第2話 第7章

文字数 2,342文字

「父さんは教え方うまいからすごく助かるんだけどさ。」
「おう」
「嘘教えんなよな!」
「は?」
「江戸の街づくり指揮したの金地院崇伝って言ったよね?」
「おう」
「天海だから。」
「お、おう…」
「ったく。ちゃんと調べてもの書かねえから売れねえんだよっ」
「お、おま…」

 左の尻が震える。気がした。
「じゃ、もう教えねー一人で頑張りたまえ」
 拗ねたふりをして、リビングを出て寝室に入りスマホを開く。
『こないだの実力テスト、どうだった? ウチはビックリだよー もーどーしよー』
 陸にはホント悪いけど、思わず頬が緩んでしまう。これ、完全メル友だよな。僕達、友達なんだよな。トモダチ…
『なんか塁はスランプなのかな、成績イマイチ。社会が足引っ張った模様。』
 一応、こっちもダメダメモードに設定。社会を満点逃したのが僕の嘘信じたせいとは一切触れまい。
『なんか家の雰囲気悪いんだよねー 暗い…』
『それはそれは。よかったら今度ランチでも如何?』
『…何か、慣れてるよね、そういうのー』
『いやいうあr』
 しまった、指が滑った、送信しちまったか?
『笑笑 動揺を隠せませんね。今回はパスしまーす 当分連絡も控えるから。そちらも連絡してこないでね。』

 氷水を背中にブッっかけられたが如く本気で落ち込んでいると、塁がそーっと覗いていた。ま、こいつは愚鈍だから気にしな…
「何々、誰とメールしてんのー、キモ」
「宿題終わったのか」
「ヒューヒュー、陸のママとじゃね?」
 頭に血がのぼる。スマホをベッドに投げつけ、
「宿題とっととやれよ!」
 多分、真っ赤になって怒鳴っていた。普段怒鳴らない僕に驚いた息子は慌ててドアを閉めて出ていく。大人気ない。情けない。なんてこった。こんな親にはなるなよ、塁。
 って、え? 何で陸ママが出てくる… あいつ… まさか…?

 ブル ブル ブル

 何が現実なのか。一瞬辺りを見回し、状況認識を行う。ここは寝室。うん。程なく塁がそーっとドアを開け、
「宿題、無いっすけどー どーした父さん?」
「あー、お前の送迎で睡眠不足かも。落ちてたわー」
「ブハッ すげー寝言で怒鳴ってたよ父さん、ウケるー」
「はいはいー、どーもスンマソン」
「何それキモ。」
 リビングから華がスタスタとやってきて、
「二人とも、マジうるさい。テレビ全然聞こえないし。静かにしろし。」
「「申し訳ありません」」
 僕と塁は華に頭を下げる。そして目を見合わせて舌をぺろっと出し、ニヤリと笑い合う。
 華が出ていき、塁がドアを確実に締めたのを確認してからスマホを開く。
『笑笑 動揺を隠せませんね! ランチしながら取調べですから。』
 危なく「喜んで」と送信しかけ、慌てて削除し、
『お手柔らかにお願います 笑』

 浮かれ気分でキッチンへ行き、缶ビールをプシュッと空けてぐびぐび飲んでいると、
「なんか最近のパパ、変。」
 華が疑わしそうな顔で僕を睨みつける。
「しょっちゅうスマホいじっているし。スマホ見てニヤニヤしてるし。」
 浮かれ気分はすっ飛び、脇汗が流れ始める。
「もしかして浮気してんじゃない?」
「してねえよ、浮気なんかしてねえよっ」
 華は大きな溜息をつきながら、
「パパって誤魔化すときにすっごいムキになるじゃん? 今もそうじゃん? ねえ、ママには内緒にするから言ってみ? 誰か好きな人できたん?」
 物凄く論理的に攻撃されている… これは直子以上の強者だ、ちょっとした誤魔化しなぞ全く効かない気がする… 娘、恐るべし。
「なあ、こんな定収ゼロ、脳筋スポーツ馬鹿を相手にする女なんていると思う? お前なら相手するか?」
 論理には現実をぶつけるしかない。ダメ元でアタックしてみる。
「相手にしないよ。でも、世の中にはこんな人でも私なら… ていう女はいるんだよ。ねえパパ、これだけは約束して。」
 華が見たことのない真剣な顔で僕を見つめる。直子そっくりの優しいながらも芯の強さを感じさせる顔立ちだ。
「ママを、絶対裏切らないで! 私を、絶対見捨てないで!」
 僕はハッとした顔となり、そして華に、
「大丈夫。絶対直子を裏切ったりしないし、お前を見捨てたりしない。お前は目の中に入れても痛くない程、大切だから。」
 華はにっこり笑ったかと思うと、
「何それ、キモ」
 と言ってリビングに戻り、カウチと化す。
 大きく深呼吸をすると、また一筋脇汗が横っ腹に伝って行った。

 それから数日間、僕は華の言葉が頭から離れなくなっている。
 直子を絶対、裏切らない。
 では、何をしたら裏切ることになるのだろう。例えば、予定されている彼女とのランチ。これは直子を裏切ることになるのだろうか?
 残念ながら、百人に聞けば百一名が「その通り」と答えるだろう。だが本当にそうであろうか? 彼女は別に僕と夫を捨てて一緒になりたいなんて微塵も考えてはいまい。裏切る、とは直子を捨てて他の女と一緒になる事である、僕は勝手に定義付ける。それならば、彼女とどれ程深い関係になろうと、直子を裏切ることにはなるまい。

 現に僕は、体だけの関係の女性が居たし、今も居る。
 彼女達は僕と一緒になる事を望んでいないし、僕にその気もない。そう開き直ることで、僕は彼女との関係を肯定しようとしている。妻子を捨ててまで彼女と一緒になりたい訳じゃない。今この胸に込み上げる想いを大切にしたいだけだ。温めたいだけだ。感じたいだけだ。大丈夫、そんなんじゃないから。いいメル友なだけだから。いい受験ママ友なだけだから。いいランチお茶友なだけだから…

 だから華、少しだけ多めにみてくれよ。生きている実感を感じたいだけなんだよ、湧き出でる想いを枯らせたくないだけなんだよ。だから華、お前を見捨てたりしないし直子を裏切ったりしない。少しだけ、そっとしておいておくれよ…
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