第5話 第14章

文字数 1,451文字

「マジで? ゴルフ始めたの?」

 こんなに驚く彼女の顔は初めてである。僕の編集の玉城くんと不動産屋の芳樹くんの話をすると、
「周ろう! 四人で周るよ! で、初ラウンドのスコアは? えーーー、凄いじゃない! さすが元甲子園スタンド球児じゃん!」
 久しぶりに僕は大爆笑する。うん、うん。

「よおーし。リハビリ頑張らなきゃ。ねえ、俺くんも手伝ってよ。」
「勿論。そうだ、脚の具合はどんな感じなの?」
「手術は成功。父の知り合いにスーパードクターがいたから。」
 心からホッとする。さすがセレブなご実家だ。

「そうだ。俺くんの腕も診て貰えば? 後遺症治るかもよ」
 僕の左腕を優しくさすりながら彼女は、
「そうだよ。診てもらいなよ。今度話しておくよ、今をときめく大作家先生のこと。」
 一瞬、硬球で塁とキャッチボールをするシーンが頭をよぎる。
「そうだね、是非。それよりさ、陸とは連絡取ってるの?」
「取ってるよ。」
「開聖でしょ。凄いじゃん!」
「塁君も俺くんの後輩になったんだよね、凄いじゃん。連絡取ってるの?」
「毎日ラインしてるよ。あ、まきちゃん、ラインのID教えて。僕らも…」
 彼女は意地悪な顔で、
「浮気しないって誓うなら、ね。」

 どこまでも彼女は彼女なのであった…

「ああ、久しぶりだよ、ドライブ。なんて気持ちいい…」
 小田原から茅ヶ崎を抜け、右手に江ノ島を眺めながら穏やかに彼女は呟く。
「ずっと家に篭っていたからさ。またこんな日が来るとは思わなかったよ…」
 青かった波は夕日を受けて淡いオレンジになって揺蕩う。白いカモメがその上を何度も旋回している。

「ねえ。綺麗な夜景が見たい。」

 僕は昔のファイルを開き始める。この辺の夜景スポット、鎌倉、葉山。うーん…
「ちょっと。それくらい準備しといてよ。もー相変わらずなんだから俺くんは」
「そんな… 今日、急に…」
 彼女は声を立てて笑いながら、
「冗談。ちょっと車停めて。」
 路肩に停車すると、カーナビに彼女が目的地をセットする。
「今日は、私が連れて行ってあげる。」
 あの日とは逆だな。さっきから口角が上がったままの僕は期待に胸が膨らむ。

 薄暗い山道の街灯がちらほら点き始めている。近所の高校生の部活だろうか、この坂道をグループで列を組んで駆け上がっている脇をカーナビ通りに車を走らせ、目的地に到着する。
「ここからちょっと歩くんだよね。俺くん助けてね」
 僕は彼女の腕を取り、急な坂道をゆっくりと登っていくと、頂上付近に公園が現れる。砂利道は歩きづらそうなので彼女を背負う。
「うわ… 重たいでしょ、うわあー おんぶなんて子供の時以来かも!」
 背中ではしゃぐ彼女の体温が愛おしい。昼までは連絡すら取れなかった彼女の温もりに、夕暮れの僕は心から癒される。

 やがて平坦な公園が眼前に広がる。獣の匂いがする、見るとちょっとした動物園のようだ。
「変わってないなー ここね、昔よく父が連れてきてくれたんだ。こんな風におんぶしてもらって」
 更に進んでいくと、古い二階建ての展望台が見えてくる。言われるまでもなく階上に昇り、そこからの景色に息が止まるー

 眼下に高級住宅地の灯りがポツポツ見える。その向こうにアリーナの灯りが煌々と輝いている。更にその向こうに、沈みかけた太陽が雲と海と僕らをオレンジ色に染め上げている。
 消え入りそうな水平線に江ノ島がポツンと浮かんでいる。灯台の灯りが周回ごとに辺りを優しく照らしている。

 背中の彼女の甘い吐息を耳に感じる。
 この幸せの重みを一生背負っていきたい

 心から僕は願う。
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