第5話 第9章

文字数 3,860文字

 僕の退院はマスコミで騒がれることもなく、恙無く済んだ。出版社が用意してくれたホテルは水道橋のホテル。何度か缶詰されたことがあるが、少なくとも貴和子と夜を過ごしたことはない。一度だけ彼女を呼び出し、結ばれたホテルである。
 
一月程は何もせずにいた。朝起きて人気のない外堀を散歩。このホテルはモーニングビュッフェが人気で大変な人なので大抵朝食は外のカフェ。昼はホテルに篭り、玉城くんが持ってきた雑誌のコラムの記事や新しい小説の構想練りなど。
 昼食は抜き、夕食はその日の気分で色々。食後に散歩がてらに皇居を歩いて一周して水道橋に戻り、シャワーを浴びて、スマホを眺めて、就寝。

 秋に出された僕の本が、権威としてはなかなかである平成二十九年度山本勘太郎賞を受賞した。当然その授賞式は欠席する。これは割とマスコミで騒がれ、ホテルのスタッフがすれ違いざまに、
「先生、受賞おめでとうございます」
 と声がけしてくれるようになる。
 出版社から印税が入る。昔ほどではないが、そこそこの金額に目を丸くする。編集の玉城くんは、まだまだ売上は落ちていません、先生の昔の作品のリニューアル版も出足は好調です、今は勢いでガンガン行きましょう! 僕にも負けぬほどの熱血漢ぶりに思わず吹き出す。

 季節の変わり目に古傷が痛むのを僕は腕の傷で知っている。三月に入りー季節が冬から春になりかけー僕は腕と腹の古傷の痛みに悩まされる。あと、心の古傷の痛みも……
 離婚協議以来、一度も塁と連絡を取っていなかったのだが、ある日僕のラインに塁からメッセージが入る。
 入試の結果の報告だ。僕は緊張しながらメッセージを読む。

『ま。なんとか父さんの後輩になれたわー』

 一瞬にして古傷の痛みがすっ飛ぶ。表現の仕様のない歓喜が脳内を駆け巡る。僕は大声をあげ、全身でガッツポーズをとる。
『本当におめでとう。よく頑張ったな』
 すぐに既読が付き、
『ひょっとして父さん泣いてね? 草』
『泣いている訳ねえだろ』
 嘘である。涙がスマホ画面に何滴も滴り落ちている。

 以来一日に数回、塁とラインのやり取りをするようになった。離婚協議で受験が終わるまでは遠慮してほしい、と言うことだったからこれで全く問題は無くなったのだ。
 ドラマ化決まるかもらしいじゃん、スッゲー、と来たので即、暇な時に原作読んでみよと返信する。
 すぐに既読が付き、三回読んだ、と。続けて、次は何書くの? に対し、今構想練ってる最中。決まったら教えるよ、即既読が付き、変なスタンプが送られて来る。

 ずっと沈んだままだった心が一気に軽くなった気がする。
 ふと気になったので、
『陸がどうなったか、知ってるか?』
 すぐ既読がついたのだが、返事は翌日。
『開聖受かったっぽい。スッゲーよな』
 なんと… 東大合格者数ダントツ日本一の超進学校に進んだとは… 開いた口が塞がらなかった…

 正式にドラマ化が決定される。祇園祭を舞台にする為、クランクインは夏前と決まる。それから取材の仕事が殺到する。あまり人前に出たくないのでその殆どをお断りする。
 その塩対応が意外に好評で、死にかけて謙虚になったとか昔に比べて少しは大人になったとか、ネットでネタ扱いされているらしい。
 
 玉城くんのエンジンは全開となり、何とか僕をテレビやラジオに出そうとあの手この手で猛攻を仕掛けてくる。だが僕の牙城は容易く落ちない。
「撮影が終わって編集するだろ。その時に僕の背後に長い髪の小太りの中年女性が恨めしそうに映っていたら、お前責任取れるか?」
 以後、その手の話を持ってくることは二度とない。
 ドラマ化の話は順調に決まっていく。主人公は僕の希望通り、彼女によく似たあの大女優が引き受けてくれた。

「いや、これはシリーズ化の予感がするのは僕だけですか!」
 玉城くんの舞い上がり方は半端なく、
「この作品に、先生に出会えて僕は本当に幸せです。編集者になって、本当に良かった!」
 彼の満面の笑み。少し目が赤くなっている。その嬉しそうな顔を見ているとシリーズ化、悪くないな、なんてつい思ってしまう。まさかそれが彼の十八番の必殺技だったとは全然知らずに… はい。気がつくと僕は粛々と続編を描き始めているのであった…

『いーな、いーな! 俺も会いたいよお、会わせてくれよお!』
 塁の泣き叫ぶラインに腹が捩れるほど笑う。
『梅の木坂45の宮園あかねちゃん出せ! 原作にないJ K脚本に入れえちゃえ!』
 そこまで原作者に権限はないんだって。
『じゃあ、続編で主人公の昔離れ離れになった、顔も知らぬ子供設定で、あかねちゃん出せ!』
 ……ほう。それ。面白いじゃん。
 アホ息子のネタをガチで盗むアホな父親なのであった。

