第5話 第4章
文字数 1,496文字
出版社の社長をはじめとする役員数名が見舞いに来る。編集者が作家を刺し殺そうとした前代未聞の事件を深く詫びる。僕は腹をさすりながら、もうなんとも思っていない、と答える。
この個室を退院まで使って欲しい、そして退院後はホテルを手配してくれると言う。これには正直ホッとする。退院しても帰る場所がなかったから。
「実は先生、出版した本なんですが…」
売れに売れているそうだ。こんな大事件が絡んでいるので販売を取りやめる意見もあったのだが、貴和子の上司だった文芸部の部長が自らの進退をかけて販売を継続させたという。その結果、重版出来。
世間では復活を賭けた青木マサシの悲劇、という論調だとしきりに彼らは話していたが、後でチェックすると、泥沼の不倫から命辛々抜け出した腰抜け男扱いだった。
それでも登場人物に貴和子をモデルとした女性も登場するので話題が話題を呼び、重版に次ぐ重版、そしてドラマ化、映画化の話が連日舞い込んでいるらしい。
新しい編集者を紹介される。前任の貴和子を崇拝していた眼鏡女子は、ショックで会社を辞めてしまったそうだ。代わりに文芸部のエース級の若手が僕の担当となる。
なんでも相談してください、執事と思ってください、なんて言われ、足の震える子羊ならぬ古執事を想像し、吹き出してしまう。
彼らが帰っていった後、やっと直子に電話をする気になる。深く深呼吸をして送信ボタンを押す。呼び出し音が果てしなく続く。一度切り、暫くしてかけ直そうとすると、直子からラインが来る。
『電話で話すことはありません。離婚に向けて事務的な手続きをしていきましょう』
不思議なことに悲しさや切なさが一切湧いてこない。共に過ごした楽しかった思い出よりもむしろ、直子からの開放感に心が躍っている自分がいる。
さぞやショックを受けたであろう。親友だと思っていた友人と夫が二十年以上も愛人関係だったとは。その友人が夫を刺し、自殺したなんて… どれだけ心を壊されたことだろう、その申し訳なさに目頭が熱くなる。
だが。これで。僕は世間の目を気にすることなく、そして何のわだかまりもなく、彼女を愛する事ができる。彼女を抱きしめる事ができる。こうなることを妄想すれども予想だにしなかったので、若干戸惑いつつも早く彼女に会いたい気持ちで、幸せの予感の気持ちでいっぱいになる。
子供たちと二度と会えないのだろうか? もう二度と塁とキャッチボールできないのか。二度と塁のプレーを間近で見ることができないのか。甲子園で煌めく塁をスタンドから応援できないのか。急に心が沈んでしまい、いても経ってもいられなくなる。
こんな感情の浮き沈みは当分続くであろう、そんな気がする。
ふと気づくと外は暗くなっている。もうすぐ夕食の時間だ。スマホの充電は50%を過ぎている。Mは浮かび上がらない。
Googleで『田中真木子』を検索してみる。特に引っかかる記事はない。
『世田谷 セレブ妻 交通事故』と検索すると…
彼女に起こった出来事を大まかに理解する。どの記事もー特に貴和子の書いた記事はー嘘である。事実は半分も無い。何故なら相手の男の話は彼女からよく聞かされていたからだ。元半グレ? 全然違う。横浜で自動車関係の自営業を営んでいたのだ。ホテルを予約していた? でっち上げの証言をよくも…
そんなことよりも彼女の容態は? 今はどうなっている? 夕食が運ばれてきたがそれに箸も付けずに探していると、ようやく小さな記事を見つける。
「…Aさんは全身を強く打ち病院に搬送され、左大腿骨開放骨折などで緊急手術を受けた」
僕はその夕食を一口も口にできなかった。
この個室を退院まで使って欲しい、そして退院後はホテルを手配してくれると言う。これには正直ホッとする。退院しても帰る場所がなかったから。
「実は先生、出版した本なんですが…」
売れに売れているそうだ。こんな大事件が絡んでいるので販売を取りやめる意見もあったのだが、貴和子の上司だった文芸部の部長が自らの進退をかけて販売を継続させたという。その結果、重版出来。
世間では復活を賭けた青木マサシの悲劇、という論調だとしきりに彼らは話していたが、後でチェックすると、泥沼の不倫から命辛々抜け出した腰抜け男扱いだった。
それでも登場人物に貴和子をモデルとした女性も登場するので話題が話題を呼び、重版に次ぐ重版、そしてドラマ化、映画化の話が連日舞い込んでいるらしい。
新しい編集者を紹介される。前任の貴和子を崇拝していた眼鏡女子は、ショックで会社を辞めてしまったそうだ。代わりに文芸部のエース級の若手が僕の担当となる。
なんでも相談してください、執事と思ってください、なんて言われ、足の震える子羊ならぬ古執事を想像し、吹き出してしまう。
彼らが帰っていった後、やっと直子に電話をする気になる。深く深呼吸をして送信ボタンを押す。呼び出し音が果てしなく続く。一度切り、暫くしてかけ直そうとすると、直子からラインが来る。
『電話で話すことはありません。離婚に向けて事務的な手続きをしていきましょう』
不思議なことに悲しさや切なさが一切湧いてこない。共に過ごした楽しかった思い出よりもむしろ、直子からの開放感に心が躍っている自分がいる。
さぞやショックを受けたであろう。親友だと思っていた友人と夫が二十年以上も愛人関係だったとは。その友人が夫を刺し、自殺したなんて… どれだけ心を壊されたことだろう、その申し訳なさに目頭が熱くなる。
だが。これで。僕は世間の目を気にすることなく、そして何のわだかまりもなく、彼女を愛する事ができる。彼女を抱きしめる事ができる。こうなることを妄想すれども予想だにしなかったので、若干戸惑いつつも早く彼女に会いたい気持ちで、幸せの予感の気持ちでいっぱいになる。
子供たちと二度と会えないのだろうか? もう二度と塁とキャッチボールできないのか。二度と塁のプレーを間近で見ることができないのか。甲子園で煌めく塁をスタンドから応援できないのか。急に心が沈んでしまい、いても経ってもいられなくなる。
こんな感情の浮き沈みは当分続くであろう、そんな気がする。
ふと気づくと外は暗くなっている。もうすぐ夕食の時間だ。スマホの充電は50%を過ぎている。Mは浮かび上がらない。
Googleで『田中真木子』を検索してみる。特に引っかかる記事はない。
『世田谷 セレブ妻 交通事故』と検索すると…
彼女に起こった出来事を大まかに理解する。どの記事もー特に貴和子の書いた記事はー嘘である。事実は半分も無い。何故なら相手の男の話は彼女からよく聞かされていたからだ。元半グレ? 全然違う。横浜で自動車関係の自営業を営んでいたのだ。ホテルを予約していた? でっち上げの証言をよくも…
そんなことよりも彼女の容態は? 今はどうなっている? 夕食が運ばれてきたがそれに箸も付けずに探していると、ようやく小さな記事を見つける。
「…Aさんは全身を強く打ち病院に搬送され、左大腿骨開放骨折などで緊急手術を受けた」
僕はその夕食を一口も口にできなかった。