾であるのだ。
 それらの理屈を思い出し(・・・・)、オショウは顎を撫でてから指を一本折り畳む。

「では、二つ目だ」
「はいっ!」
何故(なにゆえ)に、望んで死地に赴く?」
「わたくしに、力があるからですわ」

 答えは間髪入れずに返った。
 ケイトは遠くを見るようにしながら、明るく告げる。

「ウィリアムズの家は皇禍に対抗すべく、代々霊術を秘伝してきているのです。わたくしは決して無力ではなく、この国の為に、この世界の為にできる事がある。わたくしという傘が、今日という雨の日に役に立つ。それは、とっても喜ばしい事だとは思いませんかしら?」
「──」

 しかし得意げに胸を張った彼女は、オショウにじっと見つめられ、やがてしゅんと下を向いた。

「……嘘は、いけませんわよね」

 小さく呟くと、ケイトはしっかと顔を上げる。
 淡く茶を帯びた紅玉の瞳が、今度は真っ直ぐにオショウの目を見つめ返した。

「本当を言えば──どうしてわたくしが、という気持ちはありますわ。笑わないでくださいましね? 一人の時はちょっぴり泣いたりもしましたの。だけどお父様はもうおりません。わたくしを撫でてくれた大きな手はよく覚えていますけれど、それはもう思い出です。お母様は嫁いで来た人ですから、ウィリアムズの術は執行できません。弟は最近生意気盛りですけれど、それでもやっぱり可愛いのですもの。そうしたら、ほら。わたくしが頑張る他にないじゃありませんか」

 切り出した娘の声は、少しだけ震えていた。
 けれど言葉を紡ぐうち、それは先ほどの名分よりも、余程に朗々と響き出す。

「勿論、家族の事だけではありませんわ。よくおまけしてくれる果物屋さんのおばさま。この方のレース編みはとても綺麗ですの。パン屋の旦那様は、その、時々うっかりパンを焦がしてしまいますけれど。でもタングンの演奏がお上手で、広場で吹き始めれば皆が足を止めるのですわ。祈祷小塔管理の神父様はいつも厳しいお顔をしてらっしゃいますけれど、わたくし存じてます。あの方、子供たちに配る甘い飴を必ず懐に忍ばせていらっしゃいますの。それから牧舎の、毛が長くてふかふかなパケレパケレたち。朝の始まりの澄んだ空気。一日の終わりに見える真っ赤で大きな夕日。郷里の夜はとても冷えるのですけれど、でもそのぶん見上げる空の透明さと高さがわかる気がします」

 ゆっくりと瞬きをして、ケイトは自身の答えを紡ぐ。
 それは幾度とも知れぬ煩悶の果てに辿り着いた、決して諦めではない覚悟だった。

「先ほど申し上げた通り、わたくしはただの田舎娘ですわ。だから国の為、世界の為なんて難しい事はよくわかりません。でもこういうものの為になら、大好きで大切なものの為になら、わたくし、命懸けにだってなれるのです」

 そうして彼女は、透き通った笑みを浮かべる。

「ええ。だから少しも怖くなんてありません。楽勝ですわ」

 その胸の奥にあるものを、その胸の内で(まばゆ)く燃え盛るものを、彼は見た。

 ──ああ、この女性(ひと)は。
 ──この人は、自分が何者かを知っている。俺が欲してならぬものを備えている。

 ひどく(たっと)く思った。同時に試すように、窃視(せっし)するように問うた事を恥じた。
 その心のまま、彼はケイトへと合掌をする。
 真摯(しんし)な面持ちと雰囲気から、儀礼として重要な行為と判断したのであろう。娘も(なら)って、おずおずとその手を合わせた。
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