 続編の執筆も順調に進み、ドラマも出演がほぼ決まりスケジュール調整の段階まで進んでいる。
 出版社からの印税は更に僕の銀行口座を潤沢にしていく。都心では無理だが、地方ならばそこそこの広さのマンション位一括払いできる程になっている。
 僕は家探しを始める。賃貸でなく、分譲マンションを考えている。
 正直、都内に住む事は考えていない。色々とあり過ぎた。どこか綺麗で静かな所で落ち着いた生活がしたい。
 その事を玉城くんにポツリと漏らすと、どんな伝手を若い彼が持っているのか、大手不動産の遣手そうな営業マンを連れてきた。

「こいつ、僕の大学の部活の後輩なんです。なんでも言うこと聞きますから、こき使ってやってくださいよ」
 ほう。玉城くんは大学の体育会だった?
「そうです。三田方面のゴルフ部だったんですよ」
 ゴルフ。息が止まり脇汗が流れ始める。
 あの男と彼女が二人で楽しんでいた、あのゴルフ…
「先生は野球ですよね。そうだ、今度一緒にコース行きませんか? 僕とコイツで色々教えてあげますよ!」
 それは、今はちょっと…
「あーーー、大丈夫っす。昔ほど敷居高くないし、初心者でも楽しく回れるコースいっぱいありますから。」
「そうですよ青木先生。先生の体格なら250ヤードくらい楽勝ですよ。行きましょう、是非!」
 若くて明るい彼らとなら… やってみても、いいかな…

 猪突猛進。数年後に大流行するアニメにも出てくる四字熟語。この言葉ほど玉城くんに相応しい言葉はない。
 翌日僕は二人と共にゴルフショップへ行き、クラブセットを購入していた。試し打ちをすると、後輩くんは
「ヘッドスピード、プロ並みっすよ玉城さん… これ、300ヤード行きますって!」
「お、おお。俺の目に狂いはなかった… この人を片手シングルにするぞ、芳樹!」
「やりましょう。うおー、燃えてきたあー!」
 その足で碑文谷にあるゴルフレンジに行き、二人から手取り腰取りゴルフとは、スイングとは何か教わる。フルスイングを続けると左腕の古傷が痛みだしたので、なるべく負担をかけないように力を抜いて打ち始めると、割と上手く打てる様になる。
「いいですねえ、その加減でいいですよ」
「うん。真っ直ぐないい打球だな。先生、この調子です。」
 それが僕と後輩くん、芳樹くんとの日課となり、ゴルフレッスンの合間に暇だからマンション探しもしますか、そんな日々が意外に悪くない。

 昔から海辺の生活に憧れていたので、主に千葉、神奈川、静岡の海岸沿いをあれこれ調べてもらっているうちに、神奈川と静岡の県境にある湯河原なんてどうですかね、とパッティングのレッスンの休憩中に芳樹くんが尋ねてくる。丁度いい物件が昨日入ったので、内装工事が終わる来月頭にでも見に行きませんかと言われ、ああお前本当に不動産屋だったのね、と揶揄うとそっぽを向いて拗ねてしまった。
 その物件は築四年、オーシャンビューの角部屋、大浴場の温泉付き。即決して貰えるなら前のオーナーの遺した高級家具、高級家電を付けるという。家具一つ持たない僕にはありがたい申し出だ。

「芳樹、わかってんな。あんまボッタくんなよ。この人にはまだまだ書いてもらわなきゃいけないんだからな!」
「大丈夫ですって。適正な価格をつけさせてもらいますって。それより明日のコース、部の春合宿で使ったとこなんすけど、場所覚えてますよね、青木さんの送迎頼みますよっ」
「おお。任せとけ。で、いくら握る? オリンピックはマストだぞ!」
「いくらでも。後で泣いても知らないっすよ」

 翌日。僕は人生で初のゴルフコースに出ていた。
 初めてのラウンド。練習場で四、五回打ち込んだだけの僕は大叩きに叩き… と二人は想定していたらしい。ハンデをエブリツー、すなわち36ももらい、二人はスクラッチでラウンドは始まった。
 18番ホールからクラブハウスに戻るカートの中で。
「やっぱ、甲子園球児は、俺らとはセンスが違うんすよ。体の動かし方知り尽くしてんっすよ。なんすかあのロブショット。俺でもまともに出来ねえし」
 芳樹が呆れ顔で僕のスコアを記入する。
「なんで曲がらないんですか? 先生、本当は昔相当やってたでしょ? 俺のこと馬鹿にしたいから、初心者ぶってたんでしょ、ひでえよ先生… 」
 そんなこと言われたって… 止まってるボール打つなんて、誰でもできるって。
「「出来ませんから!」」

 96と記入されたスコアカードを眺め、あと10打は縮められたなと反省する。
「芳樹。マンション、ボッタくれ。俺が許す。ガッツリ儲けて良し!」
「ええ。そうさせて頂きますわ。で、いつリベンジ戦します?」
 たっぷりハンデをもらった僕がどれほど勝ったか、というと、帰りに叙々苑で二人を満腹させてもお釣りが出るほどだった。
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