第4話 第5章

文字数 1,699文字

 新学期が始まり、塁は六年生になった。受験生本番突入だ。塾での成績は一進一退、国語と社会は安定しているのだが、算数と理科が不得手の科目なので成績が安定せず、なかなか合格圏内に定住することができない。
 僕も貴和子の雑誌に毎週記事を書く事になり、急に忙しくなって来て、彼女とゆっくり会うことが中々できなくなっている。

 彼女も彼女でご主人が東京本社に戻り、何でも部長に昇進したらしく部長夫人としてかなり忙しくしているようだ。
 最近はスマホにMがポップアップする事がグッと減り、毎日スマホを眺めては溜息が出る日々が続いている。
 
 GWを過ぎ梅雨に入る。どうしても算数が足を引っ張ってしまい、このままでは志望校に数歩届かない、と塾の先生に言われる。余裕があるなら家庭教師をつけてみては、とアドバイスされ、直子に相談する。
「いいんじゃない。マサくんが記事書く様になってくれて、家計はかつてなく絶好調よー」
 当の本人が嫌がるかと思ったのだが、
「有難う」
 一言言って、頭を下げられた。
「気にすんな」
 車内で僕がテンパって怒鳴りつけて以来、ずっとこんな感じだ。目を合わすこともない。何度か謝ったのだが、
「全然。気にしてないよ。」
 と冷たく言い返されてしまう。

 七月の終わり頃に取材で京都に行く事が決まった。祗園祭を取材して欲しい、それも前祭ではなく後祭の山鉾巡行を物語風に仕上げて欲しい、との事。
 貴和子がホテルから何から全て手配してくれ、僕はただ彼女について回ればいい、らしい。

「去年できたあのホテル、絶対行ってみたかったんだー」
「ホテル? 旅館じゃないのか?」
「ううん。今はホテルが人気なの。それも高級和風なのが。先生もきっとお気に召しますよ」
「だと、いいんだけど。」
「直ちゃんには悪いなー、先生ちゃんとフォローお願いしますよー」

 よく考えると、この女は友人の旦那と仕事と偽り不倫旅行を楽しもうとしている。思わず苦笑いが出てしまう。
「私の方が直ちゃんよりずっと前に貴方と知り合っていたのよ。それにこれは本当に『仕事』ですから。何か間違っていますか?」
 間違ってはいない。これまでと同じだ。これまで、と。僕はスマホの画面を横目で見る、だがMの字が浮かび上がることはなかった。

 夏休みに入り、塁は昼は塾、夜は家庭教師、と勉強漬けの毎日だ。家庭教師は僕の後輩の法学部のイケメンで、彼が来る日は直子がソワソワしているのが面白い。普段は滅多に作らない料理を彼の為に作ったり、雨の日には駅まで車で送迎したり。
 七月末に塾の合宿が三泊四日で館山で行われると聞き、その参加費に目玉が飛び出てしまう。
「これ…行かせるか?」
「当然でしょ。東京駅まで送迎よろしくねー」
「わかった… あ、行きは僕が京都行く日と重なるわ…」
「そっか…その日私連勤なんだよねー」
「じゃあ、二人でタクシーで行くわ。」
「お願い。よろしくね。あ、貴和ちゃんと仲良くやるんだよっ」
「それに関しては自信がない…」

 僕と貴和子が一緒に出張することは当然知っているし、これまでも何度もそうだった。彼女と大人の関係にある事に全く気付いていない。直子の大らかさに救われる。
 貴和子も貴和子でわざわざ別のビジネスホテルを取りそこから直子に直電したり、先生と連絡取れないので旅館に電話してみて、などと芸の細かい細工を仕込んでは直子に疑念を持たせない様、最大限の努力を払っている。
 本当に気が進まない。でも今回は貴和子のどんな芸が観れるのか。山鉾巡礼よりもはるかに興味深かったのだが…

「先生、本当に申し訳ありません!」
「仕方ないよ、父上が急に… 気を確かに、ね。」
「あ、有難うございます…」
「それでさ、貴和ちゃん行けないなら僕もキャンセルしようかな、と…」
「それは困ります。再来週号に載せたいので、そこは何とか…」
「でもさ、僕京都行くの高校生ぶりだぜ。一人で行けるかな…」
「向こうでの移動は全部タクシー使ってくださいっ 領収書忘れずに…」
「…わかった。君も、大事に、な」

 電話を切り、明日に控えた京都出張が益々憂鬱になって来たその時。久しぶりのMがスマホ画面に浮かび上がってきた!
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