第3話 第3章

文字数 2,161文字

 小田原市に入る。右前方に小田原城が見えてくる。塁が乗っていたならすかさず北条家や秀吉の小田原城攻めの質問を繰り出すところであるのだが。
 助手席をチラ見すると彼女も僕の方を向いて、
「ねえ。」
「な、何?」
「ちょっとお腹空かない?」
「あ、ごめんごめん… 何か食べたいものある?」
「何でも。任せる。」
 僕はしばらく脳筋をなんとか働かせ、
「あ、じゃあさ、海鮮丼とかどお?」
「いいけど。」

 家族でよく行く小田原港にある海鮮丼屋に向かう。平日の昼間なので程よく空いている。車も駐車場にすぐ停められた。休日だと考えられない空き具合に少しホッとする。
「ここ、来たことある?」
「初めて。」
「そう。あ、こっち。ここの二階。」
 物珍しそうに辺りをキョロキョロする彼女。その様はお忍びでダウンタウンにやってきた王女様のようで見ていて可愛い。その旨を告げると鼻で笑われてしまう。

「この辺、臭い…」
「まあ、漁港だから。魚上がるから。」
「臭い!」
「さ、お店入ろう…」
 拗ねている。まるで小学生の女の子みたいに。未だ嘗てない胸のドキドキに我を忘れそうだ。彼女を連れて二階に上がり店に入る。今日のオススメは三色しらす丼らしい。
「何これ? 三色って?」
「普通の釜揚げと生と醤油漬のしらすを丼にしたやつだよ。」
「私これがいい〜」

 彼女ほどのセレブは普段こんなB級グルメなぞ口にすることは無いのだろう。店内を興味深そうに何度も見回し、メニューを何度も読み返している。
 程なくして三色しらす丼がやってくる。いただきます、手を合わせ箸を動かす。しらすの三色ぶりに驚嘆の表情を隠さず、生のしらすは初めてなの、と呟きながら上品に口に運ぶ。
「どう? お味は?」
 何度かの咀嚼後、目を大きく見開き、
「美味しー うん いいね!」
 演技ではない、本物のいいねをゲットする。
「ねえ、この店どうやって見つけたの?」
「え? 女房が病院の雑誌かなんかで見つけてきて。」
「ふーん。俺くん達はこういう所によく来るんだ?」
「そ。いい所なんて連れて行けないから。安くて美味しい所。」
「いいね。」
「まきちゃんはこんな所滅多に来ないでしょ。逆に新鮮でしょ?」
「ねえ。また連れてきてくれる?」
「勿論だよ。喜んで」
「あーー。なんか慣れてる…」
「えーー、又それ?」
 食事を終える頃には一年間のブランクなんてすっかり忘れ、嬉しくて仕方のない自分に苦笑してしまう。

 左手に相模湾を見ながら国道135号線を南下していく。海の向こうに初島、もっと向こうには霞みがかった伊豆大島が見える。ドライヴには絶好の日和である。彼女はサングラスを外しずっと景色を見ている。
 熱海の温泉街の横を過ぎるとき彼女がボソッと独り言を呟く。
「あそこまだあるんだ…」
「え? この辺よく来ていたの?」
「ちょっとね。」
「旦那さんと?」
「結婚前の話。その頃の彼と。」
「そうなんだ。まきちゃんと旦那さんは結婚までの付き合い長かったの?」
「うーん、出会ってから半年位かな。」
「え… それって短くない?」
「俺くんは?」
「僕は… 二年くらいかな」
「どうやって知り合ったの?」
「最初の妻と離婚した後、暴飲暴食で体壊して入院したんだ。その時の看護師。」
「最初の奥さんはどんな人?」
「モデルとかタレント。」
「へーーー 何年続いたの?」
「半年、かな。まきちゃんは? 旦那さんとどうやって知り合ったの?」
「紹介。」
「熱海によく一緒に来た彼とは結婚しようと思わなかったの?」
「だって。不倫だったから。」
「え?」
 一瞬頭が真っ白になる。信号待ちの車に突っ込みそうになる。隣で彼女がニヤリと笑っている。
「彼が船持っていて。よくこの辺りまで来たの。」
「す、すごいセレヴな…」
「この辺の漁師さんと仲良くて、朝獲れの魚貰ってホテルで捌いて貰って〜」
「ハハハ… 海鮮丼でゴメンねー」

 そして又海を遠くに眺めながら口を閉ざす。しばらく静かに車を走らせる。二度目の結婚以来僕は妻以外の女性とこんなドライヴをするのは初めてだ。妻とは結婚前も今もよく二人でドライヴする。ずっと二人でペチャクチャ喋りながら。
 なのでこんな静かなドライヴは何とも言えない緊張感で脇汗や手汗が止まらない。口の中が乾いて仕方がない。何とか話を振るのだが大体素っ気ない返事ではぐらかされてしまう。

「わかった! まきちゃん不倫してたから、こんなに細かいんだ!」
「…言うね、ハッキリと」
 彼女は困ったような、可笑しそうな表情で
「でも、うん、そうかな。その通りです。それが何か?」
「その彼が既婚者だって知ってたの?」
「知ってたよ。私から誘ったから。」
「…そ、そうなんだ…」

 そこでまた話が止まる。彼女から進んで話す気は全く無いようだ。僕もこれ以上詮索する気もないし、僕の事をこれ以上話す気もないので黙ってハンドルを握る。
 気まずい雰囲気のまま車を走らせる。道路は空いていたのでカーナビ通りに行けば河津まであと四十分の所まで来る。
「あ、綺麗…」
 急に彼女が呟く。彼女の視線を追うと道路脇に植えられた河津桜が満開の花を咲かせている。僕も見るのは初めてだったので感嘆の声を上げる
「この季節に、凄い。ソメイヨシノよりも色が濃いね、そこがまたいい。」
 僕の呟きに返事することもなく、彼女は河津桜を探しては溜息をもらしている。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み