第6話 第8章

文字数 1,604文字

 あれから、四年。

 即決したマンションに真木子は殆ど身一つでやってきた。当時、杖がなければ不自由な生活だったが、リハビリを重ねようやく杖なしで生活できるようになったのは、夏を過ぎた頃だったか。
 真木子の両親はスキャンダラスに出戻ってきた娘が、再婚を前提に僕と同棲し始めたのを大いに歓迎してくれた。僕がバツ2のこともよくご存知で、僕のことを真紀子よりも雑誌や芸能ニュースで良く「勉強していた」そうである。

 同居祝いにはあまり使っていないレクサスのSUVを譲ってくれ、これは大いに助かった。車を手に入れてからは二人で近所のゴルフ場に一緒に行くようになった、あの頃は80台が普通だったのだが…
 僕の本の続編も優秀な玉城くんのお陰で重版出来、ドラマのシリーズ化も正式に決まり、金銭的にだいぶ余裕が生まれてきた。だが彼女の倹約ぶりは当初から変わらず、服はユニクロ、アウトレットのセール品、離婚前のセレブな生活は何処へやら、であった。
 いや、だからと言ってその頃の彼女の気品、洗練さは相変わらずであり、小田原の街へ行くと、大勢の人が振り返るほど毅然と悠々と歩いている。

 足がほぼ完治した頃には突然
「前からやりたかったの」
 と言う陶芸を始め、茶碗や湯呑みを作ってきては食器棚に次々と置かれていく。今では入り切らない程になり、近所の人や行きつけの店やバー、スナックに配っている。

 同居を始めて一年が過ぎた頃。買い物の帰りに突然、
「あ。そうだ。市役所に寄って行かない?」
「へ? 住民票でも必要なの?」

「ううん。婚姻届、出しちゃわない?」

 僕は完全に硬直する。
 息をするのも忘れ、真木子を凝視する。
 真木子はまるでスーパーで今日は豪州産でなく国産和牛の細切れを買わない、のと同じテンションなのだ。
 
 思いつきでそんな大事なことをポンと決めてしまう大らかさというか天然さに、
「それもいいね」
 と嬉しそうに乗っかってしまう僕であった。

 それから半月ほど後、真木子の実家に婚姻届の提出の報告を兼ねてお邪魔し、焼きたての湯呑みなどを渡した時。
「お父さん。今野先生を紹介して頂戴。この人の腕を手術して欲しいのよ」
 僕と義理父は唖然とするが、
「思い込んだら突撃のみ、後には絶対引かないんだ、この子は。覚悟しなさいよ雅史君。」
 義理父は諦め顔でスマホの電話帳をタップした。
 その後真木子が着実に事を進めていき、その二ヶ月後、夏真っ盛りの頃に僕の左腕の手術が成功した。

 リハビリを終え、完治しましたよと言われてもピンと来なかった。何故ならこれ迄の生活に何の支障も来していなかったから。
 腕の完治を心から感謝したのは、中二の塁が前妻の直子との協定に従って一人湯河原に遊びにきた時。マンションの下でキャッチボールをすると、腕が全く痛くなく塁の速球を難なく捕球出来たのだった。
「父さん! 取れんじゃん! 腕、良くなったんじゃん! それにキャッチング、うま…」
 手術の経緯を詳しく話すと、それまで正直全く打ち解けようとしなかった真木子に対し、
「おばさん、マジでありがと。ほんと、ありがと!」
 以来、少しずつ塁と真木子の関係はよくなってきている。

 娘だった華は高校から附属の大学には進まず、外部受験で三田の方の大学に現役合格したらしい。何でも僕の出身大学を毛嫌いし、そのライバル校への入学を熱望しそれを遂げた。彼女のモットーは「ママみたいな自立した女性になる」そのために、塁曰く無駄な資格を取りまくっているらしい。
 一方の陸だが、超名門中学に通っているのだが、この秋から海外留学を目指していると言う。彼が湯河原に遊びに来ることはないが(田中家との離婚協定の定めによる)、真木子が東京で時間制限付きでお茶やランチをよくしている。彼は僕と会いたいそうだが、やはり取り決めにより二十歳を過ぎるまでは認められていないそうなので、彼と会えるのは数年後となりそうだ。
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